正確に言えば、「君津」に出かけました。JR、ほとんどが「千葉」どまり。内房線に乗り換える。9番線から3番線へ。2分の余裕しかなく、階段を駆け下り、上ってやっと間に合いました。これをのがしたら40分後。「駅スパート」ももっと余裕を持って検索して下さいね。ふーっ!
午後3時過ぎ。帰りは、木更津まで送ってもらいました。アクアラインを通って川崎に帰る方の車で。ここまで来れば、上りの本数も多いのではないか、と。
ホームにたたずんでいると、もうすでに使用されなくなったような転車台が・・・。
「転車台」は、主に片側にしか運転台がない車両や、バック運転では性能が限られている車両を載せて回転させて、車両の向きを進行方向に向けるために用いられました。機関車の車両基地においては、転車台の周囲から放射状に線路を伸ばし、その先に機関車の車庫や修理・点検設備として用いる扇形庫を設置した例が新小岩駅などあちこちに見られました。かの「トーマス」でおなじみ。
蒸気機関車の全盛期には、各地の車両基地や拠点駅・起終点駅には必ず設けられていましたが、蒸気機関車が廃止されるにつれて撤去され、日本国内には、あまり見られなくなっています。それでも撤去されないまま放置されている(転用されている)転車台もあります。アメリカなどでは、現代においてもなおよく用いられる設備のようです。
韓国に行った時にも見かけましたが、木更津駅構内で発見するとは思ってもいませんでした。もう線路は使われず、奥は更地。車が停まっていました。
写真は、そのようす。
木更津から東京方面へ。進行方向左の座席に腰掛けて車窓を眺めていると、すでに廃線になって、所々雑草に蔽われた線路が、一本並行して進んでいます。赤錆びたレールがしっかり残っています。「巌根」駅手前で、こんもりした丘状のまま左手に折れて海岸の方へ向かっていきました。家に帰ってから地図を見ると、「自衛隊木更津駐屯地」へ向かう廃線でした。
結局、乗った電車は、総武線快速電車。「君津」方面から来た電車でした。船橋の手前あたりから、スカイ・ツリーが遙か遠くに見え隠れしてきました。
午後3時過ぎ。帰りは、木更津まで送ってもらいました。アクアラインを通って川崎に帰る方の車で。ここまで来れば、上りの本数も多いのではないか、と。
ホームにたたずんでいると、もうすでに使用されなくなったような転車台が・・・。
「転車台」は、主に片側にしか運転台がない車両や、バック運転では性能が限られている車両を載せて回転させて、車両の向きを進行方向に向けるために用いられました。機関車の車両基地においては、転車台の周囲から放射状に線路を伸ばし、その先に機関車の車庫や修理・点検設備として用いる扇形庫を設置した例が新小岩駅などあちこちに見られました。かの「トーマス」でおなじみ。
蒸気機関車の全盛期には、各地の車両基地や拠点駅・起終点駅には必ず設けられていましたが、蒸気機関車が廃止されるにつれて撤去され、日本国内には、あまり見られなくなっています。それでも撤去されないまま放置されている(転用されている)転車台もあります。アメリカなどでは、現代においてもなおよく用いられる設備のようです。
韓国に行った時にも見かけましたが、木更津駅構内で発見するとは思ってもいませんでした。もう線路は使われず、奥は更地。車が停まっていました。
写真は、そのようす。
木更津から東京方面へ。進行方向左の座席に腰掛けて車窓を眺めていると、すでに廃線になって、所々雑草に蔽われた線路が、一本並行して進んでいます。赤錆びたレールがしっかり残っています。「巌根」駅手前で、こんもりした丘状のまま左手に折れて海岸の方へ向かっていきました。家に帰ってから地図を見ると、「自衛隊木更津駐屯地」へ向かう廃線でした。
結局、乗った電車は、総武線快速電車。「君津」方面から来た電車でした。船橋の手前あたりから、スカイ・ツリーが遙か遠くに見え隠れしてきました。