ウミウ、ヒメウ及びクロサギの生育地展望台を経て、西に向かいます。
城が島のウミウ、ヒメウ及びクロサギの生育地。
城ヶ島の南側、太平洋の荒波を受ける断崖は高さ約30㍍、幅2キロメートルに及び、自然景観もよく残されている。この崖の中ほどやや東に位置する赤羽根海岸周辺には、崖面の岩棚や割れ目にウミウとヒメウ、それにクロサギが生息することでよく知られている。
ウミウとヒメウはウの仲間で、夏期は北日本などの冷涼な地域で繁殖し、冬季には温暖な地方へ南下して冬を過ごす。城ヶ島においては、例年10月末頃から渡来し、少数のヒメウのほか、最盛期のウミウは千数百羽を数え、やがて春になると北へ帰っていく。一方、クロサギは、南方系のサギで、太平洋側では房総半島や城ヶ島を北限域とする。体は黒く見えるが、くちばしと足が長くて黄色がかるので、全体は黒色に見えるウミウやヒメウと区別できる。
城ヶ島赤羽根海岸周辺は、往時よりもウミウの渡来数が減少しているが、なお関東地方最大規模の渡来地として重要であり、またクロサギの太平洋側分布北限地の一つとして学術上きわめて貴重である。
その途中にあった句碑。
火の島へ 一帆目指すよ 芋の露 源義
この俳句は、角川源義昭和39年の作。
・・・帆をいっぱいに追い風をはらんだ帆掛け舟が大島に向かって走っている情景、芋の露(季語=秋)は、生長した里芋の葉に夜露や雨が溜まってきらきらと輝いているようす。
角川源義(俳号―源義)大正6年富山県生まれ、昭和20年角川書店を創立、・・・ことに三浦半島の風光を愛し、しばしばこの地を訪れている。
眼下に太平洋が広がる。
ウミウのモニュメント。
海風の強さから高い木はない。
赤羽根海岸・断崖。
奥の崖が、ウミウたちの生息地。
白秋文学コース ウミウ展望台
三崎城ヶ島は鵜の鳥島よ 潮のしぶきで鵜が育つ
城ヶ島の白百合の花大きければ 仰ぎてぞあらんあそびの舟は
(「Wikipedia」より)
樹木に覆われたところも。
視界が広がってきます。
急な階段道を下ると、目の前に「馬の背洞門」。
馬の背洞門
これは自然が作った海蝕洞穴で長い年月をかけて波浪、風雨等に浸食されてこのような見事な形となったものです。地層は第三紀層、鮮新統、三浦層に属し土質は凝灰質砂礫岩という軟らかい岩質です。高さ8㍍、横6㍍、厚さ2㍍で、土地の人は「馬の背洞門」のほか「めぐりの洞門」「眼鏡の洞門」などと呼んでいます。そのどの名前もみな洞門の形から推して名付けられたものです。
明治の文豪、大町桂月はここを訪れて次のように述べています。「―馬の背に至る、怒涛脚下の巌を噛む、左は房州、右は伊豆、前には雲の峰聳ゆ、その雲の峰少し薄らぎて中より大島あらわる、馬の背はやがて馬の首となり、長巌海に突き出す。云々」
※落石等の危険があるため近づかないでください。
(「解説板」より)
ここを訪れたのはこれで3回目ですが、この自然の造形にしばし魅入ります。
周囲の景観。
岩畳。
海岸の岩伝いに歩くこともできますが、崖の上を歩いて「城ヶ島灯台」の方へ。
「馬の背洞門」を見下ろす。
展望台へ。
遠くに「馬の背洞門」。
「城ヶ島灯台」が見えてきます。
坂道を下り、海岸へ。
ここから右に折れて「城ヶ島」バス停に向かいます。炎天下の歩きでしたが、城ヶ島の南側を東から西へと変化に富んだ歩きでした。