もう1年ですね、あっという間の。って、ま、毎年思うけど。
特に、今年はコロナ騒ぎで、それだけでほとんどお終い。
そうそう、去年は、クリスマスに、香港からいつもの好青年が泊まりがけでやってきて、歓迎で大騒ぎだった。
何年も前に、ここにホームステイに来た青年ですよね。日本語も上手だし、地理も詳しいし。
かなりの日本びいきで、毎年、夏や冬にやってくるんだけれど。
今年は、さすがに来なかったわけだ。
香港でもあの騒ぎで、色々心配したけれど。
コロナでは勤め先がロックアウトで、仕事の方も。
その代わり、今年はたくさんのマスクを送ってくれたみたいだ。
クリスマスバージョンで、子供達には受けたようで。マスクにいっぱい絵柄が描かれてある。
あのマスク、けっこうすてきだけど、なかなか爺さん婆さんが街中を歩くのにはちょっと、ね。
そうそう、年明け早々にお家の方が、突然、嗅覚障害、味覚障害が出て、ちょっと風邪気味になって。
いつもの医者に行って、風邪薬を処方して貰って・・・。
あの時、好きな珈琲の匂いも味もまったくしなかった、って初めての経験だった、とか。
風邪でもそういう症状が出ることもあるしね。
しかし、今までまったくそういう経験はなかった、って。あれは何だったんだろうか。しばらく嗅覚障害は残ったみたいだし。
その後だよね、新型コロナが日本にも入ってきたって大騒ぎになったのは。
東京でも、タクシーの運転手さん達の屋形船での感染が、入院先の病院まで広がって。
発端は、中国人観光客を乗せて感染したらしい、というニュースを聞いてもピンとこなかったけど。
コロナ騒ぎが始まって、夏頃だったかな、あれは、実は、コロナのはしりじゃなかったのかって。
そうそう、その頃だよね。香港から青年と一緒に入ってきたんじゃないかって。
日本で最初の感染者になった! って密かに思ったけど。
でも、他の人は特に変化はなかったし、そんなことはないよ、で落ち着いた。
ま、ここの爺さんも街道歩きも出来ず、せっせこ仕事に通っていましたね。
電車通勤はイヤだといって、毎日、片道40分かけて。炎天下も自転車で通って、けっこう日に焼けたようね。
今もそうしてるみたいだがね。暑さの夏も冬の寒さにも負けずっ、てことですかね。
そう、そう。結局、今年は「房総往還」、「鮮魚街道」、「木下街道」くらいしか歩けなかった。
あとは京成電車沿線歩きくらいが、やったことか。
世の中は、アベからガースーに代わったけど、コロナはますます拡大中。策もなくオロオロするばかり。
日照りの夏も冬枯れの季節もオロオロ歩き、じゃあしょうがないよね。
ところで、爺さん、なかなか年賀状に取りかからないけど。どうするつもりかな。
何でも今年は大幅に減らすそうだよ。もう親戚関係とか仕事仲間とか、限定的に出すとか。
いっとき元気な頃は、100枚くらい出していたときもあったはず。
懐かしいね、先輩達も。手書きから干支のはんこでセッセと書いては、出していたんだから。
そういえば、何ていったけ? 昔、一枚一枚、俺たちの先輩たちを挟んでシュッパって光線を浴びさせて、やっていたよね。
たしか「プリントゴッコ」とかいったんじゃなかったっけ。
理想科学工業がかつて販売していた家庭用簡易孔版印刷機である。1977年(昭和52年)から2008年(平成20年)まで販売された。
透明フィルムカバーを跳ね上げ、専用インクを乗せた上で製版時と同様にプリンターの枠側内部に取り付け、印刷台に印刷用紙を乗せて圧着することでインクがマスターの樹脂溶解部分から紙に転写される、って「Wikipedia」では解説されているけど。
一瞬目がくらんだよね、いきなり先輩達の身体が焼き付けられるんだから。
懐かしいよね、その後はPCでやるようになって、いつしか無くなった。
今度は背中から押し込められて、すぐに完成品さ。住所も手書きでなくなるし。
でも、ここの爺さんは、住所だけは手書きで書いているよね、変なポリシー、こだわりがあるよね。
さてと、こうして元旦から一年間、この家にやっかいになっていたけど、そろそろお役御免かな。
そうそう、俺たちを参考にしながら、年賀状を書く風習だからね。
ちょっと待てよ、今回はちょっと趣がおかしいぞ、ちょっと。
いつもは、そのまま、まとめてお払い箱になるんだが。
ちょっと、ちょっと。えっ、この中に突っ込まれてどうなるの?
えっ、先輩達、うどんみたいに細長くなって消えていっちゃった。
次は、俺の番か。では、おさらば。
・・・
こうして今年元旦に届いた年賀状は、我が家のシュレッダーにかけられて、立派にお役目を果たしたのでした。