ボンヤリ系装幀のもの二つ目。この作家の装幀は、ミルキィ・イソベという方。これまでは、曲線をあしらった、派手気味なものが多かったが、今回のはちょっと抑え気味。題名にあやかったものでしょうか。
全体がブルーがかった地に、上部に題名の部分が華やかに彩られ、小さくローマ字書きまである。遙か彼方の世界をイメージしたものか。
身辺雑記風に構成されていながら、実に小気味よい毒をあしらったもの。ますます笙野さん、相変わらずの粘着質で、実に冴えていらっしゃる感じ。好きな読者なら、登場人物が誰かが何となく分かるのが面白い。
中身は、過激。文壇などマスコミに寄生して、あぶく銭を稼いでいる連中を、体制批判をおりまぜて、快刀乱麻する書。それでいて、「私」的世界もきちん(?)と描いている、いつものように文体がころころ変わるのが、読んでいて楽しみ。
ところで、八幡信仰。宇佐八幡が総社。稲荷と並んで全国にはたくさん八幡様を祀る社がある。北九州の豪族宇佐氏の守護神だったが、数々の奇端を現して大和朝廷の西方の守護神となり、朝廷は、宇佐八幡に「八幡大菩薩」の号を贈った。大菩薩は仏教の号。神仏習合の流れを背景にして、宇佐八幡は鎮護国家・仏教守護の神として位置づけられます。
八幡神は武家を王朝的秩序から解放するという、天照大神とは異なる世界を創る大きな役割があったため、武家が守護神として八幡神を奉ずることにもなる。
一方で、八幡神は皇祖神として位置づけられ、天照大神とともに皇室を庇護したとする説があり、天照大神に次ぐ皇室の守護神とされてもいた。
結局、「八幡様」、中世においては、武家(直接的には源氏系)の守護神としての立場と皇室の守護神としての役割という両面があったよう。
その八幡宮を海底に存在させた発想は、いかに?
笙野さん、神秘主義的になりすぎているのは、ちょっと気になります(マイナス面として)が、こここそが、彼女の依って立つ基盤なのだから、それはそれとして許容の範囲かな、とも思います。
全体がブルーがかった地に、上部に題名の部分が華やかに彩られ、小さくローマ字書きまである。遙か彼方の世界をイメージしたものか。
身辺雑記風に構成されていながら、実に小気味よい毒をあしらったもの。ますます笙野さん、相変わらずの粘着質で、実に冴えていらっしゃる感じ。好きな読者なら、登場人物が誰かが何となく分かるのが面白い。
中身は、過激。文壇などマスコミに寄生して、あぶく銭を稼いでいる連中を、体制批判をおりまぜて、快刀乱麻する書。それでいて、「私」的世界もきちん(?)と描いている、いつものように文体がころころ変わるのが、読んでいて楽しみ。
ところで、八幡信仰。宇佐八幡が総社。稲荷と並んで全国にはたくさん八幡様を祀る社がある。北九州の豪族宇佐氏の守護神だったが、数々の奇端を現して大和朝廷の西方の守護神となり、朝廷は、宇佐八幡に「八幡大菩薩」の号を贈った。大菩薩は仏教の号。神仏習合の流れを背景にして、宇佐八幡は鎮護国家・仏教守護の神として位置づけられます。
八幡神は武家を王朝的秩序から解放するという、天照大神とは異なる世界を創る大きな役割があったため、武家が守護神として八幡神を奉ずることにもなる。
一方で、八幡神は皇祖神として位置づけられ、天照大神とともに皇室を庇護したとする説があり、天照大神に次ぐ皇室の守護神とされてもいた。
結局、「八幡様」、中世においては、武家(直接的には源氏系)の守護神としての立場と皇室の守護神としての役割という両面があったよう。
その八幡宮を海底に存在させた発想は、いかに?
笙野さん、神秘主義的になりすぎているのは、ちょっと気になります(マイナス面として)が、こここそが、彼女の依って立つ基盤なのだから、それはそれとして許容の範囲かな、とも思います。