本書での中心は、明治末期に起きた「歴史教科書」をめぐっての「南北朝正閏(せいじゅん)論争」。歴史学者のみではなく、政界をゆるがし、「北朝」の流れをくむ明治天皇の裁可によって決着した「南朝」正統論。
後醍醐天皇の建武の新政が失敗した後、皇統は京都の北朝と吉野に逃れた南朝との二つに分かれ、天皇が二人いるという、いわゆる「南北朝時代」が57年間続く。そこで、どちらの天皇が正統か、という論争が起こってくる。その発端が「歴史教科書」であった。
その結果、「明治維新」を「建武の中興」の再来とし、自分たちを楠木正成をはじめとする南朝の忠臣になぞらえることで、王政復興(天皇親政)を実現した、そのことに自らの寄って立つ基盤を作り上げた「明治」の元勲。それらの政治的思惑によって、当時の教科書から5人の天皇が消された。
この書では、それらの歴史的背景、政治家、文学者、歴史学者がどういう立場で発言し、行動してきたかを克明に描いていく。「大逆事件」との関連も追及していく。
その後、大正デモクラシーのうねりの中で、歴史学者の間では再びこの時代を「南北朝時代」としたが、
「『満州事変』以降、歴史教科書における日本の中世は、南朝の忠臣顕彰と足利尊氏ら『逆賊』への筆誅が最大の使命といった様相を呈するようになっていく。」(P219)
さらに、その後も登場する、南朝神話に群がる人々が、たとえば「熊沢」天皇―我こそは南朝の正統後継者である―の出現につながっていったことなどを取り上げる。
その上で、筆者は、史実を無視して、「道徳」「道理」を振り回し、そうであってほしい「歴史」を結果的には偽造し、広めていくことの危険性を指摘する。
その典型として
「歴史が美しいとそのまま受容したくなるという危険」について、『教科書が教えない歴史』を取り上げ、
「語られる物語が美しければ美しいほど、我々はその物語に寄り添ってしまい、批判はおろか自分自身で考えることもせずに受容してしまうことになりがちだ」(P254)
と、その例として李王朝最後の皇太子李垠と梨本宮方子との結婚の取り上げ方を批判する。
こうして、人はなぜ歴史を偽造するのか、と自問自答し、その答えの一つとして、「自分さがし」の精神病理をあげる。
「いまの自分は本当の自分ではない。本来の自分はもっと立派で偉大であるはずなのに、世間はその『事実』を認めようとせず、自分を正当に処遇しようとしない、間違っているのは世のなかの方なのだ。自分は、本来の、あるべき自分を取り戻したい。
・・・
『本当の自分さがし』、この場合の『本当の自分』とは、実際の、あるがままの真実の自分の姿を認識しようといういとなみではなく、むしろ現実の自分をはなれて、『あるべき自分』『願望としての理想的な自分』を自分のアイデンティティーとすることで心の平安を得たいというメカニズムであるように思われる。・・・自分の願望をそのまま受け入れてくれる世界観を作り上げる方向へと向かってしまうのである。
・・・
そこに自分にとって都合のいい物語を見出そうとしている。それははじめから事実でない故に、かえっていかなる史料批判も科学的説明も届かない強固な信念をもって、彼らは自分の物語に固執する。」(P22)
今の世相、とりわけ政治家の発言を思うとき、実に言い得て妙な表現です。
後醍醐天皇の建武の新政が失敗した後、皇統は京都の北朝と吉野に逃れた南朝との二つに分かれ、天皇が二人いるという、いわゆる「南北朝時代」が57年間続く。そこで、どちらの天皇が正統か、という論争が起こってくる。その発端が「歴史教科書」であった。
その結果、「明治維新」を「建武の中興」の再来とし、自分たちを楠木正成をはじめとする南朝の忠臣になぞらえることで、王政復興(天皇親政)を実現した、そのことに自らの寄って立つ基盤を作り上げた「明治」の元勲。それらの政治的思惑によって、当時の教科書から5人の天皇が消された。
この書では、それらの歴史的背景、政治家、文学者、歴史学者がどういう立場で発言し、行動してきたかを克明に描いていく。「大逆事件」との関連も追及していく。
その後、大正デモクラシーのうねりの中で、歴史学者の間では再びこの時代を「南北朝時代」としたが、
「『満州事変』以降、歴史教科書における日本の中世は、南朝の忠臣顕彰と足利尊氏ら『逆賊』への筆誅が最大の使命といった様相を呈するようになっていく。」(P219)
さらに、その後も登場する、南朝神話に群がる人々が、たとえば「熊沢」天皇―我こそは南朝の正統後継者である―の出現につながっていったことなどを取り上げる。
その上で、筆者は、史実を無視して、「道徳」「道理」を振り回し、そうであってほしい「歴史」を結果的には偽造し、広めていくことの危険性を指摘する。
その典型として
「歴史が美しいとそのまま受容したくなるという危険」について、『教科書が教えない歴史』を取り上げ、
「語られる物語が美しければ美しいほど、我々はその物語に寄り添ってしまい、批判はおろか自分自身で考えることもせずに受容してしまうことになりがちだ」(P254)
と、その例として李王朝最後の皇太子李垠と梨本宮方子との結婚の取り上げ方を批判する。
こうして、人はなぜ歴史を偽造するのか、と自問自答し、その答えの一つとして、「自分さがし」の精神病理をあげる。
「いまの自分は本当の自分ではない。本来の自分はもっと立派で偉大であるはずなのに、世間はその『事実』を認めようとせず、自分を正当に処遇しようとしない、間違っているのは世のなかの方なのだ。自分は、本来の、あるべき自分を取り戻したい。
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『本当の自分さがし』、この場合の『本当の自分』とは、実際の、あるがままの真実の自分の姿を認識しようといういとなみではなく、むしろ現実の自分をはなれて、『あるべき自分』『願望としての理想的な自分』を自分のアイデンティティーとすることで心の平安を得たいというメカニズムであるように思われる。・・・自分の願望をそのまま受け入れてくれる世界観を作り上げる方向へと向かってしまうのである。
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そこに自分にとって都合のいい物語を見出そうとしている。それははじめから事実でない故に、かえっていかなる史料批判も科学的説明も届かない強固な信念をもって、彼らは自分の物語に固執する。」(P22)
今の世相、とりわけ政治家の発言を思うとき、実に言い得て妙な表現です。