おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

JR西日本の大惨事は氷山の一角

2005-04-30 14:00:33 | 世間世界
 今回のJR西日本の大惨事。あれだけの方々が思いもかけず生命を中断され、本人の無念さは無論、残された方々の心中は察するにあまりある、本当に悲惨な事故でした。特に、亡くなった方の4割が10代・20代だったとか。聞き手のない携帯電話が無情にも捜索中の車内で鳴っていたそうです。親から友人からクラスメートから恋人から・・・。そういう談話にも何だか涙が出てきます。今の日本人の年齢構成からしても全く理不尽な災難でした。
 しかし、こういう大惨事にもかかわらず、JR社員の対応は、関係者の気持ちを逆なでするかのような態度・姿勢だったようです。「置き石」犯人説や速度制限オーバーキロのごまかしもその大きなものでしたが・・・。
 新聞やTVなどに登場するJR職員の対応や発言をみると、人材不足の組織・企業なのではないかと感じました。力のある40代、50代の中堅、ベテランの姿と若い社員とかとのバランスが悪い組織に思えたのです。ずばり言えば無責任企業集団。電鉄事業というものの公共性、何よりも安全性重視の姿勢があまり見られないのです。
 トップは無責任で、自己保身に固まった連中。黒字が過去最高だったということだけは、こういう大惨事の渦中でも堂々と発表する無神経さ。
 これは、おそらく国鉄からJRになったときに、国鉄時代から担ってきた方々が引退、あるいは配置転換、強制退職などで大きく年齢構成にいびつが出たまま、JRになった今に至っているのではないのではないでしょうか。国鉄OBの姿もなさそうです。
 たしか、国鉄時代、大幅な赤字経営のために、新規採用をまったくしなかった期間が長くありました。そのとき、それでは今後、必要な人材が不足する事態を招くと批判されたことがあります。しかし、「背に腹は代えられない」と、そうした危惧の声にも耳を傾けず、職員の新規採用を行ないませんでした。また、国鉄末期からJRに変わるころ、国労などの組合員を徹底的に差別・選別し、生クビを切るような徹底した合理化政策、人事管理政策を導入しました。
 その基本は、企業利益の優先、そのためのペナルティの強化でした。JRに残ることが出来た人間に対しては、罰則の強化と賃金カット、配置転換、「研修」という名の「いじめ」政策を行いました。こうして、企業への忠誠心を強め、上司の言うことを黙って素直に聞く人間のみを登用してきたように思えます。
 当時、郵政省でも徹底した合理化政策の中で、多くの非人間的な管理政策をとりました。また、電電公社でもNTTへの転換の中で、徹底した合理化を行いました。そうした中で、立場を獲得してきたのが、今の、強面で管理支配することに何の疑問を持たない、管理職の連中だといってもよさそうです。そうしなければ、残れなかったこともまた事実でしょう、なかにはそうしたやり方に批判的な人間・管理職は早々と職場を去っていったのではないでしょうか。
 これは、教員の世界でも言えるようです。小学生や中学生の生徒減から新規採用を徹底して抑えた時期がありました。例えば、東京都では、全都でわずか数名しか採用しないような時期が長く続きました。そのときに、学級生徒数の上限見直しや教員配置数の見直しとかの政策を導入し、教員採用数を出来るだけ減らさないという政策は取られず、人員削減だけを行いました。
 そのひずみが今、各学校現場にあらわれているようです。30代後半から40代半ばの先生がほとんどいないということです。たしかにいますが、採用された人間が、本当に人材なのかどうか。
「千里の馬」は常にいますが、「伯楽」が常にいるとは限らないのです。
 今回の大惨事で露呈したJRの実態は、日本企業の、特に公共機関(企業)役所・学校・鉄道等の企業の脆弱性を物語ってはいないでしょうか。これらの組織のゆがみは今後日本の未来を暗くするような気がしてならないのです。
 実にもう20年以上前からの、バブル経済からその崩壊へと・・・。その場しのぎの人材育成・採用計画、未熟な管理体制強化が、今になってあだ花として咲き始めたと見るべきではないでしょうか。
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宴会の中締めは長老の役割

2005-04-29 21:45:15 | つぶやき
どうも宴たけなわですが
ご指名により私が中締めということで

いよいよこういう役割が
回って来る年回りになったかと思うと
実に複雑な気持ちですね

まあ、新年度を迎えて
去られた方も新しく見えられた方も
ともかく健康第一で頑張って下さい
って言わない方がいいみたいですね

なんですか踏ん張っていきましょうって
何を踏ん張るんですか、中身が出ない程度に
どうも話しが下品な方向になってしまって

そうそう今晩はおいしいごちそうで
幹事の皆さん有難うございました
といってもこのところ同じ所なので
そろそろ考えた方がいいんじゃないかって
思っている方もいらっしゃるかとも思いますが
ここは、幹事のご努力に免じて
今日の所はご容赦下さい

まあ、特に新しくこの営業所に見えられた方に
ついでに一言申し上げますが
どこの営業所もやっていることは普通のことでして
そりゃみんなばらばらじゃ
親会社も困りますが

それでもバリエーションってやつですか
それぞれニュアンスの違いがありまして
私らが若い頃は新しい営業所に移ったら
一年間は黙ってみていろ
なんて先輩から言われましたが
今日びそういうフウケン的な言い方はちょっと

でも言いたいことがあっても
少し様子を見ることも大切ですね
前の営業所はこうやってたああやってたなんて
持ち出したらそれだけで反感を持たれますから

まあ難しい業界っていやあその通りでして
以心伝心みたいな職人芸みたいな面もあったりして
お客さんも変わってきていますから
いい面で発言したり行動したりするのは結構だと思いますが
まあほどほどというのがよろしいようで

もうそろそろ話しを終わりますが
いずれにしてもお互いに健康第一ということが大事ですね
最近は施設内禁煙ということで
私も大変ストレスがたまっておりますが
今日は思う存分吸えたんで満足しています

幹事の皆さんも大変ご苦労さまでした
実は私はほとんどというか
全く飲めないのでこういう会は苦手なんですけど
雰囲気は嫌いじゃないんで
こうしておいしく食事っ
ていっても何ですか和食あり、中華あり、フランス料理ありで
随分無節操ですね
今度はもうちょっと節操のある会場でやっていただきたい

これをおねがいといたしまして
もう時間ですか、「オーバーしてる」って
どうも失礼しました
それでは三本締めでいく?
一本締めでいく?
どっちでもいいですか
それでは三三九度で間違えました、三本締めでいきましょうか
今のはわざと言い間違えたんですからね

それでは皆さんご起立下さい
イヨッー!(手拍子が軽快に続く)
どうも有難うございました

長い長い中締めも終わって
カラオケに流れていく組、疲れ切って帰る組・・・
やっと散会したのでした。
歓送迎会、無事終了!次は忘年会だ!

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どうして大惨事が起こる前に改善されないのか

2005-04-28 23:38:50 | 世間世界
 JR西日本の大惨事。日ごろの労働管理の問題点が指摘されていたにもかかわらず、いっこうに改善されず、起こるべくして起こったという今回の大惨事。
鉄道の使命を安全第一ではなくて、企業の収益優先、合理化優先、労働管理強化に。こうした手法が国鉄末期からJRへとますます引き継がれ、乗客からも働く職員からも批判や心配や不安が語られていた。
 マスコミもこういう事故が起こって、初めて大きく取り上げる。もし事故が起きなければ、いまだに公には出されず、人命軽視(職員も乗客も)の企業運営が行われていたのであろう。幹部は、今でも今回の事故がどうして起きたのかについて、責任回避をしている感じだ。
 事故直後には大々的に大きな写真を使って、まことしやかな「置き石」説を披露。なかには、おかかえ(?)評論家もその説を支持してマスコミに登場していた。「その電車の通過前に誰も線路内に入っていない」という目撃証言も全く無視して、さすがに国土交通省も苦虫をかんだような会見をする始末だった。また、関西経団連の役職を辞める気はないと早々に発表した会長。
JRになって以来、ますます利益優先主義になったJR。
 いったいなぜもっと早く内部からの悲鳴・告発を受け止めなかったのか。北海道でも東京でもこのままではどのJRでも起こりうる事故。今度はいよいよ新幹線か。
 知り合いの某私鉄の社員、「うちはそんなに電車の遅れは気にしてませんよ」これくらいの余裕が欲しい。でも、沿線の乗客はそうした姿勢に文句を言っているらしいから、これは、乗客の側にも問題があるかもしれない。
 聞いたところでは、外国の鉄道はもっと時間に関してはもっとおおらかなようだ。定刻に発車して定刻に着くなんて言うこと自体が不思議なのだ。
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桜島 自然との共存,闘い 

2005-04-27 22:06:25 | つかのまの旅人
 この間の日曜日、日帰りで鹿児島に出かけた。
 鹿児島空港から市内まで小一時間。この間中学生が死んだ防空壕はこのへんですよ、と市内に向かう車の中での話しにびっくり。ニュースでしか知らなかった出来事が間近に。まだまだ鹿児島には防空壕が残っているとのこと。桜島もうっすらと煙をはいている。鹿児島市内から見る桜島は横に大きく広がって、実に堂々とした山容。
 帰りは、ぐるりと海岸に沿って飛行場へ。その車中で桜島の噴火のときの様子を聞く。激しいときには、一面霞んで前を行く車も見えなくなる。小石がバラバラ降ってくるとか。そういう自然環境のなかで生活する鹿児島。
 途中、水害で一気に土砂が崩れ大きな被害を生んだ箇所も通った。シラス台地は崩れやすく厄介だ、とも。穏やか夕方の日差しの中を受けての車中。そうした自然の有様を淡々と話し続ける。
 種子島、奄美大島の他にも離島が多く、鹿児島市内に来るにもフェリーを使ったりと時間もかかる。かえって東京に出る方が時間がかからない。なるほどそうなのか。飛行場まで送ってくれた方も鹿児島市内まで戻り、フェリーで帰るとのこと。
 車は、一家で何台も持っている。家から家、買い物にも車。車がないと身動きできないのだそうだ。以前佐賀に行ったときもそんな話しを聞いた。地方では車は必需品。かえって東京人の方が歩いている感じだ。吉野ヶ里遺跡に行ったとき、ぐるぐる歩いていたら、案内してくれた現地の方がもう何ヶ月分も歩いたと話しているのには、こっちも驚いた記憶がある。
 その分、鹿児島の方の運転は優しく(その方だけかも知れないが)ルールもよく守っての運転には感心した。運転のマナーにもお国柄があるようだ。四国に行ったときも運転の乱暴さ(?)には、ヒヤッとした思いがあったが。
 こうして、それこそ何年にいっぺんしか来ない小生には、国土世間の違いとその中での人々の暮らしということは、垣間見るだけでは分からない。しかし、明治維新を皮切りに近代日本の夜明けを創ってきた、鹿児島人の骨太な生き方に少しふれた感がした。
 空港では、芋ビール(少し紫がかったワインのような口当たり)と芋焼酎をちょっぴり飲んだ。爽やかな味わいだった。
 先日は大変お世話になりました。慌ただしい一日だったので、今度はゆっくりとお邪魔させていただきます。皆さんによろしく!
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コイズミ4年 世も末じゃ!

2005-04-26 23:43:40 | つぶやき
骨抜き・ジコチュウ郵政民営化法案
すっかり自民党に妥協、妥協、妥協
それでも強がるコイズミさん
もういい気分のコイズミさん

気がついたらはや4年コイズミ
その間日本はどうなった?

今見てりゃ分かるさ
国際関係は見事に破綻
にっちもさっちもいかなくなった
反日、反日、反日にただただダンマリ戦術
さもなくば当たり障りなく時を送る

アメリカからも袖にされ
北朝鮮に二回も行って
あとは音沙汰なし
ますますかたくなな北朝鮮におろおろ
中国には・・・ロシアには・・・
韓国にも・・・
歴史認識の甘さを靖国で暴露した外交音痴

ただただ逆らう奴は敵対者、反改革者
とレッテル張り
イヤなら俺をクビにしろと

何をしたわけでもなく
何かをさせたわけでもなく・・・
それでもぞっこん惚れ込む国民各位
余人をもって代え難しってなわけ

「憐れんだが惚れたってことよ」これは漱石さんの名せりふ
「ピティー アキンツウ ラブ」ってことよ、国民の皆さん

いやあ実はこうして大変な悪党ぶり
いくら週刊誌でたたかれてもたたれても
タダじゃ死なないコイズミさん

なにしろ天下の創価学会がついている
週刊新潮がなんだ!週刊文春がなんだ!
言ってみろ!「罰」があたるぞってな勢い

民営化ってそんなにいいものなの?
ということにもまともに答えず
民営、民営、民営、控えおろう!
結果、手抜き、言い逃れ、責任逃れ、いい加減
そして大惨事が起こったJR
これ皆コイズミ手法の真似、真似、真似

リストラ、首切りとセット、セット、セット
民活・中曽根路線の焼き直しだということも隠している

若者 未来志向0 ただ刹那に生きるだけ
学校もずたずたずた・・・
これ誰も気がつかないようでも
立派なコイズミ教育政策の真骨頂
みんなふぬけにされていく

でもコイズミちゃん人気はいまだ衰えず
悔しい~でもでも・・・悔しい~っ!
って、これじゃあごまめの歯ぎしり

これから1年、正念場
腹構えて腹構えて、コイズミ手法を見抜かないと
国家100年の計を失う
おのおの方、討ち入りでござる、心せよ
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JR福知山線の脱線事故

2005-04-25 19:17:51 | 世間世界
 昨日、鹿児島まで日帰りで出掛けた。当然、往復は飛行機だった。このところ、整備不良が相次いで見つかったことで、ちょっぴり飛行機に乗るのが不安であった。でもしかたがないと諦めた。無事に帰ってきた。
 今朝、大惨事が起こった。この地域をも襲った阪神淡路大震災から10年。今度は、明らかな人災か? まだ若い運転手も気の毒だが、遅れを取り戻すためにスピードを出しすぎ、カーブを曲がりきれずに脱線したと言う見方が強い。乗っていた乗客も怖いくらいだった、ずいぶんとスピードを出していた、と。
 運転手の年齢が若く、経験年数が1年に満たない事なども伝えられている。ニート、フリーターが取りざたされる中で、この青年は、それなりに真面目に将来を見据えて、一生懸命、仕事に励んできたのだろう。
 遅れを取り戻すべく飛ばしていたのだろうか。ただ、自分で車を運転してスピードを出しすぎて高速道路のカーブを曲がりきれなかった、というようなしろものではない。
 また、車掌が前の駅でのオーバーラン携帯電話で報告している最中に、今、脱線したという連絡になったとも。車掌の携帯が公的なものであったかどうか知らないが、まさかミスや事故の報告を携帯で行っているのも驚きだった。
 これからさまざまな角度から現場検証が行われ、事故の原因究明が始まるだろう。その際、この大事故の責任・原因を運転手一人に帰してはならないと思う
 最も気になるのは、ひとたび事故が起きれば、多くの人命を奪う、という基本的な倫理観に立ってすべての事業が行われる、という意識がJR組織全体の中で薄くなっているのではないかということだ。
 この運転手の場合、1分少しの遅れを早く取り戻さねばならないという焦りが、安全運行よりも優先されたのではないか。もしかしたら、JRのマニュアル通りの処置だったかも知れない。
 この間の東武鉄道の踏切死傷事故も、内部では長い間踏切を閉めず、ほんのわずかでもその時間を縮めることが組織的に容認されていたという。その流れの中で、人命を失う事故が起こった。
 今や、企業など多くの組織は、時間管理・数値管理が絶対的評価基準となって、それがそこで働く人間の管理の最優先基準になっているのではないだろうか。学校も今やそうなってきているのだが。業績を上がったと見せかけるためには粉飾決算も当たり前。数字によるごまかし。
 それに追い打ちをかけるようなリストラの徹底。少ない人数で多くの複雑な業務を遂行する。それがイヤなら、成果が上がらないなら、即、お払い箱の風潮。疲れ切った中間管理職。ミスや手抜きはごく日常茶飯事になってしまった。
 国家も、三菱自動車も、センター試験も・・・。職種の、大小の、いかんを問わず、なにもかもいい加減になってきているのではないか。まさに、日本全体が疲れ切ってしまっているのだ。家庭も地域もあわせてずたずた? そして、ささやかな、その束の間の平安も瞬時に奪われる現実の無惨さ。
 事故を起こす当事者たちも、被害者たちも地獄! 嗚呼!
 いまだに車内に閉じこめられた方もいるようだ。必死の救出活動が続く。
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山崎さんが当選していよいよ

2005-04-24 23:22:42 | 平和
 郵政民営化法案成立に大きな自信をつけたコイズミさん。ありがたい、ありがたいと公明党・創価学会に頭を下げっぱなし。このあいだの中国首脳との会談でも何だか気もそぞろで応答していた感だったコイズミさん。山崎当選させるためにはひたすらのらりくらり作戦だったのでは。もうこの方は骨の髄まで郵政民営化しかないのだろう。
 民営化したっていったいどうなるの?という巷の声にも耳を傾けずひたすら郵政民営化。もともと郵政事業のうち、預貯金・保険業務などで得た国民の多額のお金が財政投融資に回され、利権を生み、ムダを生み、借金を増やした。道路も橋も新幹線も皆湯水の如くに使っていた。そのことへの歯止めと是正、さらには国家財政の健全化につなげていく、そのための郵政事業の見直しだったのではなかったか。ところが全国一律のサービスを維持させなければならないという圧力のために、今や持ち株会社ですべての事業はそのまま継続、職員の身分も国家公務員並で妥協。
 何が民営化と言えば、名称が変わるだけ。それなら、今の郵政公社で充分。特定郵便局もそのままの世襲制。あきれかえった国民は、もはや関心が薄れている。
 にもかかわらず、コイズミさん、盟友・山崎さんの当選で、やっと自民党内の反対派を押し切って骨抜き・自己満足・郵政民営化法案を国会に提出して、可決成立させることにすべてを託す。その間の国際関係の悪化も年金問題も何もかもそっちのけ、どうでもいいやで、これしかやらないだろう。「山崎当選」で創価学会にまったく頭が上がらなくなったまま。これから選挙の度に、彼らの言いなりになるのは必至。でも、そんなことはお構いなし、郵政・郵政・郵政とただそれだけ。自民党の反対派もこれでぽしゃっておしまい!
 実にこれだけ脳天気な首相を頭に置く、我が日本国民の脳天気ぶりは、世界の笑い者になるだけだろうに。
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文科省はもういらない!君たちがいるからダメになる

2005-04-23 22:48:45 | 教育
 今日の朝刊には全国学力調査の結果、夕刊には習熟度別・少人数教育の調査結果。全国学力調査への文科省のコメントは、「基礎的事項を徹底する学校現場の努力で成果は上がりつつあるが、国語の記述式問題などにはなお課題が残る。」と。
 その新聞紙上での小学校の先生のコメントに、「数字で一喜一憂している文科省を見ていると、こっけいに感じる。計算や漢字は、百ます計算や漢字ドリルの旋風が吹き荒れたのだから上がるでしょう。そんなことで上がるものを学力と呼ぶのは恥ずかしい。」と。
 たしかに「ゆとり教育批判」によって、しぶしぶ文科省は現場教師の尻をたたき、計算や漢字の読み書きなどの反復練習に駆り立て、その成果をことさら自分たちの成果だとうそぶいているのにはもう噴飯モノだ。
 現場でこれまで彼らが何を言ってきたか。これからの学習指導は、指導するのではなくて、あくまでも子どもたちの考える力を引き出すことが大事です。これこそがゆとり教育です。だから指導ではなく助言です、励ましです。こういって、それまで地道に学習指導を積み重ねてきた、多くの現場教師の疑問や不安、反対を押し切って推進してきたのは、一体誰だったか。
 そうした傾向に疑問を投げかけてきた陰山さんたちの地道な努力・成果を、かたちだけうまくかすめ取り、全国に強引にどこでも「百ます」どこでも「ドリル」どこでも「朝読書」を進めたのはいったい誰だったのか。
 しかし、その成果は、反復基礎事項だけが向上。表現力も身に付かない。漢字ドリル・算数ドリルにしても、ずっと前にはどこの学校でもやっていたこと。そうした現場の努力を評価せずに、己の場当たり的な政策能力ばかりを過信した文部官僚の化けの皮が剥がれた無惨な結果だと思う。
 「完全学校五日制」のもとで、クラブは社会教育へ、土曜は親子の対話や地域交流・・・などと口先できれい事を言っていたのは、いったい誰だったのか。条件整備もなにもせず、ただただ口先の理想論を権力的に押しつけてきた。それでいて、ひとたび「ゆとり教育」に世論からの声によって、黄色信号が点灯するや、ただちに前言を翻したりごまかしたりして、ゆとり見直し、削除した教材復活と次々となし崩しにしていったのはどこの誰だったか。国民や現場教師はもうとっくに見抜いているのである。
 特に政治家のその場の思い付き発言に右往左往しながら、それでもけっして政策上の誤りを認めないのはどこの誰か。
 そもそも今の中山文科相もまるっきり理念なき非教育的人物。全国学テ競争で競わせれば学力は向上する、と検証もないままに無責任な発言をし、歴史教科書問題でも自らの政治信念を押しつけようとする。今度もゆとり見直しは考えていないと結果を無視、あくまでもゆとり教育反対を貫く考え。といっても所詮秋の内閣改造までの大臣、辞めた後は知らぬ存ぜぬでいくに違いない。
 さて、夕刊には、習熟度別・少人数教育の成果の調査。習熟度も少人数もほとんど効果なし、と言う結果が。中には、習熟度ではないほうが高い成果があったケースも。
 鳴り物入りで導入し、他の施策には金も人もつぎ込まないのに、この二つにだけは金も人もつぎ込んだ。そのあげくが、ほとんど成果なし。いったいどういうこと?
 こんなことになるのは、とっくに現場では分かっていた話。子どもたちはさまざまなレベルの子ども集団の中でこそ、それぞれが伸びていくという教育の当たり前な基本をいいかげんに考えていた結果。これも誰も責任をとらない、むしろ、まだまだ成果が出るほどやっていない、現場の先生にも指導の工夫をさせていかなければ、とまたしても矛先を現場の教師の怠慢に持っていこうと画策している。
 この十年、日教組もいよいよじり貧で、社会党は社民党になってますます面影なし。そうでしょね、いまだに秘書疑惑の土井さんしかいないんだから。自社連立政権が社会党の命取りになった、といってももうとっくに後の祭り、教員もだいぶ物わかりがよくなって、組合員の意識も多様化、その中で、日の丸・君が代の強制でも見られるように、これを機会に一気に教員の意識改革と管理体制だけはぎゅうぎゅうにして物もいわせずにしてきた。その結果、今やモノ言えば唇寒しになってきた現場。
 文科省・各教育委員会は、憎きマルクス・レーニン主義の教員どもによってめちゃくちゃにされた戦後教育の正常化だ、と今の世間の草の根保守主義にも乗って、やりたい放題、好き勝手放題の処分主義の横行。学力の上がらないのも、教師の指導不足と、世間からの教師不信を擁護するどころか、そうだそうだと上から煽っている始末。これじゃ、現場はたまったものじゃない。
 管理職になるのも嫌がって、若くて経験も少ない連中が受けては受かる時代。なにしろ、教頭試験などに受ける人もだんだん減っているので、授業もろくに出来ない人が、教室から逃走するために試験を受ける。バカでも三回くらい受ければ、受かるシステム。だから、管理職もまったくの人材難。よけい教育委員会の機嫌も悪くなり、ますますの現場不信から、手の上げ下げ、足の運びまでいろいろ指示する。従わなければ勿論、処分。そのほとんどが、職務命令違反。もう日本の学校は、教育・学習という体を為さない有様。
 これで未来の日本はどうなるの? 否、今の子どもたちはどう大きくなって日本や世界を担うようになるの? これは、もうほとんど絶望的な話し。
 文科省はいらない!日本の教育の現状を打破するには、もうこれしかない。
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結局、学会頼みでけりがつくのか

2005-04-22 23:26:22 | つぶやき
 福岡2区。盟友山崎さんの当選のためには、なりふり構わぬコイズミさん、自民党。当選が危ないとみたら、学会票をあてにして我も我もと学会詣で。頭を下げてかつての無礼をわびた山崎さん。政教一致を批判したことを自己批判。もう二度と過ちを犯しませんと。
 気をよくした公明党。浜四津さんを送り込み、学会婦人部に対して、山崎票のとりまとめに乗り出した。女性問題や過去の反学会発言にちょっと引いてた学会婦人部も、これでいよいよ本腰。浜四津さん、都議会選挙勝利のためにはとなだめたりすかしたり。それも学会の会館で。政教一致もなにもあったものじゃない。
 自民党もホッと安堵感。これで、山崎さんは、当選確実となったのか。学会も鼻高々。私たちがくしゃみをすれば自民党は風邪をひく。私たちの機嫌を損ねたら承知しないわよ。こうして、自民党は、骨の髄まで学会の言いなりになった。これで、批判もいっさい出来なくなる。
 学会。表面は友好的。しかし、批判者には徹底して追撃し、完膚無きまで叩きのめすという恐ろしさ。こういう宗教団体が日本の政治を支配する。これでいいのか、福岡の有権者。
 あなた方の一票が日本の将来を決するのです。棄権をせずに投票に行って下さい。そして、日本の将来に禍根を残さぬよう、お願いしますよ。
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午後からの図書館通いもいいものだ

2005-04-21 17:50:45 | 読書無限
 朝からの、何だか慌ただしかった時間をどうにかやりくりして、午後から図書館に行って来ました。近所の図書館は、蔵書数も少なく、思いきって少し遠くの所まで。珍しくバスに揺られて出掛けました。
 考えてみると、久しぶりでした。バスに揺れながら、このところ特別に何かをしていたわけではなくても、何となくバスに乗って外出することに疎遠だったことに気づきました。
 昼下がりの車内。周りはお年寄りばかり。そこそこ座席は埋まっていて、寝ている人、おしゃべりに花が咲いている老夫婦らしき二人連れ、その脇で、子どもとかわりがわるパンを食べている若いお母さん。子どもに声をかけながら、満足そうな笑顔でした。ほほえましい午後のひととき。
 ゆられゆられて30分。たくさんの桜も散って、木々の緑が一段と濃くなった、公園の片隅にあって大きな公立図書館。
 特にお目当てがあるわけではありません。最近はとみに視力が落ちて、老眼鏡のお世話になる年頃になりつつありますが、それをやせ我慢。本を読むのも、メガネをはずして見ないと字がかすむ。そこで、いちいちメガネをかけたり、はずしたり。それが面倒で、ちょっと読書もご無沙汰という次第。
 考えてみると、本を読んでいても、気になった所を他の本に当たって確認したり、もっと調べてみたりという作業が、最近面倒くさくなっているようです。あまりよく理解できないけど、もういいや・・・。そのせいか、疑問点をそのままにしてしまうことも多くなったようです、けっしていいことではありませんが。
 こういっては何ですが、耳の悪い人にもこういう、つまりいい加減なところで切り上げるということはありませんか。人の話しをしっかりと聞かずに(聞こえないために)、適当に頷いて失敗したり、聞くべき大事を聞き逃してミスをしたり・・・。人間、若い頃に比べて聴覚・視覚が衰えてくると、次第に物事への向かい方がおろそかになるようです。そのかわり、味覚はうるさくなるかも知れませんが。
 図書館の中は、お年寄りが目に付きました。ソファーに腰を下ろして本を読んでいる人、昼寝をしている人・・・。それでも、お年寄りが机に向かって何やら必死に調べ物をしている姿は、怠惰なこちらが恥ずかしくもなる雰囲気です。小説・評論・・・、哲学・心理・・・、この図書館は蔵書数も多く、また新刊本も多く購入していて、けっこう楽しみな本が見つかります。時々車で来るときには、係りのおじさんとも顔見知り。30分までは駐車料は無料。ぎりぎりに戻ると、いつもにやにやして「無料だ」と告げてくれます。
 今日は、少しじっくりあれこれ新刊本から棚の本まで、ジャンルもいろいろ。適当に取っては、メガネをはずしてぱらぱらめくり、メガネをかけてまた元に戻し、またメガネをはずしてぺらぺらめくり、そしてまた・・・。気がついたら、もう4時もとっくに過ぎ。
 帰りは、そこから歩いて電車。通り端には、ツツジがきれいに咲いていました。のどかな午後の心豊かな時間でした。
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3Jとは何?

2005-04-20 23:49:58 | 世間世界
 かつて、3K職場と言ういい方があった。「汚い」「危険」「きつい」職場のこと。若者は嫌がってそういう仕事は避けた。結局、安い賃金で外国人労働者を働かせるようになった。今でもそうかもしれない。一方で、積極的に若者が働きに来るよう、改善する職場や職種も出てきた。それはとてもいいことだ。3Kからの脱出ということである。
 ところで、「3・・・」といういい方はけっこう多い。芸能界では「御三家」は郷ひろみ・野口五郎・西城秀樹たちなど、時代・時代によって対象となるタレントが変わった。「・・トリオ」と名の付くお笑いグループも大いに目に付く。懐かしくは「てんぷくトリオ」。3人のうちで今も存命なのは、たった一人となった。
 「スリーサイズ」とも言う。「ツー」サイズでもなければ「フォー」サイズでもない。たしかに3は、不思議な数だ。
 仏像も二人の菩薩を従えて鎮座まします。水戸黄門にはスケさん、カクさんで三人組。極めつけは、三位一体。こうなるとキリスト教の神聖な世界観。いずれにしても、3はおさまりのいい語呂合わせの世界にも通じるのだろう。
 最近、3Jというのを耳にした。いったい何か。「自殺」「事故」「辞職」の三つ。最近、就職したての若者の間で流行(?)しているらしい。すぐに気分も3Jになってしまう。働き始めた職場をすぐに辞めてしまう。すぐに前途をはかなんで自ら命を絶つ。事故はよく分からない。何だかおどろおどろしい。願わくば、これらとは無縁である方がよろしい。
 今朝の報道。新任の教師が勤務校の教室で首をつって自殺した、という。勤め初めてわずか三週間。いったい何があったのか分からないが、よりによって勤務先で自殺するに至るには、それ相応の動機があるのだろうか。
 残された同僚も子どもたちもまたその方の親兄弟は、本当にやりきれない思いで一杯だろう。勿論、ご本人が一番・・・。まさか3Jに取り憑かれてしまった結果でもあるまいが。
3は輝く「サン・sun」に通じるか、はたまたむごたらしい「惨」に通じるか、本人にも周りにも分からない。小生にもとんと分からない。
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八重桜がきれいです

2005-04-19 23:39:59 | つぶやき
ソメイヨシノが葉桜から
すっかり緑の葉だけになり
今八重桜がちょうど盛んに咲いています

でも、桜は何といっても山桜ですね
そう昔からある種類
うっすら赤みがかかって
小さな薄緑の葉とマッチしていて

ソメイヨシノは花だけが一斉に咲いて
葉一つなく、一面あでやかで
ほんのちょっとした小さな枝の先まで
花をつけてたしかに見事
でも、やっぱり昔のままの桜がいいと思いますね

たしか明治の頃
染井墓地近くの植木屋さんが品種改良
それが、ソメイヨシノだとか

本場の吉野
あの千本桜ぜひ行ってみたいのですが
混んでるし
どうしようか毎年迷って行かずじまい
さぞかし見事でしょうね

今度行ってみませんか
あまり乗り気じゃないのか
返事もありませんよ

しだれ桜は京都の円山公園
もうもう
見事な桜を
何年か
前に
見てきました
枝垂れ
という名に
ふさわしい
風情の
古木

ところで三春の桜は
まだ見たことがありません
枝が折れて
大変らしいですね
余計な話しですが
梅と桃と桜が同時に咲くので「三春」とか

そうそう高遠
ここも三春のようでした
ここの桜も実に見事でしたよ
三春も高遠も道路が混むのだけが難点ですが
美しいのを愛でるのに贅沢を言っては
罰が当たりますか

ねえ、もうちょっと興味持って下さいよ

そう、伊豆の河津の桜もすばらしかったし
それから伊豆高原のも
見に行ったことがありました

東北にも弘前城、角館・・・
まだまだすばらしい桜の名所があるようです
北はいよいよこれからでしたか
楽しみですね、ほんとに

桜は、さすが日本の花
アメリカにも中国にも友好の桜があるんですよね
桜にあやかって仲良くと言うわけには
いきませんかね

と、つい理屈っぽくなってしまいましたね
コメント (6)
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藁しべ長者の行く末

2005-04-18 20:10:45 | 世間世界
5,6年前、あるところの100周年記念誌出版事業に、編集委員として関わったことがあります。といっても、資料集めから整理までまた編集と、経験豊かな先輩諸氏のホンの少し手伝いをした程度ですが。
 その時、資料収集の手だてとして、インターネット情報が必要だということになりました。それまであまり縁がなかっただけでなく、まだまだプロバイダーのあれこれもよく分からない時期でした。また、今のようにADSLとか光なんとかというものもなくて、多くは電話回線を用いてのものが多かったように思います。
 その使用経費も高く、電話料金もかさむしでどうしようかと思っていたところ、そのころ既に積極的にインターネットをやっていた方から、無料のやつがあるからそれにしましょう、と加入したのが「ライブドア」でした。タダなのは、画面を立ち上げるたびに四方八方宣伝ばかりだったからのようでした。それでも、接続するたびにかかる電話料金は別としても、けっこう重宝したことを思い出します。
 その後、記念誌の編集・出版も無事に終わり、そのパソコンからインターネットも繋ぐことはなくなり、パソコンそのものもちょっと旧式となって、廃棄処分となりました。個人的にはその後、プロバイダーを安い方へ便利な方へと変えて、今にいたっています。
 こうして、ほとんど「ライブドア」のことを忘れかけていましたが、去年プロ野球の再編問題であれっと思い、さらに2ヶ月くらい前、ニッポン放送株買い占め問題で話題になったとき、「ライブドア」はあの時の会社だ、と気づいたわけです。へえ、随分と急成長をとげたなと思ったものでした。
 しかし、もっと驚いたのは、あの当時の「ライブドア」とは実は全く別の経営者になっているということでした。かのホリエモンが次々と買収して一応たどり着いたのが、「ライブドア」社であったということです。つまり、他人の創った無名(?)に近い会社を買収して経営権を握ったということでしょう。聞くと、ホリエモンのやり方はそのように株を買い占めては会社を乗っ取り、その会社の利益(見込み)を元手にもっと大きな会社の経営を握る、まるで、「藁しべ長者」的手法だということです。
 今回のニッポン放送株問題もそんな感じでしょうか。まんまとそこそこの会社を手玉にとって、1,400億以上の利益を得たということになるのでしょうか。今日の会見でも、ラフな格好のホリエモン、この教訓を生かしていきたいと次の買収工作を考えているようです。フジテレビもまんまとやられたということですか。記者会見場でのフジテレビ・ニッポン放送幹部のきちんとした背広姿の面々の苦々しい顔つき。
 ホリエモンは、TVとインターネット情報の相互何とかなどと語っていますが、これで一件落着ということで、もう次の獲物を狙っていることでしょう。こうして一本の藁しべから次々と利益を得て大きく財産を殖やしていくホリエモン。
 「藁しべ長者」の話しは、どういう結末だったか忘れましたが、そうそううまくいくものですかね。そうはかんたんに問屋はおろすもんかと、知恵も才覚もなかった年寄りが皮肉の一つでも言いたくなるような今回の顛末でした。お粗末の一件か、はたまた、してやったりの一件か。
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ますます目立つ学会系雑誌

2005-04-17 19:34:11 | つぶやき
電車のつり広告
「ださん文明(第三文明)」
「どうだい(灯台)」
「うそつきん(パンプキン)」
「うしろみ(潮)」
極めつけは、「げいごうぐらふ(聖教グラフ)」

次々と中吊り広告があふれています
どれもこれも今時の世相にマッチした特集を出しながら
その実は、池田さんの宣伝記事
破門された宗門や山崎さん
週刊新潮に対する攻撃的文章を必ず盛り込んでありますね

「聖教グラフ」は池田さんの勲章記事
外国人識者との会談記事が中心です

不思議と日本の有識者との会談記事は皆無ですね
日本人には池田さんが相手するような人はいないと言うことですか
ではなくて、相手にされないということですか
池田さんの知性や品性の下劣さがばれてしまうから
と言うのが実際ですかね

でも、どうしてこうも外部の人が
積極的には読みそうもない雑誌の宣伝を
こりもせず出しているのですかね

池田礼賛と敵対者へのむき出しの敵意
こうやって毎日電車に乗った人たちを
まとめて洗脳するという作戦ですか
電鉄会社、広告会社に恩恵を与えて有無を言わせぬ作戦ですか

気になるのは、ノーベル賞が取りざたされると
つり広告が増えてくる感じ
池田さん、ノーベル平和賞にご執心とか

この間見た広告
「ガンジー・キング・イケダ展」
なるものの宣伝

ガンジーさんはインド独立の指導者
非暴力・不服従でたびたび投獄されながらも
大英帝国の支配に抵抗しました
その闘争の中
ヒンズー教原理主義者によって暗殺されました

キング牧師は、アメリカ合衆国にあって
黒人の置かれた貧困や差別に反対し
白人支配に対する抵抗運動を組織して闘った人
ガンジーさん同様に暗殺されています

いったいいつからガンジーさんやキング牧師と
並び称せられるようになったのですかね
一瞬暗殺されたかと思いました
(そういえば、オーム真理教に暗殺されそうになったっけ)

自分たちの組織内で持ち上げているうちは
どうぞ御勝手にで済みますが
ことは公共交通機関のつり広告

そんな気味の悪い宣伝を見せられたら
もうたまったもんじゃないです
どうにかなりませんか
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ペットショップのペットの行方

2005-04-16 12:08:03 | 世間世界
 我が家には、2匹の猫がいる。生まれたばかりで神社の境内に捨てられ鳴いていたのを、高校生の息子が見つけ、家で飼ってほしいと、小さな段ボールに入れて持ってきた猫たちだ。二人とも掌に乗るくらいの大きさだった。
 最近また家の近所の国道沿いに「ペットショップ」が出来た。チェーン店らしく派手で大きな店構えで、小さな子ども連れの家族でにぎわっているようだ。車で出掛けると、あちこちでペットショップをよく見かける。特に今まで普通の店だったのがペットショップに変わる場合も多い。
 かつて、小鳥屋とか犬や猫などを売っている店は、店構えからして雑然としていて薄暗く、動物の鳴き声と餌や体臭などで、一種独特の臭いがした。それも今のようにあるわけではない。ホンの数軒、ぽつんぽつんとあったきりだった。子どもの頃、そうした店の前を通るたびに犬や猫やの鳴き声と臭いが好きでなく、足早に通り過ぎたものだった。
 今時のペットショップは、こぎれいで明るい雰囲気。檻の中にかわいらしい犬や猫たち。それも血統書付きであろう、高級な動物が売られている。今流行中の種類の動物が、「安売り」「特価」とかの注釈付きで売られている。動物たちは生まれたばかりの小さな鳴き声で、それでいて精一杯鳴いている声が、外の通りまで聞こえてくる。買われて引き取られる子犬や猫たちは、新天地で可愛がられて欲しい、といつも思う。
 でも、もし売れなかったら、この子犬たちの運命がどうなるのだろうか、いつも気にかかっていた。小さくてかわいい、それすらも客の好みで判断される。売れないままに成長した動物たちの行く末は、どうなるのだろう。おそらく保健所に持っていったり、しかるべき場所で処分(殺される・何かの実験材料に・・・?)されるに違いないだろう。
 また、流行しているうちはいいが、その種類の犬や猫でなくなったら、それも同じように処分されてしまうのか。(そういえば、一時あちこちで見かけたシベリアンハスキーは、今どうしているのだろう)そう思うと、子どもの頃の理由とは違ってはいるが、今でもペットショップの前を通ることは好きではない。
 この間、TVで何匹もの犬や猫が放置されていたというニュースを見た。どうも大きくなって売れなくなった動物の処分に困って放置したのではないか、と言われていた。その犬や猫は、ニュースを見た人たちが、ぞれぞれ引き取って行ったという。助かったな、君たち。
 売れればそれでいい、儲かればそれでいい、これを高く売れればいい、そのためにうまく育てよう、外国から輸入しよう・・・。
 癒し効果か、ステータスの証なのか・・・、ペットを飼う人・家族は増えているのだろう。だから、ペット業界は今や大繁盛。しかし、動物の生命をあまりにも粗末にはしていないか。小さくて可愛いうちは売り物になるが、成長して売れなくなったら、即、厄介払いではあまりにも残酷ではないか。生命をもてあそんではいないか。
 せめて、処分する前に欲しい人に、あるいは飼ってくれそうな方に譲るというようなシステムを業界や動物園、動物愛護団体などからの知恵を出しあい、創ることが必要ではないかと思う。そしてまた、それをインターネットなどで情報提供するシステムも必要だ。
 我が家の猫たちはもう8年目を迎えた。2匹ともいい(?)おジイさん、おバアさんになった。そして、今も押入の布団の上で丸まって寝ている。我が家の子どもたちも、この猫たちと一緒に成長した。
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