おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

世も末にならぬよう

2008-03-28 21:58:53 | つぶやき
 何だか今年は寒い日が続くような、東京地方。桜の花もあっという間に満開。もう風に舞っている。雨でも降れば落花狼藉となるのやら。
 それにしても、政治の世界。天然自然の時の移り変わりに気遣う気配もなく、ますます混沌。今や死に体のフクダさん。何を言っても野党は勿論、身内からも総スカン。
 特に道路特定財源問題。なかでも、悪質なのは、公明党の冬柴なる男。政治理念もないままに、国交省の役人の言いなり。あげくのはてのボロボロ不始末が出てきても未だに自らの責任を感じずに、居直っている。選挙になると、こんな男の選挙活動にかり出される創価学会員のあわれさよ。
 一般財源化にするなんて、フクダさんの個人の考えでしょ!とうそぶきながら、次々とずさんな支出が露呈されても、全く厚顔無恥。所詮、エセ信仰で今の地位を勝ち得ただけの御仁。
 ホントウに公明党が自民党と野合してからの政治も経済も教育もはちゃめちゃ。
 しかし、創価学会。学会幹部(患部?)が選挙になると、学会員を手弁当で東奔西走させ、うまくやっていく。学会員以外の国民のことなんか、選挙のF票獲得の猫なで声の対象でしかない。まして、一票でも入れないものなら、毒づく輩。こんな連中に誰がした?
 イケダ某なるご老人。外国の勲章をもらったことを、どの電車のつり広告でも宣伝。このところ、ますます激しくなっている。こいつは、公明党の創設者ではなかったか。
 公明党が世間から叩かれると、必ず、この男のぎらついた顔が出てきて、平和の使者、世界の指導者!まるで、自分は冬柴とは無関係な、宗教家「面」をして登場する。こうした見え透いた作戦を、次の選挙ではとことん暴いていくことが必要だ、と思う。
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オッカムの剃刀

2008-03-28 16:17:34 | つぶやき
 今、動物行動学に関する本を読んでいます。
 野生動物(特に大型類猿人・チンパンジー、ボノボ、ゴリラ・・・)の生態観察を通して、ヒトがいかにしてホモ・サピエンスと呼ばれるような進化をなしとげてきたかという、興味深い内容。
 この中で、「動物を擬人化することで、我々が動物に実際以上に高度な形態の意識があると想定してしまう」ことの副作用を述べています。
 ここに、「オッカムの剃刀」という言葉が出てきました。いろいろ調べてみましたが、今ひとつしっくり理解できません。
  たとえば、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、
 
オッカムの剃刀(オッカムのかみそり; Occam's razor; Ockham's razor)とは、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くの実体を仮定するべきでない」( Entities should not be multiplied beyond necessity )という指針。思考節約(思考経済)の法則・ケチの原理と呼称することもある。

 とあります。もう少し詳しく調べてみたい気がします。今の様々な事象に対する「哲学」的解釈にも役立つのかな?
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どうにかして下さい

2008-03-26 13:52:44 | つぶやき
まったく困りますよ。すぐそこの公園にたむろして。
昼間からですよ、授業中のはずなのに。
タバコ吸ったり、ジュース飲んで空き缶を捨てていくし。

学校の先生は、何にも注意しないんでしょうか。
見回ってくれればいいのに、そんな様子もないみたいですよ。
ここは、小学校、中学校、高校と並んで一応は文教地域ですからね。
高校がひどいんで、隣の中学校も悪くなっているようで。

ここ4年くらいですかね、ひどくなったのは。
それほど優秀な子ども達が通っている学校じゃないから、少しは大目にみますが。
最近は特にひどいですね、もう勝手に学校を出てきちゃうんでしょうね。

門番というわけにはいかないけれど・・・。
抜け出すのだけは、どうにかしてほしいですよ。

以前は、茶髪禁止とかでけっこう厳しい指導をしていましたね。
遅刻対策とかもやって、生徒と先生とのやりとりも大変だったでしょうね。
その分、少しは生徒もおとなしくしていましたけど。

校長先生が替わったんですか、とたんに乱れてきました。
学校の指導方針って、そんなにくるくる変わっていくものですかね。
校長先生がもっとしっかり指導してくれないとね。

何でも退学者を出さないとかで、どんな悪さしても進級させる方針とか。
地元はいい迷惑ですよね、勉強もしない、先生の言うことも聞かない。

ああやって、昼間からたむろしているんですから。
どうせさぼっていても、卒業できるんだからって。
これって、もう、まともな学校じゃないですよね。

孫が通っているピアノ教室の先生がぼやいていました。
この高校。かつては府立何とか高女だったとか、
今では、なかなか大変そうな学校になってしまって。

学校全体で、何とか生徒達を厳しく指導してほしいものです。
さぼったり、喫煙したり・・・。
何をやっていてもいいということでは、世間に通用しませんから。
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朝日の報道姿勢?

2008-03-23 22:51:30 | つぶやき
 はじめから出来芝居だった、イシハラ破綻銀行救済策の議論。反対の民主などに歩調を合わせる気などさらさらない、公明党。イシハラ傲慢銀行の救済に、これまでの1万円に、さらに都民一人あたり6000円の税金を投入する。
 それでも救われる可能性はない!イシハラのメンツのみにこだわった施策。それに盲従する自民党は当然。公明党だって、ちょっと悩ましいポーズをしただけ。はなから賛成するのは、自明だった都議会公明党。
 しかし、昨日・今日の朝日新聞。
 あたかも公明党内部で、議論があるかのような報道。賛成か反対か悩んだ末の決定、であるかのような記事内容。いったい朝日は創価学会に何か義理が出てきたのか?
 印刷あたりを頼まれている?果ては広告料?さもなければ中国問題。・・・
 昨日の記事では、公明党が支持者(創価学会員)の反対意見に、対応を余儀なくされ、もう少し議会での議論を判断していく、などと公明党に同情的な記事を載せた。(こういうのを提灯持ち記事といわずして何というか!)
 そして、今日の記事。公明党は賛成に!何で昨日の時点で判断できなかったのか、さもなければ、公明党シンパ(学会員)の記者が書いたのか?
 都民の多くの声に背いて、賛成に回る公明党を糾弾してもいいはずなのに、今日に至っても、「公明党内には追加出資以外に道はない。融資を受けている中小企業を守るため、やむを得ないとの見方がある。一方で支援者から追加出資への反対が相次ぎ、追加出資の根拠や再建計画の実効性が不透明といった疑念を抱く議員もいる。」などと苦渋の判断であるかのような記事を載せている。
 「讀賣新聞」のアンケートに議員個人個人に判断をさせず、党として回答を拒否した公明党。そうした裏では、賛成のための、まやかしのアリバイ工作に腐心する公明党。このことを厳しく追及すべきではないか。
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都議選で鉄槌を

2008-03-22 21:12:31 | つぶやき
新銀行東京、400億出資可決へ…都議会の公明党も「賛成」(読売新聞) - goo ニュース
 案の定。前にも書いたとおり、また、学会員も含めて、誰でもが予想したとおりの結論。
 はじめから反対の意思などなかったくせに、「讀賣」のアンケート回答を全員で拒否し、世論の関心に背を向け、さらに、内向けには選挙運動一辺倒の、政治団体化した創価学会員を上から押さえ込む・・・。
 「朝日」には、支持者の反対が多いのでまだ判断しない、じっくり見極めて、などとそらぞらしいコメントを寄せていたのも、笑止千万。
 来年の都議選は不利にはならない、とでも判断したのだろうか。もう少しイシハラに恩を売っておく。来年の都議選なんかは、まだ先なんだから、都民は忘れてしまう。もし不利になるようなら、イシハラをちょっぴり批判しておく。付帯決議というまやかしの文言で・・・。
 選挙運動即御利益、宗教の名をかぶった狂信団体が、いかに日本の政治も経済も教育も悪くしたか、ここで、我々も、一票ほしさの猫なで声の学会員を徹底的に批判していくことが必要だと思う。
 公明党の体質は、自民党よりも悪質。「良心的な」学会員。まだまだこうした政治姿勢に対して、ただただ選挙運動の「楽しさ」「御利益」だけのために、騙され続けるのだろうか。
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女子中学生自殺報道記事の続き

2008-03-17 20:50:47 | つぶやき
「産経新聞」
 潟上市教育委員会によると、女子生徒は13日午後11時半ごろ、部活動の入退部をめぐり、同じ学年で友人の女子生徒に、傷つける内容の携帯メールを送信していた。
 メールを受け取った友人の保護者が文面が不適切だとして14日朝、学校に相談。男性担任教諭が1時間目の授業中、別室で女子生徒を指導したうえ、両親を学校に呼ぶことなどを話したという。
 女子生徒は反省した様子だったが、両親が中学校を訪れた午後6時ごろには、すでに姿が見えなくなっていた。
 同校の一関校長は「いじめもなく、指導も通常の範囲であり、自殺との因果関係はないと考えている」と話した。

 これに対して「讀賣新聞」
 秋田県潟上市天王の市立天王南中学校(一関雅裕校長)で14日、1年生の女子生徒(13)が首をつって自殺した問題で、生徒が授業中、担任教諭に呼び出され、別教室で指導を受けていたことが分かった。
 指導後に生徒は体調不良を訴えて保健室で泣いていたといい、午後にはいったん教室に戻ったが、トイレ内で制服のスカーフを使い、首をつっているところを同日夕、発見された。
 同校によると、生徒は13日午後11時30分ごろ、一時期、同じ部活動をしていた同学年の別学級の女子生徒に、携帯電話で、部活動の入退部に関するメールを送った。
 翌14日午前8時ごろ、メールを受け取った女子生徒の父親から学校に「子供が困っている」と連絡があり、指導のために担任教諭が1時間目の道徳の授業中に、生徒を呼び出した。
 担任教諭は「書いた内容は自分も同じメールを受け取ったときに嫌な気持ちになるものだね」などと指導。さらに、不適切なメールを送ったことを親に伝えると話したという。
 こうした指導について同校の中川真人教頭は、「強くしっ責などはしなかったが、結果的にこういう事態になってしまい、(指導が)間違いがなかったとはいえない」としている。
 このように両社の報道には微妙な点で違いのあることが分かります。
 「産経新聞」は、「潟上市教育委員会によると」という書き方で教育委員会の発表をそのまま受けて記事にしています。
 また、「同校の一関校長は『いじめもなく、指導も通常の範囲であり、自殺との因果関係はないと考えている』」として、学校側・教育委員会側の見解に沿ったかたちをとっています。
 ところが、「讀賣新聞」は、「・・・分かった」と書き出して、自らの取材に基づく内容記事であることを明らかにしています。
 また、「同校によると」ということで、ここにも独自に取材した様子がうかがわれます。登場人物も「保護者」であり、「担任教諭」。
 さらに、「中川真人教頭」のコメントとして、「(指導が)間違いがなかったとはいえない」と学校側の対応にも問題がなかったどうか、という視点を加味しています。
 「朝日新聞」は、昨日とほぼ同じ内容ですが、少し自殺した女子生徒と彼女の書いたと思われるメールとの関係を付け足しています。
 地方の学校の中で起こった、一人の女子中学生の自殺・事件。もっと詳しく検証する必要がありそうです。
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新聞報道のスタンス

2008-03-16 10:22:15 | つぶやき
 秋田県潟上市天王の市立天王南中学校(一関雅裕校長、生徒数389人)のトイレで、同校1年の女子生徒(13)が首をつって死亡していた事件。
 トイレに遺書があったといい、県警五城目署は自殺の可能性が高いとみている、とのこと。
 ここから、新聞報道のニュアンスの違いがでてきます。

「朝日新聞」

  同校や市教委によると、女子生徒は他の生徒との間で携帯メールのやりとりを めぐってトラブルがあり、14日朝に保護者から学校側に電話で相談があった。
  一関校長が校内放送で女子生徒が死亡したことを報告。「悲しいことがあった ら、すぐに先生に相談するように」などと呼びかけた。
 
 この記事ですと、ここに登場する保護者が女子生徒の親なのか、他の親なのかがはっきりしていません。むしろ、流れは、自殺?した女子中学生の親のようにも読み取れます。それは、その後の校長発言の引用「悲しいことがあったら・・・」とも関連して、そのように読み取ってしまうのではないでしょうか。
 つまり、女子中学生が、メール・トラベルの「被害者」のようにも感じるのです。
 ところが「読売新聞」は、明確に「同級生傷つけるメール苦に?中1女子、校舎で首つり自殺」とリードを書いています。
 
  この日、同校では、生徒が同級生の女子生徒を傷つける内容のメールを送った として、両親を交えた面談が予定されていた。
  トイレには、自分を責める内容の走り書きが残されており、五城目署は自殺と みて、学校側などから詳しい経緯を聞いている。
  同校によると、生徒とは別クラスの同級生の父親から14日午前8時ごろ、  「女子生徒のメールで子供が傷つけられた」と連絡が入った。学校側で生徒から 事情を聞いたところ、前日夜にメールを送信したことを認めたため、両親に連絡 し、生徒と一緒に面談することを決めていた。
  両親が14日午後6時ごろに学校を訪問し、生徒を呼び出したが姿を見せない ため、教員らが捜し、首をつっているのを見つけた。
  近くには自分をしっ責する内容が書かれた生徒のスケッチブックと筆記用具が 残っていた。生徒は生徒会役員を務め、成績は上位で、まじめな性格だった。

 このようにはっきりと、メール・トラブルについて、女子中学生の立場を書いています。また、自殺までの時間的な経緯・背景も書いています。 
 これに対して、「朝日新聞」は、
  
  遺書はスケッチブックにメモ程度に書かれていたが、原因については明確には 触れられていなかったとされる。
 
との記事を載せていますし、
 また、
 
  同日は午後3時まで通常の授業があり、女子生徒も出席。その後、清掃やホー ムルームを終えた女子生徒は同3時半から部活動に参加したが、同5時20分す ぎ、部室からいなくなった。学校では校内放送などで呼びかけたり、職員が捜し たりしたという。

 このように、呼び出しを前にして失踪したことなどには、一切ふれていません。 どちらの記事が正しいのか、また警察発表や学校側の発表の内容。独自の取材記事の可能性など、今後捜査次第で、明確にはなってくるでしょう。
 一人の女子中学生の自殺をめぐっての新聞報道の違いは、これまでの両社の報道のスタイルとも関係があるような気がしています。
 他の新聞社、また放送関係ではどのように報道されているのか?大いに興味を持ちました。
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結局賛成するにきまっている公明党

2008-03-15 11:11:29 | つぶやき
 イシハラ銀行の破綻問題。今でも都民一人あたり1万円の出資金がふんだくられていて、さらに一人あたり6千円くらいだすはめに。それでも、起死回生は無理、というのが専門家の見方。都税収入が好調だから税金をつぎ込めるにすぎない。
 「瀕死の重症患者に酸素吸入しなければ、死ぬ」「墜落寸前だから、ここで手を打たないと墜落して大被害が。」「引くも地獄、進むも地獄」
 さすがイシハラ。大衆受けするような、「非文学的」言辞を弄して、言いたい放題。極めつけは、「俺が社長だったらうまくやっていた」!武士の商法とはまさにこのこと。
 前回の都知事選。息子への便宜やら何やらで、選挙スローガン。「反省しろイシハラ。でもやっぱりイシハラ」とかいうような文句で圧勝した。このときも公明党、創価学会。下手な自民党員よりも熱心に、イシハラへの支持を鮮明にした。オリンピック誘致にも、すぐに飛びついたのが「石井」とかいう公明党都議。何のためか?自分たちの参院選に有利になるように・・・。
 しかし、見事に失敗。喜んでますます横柄に勝手気ままになった老害イシハラ。それでも支える、公明党。来年の都議選にしか頭がない連中だからだ。自分たちの支持基盤のはずの、学会員の中にも疑問の声が多いのに、そのガス抜きのためにちょっと斜に構えて見せて。なんと言うことはない、内部向けの、学会員向けのポーズにすぎない。
 これくらいのまやかしにも、いとも簡単に騙される、創価学会員。最近は、芸能界の広告塔・久本なんとかのセミナーがあるからどうですか、などと誘っているらしい。一にも選挙、二にも選挙のために、「いきがい」を感じて「頑張る」創価学会員。
 イシハラも、とっくにその腹の中を見抜いて、どうせ賛成するにきまっている! 公明党が反対すれば、自民党だけでは通過しない、今回の提案!
 ならば、ここで、公明党。「生活につながる。」「地域につながる。」「生活に直結」「政治に直結」とあちこちに張っているのなら、この際、このスローガンの通りに「反対」して下さい。そして、イシハラの責任を追及して下さい。
 でも、出来ないでしょうね、所詮、鵺政党でしかないんですから。
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違反車の取り締まりだけでは解決できない

2008-03-14 17:49:41 | つぶやき
自転車 安全な3人乗り、できるかな 専用レーン、ルール統一が必要(産経新聞) - goo ニュース
 自転車マナーの悪さの中には、子どもを乗せての走行も問題です。まして、歩道を走るんですから、歩行者も自転車も危険がいっぱい!かといって車道を走って、それも逆走でもされたら、車も巻き込んでの事故になってしまいます。
 自転車レーンの不備、歩道の不整備、・・・。ホントウに遅れています。
 それはそのままに、警察が取り締まりを強化することになっていけば、「罰金」支払いが増える、認められない歩道の通行、3人乗りが整備されていない自転車の摘発、それに対する反発。
 それよりも、歩行者と子ども乗せ自転車同士のトラブルになっていきそうな感じがします。
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浅草通り押上駅前歩道橋の怪

2008-03-07 10:25:58 | つぶやき
 半蔵門線押上駅を地上に出ると、浅草通りと四つ目通りの交差点。浅草通りは、東から西へ、四つ目通りは北から南へ。それでも、車の通りはそれほど激しくはありません。浅草通り。東に向かうと、道幅も急に狭くなり、明治通りにぶつかって終点。そのせいもあるかもしれません。
 その通りに、歩道橋が架かっています。この間通りかかったら、歩道橋が緑のシートに覆われて、警備員が立っています。よくよく見ると、「歩道橋の塗り替え工事」と看板が。
 この通り、西に向かっても、歩道橋は一つもありません。もっと人通りの激しい交差点にもありません。東にゆくと、ぽつんと一つあるだけ。その塗装工事なのでしょう。たしかにペンキがはげてボロボロ。でも、どうして今になって塗装工事をするのでしょうか?
 この歩道橋。もう15年以上通りかかりますが、人が利用している姿を全く見たことがないのです。なぜなら、その歩道橋のほぼ真下に、信号機付きの横断歩道があるのです。
 かつて、この歩道橋の付近。押上駅から地上に出てきた人たちが、広い浅草通りを突っ切って、向こう側に渡っていました。実に危険な横断。事故もあったでしょう。道のまん中に、植え込みを作ったりしても、すぐにそれが踏まれて通り抜けられるようになってしまう。今度は、背の高い頑丈な鉄製の柵を、ずっと切れ目なく設置しました。さすがにそうなると、無理に横断する人もいなくなりました。
 実は、その間、ずっと歩道橋は、あったのです。誰も利用しない!そこで、信号機付きの横断歩道が出来ました。皆、それを利用するようになりました。その信号は、けっこう歩行者には便利。頻繁に信号が青になるのです。
 一方、このあたりの歩道。電柱が撤去され、歩道が広くきれいに整備され、壊れかかったアーケードも撤去されて、広々とした趣になり、自転車と歩行者の区分もできて、明るい感じです。
 それもこれも、600㍍タワーがこの付近に出来ることになったから。おそらくこの通りも、賑やかな「観光」通りにでもするつもりなのでしょう。
 その大きな変貌の中で、ひときわ異彩を放っていたのが、誰も渡らない(利用しない)汚らしい歩道橋。だからということでしょうか、今回の工事は。
 でも、撤去した方が手っ取り早く、かえって景観的にもいいのではないかと思います。むしろ、もっと激しい通りに歩道橋を設置した方がいいとすら思います。
 朝早くから、警備員が2,3人、立っています。地元の零細な塗装業者に、お金を落とすためなら、何となく理解できますが、まったく無意味な工事ではないでしょうか。
 職場近くの京葉道路。その歩道橋は、駅前を除いて、ほとんど撤去されてしまいました。災害時の緊急道路対策というためでしょう。そのかわり、景観はよくなりました。近所の商店も喜んでいます。
 それに比べて、この浅草通りの歩道橋塗り替え工事。無駄な工事ではないでしょうか。これが、例の「道路特定財源」から支出されていたとしたら、ますます問題です。当局者の態度を確かめたいものです。
 
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リサイクルの前に取り組むことが

2008-03-04 23:15:15 | つぶやき
 日本は、リサイクルが盛ん。何でもかんでもリサイクル、リサイクル。
 ビン、カン、段ボール・・・。回収も、徹底してやっている。その集積場には、決まって回収の男がやってくる。そして、区などの回収車が来る前に、ちゃっかり「回収」していく。
 リサイクル。もともとは、限りある地球資源の維持、森林伐採などによる温暖化防止。化石資源エネルギー(石油、石炭、ガス・・・)の枯渇を防ぐ・・・。
 だが、再生紙騒動でも分かるように、資源の再利用にはかなりのお金とエネルギー資源が必要。そして、割高になる!
 どうも、企業の金儲けのために、リサイクルが叫ばれ、いいように消費者、住民が利用されているのではないか。
 リサイクルの考え方は、① リ・デュース ② リ・ユース それから、リ・サイクルのはず。
 つまり、①無駄に使わない。②使い回し。特に、②でいえば、かつてのビールビンや醤油ビンのように、どこの製品でも互換性があるやり方にする。企業が回収する・・・。そういう取り組みを抜きにして、リサイクルにのみ力をいれるのはおかしくはないか。
 ①についても、そう。消費者への意識付け、過剰包装などは最近うるさくなってきているが、まだまだ。無駄なことが目につく。レジ袋なども、有料制になりつつあるが、これももっと徹底したい。
 が、エコバックの普及。これも、いいようにお金もうけの対象になっている!
 ホントウの意味で、消費者が知恵を出し合うことだ。
 プルサーマル計画も、地元への金を落とし、海を永久に汚すための、あてのない、壮大な廃棄物リサイクル事業になっている。その資金の多くは、消費者が払っている電気料金から。そして、多くの税金が・・・。
 規模はぐっと小さいが、街中で、空き缶などを回収してわずかな金をかせがせて、その裏では、もっと金儲けをしている企業があるのではないか。
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共謀罪再浮上か

2008-03-03 23:36:31 | つぶやき
 三浦さん逮捕騒動。アメリカでかつてこの事件を捜査した男が、久々に登場。その会見の中で、「日本では、共謀罪がないために逮捕、起訴できなかった。」と。
 とすると、この事件は、真犯人(直接の射撃)がいること、その男と共謀した(殺人依頼)罪で、殺人罪と同様な犯罪として逮捕・起訴しようという狙いか? 
 週刊誌でも、三浦逮捕で、その陰に隠れている組織をあぶり出し、壊滅させる、という深謀遠慮があるのではないか、と。
 そこに、共謀罪という武器が警察・検察にあることが重要なのだ。
 「共謀罪」。日本では数年前、国民の多くの反対・危惧のために、法案成立には至らなかった。当時、アメリカを筆頭にした対テロ国際連携の中で位置づけるというのが、日本にも「共謀罪」を設置する必要性として語られた。
 今回の発言。テロ対策ではなくて、凶暴な犯罪検挙の武器になるがごとき内容。
 またぞろ復活しそうな、イヤな雲行きになりはしないか、「共謀罪」を設けるための。
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奇妙な論理がまかり通ることの恐ろしさ

2008-03-02 22:51:01 | つぶやき
 被告全員の無罪が確定した、2003年の鹿児島県議選公選法違反事件で、藤山雄治・県警本部長は、29日の鹿児島県議会で、捜査員4人を表彰したことについて「無罪だからといって功労がなかったとは言えない」と述べ、表彰を取り消す考えがないことを明らかにした。県警は、捜査にあたった警部補を本部長表彰、別の警部補と巡査部長二人を刑事部長表彰にしていた。
 松崎真琴議員(共産)が「摘発が間違いと認められた。取り消すべきだ」とただしたが、藤山本部長は「被表彰者が禁固以上の刑を受けるなど取り消しの理由もなく、検討も必要ない」と述べた、とのこと。
 おかしな屁理屈
 その1「無罪だからといって功労がなかったとはいえない」
 その2「被表彰者が禁固以上の刑を受けるなど取り消しの理由がない」
 その3「(取り消す)検討も必要ない」
 この年、統一地方選で多数の違反を摘発したのが理由で、鹿児島県警は、選挙違反告発で、警察庁長官から表彰を受けていた。その中の一つが、えん罪事件になったでっち上げ事件。
 おそらく、この年の地方選。選挙違反摘発・逮捕を至上命令として、県警あげての取り組みだったのだろう。そうした県警の雰囲気の中で、こうしたえん罪につながった、無理な捜査・自白強要があったとみるのが、普通の感性だ。
 むしろ、そうした負い目があるから、今さら(無罪確定後も)自ら返上したり、取り消しを検討する必要がない、などと答弁したのだ。当然、その責任が、自らに及ぶからだ。国から表彰され、県警内部でも表彰を行った、このことの引っ込みがつかない! 
 たしかに、第一線の警察官・警察は、一般が思う以上に、大変な困難・苦労の中で、さまざまな事件を捜査、摘発しなければならない。その中で、功績を挙げた者を表彰するのは、あってしかるべきだ。そのことを批判をする者は少ないだろう。(これが、ゆがんだ成果主義になって、現場を競い合わせていくことになっているかもしれない、とは思うが)
 しかし、無罪になった事件に関わった(それもきわめて無理・違法な、人権無視の摘発・取り調べ・・・)者の表彰の取り消しは、当然。
 取り消したら、現場の士気に悪影響があるから、また警察のメンツがつぶされる・・・。この程度の判断力では安心して警察に任せることができなくなってしまう。
 自衛隊のあたごの漁船転覆事件でもそうだが、絶対的な権威・権力を持ち、暴力装置を有する国家機関への信頼がなくなることが、もっとも恐ろしいことだ。

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政治家不信が政治不信へ

2008-03-01 15:03:39 | つぶやき
 石破防衛大臣。「(行方不明の2人の家族から)原因究明が責任の取り方だ、やめるなと強く言われた。今の時点で、軽々にやめますということが、つらい思いをしている方の気持ちにこたえるとは思っていない」と述べ、当面は引責辞任する考えはないことも強調した、という。
 ホントウに家族がそういったのかどうか、検証する手だてがない。あくまでも石破自身の言にすぎない。もしも家族が「責任をとれ!辞めろ!」と言っていたら、いさぎよく辞任しただろうか?
 まずそんなことはあるまい。自分の都合のいいように使い分ける。居直るにちがいない。
 ここに、政治家の言動への不信感があることを自覚すべきだ、政治家は。それが政治不信につながっていることを憂う。



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