(13:29)「木舟」の集落に入ります。
バス停「木舟」。
「東京から189㎞」ポスト。
大きなお屋敷が並んでいます。
集落のはずれ右手に「カーショップ」があり、その手前のカーブした急坂を上っていきます。「甲州街道」の表示有り。
(13:40)その先でJR線の上を越していきます。
上り電車が通過。
跨線橋を渡ったら、左折し線路に沿って進みます。遠くには「東洋バルブ茅野工場」へ向かう高架橋。
「宮川」沿いののどかな道筋。
マンホールの図柄は「諏訪湖流域 御柱祭」。
(13:55)「早川橋」を越えると、ダンプなどが行き交う道に合流し、「宮川」沿いに左折します。
「宮川」の向こうを走っていた中央線が鉄橋を渡って街道側に。
(14:05)やがて国道20号線の宮川板室交差点。その右手には古仏群と常夜燈が建っています。
「弓振川」を渡り、「板室」の交差点に出ます。
国道沿いに進むと、向こうには「中央道」の高架橋が。
(14:25)しばらくすると、「宮川」交差点。ここで国道と離れて、少し右手の道を進みます。
すぐ左手に鈿女(うずめ)神社と三輪社。
「鈿女神社」の「うずめ」は、日本神話に登場する神「アメノウズメ(アマノウズメ)」にまつわる。「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神。
岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。
「古事記」では、アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った、と。
「神々を笑わせた」ということから、をこ(滑稽)な所作をするワザヲキ(俳優、隠された意味を指すワザを招く/ヲク者)即ち芸人、コメディアン、俳優の祖とされ、芸能の始祖神、福の神、おたふく、おかめ、等と称すると伝わる。芸能・技芸全般の神として信仰されている。
鈿女神社は地元で「おかめ様」として崇められている。村境や道路の分岐点などに立てられる道祖神は、サルタヒコとアメノウズメであるともされる。
(以上、「Wikipedia」参照)
(14:32)向かい側には「丸井伊藤商店」という「マルイ味噌」の味噌蔵。ここは工場と店舗を兼ね、中に入ると独特の香りに包まれます。
沿道には現代建築になまこ壁を取り入れた建物なども。
(14:40)「上川橋」。これを渡れば茅野駅はすぐそこ。
橋の上から東(上流)を望むと、中央本線の鉄橋が見えます。この鉄橋の右、少しだけ見える土の斜面が、御柱祭上社の木落しです(↓)。
ここからじきに茅野駅(14:50着)。今回はここまで。次回でやっと完結することになりそうです。
途中で見かけたお店。「こてえ 天香館」。
こて絵(こてえ、鏝絵)
日本で発展した漆喰を用いて作られるレリーフのことである。左官職人がこて(左官ごて)で仕上げていくことから名がついた。題材は福を招く物語、花鳥風月が中心であり、着色された漆喰を用いて極彩色で表現される。これは財を成した豪商や網元が母屋や土蔵を改築する際、富の象徴として外壁の装飾に盛んに用いられた。
漆喰装飾の一技法で、。古くは高松塚古墳、法隆寺の金堂の壁画にあり歴史は古い。また天平年間の立体塑にも見られる。具体的には小さなこてを焼いて、それによって紙または板を焦がして描く。焼き絵、鉄筆ともいう。 木で心柱を作り、その外側に荒土や白土にすさ糊を混ぜた材料で作るのがこて絵の源流。 漆喰は、貝殻と木炭を重ねて焼いた灰で作る。
江戸時代中期から徐々に盛んになり、静岡県松崎町出身の名工、入江長八がこて絵として芸術の域にまで昇華させたが、戦後、在来工法の衰退と共に腕利きの左官職人が減少。一時は幻の技巧となったが、近年、建築の分野で再評価が進んでいる。長八の故郷の松崎町では1984年に長八美術館が開館し、松崎町では毎年「全国漆喰鏝絵コンクール」が開催されている。
顔料として土や岩、焼いた貝殻を粉末にし、黒はまつやロウなどのスス、また墨を砕いたものであったりといろいろ工夫がみられた。
(以上、「Wikipedia」参照。)
そういえば、何軒かこの装飾を掲げたおうちを見かけました。
「鏝絵天香館」は、茅野市ちの駅前の小川天香(本名善弥(ぜんや))の鏝絵作品を展示したギャラリーです。
鏝絵とは、日本で発展した漆喰を用いて作られるレリーフのことで、左官が壁を塗る鏝で、絵を描いた装飾品です。古くは法隆寺の金堂の壁画にも代表される漆喰技法の一技法であり、西洋のフレスコ画も同様の技法です。題材は福を招く物語や花鳥風月が中心であり、着色された漆喰を用いて極彩色で表現されています。
天香は、左官を業としましたが、早くから鏝絵の名人伊豆の長八に憧れ、その高い技術を磨くため18歳で上京、長八亡き後の高弟今泉善吉に師事し、東京、千葉、京都、新潟で数々の重要な建造物を手掛けました。45歳以降は左官業を廃業し、地元茅野に戻り、長八の残した鏝絵技術を継承し、それ以上の作品を作成するために生涯一生稽古を心情に、100点ほどの作品を残しました。鏝絵天香館は、平成25年4月に地元の機運が高まり展示公開の運びとなり開設され、60点余りの作品を展示しています。
(HPより)