おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

先日、網走でお世話になった方からお菓子の詰め合わせが

2019-12-23 20:04:02 | じじばばがゆく
 先日はたいへんお世話になりました。
 おかげさまで元気でやっています。

 いえいえ、別にたいしたものではありませんが、ご家族で食べて下さい。

 ええ、「六花亭」。もともとは帯広ですけど、北海道のお菓子としてはけっこう売れています。
 このあいだお見えになったときに、テーブルに置かせていただいたんですが、お召し上がりにならなかったようですので。

 いえいえ、せっかく網走までお見えになった、ということで、たいへん感謝しています。

  

 そうですか。「網走監獄」と「野取岬」へ行かれたのですか、それはそれは。

 小さな街ですが、網走監獄で有名になったんで、全国から観光客が来ますね。

 野取岬もいいですよね、灯台もすてきだし。
 外国人の方も歩いていましたか、ご夫婦で。なかなかいいですね。

 ええ、私のうちは網走からは少し東です。「知床半島」の付け根のところで、斜里の漁港のところに住んでいます。

知床半島のランドサット衛星写真(Shuttle Radar Topography Mission使用)
                                   半島中央部を縦走している知床連山の西側が斜里、東側が羅臼。

 「野取岬」から東の方に見えていたでしょう、「知床半島」が。あそこの根元付近ですね。

 いえいえ、この辺りにはそんな立派なお菓子なんかありませんから。せめて北海道らしいものを、と思って。

 何といってもバターですから、北海道は。お菓子にも必ず使用されていますしね。



                       

 包装紙の草花の絵もいいでしょう、花の季節は短いですけれど、けっこうすてきな花がたくさん咲きますよ。

 いやいや、少しずつですが色んなお菓子を詰め合わせただけですよ、まあ食べてみて下さい。

 「マルセイバターサンド」、「チョコマロン」、「霜だたみ」、「いつか来た道」、「大平原」、「玉がしわ」、
 「百歳」、「おふたりで(抹茶)」、「畑の大地ひろびろ」、「花の大地ひろびろ」、「雪やこんこ」、・・・。
          
            

 本格的な雪はまだですね。今朝の最低気温はマイナス8℃でした。今?マイナス2℃くらいですかね。
 最高気温は、夏でも平均で8度以下ですよ。東京の方はうらやましいです。蒸し暑さはかんべんですが。



                 

 お菓子の箱を見ながら、あれこれ電話で話していると、さっそく、生まれて半年、全身焦げ茶のちび猫がやってきて、座り込みました。
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ようやく還暦になる連中とささやかな飲み会。

2019-12-19 20:17:26 | じじばばがゆく
 お久しぶりです。このところ、いつものメンバーで変わりばえがしませんが。

 そうなんですよ、この二人はもう還暦。この二人が、これからって。年明けすぐですけど。お互いに。

 還暦のお祝いを来年3月にでもみんなに呼びかけて盛大に、っていっても10人くらいですが。

 昼1時頃からお昼を兼ねて、というのはどうだろう。「木曽路」かどこかで。
 けっこう高いですかね、あそこは。昼のランチならば、少しは。

 女性はいつも貴方しか来ないけれど、・・・。

 えっ、7キロも太ったんですって、お父さんが亡くなってホッとしたんじゃないですか。
 長い間面倒見てたんですものね。100歳にもう少しっていうところでしたかね。

 ご主人も亡くして、今は娘さんとお二人ですか。
 寂しくて、寂しくてってどこが? いい加減にしなさいよ、いい年して。

 そうそう、このあいだ、庭の整理を手伝って、あのへんで40坪ってけっこう広いおうちですよね。
 借地ですか、更新料がどのくらいになるかって? う~ん、高くなりそうですかね。

 娘さんに膝が悪いのに太るなんてって怒られたって。そうかもしれませんね。

 長老は膝と腰が悪いんですって、大事にして下さいよ。

 まあ、3人とも何とか自営業なので、何とか頑張っている。
 死ぬまで働くって。
 私はもうじき息子に仕事を譲ろうと考えているんです。
 
 お二人は、乳児院育ちでたいへん苦労したって聞いたことがありますが。
 偶然、同じところで育ったんだそうで。
 
 あなたは、里親の方に引き取られてそれから逢わずじまいだった。

 それが、定時制高校で偶然一緒になって、その時初めてお互いが同じところに預けられていたことを知った、とか。

 母親の不倫の末に生まれた子供だったんだ。それでも父親は自分の子供として認知してくれた、でも、乳児院に預けられた、と。

 このあいだ、父親が亡くなって、連絡があり、その遺産相続やら何やらで、他のきょうだいとも会えたんですよね。
 けっこうな資産家だったとか。

 ま、その時は土地の売買やら何やらで、少しお手伝いさせて貰いましたが。

 私もその定時制に通っていて、皆さんとも知り合いになれたわけです。
 
 みんな、いろんな辛い、辛くもないか、過去を背負いながら、前向きで仕事も学校も頑張っていたよね、ってちょっと嘘くさいけど。
 
 そう、おやじが筑豊の炭鉱で働いていたけど、閉山になって茨城で小学校の用務員になったんですよね。
 自分は、中学を出てから東京に出てきて下町の工場で住み込みで働いていたんだ。
 
 でも、その後も資格を取ったりして、仕事を続けて元気でやっているんだし、家族共々ね。

 定時制高校もけっこう色んな人がいて面白かったですね。多士済々っていう感じ。先生も色々・・・。

 バイタリティーがあるよね、俺たち。

 あいつはどうしているかな? キー坊とか、家具職人とか、一時羽振りがよかったあいつなんか、今どうしているのかな?
 茅ヶ崎でサーファーショップやっているやつがいましたね。

 文明堂とか、タカキュウとか勤めていたじゃない。もうとっくに辞めたか。

 そういえば、修学旅行で隠れて酒盛りをやって、見つかって大目玉食らったよね。阿蘇だったっけ、長崎だったっけ。

 わざわざ甲府から出てきて、明日は朝から研修会ですか。産廃関係もけっこう大変なようですね。

 女の人たちはどうしているのかな。また声をかけてみよう。
 子供も大きくなっているよね。どこのうちも。

 ほら、看護師さん、青森のたしか下北半島の出身の、色が白くて美人だった。あの人なんか今どうしているのかねえ。

 お孫さんがいるんですか、それは、それは。

 旦那さんがもう定年っていう方もいるでしょうね。年金生活まではまだ間があるけど。
 もちろん、これからは、年金だけじゃ生活できるわけないしね。

 話を戻すけど、還暦の集まりは、あまり高い場所じゃなくて、昼過ぎからやれるところで、もう少し手近なお店を考えてみようか。

 決まり次第、来年早々にも連絡しますよ。

 では、みんなもお元気で。 
 
 12月17日。北千住・居酒屋「へちもん」にて。食べ物も飲み物もコスパはまあまあ。接客もよし!

 (注:写真は、「へちもん」HPより。)
  
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初冬の隅田公園&向島百花園。その3。

2019-12-17 18:50:19 | じじばばがゆく
                        「今日の月さても惜しまぬ光かな 金令舎道彦」。後ろの木はカリン。

実が一つだけ残っています。

ヤナギ。

           白い花が咲く木。

 実は花も木も鳥も・・・、まったく疎い。こんもりした向こうの木にはたくさんの鳥たち、出たり入ったりしていますが。
                   

        しばらく観察するも、飛び立つ姿は写真に入らず。  

ウメも冬ごもり中。

                     

そろそろ閉園の放送が。 

                        

           



                 

出口に向かう左手にカリンの実がたわわに。

 職人さんが上げるよ、と一つ作業場から持ってきてくれました。
 香りがとてもすてきなお土産。
 玄関に置きます。
                       

 「向島百花園」。梅の季節ばかりではなく、春夏秋冬、それぞれ散策を楽しめそうです。園内では冬支度のために庭職人さんが作業をしています。
 今度は、雪景色の頃に訪ねてみましょう。
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初冬の隅田公園&百花園。その2

2019-12-16 18:46:36 | じじばばがゆく
                    園内は訪れる客も数名。静かなたそがれ時。
                            



サザンカ? 

         園内の池(南側から)。

ふと見るとつがい? のカルガモ。
                        最近見かけるようになった、とか。

         一斉に飛び立つ鳥の群れ。

               

    
          「うつくしき ものは月日ぞ 年の花 寶屋月彦」。
                       (注:「年の花」=新年。新春のこと。)                  
                                     
                           風にそよぐ「マユミ」。
 マユミが属するニシキギ科のニシキギの名は、錦のような紅葉の美しさから名づけられましたが、その仲間のマユミも秋になると、茶色がかったオレンジ色に紅葉する、とても美しい落葉低木です。それにもまして美しいのが、朱色がかった赤色の四角い果実で、熟すと中から、紅オレンジ色の仮種皮(かしゅひ)に覆われたタネが現れ、落葉後も残ります。
マユミは日本に自生する植物なので、栽培は容易で、病害虫もほとんどなく、日なたに植えれば、毎年美しい紅葉と果実を楽しむことができます。
木の質は緻密で、粘りがあり、古くはマユミの木で弓をつくったことから「真弓」と呼ばれるようになったといわれます。現在でも将棋の駒などの材料として利用されます。             
なお、マユミは、雌雄異株とする情報もありますが、雌しべが短い花をつける個体があり、結実しにくい傾向があるだけなので、雌雄同株とするのが妥当です。
 (この項、「」HPより)

「ハギのトンネル」。最盛期には大勢の人が訪れる。

「ハギのトンネル」。(「東京都公園協会」HPより)
 今年の「萩まつり」は、9月14日(土)~10月6日(日)に開催され、期間中、「月見の会」、「句会」、「新内流し」、「野草ウォッチング」、「茶会(野点)」など多彩な催し物があったようです。

「向島百花園」園内図。
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初冬の隅田公園&百花園。その1。

2019-12-13 19:29:28 | じじばばがゆく
                    夕暮れ間近の。
                            

 先日の真冬の寒さとはうってかわって暖かな日差し。紅葉もさぞかし映えている、と思って、ちょっと回り道。しかし、季節は確実に進んでいて、見ごろも少し過ぎた感じ。寒々とした園内。それでも、12月12日(木)は10月中頃のぽかぽか陽気でした。
 

水面には落ち葉が漂う。

 隅田公園は、墨田区側も台東区側も「隅田川」堤のソメイヨシノをはじめとして、いろんな種類のサクラが植えられていて、春には花見客で賑わいを見せる。
  
 春の賑わい。

 スッカリ葉を落としたサクラの木々に混じってカエデやモミジもチラホラ。しかし、冬の公園には、人影も、まばら。

「東京スカイツリー」。

 
         足元一面にイチョウの落ち葉が。

 しばらく散歩したあと、久々に「向島百花園」に寄ってみます。梅の頃には来ますが、この時期は初めて。
                 

 梅のシーズン中の園内。
「べにちどり(紅千鳥)」。メジロの姿も。

                ナンテンの赤い実。

ススキが道沿いに。 

                               

「雪吊り」・冬支度の松。

遠くに「スカイツリー」。

金沢・兼六園の雪吊りが有名。

ここも梅の木は冬模様。紅葉する木もあまりなさそう。

        

夕日に映える「スカイツリー」。

ここの水面にも落ち葉。

足元にも一面、落ち葉。竹が植えられた歩道。そして、「句碑」。
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真冬のような冷たい雨。ささやかな「忘年会」。「シェルブールの雨傘」。そして「小宮商店」。

2019-12-10 21:07:04 | じじばばがゆく
 12月7日(土)。雨のち曇り。年末年始のころの寒さ。

 どうもお疲れ様でした。まさかこんな冷たい雨模様になるとはね。

 ホント。やれやれ、こんなに寒くなるとは思わなかったわ。
 最高気温が夜中だったっていうじゃない。その後は下がる一方だった、って。

 ま、元気で年の瀬を迎えられただけでもけっこうなことよ。
 腰が痛くなってしんどいんですって。

 歩きすぎなんじゃない、年を考えた方がいいわよ。
 3万6千歩も、って。そりゃあ無茶だわよ。

 お豆腐料理も久々だったわ。湯葉とか・・・、けっこう色んな種類があった。
 女性客が多かったわね、ヘルシー志向なのかしら。

 あの方もいっときのショックから立ち直って、元気になったみたいで、何よりだわ。
 車で事故ったとかで。ちょっと参ったみたいよね。

 でも、朝の5時から10時頃まで勤めているって、元気よね。
 老人施設でまかないをしているようね。さっぱりしている性格がかえっていいのかしらね、あの年で。
 旦那の協力がなければ続けられないわよね。毎日車で送ってくれるんんだって。

 さて、もう4時か、そろそろ帰らなくちゃ。デパートで買い物をする予定なのよ。
 上海にいる方にクリスマスプレゼントを、と思って。

 傘にしようかと考えているの、すてきな折りたたみ傘を、ってね。

 傘か・・・、そういえば「シェルブールの雨傘」というフランス映画があったじゃない。

 「Les Parapluies de Cherbourg」。

 たしか高校生の頃に観たような記憶が。その後も何回か。ビデオ屋さんで借りてきたり、名画座みたいなところでも、・・・

 1964(昭和39)年制作のフランス映画。考えてみたら「東京オリンピック」の年だったのね。
 錦糸町駅近くの映画館で観たのかもしれない。その頃は、けっこう映画を観ていたから。

 あなた、観たことある?

 カトリーヌ・ドヌーヴが主演で、そういえばこの前、脳卒中で入院したって話題になったわね。軽くすんでいるようだけど。

 日常会話など台詞すべてが美しい旋律で語られるのね。全編ミュージカル仕立て。流れるようなフランス語の響き。
 最初観たときにはその新鮮さに驚いたわ。

 ミシェル・ルグランの音楽がすばらしい。
 ずいぶんと若い頃に観た映画だけど、ふとしたときに、旋律が浮かんでくることもあるわよ。

 オープニングの、色とりどりの雨傘が行き交うシュルブールという港町の風情がすてきだった。 
 一転して自動車修理工の激しいリズムに変わっていく、その音楽的なつながりが新鮮だった。

 シュルブールは、重要な軍港の一つで、第二次世界大戦中にはドイツ軍によって占領されたのね。
 1944年、連合国によるヨーロッパ侵攻にあたって、シェルブール港は重要な攻略目標となり、ノルマンディー上陸作戦に引き続いて、激しい攻防戦の舞台となったという歴史を持つ港町。
 そこを舞台にしたということに大変興味を持った記憶があるわ。

 1957年から1963年まで。アルジェリア戦争(フランスからの独立戦争)の最中なのね。戦争(召集)をはさんでの恋人同士の物語。

 ラストシーンは、クリスマス前の雪の夜。
 ギィ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)の経営するガソリンスタンドに入ってきた車の運転席にはかつての恋人・ジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーヴ)。助手席には娘のフランソワーズ(実は自分との間の子)。
 喪服姿だったような気が。

 短い言葉を交わし、車はスタンドを出ていく。俯瞰撮影に重なって降りしきる雪の中、テーマソングが流れるのね。

 なんて、ストーリーが何だかよく分からないでしょ。 
 後で、もう一度、調べておいてね。
 
(以下、「Wikipedia」参照)
   
監督・脚本: ジャック・ドゥミ
音楽: ミシェル・ルグラン
出演: カトリーヌ・ドヌーヴ
    ニーノ・カステルヌオーヴォ
    マルク・ミシェル
    エレン・ファルナー
    アンヌ・ヴェルノン  
第一部 旅立ち 1957年11月-
 アルジェリア戦争ただ中のフランス。港町シェルブールに住む20歳の自動車整備工ギイと17歳のジュヌヴィエーヴは結婚を誓い合った恋人同士。ギイは病身の伯母エリーズと、ジュヌヴィエーヴはシェルブール雨傘店を営む母エムリ夫人と暮らしている。エムリ夫人は2人が若過ぎる事を理由に結婚に反対するが、2人は将来生まれて来る子供の名前(女の子だったらフランソワーズ)を考えたり、自分たちのガソリンスタンドを持つ夢を語り合ったりと、幸福な恋愛を謳歌していた。
 そんなある日、エムリ夫人に莫大な額の納税通知書が届く。切羽詰まっていたエムリ夫人は、娘に説得され、大切なネックレスを売る決心をして、娘を連れて宝石店へ行った。たまたま居合わせた宝石商ローラン・カサールが、その場でネックレスを購入してくれた。
 やがてギイに召集令状が届き、アルジェリア戦争において2年間の兵役をつとめることになった。尽きる事無く別れを惜しむギイとジュヌヴィエーヴ。その夜、2人は結ばれた。ギイは幼馴染みのマドレーヌに伯母の世話を頼み、ジュヌヴィエーヴと永遠の愛を誓い合って、シェルブール駅で別れを告げ入営する。

第二部 不在 1958年1月-
 ある日、エムリ夫人は町でカサールと出会い、食事に招待する。妊娠していることを知ったジュヌヴィエーヴは、ギイからほとんど手紙が来ないことを不安に感じていた。ジュヌヴィエーヴが気分が悪いと休んだ後、エムリ夫人に引き止められたカサールは、ジュヌヴィエーヴに結婚を申し込むつもりだったことを打ち明ける。決めるのは本人なので、押しつけないように頼み、カサールはまた旅に出る。
 手紙で妊娠を知ったギイからは、2月に「男の子だったら名前はフランソワ」と喜びの返事が届く。だが、ギイを待ち続けていたジュヌヴィエーヴは、次第にカサールに心を開き、子どもを一緒に育てようという求婚を受け入れる。結婚からしばらくして、エムリ夫人も店を処分し、娘が住むパリへと移住する。

第三部 帰還 1959年3月-
 足を負傷し除隊となって帰郷したギイはシェルブール雨傘店を訪れるが、店は所有者が変わっていた。ジュヌヴィエーヴの結婚と移住を聞かされたギイは自暴自棄となり、復職した整備工場も些細なトラブルで退職して酒と娼婦に溺れる。朝帰りした彼を待っていたのはエリーズ伯母の死の報せだった。ギイは出て行こうとするマドレーヌに「僕の力になってほしい。行かないでくれ。」と頼み、一念発起し、伯母の遺産でガソリンスタンドを始めることに決めた。立ち直ったギイに、マドレーヌも心を開き、結婚する。

エピローグ 1963年12月-
 ある雪の夜、妻マドレーヌと息子フランソワがクリスマスの買い物に出ていった後、一台の車がギイのガソリンスタンドに給油に訪れる。運転席にはジュヌヴィエーヴが、助手席には3,4才くらいの女の子が乗っている。

 入営の日、シェルブール駅で別れて以来の再会だった。
 事務所で短く言葉を交わす2人。金持ちそうな毛皮のコートに身を包むジュヌヴィエーヴ。娘の名はフランソワーズだと告げ、「会ってみる?」とギイに聞くが、彼は無言で首を振り、「給油が終わったようだ」と言う。
 
 ジュヌヴィエーヴの車が去って行くのと入れ替わりに、マドレーヌとフランソワが帰ってくる。ガラス窓のカーテン越しにが家族3人で幸せに楽しく過ごす様子を映し出す。

 カトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画は他にも『ロシュフォールの恋人たち』『昼顔』とか『哀しみのトリスターナ』などがあるのよね、『昼顔』は観たことがあるわ。

 『シェルブール雨傘店』。

                      

 そんな傘専門店が都内にもあるかしらね。すてきな傘屋さん、そんなお店に行ってみようかししら。

馬喰横山駅近くにある「小宮商店」がお勧めか。 

 あら、もうこんな時間、さあ帰らなくちゃ。じゃ又。

    

付け足しで。「創業者のプロフィール」。

         昭和初期に「人生観」が「民主々義」というのもなかなかよね。大正デモクラシーという時代背景があったにしても。

(注:洋傘などの写真は、「」HPより)

 そうそう、ストーリーはどうでもいいから、ミシェル・ルグランのすばらしい旋律は聴いてみてね。「youtube」でもUPされているから。

(注:映像は「YouTube」より) 
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