4月18日(火)。雨のち晴。
久しぶり。やっと暖かくなってきたわね。
でも、嵐みたいな天気には驚いたわよ、昨日の夜には。朝方は90%の降水確率だっていうじゃない。鎌倉なんて無理だったわよ。
で、「向島百花園」っていうことね。タクシーで行こう!
何だか晴れ間も見えてきて。さすが晴れ男だわね。
向島百花園か、もうずっと前に母親と来たことがあったかな。萩のトンネルがちょうど見頃の頃だった。
でも、雨上がりのこういうところもいいわよね。桜がちらほら残っているくらいだけど。
自然のままっていいわよね。自然体って難しいけど。この年になると、こういう風情もまたいいものよね。
へえ、芭蕉の句があるんだ。「春もやゝ けしきととのふ 月と梅」か。
ところでさあ、「春もやゝ」ってあるけど、「もやゝ」っていったい何なの? どういう意味なのよ?
えっ、それは「春も やゝ けしき(景色)ととのう 月と梅」って続くんだよって。
あら、イヤだ。俳句ってホントウに奥が深いのねえ。
そういう問題じゃないだろうって、失礼しました。
この後は、静かに句碑を楽しみ、お花を楽しみますわ。
芭蕉句碑。「こんにやくのさしみも些(すこ)しうめの花 はせを」。
こぢんまりとしているけど、手入れが行き届いていて、それでいて自然のままっていうのは、いいわねえ。
・・・
向島百花園
仙台出身の骨董商、佐原鞠塢(さはらきくう)がもと「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手し、1804年(文化元年)に開園した。360本もの梅の木を植えたことから当時亀戸(現・江東区)にあった「梅屋敷」に倣って「新梅屋敷」とも、「花屋敷」とも呼ばれていたが、1809年(文化6年)頃より「百花園」と呼ばれるようになった。江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、著名な利用者には「梅は百花にさきがけて咲く」といって「百花園」の命名者であった絵師酒井抱一や門の額を書いた狂歌師大田南畝らがいた。当初梅園として営まれたが、その後、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培した。園内には多数の野草が植えられ、とくに秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。また、池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名であった。
その後も民営の公園としての長い歴史を経たが、明治以降、周辺地域の近代化や度重なる洪水などの被害を受け、明治末年頃よりその影響で草木に枯死するものがあり、一時は園地も荒廃したが、のちに東京市に譲渡されて1939年(昭和14年)には公営の公園として出発した。
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により全焼し、それまで遺っていた往時の建物も焼失してしまい、石碑以外、樹木も含めてほとんど跡形もなくなった。戦後、跡地を少年向けの野球場にしようという声も出るなか、「百花園」として復興されることとなり、1949年(昭和24年)に再開された。
幾度か変転を経ながらも、園内の景観は今なお旧時の趣きを保っており、文人庭の遺構としても貴重なものである。江戸時代の花園として僅かに今日に遺るものであり、その景観、遺跡ともに重要であるとして、1978年(昭和53年)10月13日、国の史跡および名勝に指定され、保護措置がとられることとなった。
(以上「Wikipedia」参照)
「墨沱梅荘記」碑(亀田鵬斎)。
千樹庵益賀「鳥の名の都となりぬ梅やしき」。
山上憶良「秋の七草」の歌碑。「秋の野に 咲きたる花を 指折りかき數うれば 七種の花 芽の花 乎花葛花 瞿麦の花 姫郎志 また藤袴 朝顔の花」。
「春の七草」。
「せりなずな ごぎょうはこべら仏の座 すずなすずしろ これぞ七草」。
「ごぎょう」はハハコグサ、「はこべら」はハコベ、「仏の座」はタビラコ、「すずな」はカブ、そして「すずしろ」はダイコンをさすのよね。
1月7日「人日」に「七草がゆ」を、って習慣はいいわよね。
茶筅塚と柘植黙翁句碑「おりたらん 草の錦や 花やしき」
井上和紫「紫のゆかりやすみ連(れ)江戸生れ」。
金令舎道彦「今日の月さても惜しまぬ光かな」。
雪中庵梅年「黄昏や又ひとり行く雪の人」。
賀屋月彦「うつくしきものは月日ぞ年の花」。
あんまり歩けないけど、最近は。足の具合がわるくて、指の付け根のところが。腰も痛くてはしはししないし、やになっちゃうわよね。年取るっていうのは。
気になったんでこの前、脳の検査に行った来たわよ、MRIとかいろいろ調べてもらった。これまで元気だった分、この際、検査してもいいかなって。
そりゃあ、結果が出るまで心配だったわよ、脳梗塞とか腫瘍とか。
おかげさまで異常なしだった、ってあなたの世話になったわけじゃないけどさ。
この前、高校の同級生と久々に会ったのよ、男3人、女4人で。男も女も何人かガン患者。でも、見た目には元気だったわ。肝臓に肺に・・・。ガン年齢ということを実感したわよ。
「空蝉の世のうきことはきこえこぬいわおの中も秋風のふく 鶴久子」
最中堂秋耳「限りなきそらの要や望の月」。
北元居士「水や空あかり持ちあう夜の秋」。
其角堂氷機「朧夜やたれを安るし乃(あるじの)墨沱川(すみだがわ)」。
二代河竹新七追善狂言塚の碑。
解説文。
哥沢芝金顕彰碑
ほととぎす今一声のきかまほし
月はさゆれど姿を見せず
エエぢれったい何としよう
しんきくさいじゃないかいな
•二神石の碑
月岡芳年翁之碑。