渡良瀬川渓流沿いを進む。
この先、草木ダムに差し掛かります。鉄道は長いトンネルに入ります。
けっこう長く感じる。
草木ダム(くさきダム)
群馬県みどり市東町座間、一級河川・利根川水系渡良瀬川の本川上流部に建設されたダムである。旧名は神戸ダム(ごうどダム)。
独立行政法人水資源機構が管理する多目的ダムで、東京都を始めとする首都圏への利水と渡良瀬川・利根川の治水を目的とした利根川上流ダム群の一つである。高さ140.0 mの重力式コンクリートダムであり、利根川水系では川治ダム(鬼怒川)と並んで奈良俣ダム(楢俣川)の158.0 mに次いで高い。ダムによって形成された人造湖は草木湖(くさきこ)と命名され、ダム湖百選に選ばれている。
沿革
渡良瀬川流域は古くから穀倉地帯として、鎌倉時代以後は右岸を新田氏、左岸を足利氏が領有して後に雄飛。江戸時代には館林藩を始め多くの藩がこの地を領有して新田開発を盛んに行った。また、明治時代以降は桐生市を中心に絹織物業が発達する一方で源流部での足尾では古河市兵衛により足尾銅山が大拡張され、流域人口は年々増加していった。
だが渡良瀬川は古くから氾濫を繰り返して流域に多大な被害を与えた。さらに足尾銅山から流出する鉱毒は沿岸農地へ深刻なダメージを与え、洪水による伝播もあって農地への鉱毒被害は更に拡大(足尾鉱毒事件)。渡良瀬川以外の水源に乏しいこともあって水争いも広がった。明治政府はこれを解決すべく田中正造などの反対を意に介さず1905年(明治38年)に当時の谷中村を強制廃村させて渡良瀬遊水地を建設。これにより洪水調節と鉱毒防止を図ろうとした。だがそれ以降も洪水は流域を襲い、特に1947年(昭和22年)のカスリーン台風においては桐生市を中心に甚大な被害が発生した。こうしたことから利根川水系の根本的治水計画が再検討されることとなった。
多目的ダムの建設
多目的ダムによる洪水調節を利根川水系でも図ることとした。これに基づき利根川水系に九箇所のダムが計画され、藤原ダム(利根川)・相俣ダム(赤谷川)・薗原ダム(片品川)などが完成した。さらに1951年(昭和26年)には国土総合開発法の制定に伴い利根川流域は首都圏の発展に資するという目的で「利根特定地域総合開発計画」地域に指定され、かんがいや上水道、工業用水道確保を図るための更なる河川整備が計画された。この際に矢木沢ダム(利根川)・下久保ダム(神流川)などと共に計画されたのが神戸ダムで、1958年(昭和33年)より予備調査に入った。
この間人口が爆発的に増大した首都圏の逼迫した水需要解消が急務となり、神戸ダムは支流思川の左支川・南摩川の南摩ダムなどと共に第二次フルプランの中心事業として位置付けられ、事業は公団へと移管された。
反対運動
1967年(昭和42年)より工事に着手したが、ダム建設によって東村神戸・沢入(そうり)地区などの住民230戸が水没対象となった。この地域は比較的開けた山村で足尾と桐生の中間点に位置し、交通の便も悪くなく居住者が多かった。このため住民の反対運動は激しく、漁業権補償と並んで容易に解決できない問題となった。このため一般補償交渉は難航し、当初1970年(昭和45年)完成を目標としていたが、同年7月9日に利根川水系におけるフルプランの全面変更を行い、1975年(昭和50年)度完成へと遅らせることとした。
難航していた補償交渉は1973年(昭和48年)には妥結し、本体工事に着手。同時に路線が水没する国鉄足尾線(現・わたらせ渓谷鐵道)の付け替え工事(草木トンネル建設など)を実施した。結局当初の計画より7年遅れること1977年(昭和52年)3月に完成し、運用を開始した。
なお、完成前に神戸ダムは草木ダムと名称が改められたが、これは地元住民の要望によるものである。こうしたケースは全国各地のダムでも見られる。
目的
洪水調節、不特定利水、かんがい、上水道・工業用水道供給、水力発電の六つであり、多目的ダムの中では用途が広い。なお、計画当時は足尾銅山が採掘を行っていたこともあって、足尾銅山鉱毒防止も目的としていたといわれている。だが補償交渉の最中足尾銅山が閉山(1973年〈昭和48年〉)、以降鉱毒流出が極端に減少したこともあって鉱毒防止目的は除外されている。完成以後草木湖では厳重な水質調査が毎年行われているが、環境に影響を及ぼす数値は検出されていない。
草木ダムは完成以降、渡良瀬貯水池(谷中湖)と共に首都圏への重要な水がめとして機能している。
草木湖
ダム湖である草木湖は総貯水容量が約6千万トンと利根川水系でも屈指の規模を誇る人造湖である。湖上流部にはキャンプ場等が整備され、夏には草木湖上で花火大会も行われる。ダム右岸には国道122号が通過しており、右岸展望台駐車場はツーリングを楽しむライダーが休憩のために利用する光景がよく見られる。冬季には晴天時に冠雪した日光連山の風景を湖越しに見ることも出来る。ダム直下流にも足を運ぶことができる。
(この項、「Wikipedia」より)
※湖畔には、「富弘美術館」があります。
着工前のようす。
完成後のようす。
※写真は、「」HPより。
草木トンネル
わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線にある、群馬県みどり市東町草木を通過する全長5,242 mの鉄道トンネルである。
1973年(昭和48年)6月27日 - 草木ダム建設に伴い、神土(現・神戸) - 沢入間を現在の新線およびトンネルに付け替え。
草木ダム建設によって線路の一部が水没するため新線に付け替えることになり、ダム湖を迂回する形で本トンネルが建設された。神戸駅と沢入駅の間(駅間7.0 km)にあり、列車は約10分かけて通過する。トロッコ列車を運行する第三セクター鉄道の中では一番長いトンネルである。本トンネルの神戸口と沢入口との高低差は約140 mあり、草木ダムの堤体高さとほぼ同じである。
廃止された旧線は一部が遊歩道になっているが、ほとんどがダム建設により草木湖の中に沈んだ。草木湖に架けられている草木橋辺りに旧草木駅があった。
(この項、「Wikipedia」より)
ダム建設の前後。左岸沿いだった線路はダムの底に。(「今昔マップ」より)
やっとトンネルを抜け、視界が広がる。
渡良瀬川。
「群馬県沢入発電所」が左手に。鉄橋を渡り、左岸沿いに進む。
沢入(そうり)地区に入ります。
黒坂石川。
「沢入(そうり)」。
長い草木トンネル(5,242m)を抜けて渡良瀬川を鉄橋で渡ると、まもなく沢入駅に停車します。駅舎内に簡易郵便局がある珍しい駅です。 沢入駅はあじさいの名所としても知られ、毎年7月頃には約2,200株のあじさいが駅構内を彩ります。また、秋はもみじの名所でもあり、駅構内をもみじが真っ赤に染めます。 待合所及びプラットホームが登録有形文化財として登録されており、ドラマやCMの撮影などにも利用されることの多い駅です。 黒坂石バンガロー・テント村は、黒坂石川の清流に囲まれた大自然の中のキャンプ村で、夏になると多くの若者や家族連れが川辺の水遊び、釣り、ハイキングを楽しんでいます。ハイキングでは、弘法大師が開眼したといわれている世にも不思議な「寝釈迦」「相輪塔」への下車駅です。
なかなか趣のある駅舎。