「ハナミズキ」が数本満開に。
桜並木は、すっかり葉桜になっていますが。
通りに面して大きな施設があります。
「フォレストサンズ長瀞」。
豊かな自然に囲まれた観光名所長瀞に、アメリカ直輸入のトレーラーハウスと原生林の中にたたずむコテージを宿泊施設にしたキャンプ場の登場です。
設備充実のトレーラーハウスと、雨の日でも安心して楽しめる全天候型のルーフデッキ装備で生活環境はバッチリ。
コテージ利用のお客様には大人数でも対応可能の屋根付きバーベキュー場も完備しています。簡単に楽しめるアメリカンなキャンプスタイルを皆様に提供します。
アウトドアを思う存分に堪能し、本格的なアメリカンカルチャーを体験してみませんか!
テントサイトもOPEN!! 自然の地形をそのままでキャンプを楽しめます!
※関越道 花園ICを下りて、国号140号を秩父・長瀞方面に25分。中野上信号を左折して3分です。
隣には「UNCHAINZ skate boarding」。
UNCHAINZ(アンチェインズ)は、埼玉県のフォレストサンズ長瀞内にある関東圏最大級の屋内スケートパーク。
(この項、「フォレストサンズ長瀞」HPより)
その奥に見える荒川の流れ。
こちらも洒落たホテル。「 アクアstマリア」。
1日1組の完全貸切のアットホームウエディング
秩父・長瀞の自然に囲まれた癒しの空間、白亜のゲストハウス、館内に配された調度品や絵画、照明のやわらかい光が皆様をあたたかく包み込む。
一生の記念日になる日。だからこそ自分達らしくキレイな花嫁になってゲストの方にも最高!と言われる結婚式にしたい。1組だからという安心感。私たちだけという優越感。伝えたい感謝の気持ち。感動の結婚式
おふたりだけの挙式から、どんな結婚式にしたらいいのかわからない方、又ご予算の事など、どんな事でもお気軽にご相談下さい。
専門スタッフが、おふたりらしいオリジナルウェディングをご提案致します。
(「アクアstマリア」HPより)
その先、左手に「金石水管橋」。
橋が開通する以前は「金石の渡し」と呼ばれる秩父郡本野上村下野と同井戸村中郷金石を結ぶ村道に属し、船1艘を有する私設の渡船場(作場渡)であった。 渡船場の場所は現在の金石水管橋のやや上流側にあり、約200年前である1790年(寛政2年)頃より渡船場の運営が行われ、荒川水系に数多く存在した渡船場の中で最後まで残っていた渡船場であった。 使用された船は付近の荒川の流速が速いため、両岸に渡船係留鉄線と繰り綱(何れも針金製)を張り、その鉄線に滑車を取り付けて綱で船に結び、繰り綱を船頭が手で繰ることで対岸とを行き来する繰り船である。定員は20名ほどで人の他、自転車や牛馬の乗船も出来た。渡船場を通過する荒川遊船(現在の荒川ライン下り)に支障しない様にするために鉄線は高めに張られた。 上流より荒川遊船の船が渡船場に差し掛かる場合は、遊船の方を優先するため渡船の運行は抑止され、遊船の船が通過するのを待った。荒川遊船にとって渡船場の鉄線や繰り綱は障害物で、船頭は竿を操って繰り綱を押し上げながら通過したが、船に引っ掛けて切ってしまうこともあった。大雨やダムの放流などによる荒川の増水で渡船の運行が危険な時は、井戸地区により舟揚げを行い、船頭小屋も同時に安全な場所に移動され、鉄線は鯱台(巻き上げ機)で巻き上げた。この作業は夜間の危険の多い中であっても行なわれた。渡船が運休で利用できない時はおらく橋(高砂橋)が出来るまでは皆野の親鼻橋まで迂回しなければならなかった。渡船の利用は付近の製糸工場や織物工場への交通手段や燃料の薪やボヤ(細い枝)、織物の材料の繭などの物資の運搬で賑わっていたが、晩年は主に付近の小学校へ通う児童の通学路として機能していた。
1926年(大正15年)までは専属の船頭が渡船の運営を務めていたが、それ以降の船頭番は村人の輪番制で井戸地区の上郷・中郷、および風布の住民が渡船を朝6時から午後6時までの時間帯で運営する様になった。渡船料は住民は無料であったが、年一回船穀と称して白鳥・野上地域の住民より麦米などの穀物を徴収した他、樋口・上長瀞の地域より思召と称した小額の寄付金を集めていた。住民以外の利用は1人2銭、自転車は5銭を徴収した。また、船頭小屋は井戸側に所在し、船頭専用の耕地(船頭畑)もそこに併設され、そこで耕作もしていた。船頭小屋は1926年(大正15年)頃まで駄菓子などの売店でもあった。
冬場の減水期である11月下旬から3月上旬までは渡船の運行が困難なため、丸太や藤蔓を用いた木組みの長さ15間(約27.3メートル)幅4尺(約1.2メートル)の砂利や砂を橋面に盛った土橋の仮橋を地域の輪番で架設していた。・・・ 大正時代までは現在の水管橋の位置に牛や馬も通れる本格的な土橋を3日かけて架けていたが、昭和時代は渡船場の位置へ変更されて土橋は止め、半日もあれば仕上がる橋面に板を渡した板橋に簡素化された。
1951年(昭和26年)頃、渡船が野上町道51号に編入され、町営化されたことにより渡船の運営は野上町(現、長瀞町)の町費により賄われたため渡船料は無料化された。使用する船は交通需要に応じて定員10名になり、乗船は人および自転車に限定された。渡船の要員は引き続き井戸・風布地区の住民に委任された。昭和40年代以降は午前7時から午後5時までの運行となり、仮橋の架設は住民から特定の作業者を予め決めて委託した。 1975年(昭和50年)に上流の砂利採取に起因する河床低下に伴い、川底が岩盤化したことにより橋杭を打ち込むことが出来なくなったことから、冬季の仮橋は廃止され、渡船の運行が学期末まで延長されるようになり、それ以降は翌年3月末の渡船始めまで、渡船の運行が不能な場合と同様に下流の高砂橋へ迂回した。
荒川において最後の渡船場であった金石の渡しは、1981年(昭和56年)に下流側に金石水管橋が開通したことにより惜しまれつつ廃止され、荒川舟運の長い歴史に終止符が打たれた。渡船場小屋の基礎や鉄線を巻き上げる鯱台が残されている他、両岸にある渡船場への道も現存している。また、水神宮が両岸にそれぞれ1基、1990年(平成2年)3月井戸上郷地区により設立された金石の渡しの記念碑が右岸側に所在する。
「金石の渡し」跡。(「Wikipedia」より)
そこからの眺め。下流方向。
上流方向。
右手に渡船場跡。
大きなお屋敷。
「しあわせの森」。サービス付き高齢者向け住宅。
遠方に見えるのは、「宝登山」?
「長瀞八景」。
桜と梅と宝登の山
「宝の山に登る」という縁起のよい名のつく長瀞のシンボルともいうべき宝登山は、長瀞観光の一大拠点です。山頂に、宝登山神社奥宮、宝登山動物園、日本一種類の多い梅園の宝登山百花園、山頂と山麓ロープウエイ 。山麓に、宝登山神社、緑の村、七草山不動寺、通り抜けの桜があります。また、長瀞は、秩父音頭に唄われるほどの桜の名所として知られ、特に桜がつくるトンネルは最高です。平成2年4月には、「日本さくら名所百選」に「定されました。
「長瀞岩畳」などは次回の楽しみにして、秩父鉄道「長瀞」駅に向かいます。
長瀞駅前。
しかし、訪問後、緊急事態宣言が発出、さらに5月31日まで延長になりました。次回の訪問はいつになることやら・・・。間もなく梅雨入りになりそうで、なんだか先になりそうです。
「荒川を遡る」もここでいったん休み。再開できる日を楽しみに。
しかし、