旧岩淵水門を渡ると、荒川と隅田川に囲まれた小島、「水門公園・中之島」が。
モニュメント「月を射る」。
1996年(平成8)「第2回荒川リバーアートコンテスト」での特賞受賞作品。
大きな「草刈りの碑」。「農民魂は 先づ草刈から」。若者が見入る。
下部に「由来記」が刻まれています。
由来記
草刈は日本農民の昔ながらの美風で農民魂の訓練であり発露である。
金肥の流行につれて草刈が衰へ始めたので、有畜農業の普及は却って益々草刈の必要を認めたから、草刈奨励の為め有志相図り幾多の曲折を経て、漸く男女青年団農学校壮年団と四組に分ち、全国に亘って町村大会郡大会都道府県大会と選手を選抜し、最後に全日本草刈選手権大会を昭和十三年八月より此の地に前後六箇年開いた。
鎌を競う選手四万余名、熱戦各二時間に亘り両岸に観衆溢れ旗指物なびいて一世の壮観であった。
大東亜戦のためやむなく中止したが、草刈魂を永達に伝ふるため農業国体其他篤志家の寄付を仰ぎ、茲に草刈の碑を建立した。
蓋し農は国の大本草刈、堆肥は土を作る農業の根本だからである。
昭和三十二年十月
全日本草刈選手権大会理事長 横尾堆肥居士撰
碑文は、「近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝 ‐日本の近代と慰霊の地を巡りしサイト」‐URL: https://senseki-kikou.net/
より借用しました。
昭和13年から昭和18年までの6ヶ年、荒川土手で草刈競技が行われていた。現在の全国高校野球選手権さながらの全国的行事で、草刈日本一の栄冠を争った。
(この項、「」HPより)
現在の水門「青水門」を望む。
荒川の対岸を望む(川口市)。
「旧水門(赤水門)」。
水面に「水位計」。
これは荒川水位の観測を始めた昭和2年からの洪水の水位の記録を示しています。
一番上は昭和22年(1947年)のカスリーン台風時で8.60m(A.P.※ )。次が昭和16年(1941年)の8.27m(A.P.) 。3番目が昭和33年(1958年)狩野川台風時の7.48m (A.P.)となっています。以下、④昭和3年8月1日、⑤令和元年10月13日(東日本台風)、⑥昭和13年9月21日、⑦平成11年8月15日。
※A.P.とはArakawa Peilの略で、荒川水系における水準を表す単位です。中央区新川にある「霊岸島水位観測所」でAP±0が定められ、現在全国の高さの基準であるTP(東京湾中等水位=海抜)はAP+1.1344と定められました。
これを見ると、令和元年(2019)、東日本を襲った「台風19号」は猛烈な台風であったわけです。
左の写真で、堤防の高さがカスリーン台風級以上の水害に備えたものであることが分かります。
そこから「赤水門」を望む。
ここまでが「荒川 川歩き」の終点。
JR「赤羽駅」まで戻ることにします。「荒川知水資料館(アモア)」は予約制のため参観できず。
前庭に「船堀閘門」の一部が展示されています。
「船堀閘門頭頂部」。
荒川には、放水路開削前から隅田川から小名木川・新川(船堀川)を通じて江戸川に至る舟運ルートがあり、江戸の発展、沿岸の産業や物資輸送に寄与してきました。そのルートが荒川放水路開削により、左右岸の堤防で遮られてしまうため、荒川と綾瀬川、中川、小名木川が接する部分には、従来からの舟運を確保し、洪水時に逆流を防止するため、右岸に小名木川閘門・小松川閘門を、左岸側に新川水門・船堀閘門を設置しました。荒川と中川を隔てる背割り堤上にある「船堀閘門」は、高水時に両川の水位が異なる場合、これを船で連絡するためにつくられたものです。
閘門(こうもん・ロックゲート)とは、水面の高さが違う2つの川のあいだを船が通行出来るようにするための施設。川と川のあいだに水門をつくって、水位を調節し、水面の高さを同じにして船を通します。
(図は、「荒川ロックゲート周辺の今昔 sc2.s27.xrea.com › hobby › arakawa_komatsu」より。)
小名木川・旧中川合流点付近と荒川を結んでいた「小松川閘門」は、すでに役目を終えて、元あった場所に埋もれたまま保存されています。(「大島小松川公園」・「風の広場」の丘の上)
「小松川閘門」。
頭頂部はどちらも同じような造り。
「新河岸川」。
「荒川知水資料館(アモア)」。
以上で「荒川」(四つ木橋~岩淵水門)歩きは終了。青空の下(風は少し冷たかったですが)の歩きでした。見所満載でのんびりと晩冬の風物を楽しみました。少年達の大きな声が響く、そんな川歩きです。
この歩きの難点は、当たり前ですが、途中に自販機はなし、トイレはグランド脇の簡易トイレ(だけとは限りませんが)。土手を下りればコンビニなどもありそうですが・・・。
歩く場合には「飲み物」「食料」などをしっかり用意しないと。一番よい手段は、なんと言っても自転車。サイクリングは、気分も快適。ただ、折りたたみ式じゃないと、家からの往復が大変!
次回は、「隅田川」を遡り、岩淵水門まで歩くとしますか。