おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

京王線「多摩境駅」~横浜線「町田駅」。その6。カワセミ。シラサギ。横浜線。小田急線。町田駅。(「都県境を探ってみる」。第13回目)

2023-02-28 20:39:40 | 都県境を探ってみる

横浜線の鉄橋をくぐります。

相模原市側の緑地。

「古淵鵜野森公園」。

町田市側には、家庭菜園が。

そして、保全林地区。

川をのぞき込んでいる方がいるので、側に近づくと、指差しして、「ほら、枝の所にカワセミが」。

↓。

    

獲物を見つけたのか、ものすごい早さで川面へ。すぐまた枝の所に。

市街地で見かけるとは、思いも寄りませんでした。

左手に「横浜線」。

JRの敷地境界標。

      シラサギ。

足もとには、小さな紫の花。

金柑? 

町田市役所。

        遊歩道にあった「市役所まであと何㎞」というプレートが歩きの励みになりました。

境川。

「神明橋」。対岸は、相模原市。

        「共和橋から5.5㎞」。この標示にも励まされました。

両岸には、住宅が建ち並ぶ。

振り返る。「幸延寺橋」。

遠くに小田急線の鉄橋が。

ここまで、都県境は、境川をはさみ、両側に入り組んでいます。

確認せずにここまで歩いてしまいました。

はん濫危険水位標示。

境川が氾濫することの危険性を知らせるためのもの。護岸・治水工事の重要性を感じます。

小田急小田原線。

           

「下森橋」。

ガード下を抜け、来た道を振り返る。

境川。

今回は、ここまで。町田駅は「八王子絹の道」歩きで来たことがあります。

小田急小田原線とJR横浜線の二つ、町田駅があり、人通りも多く、賑やかな街並み・商店街です。

JR横浜線で横浜経由で帰途につきました。

次回は、町田駅からどこまで進めるか。

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京王線「多摩境駅」~横浜線「町田駅」。その5。大がかりな治水工事。入り組む都県境。境橋・境川橋。横浜線鉄橋。(「都県境を探ってみる」。第13回目)

2023-02-26 20:06:28 | 都県境を探ってみる

「新中里橋」。

ここにも大きな遊水池。

境川流域での都市化が進み、流入する水量が増え、治水のための大がかりな遊水池工事、護岸工事。

この先、下流でも進められ、そのため、川沿いの遊歩道(「境川ゆっくりロード」)も迂回する箇所が数カ所あります。

             

一方で、流路跡が公園に。

振り返る。

                    ほぼ直線化された流路。

家庭菜園のところも。

「境橋」。

      対岸の左手は、相模原市だが、右手は町田市。境川の右岸奥に食い込んでいる。

1880年代のようす。○が町田市に属する。

2010年代のようす。森の手前が旧流路。

                             (「今昔マップ」より)

※明治時代、曲がっていた境川を直線の流路にしたことがあるようです。現在の流路は、それとは別のようですが。

右岸は、緑が多い。

大きく曲がる水路跡上の住宅地(対岸)。

     遊水池。

         左岸に多いのは、町田市側の急激な都市化による流水量の増加とみられる。

一方で、相模原市側は丘陵地帯が多く、自然のままの森などが目立ちます。

              

「境川橋」から、

                上流方向。右が町田市、左が相模原市。

右岸を望む。芝生の公園。

    

                  大きな工事現場に咲く梅。  

                                 

「水辺空間環境整備工事」。

歩いていると、足もとに、相模原市のマンホール。??

    市の木ケヤキをデザインしたもの。

左手の住宅。

      横浜線の鉄橋の手前が、相模原市になっています。

振り返る。

東京都との境界線。              

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京王線「多摩境駅」~横浜線「町田駅」。その4。ところどころに「遊水池」。両国橋。親水施設。本宿。町田の歴史。(「都県境を探ってみる」。第13回目)

2023-02-25 20:36:10 | 都県境を探ってみる

流路跡が大きな遊水池に。

 平常時の流れは少ないですが、大雨が降ると、忽ち氾濫する危険がある川のようです。

「両国橋」。旧プレート?

          境川に架かる橋としては、もう一ヶ所、「国道16号線」に「両国橋」があります。

護岸工事がまだ続く両岸。

一ヶ所にまとめられ、整備された道祖神等。

            

橋の向こうは、相模原市。 

左右に大きな森が。

         左岸は、「境川山根特別緑地保全地区」。  

「境川ゆっくりロード」。

「根岸橋」。  

ところどころ、旧流路跡が小公園風に。

 

親水施設(相模原市)。

                      川面に下りられる。

大きな鯉の姿が。 

左岸側には細長く大きな遊水池。  

 

「上宿ほほえみ公園」。 

いよいよ町田市の中心街へ近づいてきたようです。ここで、「町田市の歴史」

江戸末期以降、町田が発展した大きな理由は、『絹の道』にある。八王子は江戸時代から繭や生糸の産地であり、さらに甲州や上州など大生産地からの集積地としても発展、『桑都』とも呼ばれた。一方、「横浜港」は開国以降、貿易港として発展、明治以降には国策でもあった生糸輸出のための積み出し港となる。この八王子と「横浜港」をつないだのが『絹の道』で、そのほぼ中間に位置する原町田は中継地として発展した。

『絹の道』は横浜を通じて、キリスト教や自由民権思想など、外国の思想・文化も運んだ。特に自由民権思想は『絹の道』沿道の豪農など、村の有力者を中心に広まる。町田では石坂昌孝、青木正太郎といった有力な指導者を輩出、また大規模な集会が開かれるなど、「自由民権運動」の中心地となった。

その後、現・町田市域を含む多摩郡が属していた神奈川県の県議会では、多摩郡出身の「自由党」議員が勢力を拡大、県知事と対立するなど県政の混乱が見られるようになる。県知事は多摩郡の東京府への移管を政府に要請、東京府としても水源地である多摩郡を管理下に置きたいという思惑もあり、境域変更法案は「帝国議会」でわずかな審議ののち可決、多摩郡は1893(明治26)年4月、神奈川県から東京府に移管された。

『絹の道』がなかったら、また「自由民権運動」が拡大することがなければ、現在も「神奈川県町田市」であったかもしれない。

(この項、「三井住友トラスト不動産」HPより)

以前、「八王子絹の道」を歩いた時の記録。

駅前広場に「絹乃道」石碑(昭和58年建立)。

「此の方よこはま」「此の方はちおゝじ」」とあり、裏面に「原町田誕生四百年記念」とあります。

  

絹の道
 黒船到来により永い鎖国が開かれ 安政6年(1859)に横浜が開港されると日本から欧米諸国への輸出品の花形になった”生糸”は主産地である長野・山梨や八王子から町田を通って横浜へ運搬されました。
 新編武蔵風土記稿に”神奈川道”と記された原町田中央通りは東西文化の交流を果した中国の長安から地中海に至る古代シルク・ロードのように日本のシルク・ロードになりました。
 そして原町田は商業地形成の原点となった「二・六の市」を主軸として生糸をはじめ諸物資の集散地となり繁栄の基礎が築かれ今日に至りました。
 この碑は歴史と伝統を受け継ぐ原町田商人の証として原町田誕生四百年を記念し一番街商店会が建立しました。

                                            昭和58年12月吉日

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京王線「多摩境駅」~横浜線「町田駅」。その3。護岸工事が進展中。常矢橋。梅の花が満開。カルガモ。淵野辺本町。(「都県境を探ってみる」。第13回目)

2023-02-24 19:58:45 | 都県境を探ってみる

左岸の工事は、次の橋まで。

                   この工事が終わると、右岸側になるようです。

                   

右岸側の工事。 

梅が咲き始めたようです。

               相模原市内。

ときやばし。

         この橋を渡って、再び左岸へ。ところで、「ときや」はどういう漢字を書くのか?

                   

境川左岸の町田市盤町・相模原市中央区上矢部2丁目と右岸の相模原市中央区上部2丁目・5丁目とを結び、橋名は両岸地区名から一文字ずつを冠とした命名のようです。

※「矢部」という地名は、境川をはさんで両側にあります。

まだ行程の半分ほど。

左岸の梅は、ほぼ満開に。

 

       

崩れ落ちている堰堤。

のどかな田園風景。

振り返ると、山も遠くに。

カルガモが何羽も。

        

対岸の小さな森。

            

           この付近の都県境は、境川の旧流路に沿って、複雑に入り組んでいます。

左岸にある「相模原市淵野辺本町」のおうち。

        

右岸の相模原市。

シラサギが餌を探す。

               川面には、以前のように。大きな岩や草原も、そのまま。

整備済みの護岸壁。

道祖神。

工事のため、「共和橋」から「宮前橋」まで、再び右岸(相模原市側)に迂回します。

                

 

町田市側の護岸工事。

「(相模原市)中央区淵野辺本町1丁目」。

「宮前橋」で左岸へ。

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京王線「多摩境駅」~横浜線「町田駅」。その2。境川ゆっくりロード。梅の木にメジロ。水道橋。入り組む都県境。(「都県境を探ってみる」。第13回目)

2023-02-23 20:55:55 | 都県境を探ってみる

「小山(おやま)橋」。

                        下流を望む。

「境川ゆっくりロード」。

左岸沿い(町田市側)を歩きます。

野菜即売所。

「町田市立小山小学校」裏。

「大和市南部学校給食・・・」と書かれた倉庫。大和市は、相模原市の南東部にある市。もらい受けたものか?

「上中村橋」。

右が相模原市、左が町田市。

桃の木にメジロが2羽()。

        

                   

                   数年前に「向島百花園」で見て以来、久々に見ました。しばらく観察。

         メジロ。(写真は「Wikipedia」より借用)

かつての流路跡? 。公園風なところも。

上流を望む。「中村橋」。

右手は高台になっています。

                  かつての河岸段丘?  渓谷のように深く掘り下げられていたようです。 

流れは比較的澄んでいます。

「町田市水道局」。

鉄管が渡されています。途中まで階段が。実は、右岸の一部が町田市になっています。そのためのもの? 

この先、都県境は境川の中央ではなく、右岸沿いになっています。

「高橋」。

          ここで、今度は、都県境が左岸沿いになります。この付近、都県境は、微妙に入り組んでいます。

この先、護岸工事が進められているので、左岸から右岸(相模原市側)の遊歩道を歩くことに。

          

                かなりの大工事です。

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今日は、猫の日(らしい)。我が家。タロウ、モモから始まって、30年。今は二代目、アンズとソウタ。(DAYS with CATS)。

2023-02-22 20:16:55 | わがやの猫たち

 2月22日は猫の日。「222」が猫の鳴き声「ニャンニャンニャン」と読めることから。

去年だったら、2022/2/22。しつこいくらい、ニャンニャンニャンニャンニャンニャンと、啼きまくり。

こういう日付の語呂合わせ。11月22日「いい夫婦の日」なんかは、何だか面はゆい。

ところで我が家にも猫が2匹。「ニャン」「ニャン」というわけです。

我が物顔で、家の中を走り回り、大騒ぎしている。

食卓には、平気で上って来て・・・、猫嫌いの人がいたら、卒倒しそうな食事風景がいつも展開する。

ソウタは、ご飯は、まだか、まだかとやってくる。アンズはそれから遅れてせがむ、という日常。

二人とも、布団の上やパソコンの上が大好き。

人が家に来ると、いつも顔を出す。外に飛び出しては大変なので、柵を設けてある。

この微妙な関係が。

                  

上と下に。   

じっと見つめて、 アンズ。

すばしっこい。 

いつもやんちゃなソウタ・1才、5.2㎏。箪笥の上に。

出かける準備をしていると、箪笥の上からジイーっと。

              ジジが大好き。      

 

宅配便が届くと、空箱にスッポリ。「取扱注意」!

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京王線「多摩境駅」~横浜線「町田駅」。その1。シラサギ。大正橋・昭和橋・平成橋。梅林。(「都県境を探ってみる」。第13回目)

2023-02-21 20:17:26 | 都県境を探ってみる

今回は、京王線「多摩境駅」から横浜線「町田駅」(小田急線も通っています)まで。2月18日(土)快晴。

前回までのところへ。

「多摩境駅」改札口から「境川」に向かうのに、けっこうな階段と坂道。駅に向かう人は、上り坂に階段。振り返ると、見上げるほど高い。

さらに車が、何台もカーブの坂道を勢いよく下りてきます。

境川方面から来る人には大変そうで、すれ違ったご年配の方、杖を突いてけっこう辛そうでした。

エスカレータとかエレベータとかは設置されていないのででしょうか? 

・・・

さて、境川沿いの遊歩道を歩きます(左岸)。しばらく「境川・都県境」が続きます。

         自転車や歩行者が行ったり来たり。

川面にはシラサギ。

      歩いている途中、けっこう水鳥を見かけました。

境川には多くの橋が架かっています。

「大正橋」。

この付近は、桜並木に。

                                  振り返る。

氾濫水位板。境川では、大がかりな治水工事が進んでいます。

この橋は、「昭和橋」。

農地が広がる。

「平成橋」。時代順に。

対岸(相模原市内)に梅林。

左手に「町田街道」。

境川。

             右岸は、「神奈川県相模原市」。

橋を渡って、梅を見に。

足もとには相模原市のマンホール。

                  市の木ケヤキをデザイン。下部に「さがみはら おすい」の文字。

満開の梅。

       

たくさんの梅の木。

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向島百花園。春の陽気に誘われて。その2。芭蕉句碑。隅田川にも春の気配が。

2023-02-20 19:46:47 | 向島百花園

芭蕉の句碑。

     「こ(ん)にやくの さしみも些(すこ)し うめの花 はせを」。
 《仏前にコンニャクの刺身が少し供えられている。梅の花が咲いて春はもう近い。芭蕉》

春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅」。


スカイツリー。園内も春らしく。

                

水緩む季節に。

            

足もとには鉢植えの梅の古木。

カリン。

隅田川にも行ってみました。

                

 

ユキヤナギ。小さな花と綿毛。

紅千鳥。

        

  

滝廉太郎「花」碑。

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かい)のしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき

見ずやあけぼの 露(つゆ)浴びて
われにもの言ふ 桜木(さくらぎ)を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を

錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき

隅田川。

                 珍しく船の姿がありません。それにユリカモメの姿も。

それでも、土手脇に菜の花が満開。

墨田区側の隅田公園内の池が大規模改修中。それで水鳥たちも姿を消したのでしょうか?

工事用のコードが架けられて。

    

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向島百花園。春の陽気に誘われて。紅千鳥。鴛鴦。白加賀。・・・

2023-02-18 21:01:48 | 向島百花園

3年ぶりの「梅まつり」。少し時期が早かったせいか、「しろかが」などは、今ひとつ咲きが遅い感じでした。

         瓢箪は自家製?    

     

             白加賀(しろかが)。

鴛鴦(えんおう)。

               それでも訪問客が次々と。

          紅千鳥。

           何年か前、この梅の木にたくさんのメジロが来ていました。

                 

       花香美。

足もとには、フキノトウ。

                

        

福寿草。

             

ふよう。

          とうばい。

      かごしまこう。

            

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アンズ。まん丸な目で。すばしこく、動き回る。(DAYS with CATS)。

2023-02-14 20:31:48 | わがやの猫たち

じっと見つめて、 

             暗い外を眺めて何を思う。

   こういうポーズが多い。

 

ソウタと同じで、ヒモが大好き。

 

 

ソウタは、コタツの外。

アンズは、というわけ。

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神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王相模原線「多摩境駅」。その6。青木家住宅。両国橋。東京環状(国道16号線)。多摩境駅。(「都県境を探ってみる」。第12回目)

2023-02-12 18:54:14 | 都県境を探ってみる

左手奥に大きなお屋敷が。寄ってみます。

   「青木家住宅」。

「建立年代は、当家にある文久2年の祈祷札と同時代と推定される。・・・名主造りと呼ばれる住宅である。」「幕末期に建立された書院座敷を有する地方豪農の上層大型民家で、建物と屋敷構及び庭園は、水戸の弘道館と下屋敷を摸して造られたと伝えられている。」

※文久2年=1862年。

       東側から。

江戸時代初期に至るまでの青木家(屋号「本家」)の沿革は不詳の所が多いが、江戸時代後半から大きく屋を伸ばし幕末から明治期にかけての歴代当主は豪農として地域社会の教育振興、勧農などに貢献している。特に青木正太郎(一八五四〜一九三二年)は自由民権家として活躍した。
当家は多摩丘陵最南部の一隅に位置し、屋敷地の前を町田街道旧道が走っている。裏の丘陵に接した平地の中央やや西寄りに南面した主屋(文久二年1862年)を構え、南には表門、東には裏門が建てられている。
主屋西南に上蔵一棟が建っている。生活関係の付属屋は屋敷の東南に建てられ、裏門の西南に木小屋兼堆肥小屋、北にクミアイ、オチャバ、ミソベヤの三棟が建ち、裏山は自然の傾斜を利用した庭園となっている。
青木家の屋敷は旧態を良く留めており、この地方の幕末から明治期における豪農の生活様式を知る上で非常に貴重なものである。
指定面積は7003平方メートル
  平成12年3月設置  東京都教育委員会

現在は、開業医をされています。門前を通る道は「町田街道」の旧道。

「国道16号線(東京環状)」が通る「両国橋」からの境川。

  対岸は、神奈川県相模原市。

こちら側は、東京都町田市。

途中、街道沿いのお蕎麦屋さんでお昼を食べ、ラストスパート。「多摩境駅」へ折れる右手に「境川」。

右が町田市、左が相模原市。

              

沿道に大きな屋敷。

ここを左折し、駅に向かいます。途中、「八王子絹の道(八王子~横浜)」で歩いた道に出くわします。

向こうから来て、

町田街道へ抜ける。

京王線「多摩境駅」。

改札口までけっこうな坂道と階段が続きます。

今回は、ここまで。次回は、小田急線「町田駅」までの予定です。

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神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王相模原線「多摩境駅」。その5。長寿橋・横浜線橋梁。蛇行する流れ。(「都県境を探ってみる」。第12回目)

2023-02-11 18:55:15 | 都県境を探ってみる

境川に近づくと、かなり湾曲した流れが続いています。

屋敷の周りを流れる。

けっこう深い流れに。

「長寿橋(人道橋)」。

                      対岸の住宅地に渡る橋のようです。

すぐ上流にある橋。

下流方向。 

                人工的に深く掘り下げたものなのか?

「町田街道」から対岸を望む。

                  右岸側は低くなっています。

小高い丘に「長福寺」。

低温米倉庫が右手に。

       この付近では、曲がりくねりながら、左岸側にある「町田街道」とつかず離れず。

「パンの木」。

こちらは、「木のカフェ」。

「新境橋」より下流を望む。

            

           すぐ側を流れていますが、町田街道が境川を渡ることはありません。

境川は、この先しばらく街道と離れて行きます。 

対岸(相模原市)方向。 

左岸(町田市)側の茂み。

この先で、再び街道に近づき、横浜線の鉄橋となります。

        

                             左が「橋本駅」方向。

右が「相原駅」方向。

大谷石造りの倉庫。

左に折れて「相原駅」で電車に乗ろうとも思いましたが、もう少し歩いて京王線の「多摩境駅」から帰ることのします。

ここから「町田街道」をけっこう歩くことになります。多摩境駅付近まで、境川をはさんで都県境が入り組む地域ですが、そこは、パス。

     

上の黄色い道路が「町田街道」、南北に走る道路が「国道16号線・バイパス」。右奥に京王線「多摩境駅」。

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アンズとソウタ、この微妙な関係。ソウタは、加湿器に、小さな空き箱に、そしてゴミ箱に。(DAYS with CATS)。

2023-02-10 21:05:10 | わがやの猫たち

この微妙な関係が。

                  

この二人。昨日。夜中の3時過ぎから追いかけっこ。1階から2階、さらに3階と階段を上がったり、下がったり、大騒ぎ。人が寝ていようとお構いなし。ドスンと乗っては行ったり来たりの二人。

朝起きて見ると、テーブルの上のものはカレンダーからリモコン・・・、皆、下に落ちています。

朝起きて、明け方はすごかった、と、家族中が寝不足気味ということに。

今日は、関東地方には大雪警報。住まい周辺は、みぞれ程度で済みましたが。

猫たちは、気圧の変化に敏感なようです。特に雨降りが予想されると、けっこう暴れ回ります。

 

                    蒸気に吸い寄せられて、・・・。

今度は、小さな箱に入りこむ。

孫の遊び道具が入っている小さな箱。孫が帰った後、そのままにして置いたら、さっそく。

でかい図体を押し込んで。

「猫は液体である」ことを証明するような。

         

飽きると、ゴミ箱に近づき、

       

さすがに中には入れず。

 縁に乗ったり、

下りたり、・・・。

パソコンの足もとで、毛繕いを。

         そして

外の雨音はまだ激しいようです。

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神中バス「大地沢青少年センター入口」~京王相模原線「多摩境駅」。その4。川島橋・新田(しんた)橋・二国橋。相原。(「都県境を探ってみる」。第12回目)

2023-02-09 18:51:21 | 都県境を探ってみる

護岸工事は完成していますが、曲がりくねった流れはそのまま。

来た道を振り返る。

「川島橋」。橋も改修されています。

この付近は、直線化され、かつての流れの跡は、遊水池になっています。

     左手が境川。

直線化された流れ。

左岸側は、相模原市。

             河川敷地の使用の注意書き(神奈川県津久井土木事務所)。

高い護岸に囲まれた境川沿いの遊歩道へ。

 

               両岸には、住宅が建ち並ぶ。遊歩道も両岸に。

「新田(しんた)橋」。

ここからは、蛇行した流れになっています。

小公園風。

     流れは、左(上流)から右(下流)へ大きくカーブしています。

「二国橋」から。

川沿いに歩くことができないので、「町田街道」に出ます。橋のたもとに「道案内の地蔵」。

「北 八王子道・東 橋本道・西 高尾道・南 津久井道」。

「相原十字路」交差点。

「町田街道」。

「相原」という地名が「境川」をはさんで、町田市側にも相模原市にもあります。

                                     (「今昔マップ」より)  

※古地図では「境川」が現在よりも直線的になっているが、簡略化されたもので、当時も曲がりくねっていた。

それにしても境川の流路の曲がりくねったようすは、驚きです。

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三寒四温。フキノトウ。木瓜(ぼけ)。福寿草。節分草。雪割草。・・・

2023-02-08 21:01:29 | 向島百花園

春の兆しをちょっと感じた昨日。

木瓜(ぼけ)。

         

『三寒四温』という言葉、耳にしたことがある方が多いのではないのでしょうか?
春先のイメージが強い気もしますが、実は元々冬の気候を示す言葉なのです。

もとは中国の冬の気候

三寒四温とは、冬の時期に寒い日が3日くらい続くと、そのあとに比較的暖かい日が4日続くという意味の言葉で、寒暖の周期を表しています。

もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表す言葉として用いられました。冬のシベリア高気圧から吹き出す寒気が7日ぐらいの周期で、強まったり弱まったりすることに由来する言葉とされています。

日本では春先の天候を示すことが多い

box1春先の天気のイメージ。
 
日本の冬は、”3日間寒い日が続いた後に4日間暖かい日が続く”という周期が現れることはほとんどありません。

その代わり、日本では早春になると低気圧と高気圧が交互にやってきて、低気圧が通過し寒気が流れ込んで寒くなった後、今度は高気圧に覆われて暖かくなり、周期的な気温の変化を繰り返すことが多くなります。

このため、日本においての『三寒四温』という言葉は、本来使われる冬ではなく、寒暖の変化がはっきりと現れる春先に用いられるようになりました。
(この項、「」HPより)
 
「向島百花園」。下草を刈った跡から、小さな春の花や芽が顔を出していました。
 
フキノトウ。
 
             
 
 
福寿草(ふくじゅそう)。
 
              
 
黄色い可憐な花。
 

典型的なスプリング・エフェメラルであり、春を告げる花の代表である。そのため、元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)の別名を持つ。福寿草という和名もまた新春を祝う意味があり、縁起物の植物として古くから栽培されてきた。江戸時代より多数の園芸品種も作られている古典園芸植物で、フクジュソウとミチノクフクジュソウをかけ合わせた「福寿海」をはじめ、緋色や緑色の花をつけるものなど多数の品種がある。

正月にはヤブコウジなどと寄せ植えにした植木鉢が販売される。ただし、フクジュソウは根がよく発達しているため、正月用の小さな化粧鉢にフクジュソウを植えようとすると根を大幅に切りつめる必要があり、開花後に衰弱してしまう。翌年も花を咲かせるためには、不格好でもなるべく大きく深い鉢に植えられたフクジュソウを購入する。露地植えでもよく育つ。

花言葉は永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福。(「Wikipedia」より)

ただし、毒草。

フクジュソウは全草が有毒で、その毒成分は強心配糖体のシマリンとアドニンで、飲食すると嘔吐、呼吸困難になり心不全に至る危険性があります。 薬用としての利用は禁物です。(「」HPより)

 
節分草(せつぶんそう)。
 
早春に芽を出し節分の頃に花を咲かせることからこの名があるが、屋外での開花は節分より遅い。現在は、乱獲や自生地の環境破壊によって希少植物になっている。
 
       雪割草(ゆきわりそう)。
 
              早春に開花。雪の残っているころに 雪を割るようにして咲き出すのが名の由来。
 
園内の梅もそろそろ咲き始めました。
 
「八重寒紅」。
 
           藤牡丹枝垂れ。
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