おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その3。猿橋。岩島駅。刈り入れを終えた田んぼ・黄金の波。赤城山。

2024-10-06 14:49:11 | ローカル鉄道の旅

すぐ下は、吾妻川の渓谷。右には断崖絶壁が連なる。ここに鉄道と旧国道が通っています。

この狭間によく鉄道・国道を建設したものです。

   

この先には、渓谷に架かる「猿橋」。

「対岸の遊歩道は荒れてしまっている。」と。

上流方向。

下流方向。

そこから吾妻線(廃線)を望む。

                        かなり上の方を走っていた。

こうして、小一時間かかるところを車に乗せてもらったおかげで、あっという間に岩島駅に着きました。

「この間、『帰れマンデイ』とかいう番組で八ッ場ダムから歩いていたようだけど、ここからいきなり伊香保温泉になっちゃうんだから、地元じゃ嘘くさい、って評判だったよ。直通のバスなんか無いって。」

新しい「吾妻線」の橋脚。

                この先、吾妻線は、新「川原湯温泉駅」まで長いトンネルを進みます。

田園風景が広がる。

           

観光案内図。

岩島駅(いわしまえき)

群馬県吾妻郡東吾妻町大字岩下にある、JR東日本吾妻線

駅名は旧村名「岩島村」に由来する。以前、下り列車は当駅を出ると車窓左手に吾妻渓谷を望むことが出来たが、八ッ場ダム建設に伴うルート変更によりトンネルで通過するようになったため、該当区間の景色を車窓から眺めることは出来なくなった。また、ルート変更後は隣の川原湯温泉駅が吾妻渓谷から離れたため、当駅が吾妻渓谷への鉄道での最寄り駅となっている。

一日の乗車数 50人前後。(「Wikipedia」より)

「電車を利用する人がいなくなっちゃって。」と。

ありがとうございました。たいへん助かりました。」。挨拶もそこそこ、そのまま軽トラは去っていきます。

ホーム側からの駅舎。コンパクトな佇まい。

下り線ホーム。

「川原湯温泉駅」方向。

上り線ホーム。

「特急草津四万」が通過。

         

首都圏と吾妻線沿線の温泉地の玄関口を結ぶ全車指定席の特急列車。 吾妻線沿線には、草津温泉(長野原草津口駅)・四万温泉(中之条駅)・伊香保温泉(渋川駅)など有数の温泉地がある。

普通列車がやってきます。

             1本早い列車で帰京することができました。

車内のようす。学校帰りの高校生や地元の方たち数人。

こうして二度目の吾妻線の旅は終わります。

養蚕農家の面影。

「岩櫃山」。

岩櫃城は、天険の山城。のちに真田昌幸・信繁が徳川家康を恐れさせた上田城や大坂城「真田丸」の原型といえる堅城。

刈り入れを終えた田んぼ。

「吾妻川」。

「上越新幹線」。

遠くに赤城山が。

帰途、高崎駅で下車して地元群馬の土産を購入。

さて、少し涼しくなってきたので、「元荒川」歩きを再開しようかな、と。

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吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その2。吾妻峡。日本一短い鉄道トンネル(だった)・「樽沢隧道」。

2024-10-05 20:16:09 | ローカル鉄道の旅

豪快な水音が響きます。

立ち去りがたい雰囲気。大きなダムは、若いころ、登山のときに「黒部ダム」、あるいは青梅街道歩きのときに「奥多摩ダム」くらい・・・。

               

「吾妻川」下流の渓谷(「吾妻峡」)。

                    そそり立つ岸壁。

ダムを振り返る。

左上にある「自転車型トロッコ A-Gattan」乗り場案内。

ここから岩島駅近くまで、廃線跡を利用している。一人では利用できないので、断念!

運行時刻表。孫を連れて乗りに来ようかな、と。

周辺案内図。

最近の台風や豪雨などのため、渓谷をめぐる遊歩道などが荒れて通行禁止になっている個所もあるようです。

左上に「吾妻線(廃線)」。

    

右手、眼下に「吾妻峡」。

    紅葉は、まだ。

右手に公衆トイレがあり、その前に軽トラが停まっています。「岩島駅までどれくらいかかりますか」と尋ねたところ、

「岩島駅まで行くんだったら乗りなさいよ。送っていくから。」「歩く予定ですので」「無理しないほうがいいよ。乗りなよ。」

というわけで、乗せてもらいました。地元の方(「岩島駅」の先、「群馬原町駅」近くに住んでいる)で八ッ場ダムの先にある道の駅で清掃関係をした帰りのようでした。

すっかり軟弱になった小生。遠慮なく乗せてもらいます。

途中、色々話を聞きました。その一つ。「ここが岩盤調査で、試掘した穴ですよ。この辺りにダムを造る計画もあったようだ。」

分かりにくいですが、金網の奥に大きな穴が。

「ここに建設したら、東吾妻町なので、長野原町にはお金が落ちなかったかもしれないね。」

※「八ッ場ダム」は長野原町になる。

この先に今回最大の目的、「樽沢トンネル」があります。

             下り側のトンネル口。

      「樽沢トンネル(樽沢隧道)」解説板。

樽沢トンネル(樽沢隧道)

旧JR吾妻線の岩島駅~川原湯温泉駅間に存在し、全長7.2mの日本一短い鉄道トンネルとして親しまれていた。八ッ場ダムの建設により、2014年9月24日をもって岩島駅~長野原草津口駅間のうち約10.4㎞が付け替えられたため、現在は廃線になっている。

もう少し詳しく「Wikipedia」を参照。再掲。

樽沢トンネル(たるさわトンネル)

JR東日本吾妻線岩島駅 - 川原湯温泉駅間の旧線上に存在するトンネルである。山の出っ張りを掘り抜いたもので、全長7.2 m日本一短い鉄道トンネルとされていた。トンネルを含む廃線跡は、2020年(令和2年)7月中旬より「吾妻峡レールバイクアガッタン」のコースとして、足漕ぎ式トロッコが通過するアトラクション施設として利用されている

《歴史》

戦時中の突貫工事により作られたトンネルであり、1946年昭和21年)の長野原線(当時)開通時にトンネルも完成。通常この程度の長さの岩場ならば、切り崩すか切り通しとすることが多いが、この岩場ではトンネルが造られた。上毛新聞がJR東日本高崎支社へ行った取材によると、トンネルにした理由として岩盤が固かったためくり抜いたという説や、トンネルの上に立つ一本松の景観が素晴らしかったので残したなどの諸説があるが、いずれも定かではないという

八ッ場ダムの建設に伴い、吾妻線の岩島駅 - 長野原草津口駅間のうち水没する予定の区間を含む約10.4 kmが付け替えられた。切換工事に伴い、2014年9月24日をもって旧線での営業運転を終了し、10月1日からは新ルートによる営業運転が開始された。旧線上の樽沢トンネルはダムサイトより下流にあるため水没を免れるものの、付け替えに伴い用途廃止となった。本トンネルの廃止後、JRで最も短い鉄道トンネルはJR西日本呉線の川尻トンネル(広島県呉市、全長8.7 m)となった

吾妻線岩島駅から国道145号(旧道)に沿って約4 km西に進んだところに位置する。

 

当時の写真。

                  車両の半分以下の長さ。

上り側のトンネル口。

           

これで今回の第一の目的を達成。乗せてくれた方に感謝、感謝。

※1 日本で一番長い鉄道トンネル:青函トンネル 53.85km

津軽海峡を横断して本州と北海道を結ぶ海底トンネル。世界では2番目に長い鉄道トンネル。

※2 日本で一番長い道路トンネル:山手トンネル(東京都)18.2km

都心を回る首都高速道路中央環状線の西側(湾岸線~池袋線)にあたり、地底深くを通っている。世界では2番目に長い道路トンネル。

※3 日本で一番深い駅:JR上越線土合(どあい)駅(群馬県)70.7m

「もぐら駅」の愛称で知られる無人駅。下り線のホームは地下深くにある新清水トンネル内にあり、階段の長さは338m、462段。徒歩で約10分かかる

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吾妻線「川原湯温泉駅」~「岩島駅」。その1。八ッ場ダム再訪・八ッ場もみじ橋。迫力満点。

2024-10-03 20:32:15 | ローカル鉄道の旅

10月1日。晴れ。

八ッ場ダム建設で廃線となった「吾妻線」(「川原湯温泉駅」~「岩島駅」)を歩きました。

※結果として、現地の方に八ッ場ダムから岩島駅まで送ってもらいました。

               

         

一時の暑さもおさまった感のする一日。家を出たときは雨がポツポツ、しかし、高崎付近あたりでは、すっかり晴れ渡ってきます。

沿線の田んぼも稲刈りが進み、秋の田園風景。約ひと月ぶりの「吾妻線」です。

今回、「八ッ場ダム」から「岩島駅」(「川原湯温泉駅」の一つ「渋川駅」寄り)まで歩く予定です。

「川原湯温泉駅」に12時少し前、到着。前回同様、今回も小生一人、下車。八ッ場ダムまで歩きます。

思ったよりも汗をかきました。

※「八ッ場ぐるりんバス」12:06発のバスを利用すれば、わずか8分ほどで八ッ場ダムに着く。無理して40分間歩く必要はない。

旧線路が眼下に見えます。

エレベータで下まで降り、通路を歩くと、一気にダム下に。

              

               

この橋からダムを見上げることができます。 

    放流。今年5月に行われたイベント。

                 (「ふるさとチョイス」HPより)

脇から。

        

実に豪快です。

        

               

いつまでも眺めていたい気分ですが、先に進みます。

これから先は、「岩島駅」まで渓谷+廃線沿いに歩く予定です(でした)。

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「相模線」・(「横浜線」)。橋本駅。リニア新幹線橋本駅大工事中。附「お召列車」・「特急ときわ」。

2024-09-24 20:44:15 | ローカル鉄道の旅

今回は、相模線・横浜線の旅。上野~茅ヶ崎~(相模線)橋本~(横浜線)八王子~上野。

ローカル線といっては申し訳ない。

今まで乗った関東エリアのローカル線とは趣を異にし、市民の足として活躍、駅ごとの乗降客も多く、けっこうな混み具合でした。

附:上野駅で見かけた回送列車。

停車中の電車。

孫(小1)に写真を見せると、上の列車はお召し列車、下は「特急ときわ」、と。「ときわ」は常磐線特急の最新型のようです。

さて、茅ヶ崎までの東海道線。横浜まではけっこう混んでいます。

茅ヶ崎で待ち時間もなく、乗り換えます。開閉がドアボタン式でちょっと慌てました。

相模線 

神奈川県中央部を縦貫して東海道線中央線を連絡することと、相模川で採取した砂利の輸送を目的として建設された路線。相模鉄道(法人格としては現在の相鉄ホールディングス)によって建設され、1931年(昭和6年)に橋本駅までの全区間が開業した。しかし太平洋戦争中の1944年(昭和19年)6月に、茅ケ崎駅 - 橋本駅間と、相模海軍工廠とつながっている支線の寒川駅 - 四之宮駅間が戦時買収私鉄として国有化された。

相模線の沿線人口は少なく、さらに相模川の砂利採掘が禁止された1960年頃には貨物輸送も激減し、関東地方国鉄線の中では第3位の赤字路線であった。にもかかわらず、近隣の座間市にあった日産自動車座間工場生産された自動車を輸送する路線として、またベッドタウンの足として位置付けられ、国の資本が投下され続けた。

国鉄分割民営化でJR東日本の路線となり、1991年(平成3年)には全線が電化され、電化によるスピードアップ、およびダイヤ改正による運行本数の増加(約1.5倍)、海老名駅の開業(1日乗車人数9千人前後)、横浜線への直通運転の復活などで利便性向上が図られ、また京王相模原線の橋本駅乗り入れや沿線のベッドタウン化など周辺環境の変化もあって通勤通学での利用客が増加し、現在は通勤・通学路線として定着している。(「Wikipedia」参照)

車内は親子連れなどで混み混み。写真を撮るゆとりもなく、座席に座ったまま。

  側の車窓より。

相模線の西側は丹沢の山並みと田畑が続きますが、東側はほとんど住宅地です。

ということで、終点の「橋本駅」に。

神奈川県相模原市緑区橋本六丁目および同二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・京王電鉄

当駅及び当駅周辺は相模原市(旧市街地)北部の交通・商業の拠点地域としての役割を持つ。

JR東海によるリニア中央新幹線の駅が「神奈川県駅(仮称)」として併設される予定である。

・・・

新駅建設地は、県立相原高校の跡地。駅は地下3階構造となっている。地下約30メートルに、幅最大50メートルの空間をつくって設置される計画で、長さは680メートルほどとなる予定だ。

リニアが運行する区間は品川〜名古屋間で、最速運行時間は約40分を予定している。神奈川県の他にも、山梨県、長野県、岐阜県に新駅が建設される予定だ。

神奈川県駅(仮称)~品川駅間は10分程度となる予定で、現在の所要時間から大幅に短縮される見込みだ。

橋本駅周辺がリニアの停車駅候補地に選ばれた理由は、橋本駅が交通の結節点であり、交通利便性に優れていることが大きい。品川駅、山梨県駅(仮称)の位置関係から見ても、新駅は神奈川県北部に作るのが妥当という見方もあった。

これまでの再開発の進捗もふまえ、橋本駅周辺に新駅が建設されることが決定した。

(この項、「楽待 不動産投資新聞」HPより。写真を含む。)

                 

リニア工事中の駅前。大がかりな工事が進行中。

長い人の列は工場へ向かうバス待ちの外国人労働者たち。

            

            

橋本駅に戻り、今度は、「横浜線」で八王子駅まで。

横浜線 

東京地区の電車特定区間E電)の路線のひとつであり横浜市から町田市および相模原市を経由し、八王子市に至る首都圏の郊外を結ぶ全長42.6 kmの路線である。「横浜線」という路線名称ではあるが、起点は東神奈川駅であり、京浜東北線根岸線に直通する列車を除いて横浜駅には至らない(ただし路線の約4割が横浜市内にある)。

横浜線は横浜市の北部から同市中心部へのアクセス路線として機能しており、また東京都心から放射線状に伸びる多数の鉄道路線と結節点を持つことから、2008年3月31日に発表されたJR東日本の「グループ経営ビジョン2020-挑む-」では、南武線武蔵野線京葉線ととともにいわゆる環状路線として東京メガループに指定されている。郊外路線でありながらJRの前身である国鉄時代から数少ない黒字路線であった。(「Wikipedia」より)

車窓より。

      

            

八王子駅に近づきます。

このあいだ、八高線でやってきました。「八王子」からは中央線で戻ります。

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吾妻(あがつま)線。その12。新川原湯温泉。赤城山。新前橋駅~上野駅・「青春18きっぷ」。

2024-09-22 20:12:49 | ローカル鉄道の旅

「八ッ場あがつま湖」を望む。

「川原湯温泉駅」へ戻ります。          

                               ダムを振り返る。

新「川原湯温泉」地区側(「吾妻川」右岸)を歩きます。

温泉宿街。

吾妻川を眼下に眺めながら、戻ります。

「川原湯源泉公園」。

駅前の「観光案内図」。

新前橋行きの電車。

           車内の乗客は、すでに乗っていた外国人労働者、2名のみ。

帰りの車外風景。

             

「岩原駅」。

          「郷原(ごうばら)駅」。

    「市城駅」。

「小野上(おのがみ)駅」。

左手に「赤城山」が見えてきます。

          

「渋川」で「上越線」に合流し、「新前橋駅」に。そこから上野行で帰京しました。

「八ッ場ダム」への往復。炎天下での歩きのため、熱中症寸前に。しかし、けっこう興趣のある列車の旅でした。

「青春18きっぷ」を活用できました。残り1枚で、茅ヶ崎駅から橋本を経由して八王子駅までの電車の旅に。 

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吾妻(あがつま)線。その11。「八ッ場ダム」。迫力ある景観。吾妻峡・吾妻峡レールバイク アガッタン。

2024-09-21 20:36:30 | ローカル鉄道の旅

「国土交通省八ッ場ダム管理支所」。

この手前にはお蕎麦屋さんとうどん屋さん。どちらも繁盛している様子。車以外は小生のみ?

                 

ダムを望む。  

「なるほど!やんば資料館」。

                         「八ッ場ダム」。

「八ッ場あがつま湖(ダム湖)」を望む。

         

                           鮮やかな青緑色。

資料館内。

施設や歴史などが展示されている。

「八ッ場あがつま湖」碑。

               「八ッ場ダム」。

この辺りから動画を撮り始めました。ダイナミックな落ち口に感動。

              

              赤い橋まで行けば、大迫力の画面に。

     

エレベータで下りることができますが、今回はパス。

  

             廃線となった吾妻線の線路が見える。 

実は、下ると、「岩島駅」まで「吾妻峡」そして旧鉄道跡に沿った道が続いています。

さらに旧線路を生かした「吾妻峡レールバイク アガッタン 」というアトラクション施設があります。

※群馬県東吾妻町では、2014年に切り替え廃止となった旧JR吾妻線の線路の一部を活用したアトラクションがあります。その名も吾妻峡レールバイク「アガッタン」。2人一組や3人一組になって、マウンテンバイクと2軸4鉄輪台車を組み合わせた自転車型トロッコをこぎながら景色を楽しめるユニークな乗りものとなっています。

               

          

「日本一短かった鉄道トンネル」として有名だった「樽沢トンネル」。

(この項「HPより)

※「樽沢トンネル」:長さ7.2m。電車1両の半分以下でした。本トンネルの廃止後、JRで最も短い鉄道トンネルはJR西日本呉線の「川尻トンネル」(広島県呉市、全長8.7 m)となった。(「Wikipedia」より)

次回、このコースをたどってみようと思います。

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吾妻(あがつま)線。その10。バンジージャンプ。青緑色の湖水。470の家屋がすべて更地に。「ダムとなる村に知人の家は無く・・・」。「八ッ場あしたの会」。

2024-09-19 20:15:01 | ローカル鉄道の旅

橋にはバンジージャンプ。

外国人観光客がチャレンジ中。

「八ッ場大橋」を振り返る。

ダム湖(八ッ場あがつま湖)。

                湖水は、鮮やかな青緑がかった色をしています。その理由は?

※かつて、吾妻川は酸性度が極めて強く、魚が住めない川だった。草津白根山や草津温泉の源泉が流れ込むためで、魚が住めないだけでなく、コンクリートなどの構造物もぼろぼろにしてしまった。そこで、1965年に中和を促進するための品木ダムが建設された。石灰乳液が投入された川が品木ダムに流れ込み、中和の過程でできた生成物がダム湖の底に沈む。品木ダムの人造湖(上州湯の湖(じょうしゅうゆのこ))が光の具合によってエメラルドグリーンに見えるのは、この沈殿物のため。品木ダムから流れ出た水は、吾妻川と合流し10kmほど南にある八ッ場あがつま湖に流れ込む。湖面の色が独特なのは、こうした理由から。

川原畑地区。

            右に「クラインガルテンやんば」。

川原畑地区地域振興施設『クラインガルテンやんば』について

 「クラインガルテン」とは、ドイツ語で「小さな庭」を意味し、19世紀後半以降、ドイツで誕生し、発展した都市近郊型の市民農園のことです。約100坪の敷地にラウベと呼ばれる小屋や菜園等を設けて有料で利用する仕組みで、レクリエーション、保養、緑地保全を兼ねた施設として人気があります。(「長野原町」HPより)

「八ッ場大橋」を望む。

対岸が新「川原湯温泉」地区。

ダムとなる村に 知人の家は無く 行き交ふダンプ 枯草ゆらす 義夫

470の家屋はすべて更地に

八ッ場ダムは、計画当初から地域住民の激しい反対運動に遭い、計画は難航した。なかでも地域のシンボル的存在だったのが、800年の歴史を誇る川原湯温泉だ。温泉街の中心地でもあった共同浴場・王湯は、新たな代替地の高台に移転した。しかし「温泉街」の風情はそこにはまったくない。

かつて川の両側には川原畑地区と川原湯地区の集落など計470世帯の家屋があったが、それらはすべて解体されて更地となってしまった。ダムの上流側には145号線の旧道、そして旧JR吾妻線の鉄橋が、わずかに人里の名残を留めているだけだ。鉄橋はそのままダムの底に沈むが、現在はまだ敷設されたままの枕木は水質保全のため、注水前には取り除かれる予定だという。

地元にカネは残らなかった

八ッ場ダム建設では水没地域の住民対策として、「現地再建方式」がとられた。用地を買い上げて別の地域に移転してもらうのではなく、コミュニティを保全できるよう、移転代替地をダム湖畔沿いの高台に建設。いわば村ごとスライドしてもらう方式だ。だが、この方式も上手くいったとは言いがたい。この地で4代にわたり農家を構え、以前はダム対策委員長を務めていた篠原茂氏が言う。

「結局、470世帯のうち代替地に移ったのは94世帯。国交省が俺らの土地を安くない値段で買い取ってくれたけど、その後、国が整備した代替地を買わなきゃいけない。その値段が高くて驚きました。なんでこんなに高いんだと聞いても、納得できる答えはもらえなかった。周囲にはダムのおかげで儲かったろうなんて陰口を叩かれたけど、本当にこの地に愛着があって残った人間には全然カネなんて残らなかった。こんな寒村の土地を売って市街地の家が買えるんだから、皆、そっちに行っちゃうのも仕方ありません」

篠原氏は、細々と続けていた農業をやめて、湖面2号橋・不動大橋のたもとに作られた道の駅『八ッ場ふるさと館』の駅長となった。ダムの進捗につれて来客も増え、農産物直売コーナーの売り上げは地元経済を潤している。

「ここの名物は、ダムを模した『八ッ場ダムカレー』。辛口です。国に翻弄された住民の気持ちも入ってるから(笑)」

(この項「FRIDAY DIGITAL」より)

ダム予定地。

       

旧「川原湯温泉駅」付近の遺跡発掘作業。

(以上、3枚の写真は、「」HPより)

※これらの写真は、すべて水没した地域。

この付近の今昔。

(現在)。左に「八ッ場大橋」。

(1970年代)。↓が旧川原湯温泉駅。

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吾妻(あがつま)線。その9。「川原湯温泉」。共同浴場「王湯」。旅館は移転によって20軒から6軒へ。「八ッ場大橋」。「八ッ場」の由来。

2024-09-17 20:28:57 | ローカル鉄道の旅

川原湯温泉付近の今昔。

                        (現在)。川原湯温泉は高台に移転している。

                     (1970年代)。谷間に集落が点在していた。

吾妻川に流入している沢。

共同浴場「王湯」入口。右奥に源泉配給用の大きなタンク。

遠景。

            

(「」HPより)

 川原湯温泉の温泉街にかつて20軒以上あった旅館は、水没に伴って残ったのは6軒だけでした。

   
       
①「山木屋」②「やまた旅館」③「民宿山水」④「ゆうあい旅館」⑤「丸木屋」⑥「やまきぼし旅館」
 
そのほか、飲食店・商店、美容室・理容室など。
 
     
 
左に「吾妻川」(ダム)に架かる橋が見えてきます。
 
 
「八ッ場大橋」。
ダムによって分断された新「川原湯」地区(右岸)と「川原畑」地区(左岸)を結ぶために造られた橋。
 
ダムサイト方向。
                
             八ッ場ダム本体が見えてきます。
 
    上流方向。
             正面に「不動大橋」。
 
ここで、「八ッ場」について
 
「八ツ場」と書いて「やんば」と読む。 珍しいが、この名はダムサイトの直上流に左支川として流入する小さな沢の名からきている。 この沢の名は、ダムサイト左岸の字名にもなっている。 ダム建設に伴い、川原畑、川原湯地区が全戸水没、横壁、林、長野原地区はその一部が水没。
 
※「八ッ場(やんば)」という地名の由来については、長野原町によるといくつかの説があるという。
一つ目は、谷間などに獲物を追い込んで矢を射かける場所である「矢場(やば)」が転じたという説。 二つ目は、狩をする場所に8つの落とし穴があったことが元となったという説。そして三つ目は、川の流れが急であることから、「谷場(やば)」が転じて「やんば」となったという説。いずれも狩猟に関係しており、この地に住む人々の暮らしと自然との密接な結びつきを表している。
 
(この項、「」HPより)
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吾妻(あがつま)線。その8。「川原湯温泉駅」。川原湯源泉公園・源頼朝・笹竜胆(ささりんどう)の紋。水陸両用バス【八ッ場にゃがてん号】。

2024-09-16 19:36:47 | ローカル鉄道の旅

「川原湯温泉駅」で下車した人は、小生ともう一人のみ。

「川原湯温泉駅」。

新装の駅舎は瀟洒な佇まい。

移転した「川原湯温泉」地図。

        

「吾妻川」上流を望む。

駅から「八ッ場(やんば)ダム」までは炎天下の歩きとなります。

ダム湖が眼下に。

         「八ッ場あがつま湖」。かつての「川原湯温泉」地区、吾妻線などが湖底に沈んでいる。

                     (現在)。川原湯温泉駅付近。

赤色の道路がかつての吾妻川左岸沿いになる。

                     (1970年代)。中央が吾妻川。上部に温泉街。

眼下に「川原湯源泉公園」。

最近整備された公園のようです。正面に源氏の家紋「笹りんどう」。

帰りに寄れたら、と。

しかし、炎天下の往復と電車の発車時刻が迫っていたので、断念しました。

そこで、「」HPより。

川原湯温泉に温泉を供給している源泉のある公園。公園内には源頼朝が着ていた衣を掛けたという衣掛石のレプリカがある。

元の湯源泉

●縁起

川原に湯が出るので川原湯の称となります。湯の歴史は古く、1193年(建久4年)、源頼朝が温泉を発見したと伝えられています。弱酸性の草津温泉に対して、中性の川原湯温泉は、「草津の上がり湯」として親しまれてきました。この元の湯源泉は、八ッ場ダムの建設によって水没することになりましたが、コンクリート製の井筒によって源泉を保護し、井筒内の源泉をポンプで汲み上げることにより、現在でも、川原湯温泉のすべての温浴施設に配湯されています。

衣掛石(ころもかけいし)

この「衣掛石」は、源頼朝が入湯の折、衣服を脱いで掛けたと伝えられている石です。明治時代初期の川原湯温泉を描いた「川原湯真図」や明治40年頃のはがきの写真では、地面から約3分の1が露出しており、「王石」あるいは「神代石」として祀られていたようです。その後、1930年(昭和5年)に発生した土砂崩れで道路を拡幅した際に埋没したといわれていましたが、2018年(平成30年)源泉公園整備工事事業で道路を掘削した際に発見され、88年ぶりにその姿を現しました。頂部には矢穴痕が認められ、石工により切削されたことが分かります。また石全体にひび割れが確認され、移設することが困難なことから、レプリカを作成し、実物はそのまま埋め戻されました。

高さ:261㎝ 周囲:1034㎝ 重量:約35t(推定)

  上流には「不動大橋」。

湖畔に木々が。水没前からの樹木でしょう。

水陸両用バスが湖面進む。

八ッ場ダムのダム湖を遊覧する水陸両用バス【八ッ場にゃがてん号】。「長野原草津口駅」前から発着するようです。

右手に「八ッ場大橋」。

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吾妻(あがつま)線。その7。万座・鹿沢口駅~大前駅。吾妻線の終点。嬬恋村。

2024-09-15 20:31:22 | ローカル鉄道の旅

「吾妻川」沿いの岸壁。

              

実りの秋。

「大前駅」。10:41着。

大前駅(おおまええき)

群馬県吾妻郡嬬恋村大字大前にあるで、吾妻線の終着駅

ほとんどの列車がひとつ手前の万座・鹿沢口駅で折り返すため、当駅に乗り入れる列車は少なく、日中は6時間以上発着のない時間帯もある。駅の標高は840.4メートルで、また群馬県内および関東地方普通鉄道の駅としては最西端である

当駅のプラットホームは4両編成分の長さであるが、線路はホームの端から約100メートルほど奥に延びている。架線も線路末端付近まで張られているため、かつて特急「草津」に使われていた651系電車のような7両編成の車両も入線・停車することができる。通常は普通列車以外は来ないが、行楽シーズンなど吾妻線の臨時列車が増発される際には、臨時列車の編成が一時待避するために当駅まで回送されることがある。

ここから嬬恋村中心部を経由して信越本線(現:しなの鉄道北しなの線豊野駅まで延伸する計画であった

国道とは大前橋で結ばれており、国道沿いには民家や村役場や消防署分署がある。

駅付近のようす。

森の手前で線路が終わる。

ホーム。

               折り返し電車。

「吾妻線時刻表」。午前・午後で計5本。

           折り返し10:50発の電車で帰ることに。

「嬬恋(つまごい)村」。

     

第12代景行天皇の皇子「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の東征中に、海の神の怒りを静めるために愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」が海に身を投じました。その東征の帰路、碓日坂(今の鳥居峠)にお立ちになり、亡き妻を追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、わが妻よ、恋しい)とお嘆きになって妻をいとおしまれたという故事にちなんで嬬恋村と名付けられました。

嬬恋村は群馬県の西北部に位置し、東は長野原町・草津町に、西・南・北の三方は長野県に接しています。村の東部を除く外周には、浅間山・湯の丸・吾妻山(四阿山)・白根山などの標高2,000m級の山々が連なり、日本の大分水嶺をなしています。

村の中央部を西から東に吾妻川が流れ、集落の大部分はこの流域に散在しています。地質は火山灰土の腐食土壌が多く、高原野菜の適地となっています。

気候は高原地帯だけに夏でも涼しく年間の平均気温は8℃前後で、1日の温度差が大きいのが特徴です。特に気温・湿度は避暑に最適であり、軽井沢にまさる避暑地で、最近では浅間高原1帯が1大別荘地としても脚光を浴びています。

外輪は嬬恋村の特産であるキャベツを図案化したもので、中央は「嬬」の図案化で全村の円満なる発展を祝福したものです。

(この項「」HPより)

※1鳥居峠

国道144号上の長野県上田市(旧小県郡真田町)と群馬県吾妻郡嬬恋村の県境に位置する標高1,362m。中央分水嶺となっており、群馬県側に降ったは鳥居川、吾妻川利根川を経て太平洋へ、長野県側に降った雨は渋沢川、神川、千曲川(信濃川)を経て日本海へ流れる。傾斜は、群馬県側が緩やかで、長野県側が急峻となっている。

※2「吾妻線」、「吾妻川」、「嬬恋村」は、いづれも日本武尊と弟橘媛の伝説にちなむ命名。

  

「吾妻川」に架かる「大前橋」。

左奥に「嬬恋村役場」。

帰りには、「川原湯温泉駅」で下車し、「八ッ場ダム」を訪れることにします。

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吾妻(あがつま)線。その6。羽根尾駅~万座・鹿沢口駅・万座温泉。駅名に・(中黒)のある駅。

2024-09-14 19:38:30 | ローカル鉄道の旅

「羽根尾駅」。 

群馬県吾妻郡長野原町大字羽根尾にある。開設から1982年(昭和57年)までは貨物取扱駅で、貨物列車発着のための駅長・駅員が配属され常駐していた。その名残で、構内はかなり広く、最大4本の側線を有していた。

吾妻線内で列車交換可能な駅としては最西端となる。(「Wikipedia」より)

     

           

旅客用本線2本、車用支線4本、90mの旅客ホームに125mの貨物用ホーム。貨物扱いのなくなった吾妻線で、現在全く使われていない設備がこの羽根尾駅構内に残っています。吾妻線が昭和46(1971)年に延伸した際に、この羽根尾駅は吾妻貨物線の拠点駅となるはずでした。お隣の嬬恋村(つまごいむら)といえばキャベツの生産地として有名で、そのキャベツを運ぶ貨物列車の拠点となるべく、この羽根尾駅開業時の設備投資は並々ならぬものがあったといいますが、紆余曲折あり、結局トラック輸送とコスト面でそれほど大差ないことがわかり、トラックの利便性の良さからも貨物でのキャベツ輸送は衰退。その拠点としてはほとんど機能することなく終わってしまいました。それでも貨物車の留置などの用途に使われましたが、吾妻線の貨物輸送は昭和57(1982)3月に終了。この駅のホームからだだっ広い構内を眺めていると、哀愁さえ漂います。ホームは築堤上にあり、写真の入り口よりホームへの階段を上がる仕様になっています。また、反対側は貨物の敷地が広がっているばかりで、入り口はありません。行違い設備を持つ島式のホームには立派な上屋(屋根)まであります。

(この項「」HPより)

               

            架線柱のみ残っている。

      

       「袋倉駅」。

             群馬県吾妻郡嬬恋村大字袋倉にある。利用客20人ほど。駅舎はない。

                        

「万座・鹿沢口駅」に近づきます。

      

「万座・鹿沢口駅」。

群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原にある嬬恋村の中心駅で、万座温泉の最寄駅。駅名決定に際して万座温泉と鹿沢温泉が互いに自らの名前を主張し譲らなかったことから、折衷案として現在の駅名となった。

大半の列車が当駅で折り返しとなり、吾妻線の終点である次駅の大前まで運転されるのは、現行ダイヤで下り4本・上り5本のみで、日中は6時間以上の間隔が開く。なお、2016年3月のダイヤ改正で特急草津」(当時)の当駅への定期運行がなくなり、定期列車は普通列車のみとなった。

名称に「・」(中黒)が入る数少ない駅であり、JRの鉄道駅では唯一。(この項「Wikipedia」より)

※私鉄等の例

「栂・美木多」(泉北高速鉄道)

「大森・金城学院前」(名鉄瀬戸線)

「中央大学・明星大学」(多摩都市モノレール)

「大塚・帝京大学」(多摩都市モノレール)

「旧居留地・大丸前」(神戸市営地下鉄 海岸線)

「三宮・花時計前」(神戸市営地下鉄   海岸線)

・・・

(この項「」HPより)

 

「万座温泉」

万座温泉は海抜1,800m。
緑に囲まれた上信越高原国立公園内の中の高山温泉郷です。源泉は硫黄泉で約80度の高温。
湧出量は1日に540万リットルに達しています。
また、春は残雪と新緑、夏は避暑、秋は紅葉、そして冬はスキー。一年を通じて四季折々に楽しめます。

              

万座温泉の歴史はあまりにも古く、最初の発見が何時、誰によってなのかは明らかになっていない。
ただ、坂上田村麻呂が、万座温泉で鬼退治をしたという伝説が残っているのみである。
熊四郎岩窟からの出土品によって、先史時代には温泉の利用があったといたといわれている。

土器をはじめとする出土品からは、弥生時代には人の住居があったと推測されている。
今から600年前の文献によると、既に現在の場所に「まんざ」という地名の仮住みの集落があったことがわかる。仮住みということは、当時、寒さの厳しい万座では越冬できないものと考えられていたことがうかがえる。

また、400年ほど前には、土地の豪族・羽尾入道が万座温泉入湯の留守中に、鎌原城主に滅ぼされたという記録があり、既に万座温泉が多くの人に利用される温泉であったことがわかる。

昔から、豊富な湯量に恵まれ、泉質は20種類を超え、名湯中の名湯といわれていた。効能も多彩で、昔から呼吸器病や胃腸病、リウマチや皮膚病に効能があるといわれ、難病を治したというエピソードも数多く伝わっている。

(この項「万座温泉観光協会」HPより)

バス路線図。

         「軽井沢駅」とも結ばれている。※本数は少ない。

あと一駅、終点の「大前駅」へ。

「万座・鹿沢口駅」でも、ほとんどの人が下車。「大前駅」に行く人はわずかです。

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吾妻(あがつま)線。その5。川原湯温泉駅~群馬大津駅。「長野原草津口駅・草津温泉下車駅・♪草津よいとこ・・・。「群馬」がつく駅名が多いわけ。

2024-09-12 20:05:01 | ローカル鉄道の旅

「川原湯温泉駅」には、帰途、下車することにし、先に進みます。

「長野原草津口駅」へ。

  「長野原草津口駅」。 

 

群馬県吾妻郡長野原町大字長野原にある特急「草津・四万」の発着駅、および長野原町の中心駅で、草津温泉の最寄り駅となっている。

隣の川原湯温泉駅の東方に建設された八ッ場ダムの本体工事に伴い、2014年平成26年)10月1日から岩島駅 - 当駅間のルートが切り替えられた(旧線は吾妻川の左岸を通っていたが、切替により右岸を通るようになった)。当駅は水没地域に含まれず位置も変わらないが、ダム関連工事が進むにつれて従前から駅前にあった施設(建物)が移転し、現在の駅周辺は水没地域の代替地としての開発段階にある。

なお、八ッ場ダム問題に直面する長野原町の生活再建策の一つとして、従来の駅舎の西側に新駅舎が建設され、2013年(平成25年)7月27日に新駅舎の完成式典が行われた後、8月1日から新駅舎で業務が開始となった。1階に改札口とホームが設けられ、バス・タクシー乗り場も駅舎に隣接して設けられている。ホームから改札までは、段差を無くしバリアフリー化した。

(この項「Wikipedia」より)

長野原草津口駅から草津温泉までの走行距離は17km。 長野原草津口駅から草津温泉までおよそ17分かかる。

その草津温泉とは、

♪草津よいとこ 一度はおいで (ア ドッコイショ) お湯の中にもコーリャ 花が咲くヨ  (チョイナ チョイナ)

ババンバ バンバンバン
(ア ビバノンノン)
ババンバ バンバンバン
(ア ビバビバビバ)
ババンバ バンバンバン
(ア ビバノンノン)
ババンバ バンバンバン
(アー ビバノンノン)
 
いい湯だな
(ハハハン)
いい湯だな
(ハハハン)
誰が唄うか 八木節が
いいもんだ
(アハハン)
いいもんだ
(アハハン)
 
ここは上州 草津の湯

日本三名泉の1つである草津温泉。

                       
自然湧出量は日本一を誇り毎分32,300リットル以上、1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しています!
草津の旅館や温泉施設で「源泉かけ流し」ができるのはこのおかげ。”源泉の湯”を心ゆくまで堪能してください。
さらに驚くべきは、その泉質!日本有数の酸性度で、pH値はナント2.1(湯畑源泉)。雑菌などの殺菌作用は抜群です。
草津温泉は古くからたくさんの人々の心と体を癒し続けてきた名湯です。
(※日本三名泉・・・下呂温泉/有馬温泉/草津温泉)

               

(この項「」HPより)

この駅でけっこう下車する人がいます。

          

「群馬大津駅」。

群馬県吾妻郡長野原町大字長野原にある。

当駅開設時既に東海道本線JR西日本琵琶湖線大津駅が開業していたため、県名の「群馬」が冠された。なお、本来の国鉄の慣例に従えば旧国名の「上野」が冠されるはずであるが、上野駅との混同を避けるため県名が使用されている。このような例は、他に吾妻線群馬原町駅八高線群馬藤岡駅信越本線群馬八幡駅上越線群馬総社駅がある。

(この項「Wikipedia」より)

※「大津」=滋賀県 「原町」=福岡県 「藤岡」=栃木県 「八幡」=福岡県 「総社」=岡山県

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吾妻(あがつま)線。その4。中之条駅~郷原駅。中之条町。四万温泉・積善館。岩櫃山・岩櫃城。

2024-09-11 19:56:34 | ローカル鉄道の旅

「中之条駅」。

                (南側広場)

(北・改札口)

中之条町(なかのじょうまち

吾妻郡の観光の中心地。郡内で最多の人口を有する。

1,000 mを超える山々が広く分布し、山地が広い面積を占める。 四万川が町の東部を北から南に流れ、吾妻川に合流する。吾妻川は南部を西から東へ流れている。 中之条の市街地は吾妻川北側(左岸)の河岸段丘に形成されている。

※「中之条」は中世、「中ノ庄」といわれたという。伊勢町海藏寺碑)吾妻庄の中央に位置していたのでその名が付けられたのであろうか。また吾妻原町記によると、中ノ庄は「山代庄」ともいわれたという。中之条町字長岡の地が山城国長岡の地形に似ているので、その名が付けられたともいわれている。

中之条町には、たくさんの温泉があり、訪れる人々を安らぎとぬくもりで包みます。中でも四万温泉や沢渡温泉は、昔から多くの旅人達の疲れを癒やしてきました。また、川の湯で知られる尻焼温泉をはじめとする六合温泉郷は、多くの温泉ファンにとても親しまれています。

四万(しま)川の上流に三方を山に囲まれて広がる四万温泉は、草津・伊香保とともに「上毛三名湯」に数えられ、四万(よんまん)の病に効く伝説の湯として、鎌倉時代からその名を知られていました。
昭和29年(1954年)には優れた環境が認められ、国民保養温泉地第1号に指定されました。落ち着いた木造建築の旅館、近代的なホテル、歴史と新しさが調和している温泉郷です。
湯量は豊富で、泉質は塩化物硫酸塩泉、温度は40~80度の高温が特徴です。効能はリューマチ・神経痛・皮膚病のほか胃腸病にも良く効きます。飲泉としても適しています。

               

(この項、「」HPより)

千と千尋の神隠しの舞台!?四万温泉「積善館」で歴史ツアーを満喫

四万温泉「積善館」(群馬県中之条町)は、千と千尋の神隠しの舞台とも噂され、よく似た場所が3つもあります。本館は日本最古の温泉宿建築で、値段も安い湯治宿。山荘は登録文化財の宿で、佳松亭は高級宿。料金や目的に応じた宿泊棟を選べます。
四万温泉積善館は多数ある温泉浴場が有名ですが、宿泊者限定の館内歴史ツアーも断然おすすめ。高齢の亭主自ら行う為、不定期開催ですが、実施されていたら是非参加しましょう!

(この項「トラベルjp」HPより)

※若いころ(半世紀前)、職員旅行で来たことがあります。

「群馬原町駅」。

            群馬県吾妻郡東吾妻町大字原町にある駅。

「郷原駅」。「岩櫃山」登山口。

JR吾妻線・郷原駅で列車を降りるとそこがもう「岩櫃山」の登山口で、ホームからも山のほぼ全容が見られます。 岩櫃山は標高802mの岩山で吾妻八景を代表する景勝地として知られています。

中腹には武田の三堅城のひとつ、戦国・真田氏の拠点だった岩櫃城跡があり、北関東を代表する山城とされている。岩櫃城は、天険の山城。のちに真田昌幸・信繁が徳川家康を恐れさせた上田城や大坂城「真田丸」の原型といえる堅城。「甲斐・武田氏」、外様でありながら「真田氏」。織田・徳川連合軍の甲州征伐で窮地に陥った武田勝頼に真田昌幸は、「岩櫃への撤退」を進言。「守り通す」ことを約束した。しかし、結局、勝頼は、譜代重臣の別の進言を受け入れて裏切りに遭い、武田はあっけなく滅亡した。

(この項「大河ドラマ真田丸の地岩櫃」HPより)                    

            

              左の座席に座っていたので、「岩櫃山」を確認できず。

                   

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吾妻(あがつま)線。その3。祖母島駅~中之条駅。

2024-09-10 20:52:00 | ローカル鉄道の旅

「吾妻川」左岸沿いに進みます。

収穫を迎えた田畑が広がります。

    「小野上駅」。

           

左奥に「吾妻川」。

「小野上温泉駅」。

              

1992年(平成4年)3月14日に開業した吾妻線で最も新しい駅である。当駅開業以前は駅周辺に住んでいる吾妻線利用者は隣駅の小野上駅を利用していたが、地元請願により沿線利用者の利便を図るため開業した。(乗車人数は30人前後)

※小野上温泉

JR吾妻線小野上温泉駅から徒歩すぐという高立地にある温泉地。この付近にあった塩川鉱泉を起源としており、この鉱泉は傷の名湯として知られ、第11代天皇である垂仁天皇の時代に開かれたともいう長い歴史を持つ。その後、廃湯となったが、近くで新温泉が採掘され湧出している。これが現在の小野上温泉となっている。また、付近には舞茸やブルーベリー、しいたけ、青梅などを収穫している農園があり、地元の新鮮でおいしい作物を購入したり味わったりするのもこの温泉地の醍醐味だ。

《泉質》浸かるとすぐわかるほど、肌にまとわりつくようなぬるりとしたお湯が特徴。体をしっかり温める塩化物泉で、含有するカルシウムイオンには、湯上がりの肌をつるつるすべすべにする効果があるとされる。美肌のほかにも神経痛や婦人病などに高い効能があるとされている。飲泉も可能で、胃腸病や便秘などへの効果が期待できる。

泉質:塩化物泉 効能:リウマチ、関節痛、疲労、婦人病、胃腸病、冷え性、高血圧、動脈硬化、皮膚病、便秘、美肌

(この項、「ゆこゆこネット」HPより)

「吾妻川」。

             

黄金色のじゅうたん。

「市城駅」。

             

大きな町並みになってきます。

まもなく「中之条駅」へ。

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吾妻(あがつま)線。その2。榛名山(はるなさん)。渋川駅~祖母島駅。吾妻川。

2024-09-09 21:23:02 | ローカル鉄道の旅

「渋川」までは上越線と同じ。

「渋川駅」は、利根川歩きのときに利用しました。

           「榛名山(はるなさん)」が左奥に。

           

榛名山

関東地方の北部の群馬県にある上毛三山の一つであり、古来山岳信仰を受けてきた山である。山の南西麓に榛名神社が祀られている。

山頂にはカルデラ湖である榛名湖中央火口丘の榛名富士溶岩ドーム(標高1,390.3 m)があり、 495年頃(早川2009)と約30年後に大きな噴火をしたと見られている。中央のカルデラと榛名富士を最高峰の掃部ヶ岳(かもんがたけ 標高1,449 m)、天目山 (1,303 m) 、尖った峰の相馬山 (1,411 m) 、二ッ岳 (1,344 m) 、典型的な溶岩円頂丘の烏帽子岳 (1,363 m) 、鬢櫛山 (1,350 m) などが囲み、更に外側にも水沢山(浅間山 1,194 m)、鷹ノ巣山 (956 m) 、三ッ峰山 (1,315 m) 、杏が岳 (1,292 m) 、古賀良山 (982 m) 、五万石 (1,060 m) など数多くの側火山があり、非常に多くの峰をもつ複雑な山容を見せている。

(「山と渓谷オンライン」HPより)

※1 上毛三山:赤城(あかぎ)山・妙義)みょうぎ)山・榛名山

※2 東麓にある「伊香保(いかほ)温泉」は、草津温泉などとともに群馬が誇る全国屈指の名湯。

「渋川駅」。

                

「上越線」と分かれ、「吾妻線」に。

「金島駅」。

田園風景が広がります。

上越新幹線。

稲刈り間近。黄金の波。

「祖母島(うばしま)駅」。

地名は、祖母塚と島の郷を合わせて名付けられた。 昔、日本武尊が東征の帰り沼田にとどまり、上妻の媛をめとり王子が生まれ、祖母塚はその母君の塚だと伝えられる。 ▼島の郷とは、吾妻川に沿った東隣の川島村、西隣の箱島村と当村の3村を合わせて称していたが、和銅年間に当地は祖母島と改められたという(『群馬郡誌』)

群馬県内では最も乗車人員が少ない(20名前後)。

         

駅舎側の堤に、「危ない!! ダムの放流による増水に注意 「気をつけましょう 川あそび」の標識が。

周辺のようす。

「吾妻川」を右岸から左岸へ。この先、「岩島駅」まで左岸沿いに進む。

群馬・長野県境の鳥居峠に源を発し、流域面積1,274km2、幹線流路延長76kmで、利根川上流の支川の中では烏川に次いで広い流域面積を有します。吾妻川流域は群馬県の北西部に位置し、草津白根山や浅間山の麓に高原が広がり、キャベツなどが栽培され、草津温泉をはじめとする数多くの温泉が湧出しています。吾妻川流域の直轄事業区域としては、嬬恋(つまごい)村、草津町、長野原町、中之条町(旧六合村)が含まれます。

草津温泉万座温泉などを起源とする強酸性の水が流れ込み水質はきわめて強い酸性である。周囲の鉱山からの硫黄も含まれ、魚はほとんど生息しない死の川であった。支流には普通の水が流れるものが多く、そこではサクラマスなどが生息する。雪解け水で酸性度が低くなったときに入り込んだものと言われる。昭和中期に草津町中和工場が建設され、川に石灰を注入することで水質が安定した。現在は下流部でアユ漁なども行うことができる川となっている。

この項「」HPより)

※「四万(しま)ブルー」に代表されるように、吾妻川の色は鮮やかなコバルトブルーになっているようです。今回訪問した「八ッ場ダム」落ち口の流れの色は、透き通るようなブルーでした。

※「吾妻(川)」の由来

吾妻(あがつま)⇒亡き妻を偲(しの)び、嘆いた

 ・・・『日本書紀』によると東征の後、都に戻ろうとした日本武尊(やまとたけるのみこと)が、この地で亡き妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲び「吾嬬はや」と3度嘆いたとされる。(「歴史人」HPより)

         「吾妻川」と「榛名山」。(「利根川」歩きのときの写真)

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