集団的自衛権、1日にも閣議決定へ 自公が合意の見通し(朝日新聞) - goo ニュース
このかん、朝日には(他のマスコミも一部いたが)何とかして公明党が「平和の党」という党是を貫いて欲しい、との記事が盛んに載った。所詮、自民党の補完勢力でしかない「公明党」。それを承知の上で、支持母体の「創価学会」(員)のこれまでの「平和」志向の姿勢を頼りにして、と気の毒なくらいのキャンペーンだった。
しかし、結果は予想通り。もともと、自民党の「高村」提案の土台は、公明党幹部の発案だったとか。
すぐには認められないと「大上段」に構えただけで、結局、型どおりの(これまで何度もそうしてきた、いつもの通りの)「ガス抜き」の会合は開いて、おしまい!
集団的自衛権 公明の容認方針 理屈の通らない変節だ
見苦しい変節と言うほかない。
公明党が集団的自衛権の行使容認へ方針転換した。「解釈改憲反対」の主張は取り下げる。安倍晋三政権のブレーキ役を任じてきたが、単なる政治的パフォーマンスだったのか。政府・自民党の言うがままに譲歩した。
自衛隊が戦争に参加する道を開く作業に加担している。もはや「平和の党」とは呼べない。連立政権に残ることを優先し、つじつま合わせを重ねた結果だ。信頼回復は到底おぼつかないと覚悟すべきである。
理解できないのは山口那津男代表の説明だ。「個別的自衛権に匹敵するような集団的自衛権」であれば許される余地があるという。いかにも苦し紛れだ。二つの「自衛権」には、自国が攻撃されているか否かという明確な一線がある。山口氏は「これまでの憲法9条の規範性は全く変わらない」と主張するが、無理がある。山口氏は昨年の参院選で集団的自衛権には「断固反対」と明言した。今年4月には解釈改憲を「憲法の精神にもとる」と批判した。
「国民の理解が不可欠」と言ってきた山口氏は、あからさまな前言撤回をどう説明するのか。集団的自衛権行使の8事例には「現実味があるのか」と否定的だった。公明党が軟化したことで、政府・自民党は8事例すべてに対応できると解釈する構えだ。
中東海域での機雷除去など、公明党が猛反対した集団安全保障による武力行使も、閣議決定はしないものの、国会答弁で認めようとする政府の動きが判明した。
政府・自民党を勢いづかせてしまった。山口氏は集団的自衛権行使の要件を狭めたことで「歯止めが利いている」と言いたいようだが、実態は逆ではないか。
党内も穏やかではない。きのう開かれた地方組織幹部への説明会では、出席者から懸念や慎重論が相次いだ。理念なき方針転換には党員も納得できまい。
連立離脱を排除したのは、政権の中から福祉政策などの実現を目指す方が得策と考えたのだろう。
だが、結果的に政府・自民党に足元を見られた。今後与党内で存在感を発揮しようにも、押し切られてしまうのは目に見えている。
来月1日には自公両党が正式合意し、閣議決定を行う日程が有力だ。その前にもう一度立ち止まって考え直すべきだ。
(2014年06月29日「北海道新聞」社説)
まさにその通りだ、と思う社説。でも、彼らにはこうした「正論」は届かない。それに、「民主党」も分裂気味、他の野党の中にはより積極的な「集団自衛権」路線もいる。悲しいかな、本気で反対する野党はごく少数。こうして公明党の変節も忘れ去られていくに違いない。
余録:踏まれても どこまでもついて行く げたの雪…
毎日新聞 2014年03月03日 00時12分(最終更新 03月03日 00時13分)
踏まれても どこまでもついて行く げたの雪。こんな永田町川柳がある。どんなに踏んづけられても、げたの歯の間にはさまった雪のようにしつこく離れない。ということだが、最後は解けてなくなってしまう、との怖いオチもついている▲自民党と連立を組んだ政党の与党・権力への執着とその末路を皮肉る秀句である。1990年代当時の社会党を例に取れば、連立を優先するあまり安保政策など根本的な党是を180度転換、結果的に野党第1党から弱小政党に転落した経緯がある▲今、この試練が公明党に訪れているように見える。集団的自衛権行使を憲法解釈変更で容認するかどうか。本来この問題に慎重な同党が、これを急がんとする安倍晋三首相との間でどう綱引きし、決着させるのか。政局の最大焦点になりつつある▲「げたの雪」として遠からず容認するだろう、との見立てもあれば、むしろ、公明党ペースで進むとの予測もある。山口那津男同党代表は「雪」ならぬ「公明党=げたの鼻緒」説を唱え強気である。自公連立の長年の実績、公明の集票力への自民の構造依存が背景にある▲要は、この問題が公明党にとってどのレベルの党是なのか、であろう。有力幹部の一人が「最後の一線。ここを譲れば社会党と同じ運命だ」と語るのを聞いたことがある。であるならば、事は重大だ。党の存亡をかけての判断となる▲どちらに転ぶにせよ、自公連立にとっては大きな節目になる。肝心なのは、国民世論に対し、オープンでわかりやすい論議を尽くすことである。国民をげたの雪扱いしたとたんに支持率は雪のごとく解けてゆくであろう。
この記事も、今や、むなしい!
「社会党」と根本的に違うのは、公明党は、手弁当で必死に選挙運動に駆け回る方々、確固たる「信心」「信仰心」「御利益心」(他者から見れば実に歪んだものだが)を持った方々に支えられているということ。だから、節を曲げたと言われようが、何と言われようが、まったく影響はない方々(聞く耳を持たない連中)なのだ。
いざ「集団」自衛権が発動される場面でも自公(+α)で押し切る覚悟は出来ているはず。万が一、派遣された自衛隊員に、戦闘中の犠牲者が出たら、ますますいきり立つだろう。
そして、その犠牲者を国を挙げて「靖国神社」に祀ろう、となったら・・・、その時、獄中で死んだ初代会長やとりわけ二代会長の精神を受け継ぎ、公明党と決別する学会員はいるのか? それとも、もうすでに牧口、戸田を葬り捨てる覚悟が出来てしまっているのだろうか?
このかん、朝日には(他のマスコミも一部いたが)何とかして公明党が「平和の党」という党是を貫いて欲しい、との記事が盛んに載った。所詮、自民党の補完勢力でしかない「公明党」。それを承知の上で、支持母体の「創価学会」(員)のこれまでの「平和」志向の姿勢を頼りにして、と気の毒なくらいのキャンペーンだった。
しかし、結果は予想通り。もともと、自民党の「高村」提案の土台は、公明党幹部の発案だったとか。
すぐには認められないと「大上段」に構えただけで、結局、型どおりの(これまで何度もそうしてきた、いつもの通りの)「ガス抜き」の会合は開いて、おしまい!
集団的自衛権 公明の容認方針 理屈の通らない変節だ
見苦しい変節と言うほかない。
公明党が集団的自衛権の行使容認へ方針転換した。「解釈改憲反対」の主張は取り下げる。安倍晋三政権のブレーキ役を任じてきたが、単なる政治的パフォーマンスだったのか。政府・自民党の言うがままに譲歩した。
自衛隊が戦争に参加する道を開く作業に加担している。もはや「平和の党」とは呼べない。連立政権に残ることを優先し、つじつま合わせを重ねた結果だ。信頼回復は到底おぼつかないと覚悟すべきである。
理解できないのは山口那津男代表の説明だ。「個別的自衛権に匹敵するような集団的自衛権」であれば許される余地があるという。いかにも苦し紛れだ。二つの「自衛権」には、自国が攻撃されているか否かという明確な一線がある。山口氏は「これまでの憲法9条の規範性は全く変わらない」と主張するが、無理がある。山口氏は昨年の参院選で集団的自衛権には「断固反対」と明言した。今年4月には解釈改憲を「憲法の精神にもとる」と批判した。
「国民の理解が不可欠」と言ってきた山口氏は、あからさまな前言撤回をどう説明するのか。集団的自衛権行使の8事例には「現実味があるのか」と否定的だった。公明党が軟化したことで、政府・自民党は8事例すべてに対応できると解釈する構えだ。
中東海域での機雷除去など、公明党が猛反対した集団安全保障による武力行使も、閣議決定はしないものの、国会答弁で認めようとする政府の動きが判明した。
政府・自民党を勢いづかせてしまった。山口氏は集団的自衛権行使の要件を狭めたことで「歯止めが利いている」と言いたいようだが、実態は逆ではないか。
党内も穏やかではない。きのう開かれた地方組織幹部への説明会では、出席者から懸念や慎重論が相次いだ。理念なき方針転換には党員も納得できまい。
連立離脱を排除したのは、政権の中から福祉政策などの実現を目指す方が得策と考えたのだろう。
だが、結果的に政府・自民党に足元を見られた。今後与党内で存在感を発揮しようにも、押し切られてしまうのは目に見えている。
来月1日には自公両党が正式合意し、閣議決定を行う日程が有力だ。その前にもう一度立ち止まって考え直すべきだ。
(2014年06月29日「北海道新聞」社説)
まさにその通りだ、と思う社説。でも、彼らにはこうした「正論」は届かない。それに、「民主党」も分裂気味、他の野党の中にはより積極的な「集団自衛権」路線もいる。悲しいかな、本気で反対する野党はごく少数。こうして公明党の変節も忘れ去られていくに違いない。
余録:踏まれても どこまでもついて行く げたの雪…
毎日新聞 2014年03月03日 00時12分(最終更新 03月03日 00時13分)
踏まれても どこまでもついて行く げたの雪。こんな永田町川柳がある。どんなに踏んづけられても、げたの歯の間にはさまった雪のようにしつこく離れない。ということだが、最後は解けてなくなってしまう、との怖いオチもついている▲自民党と連立を組んだ政党の与党・権力への執着とその末路を皮肉る秀句である。1990年代当時の社会党を例に取れば、連立を優先するあまり安保政策など根本的な党是を180度転換、結果的に野党第1党から弱小政党に転落した経緯がある▲今、この試練が公明党に訪れているように見える。集団的自衛権行使を憲法解釈変更で容認するかどうか。本来この問題に慎重な同党が、これを急がんとする安倍晋三首相との間でどう綱引きし、決着させるのか。政局の最大焦点になりつつある▲「げたの雪」として遠からず容認するだろう、との見立てもあれば、むしろ、公明党ペースで進むとの予測もある。山口那津男同党代表は「雪」ならぬ「公明党=げたの鼻緒」説を唱え強気である。自公連立の長年の実績、公明の集票力への自民の構造依存が背景にある▲要は、この問題が公明党にとってどのレベルの党是なのか、であろう。有力幹部の一人が「最後の一線。ここを譲れば社会党と同じ運命だ」と語るのを聞いたことがある。であるならば、事は重大だ。党の存亡をかけての判断となる▲どちらに転ぶにせよ、自公連立にとっては大きな節目になる。肝心なのは、国民世論に対し、オープンでわかりやすい論議を尽くすことである。国民をげたの雪扱いしたとたんに支持率は雪のごとく解けてゆくであろう。
この記事も、今や、むなしい!
「社会党」と根本的に違うのは、公明党は、手弁当で必死に選挙運動に駆け回る方々、確固たる「信心」「信仰心」「御利益心」(他者から見れば実に歪んだものだが)を持った方々に支えられているということ。だから、節を曲げたと言われようが、何と言われようが、まったく影響はない方々(聞く耳を持たない連中)なのだ。
いざ「集団」自衛権が発動される場面でも自公(+α)で押し切る覚悟は出来ているはず。万が一、派遣された自衛隊員に、戦闘中の犠牲者が出たら、ますますいきり立つだろう。
そして、その犠牲者を国を挙げて「靖国神社」に祀ろう、となったら・・・、その時、獄中で死んだ初代会長やとりわけ二代会長の精神を受け継ぎ、公明党と決別する学会員はいるのか? それとも、もうすでに牧口、戸田を葬り捨てる覚悟が出来てしまっているのだろうか?