おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

世代間倫理としての環境倫理学

2007-12-31 15:03:24 | つぶやき
 昨日の朝のTV。「サンデー・・・」。関口宏もずいぶん老けて髪もだいぶ薄くなってしまったようで・・・。
 あまりテレビには関心のない日常生活。まして、日曜の午前中などは、だいたいがだらだら過ごしている。年末は、家の中の片付けやらなにやらで、のんびりもしてられず、せきたてらるように起き出して、朝飯を食べて、少しばかりTVを見始めた。
 この番組。最近は、見たことがなかった。前半はつまらなくて、興味もなかったが、後半の特集は、意外に面白かった。
 「格差と地球温暖化」という一見関係なさそうな事象が、実は、密接に絡み合っているというテーマで、産業革命、すなわちエネルギー(化石燃料を用いる)革命以来の歴史をたどりながら、ドバイ・インド・中国の「格差」社会のすさまじい現実。一方で、北極海の氷山の急速な減少、住民や動物たちの苦しみ。アフリカ・ビクトリア湖の魚加工水産業、資本投下と現地の人々の生活苦。
 自然現象の猛威など、夏目漱石が見た、19世紀のロンドンのすさまじい公害の様子(痰が真っ黒になってしまう現状からの、鋭い文明批判・・・)なども織り交ぜながら、(とはいっても漱石の話も含めて、ほとんどが承知していた内容であったが)改めて映像で確認しながら見ていると、身につまされる思いがした。
 コメンテーターも、いかがわしいタレント連中ではなくて、その道の識者が揃っていて、受け答えも十分であった。田中優子さんのお姿も、はじめてTVで拝見した。彼女の江戸時代の関する書籍を読んでいるので、興味深かったのだ。また、オーム真理教での鋭い追求で気を吐いた、江川紹子さんもお元気でした。
 金子教授をはじめ、他の方々も、きちんと他の人の話をメモをしながら聞き、自分もきちんと論証していく姿勢に、共感を覚えました。そして、それぞれが、巧みに現状分析と展望を語っていました。こういうやり方が、この番組のコンセプトなら、これからも見てみたくなりました。
 その中で、グローバリズムがアメリカの不況脱出から生み出され、「新自由主義」(小さな政府、官から民へ、市場自由主義、規制緩和・・・)というかたちで、日本の構造改革への圧力となって、コイズミ政治として変革をもたらし、それが格差社会をうみだしてきたこと。それらは、けっして日本だけのことではないこと。「まず力があるモノが、富を増し、それを、貧しいモノへ波及させていく」ことが、実は、「富めるモノは、ますます富み、貧しいモノは、ますます貧しくなっている」現状。
 ドバイの建築ラッシュ。目を見張るような高層住宅。人工島。なんと地球の大陸を模した埋め立て地が出現している!その中で、出稼ぎに来る、インド人などの外国人労働者の虐げられた生活・・・。
 ごく一部のオイル長者が、国家規模で投資先を諸外国の先端技術資本に回して荒稼ぎし、「マイ」(個人・国家)の生活の豊かさだけを追求し、他をかえりみない・・。オイルマネーがどうしてこのように自在に世界経済を動かしていくことができるようになったのか?
 まさに、新自由主義が破綻している現状。アメリカ資本主義は、「株主」優遇主義となって、その会社で働く労働者には、まったく還元されない。
 ソ連崩壊によって、社会主義・共産主義(的考え方)が敗北し、資本主義・自由主義が勝利した。こういう流れの中にあって、誰も現状の資本主義(自由主義)の矛盾を、冷静に批判することなく、富裕層への生活転換を夢見て(踊らされて)、競争原理の中で、悪戦苦闘を強いられる。すでに、スタートラインから差がついているのにもかかわらず。
 それも、所詮、今、生きている我々の中での競争原理でしかない。未来世代に対する倫理観もないままに、また、地球環境(人間以外の動植物への、自然環境)への洞察力もないままに、突き進んでいる現状。
 「人間中心主義:人間主義」などという概念それ自身が、自然環境、地球環境などをまったく考えに入れない、一部の人間のおごりであることを感じた。
 未来世代への責任、そうした視点から、環境問題、ひいては人間の文化の有り様を考えていく時代が来ているのではないか。
 哲学者の加藤尚武さんが提唱する「環境倫理学」あるいは、千葉大学の小林教授たちが訴える「公共哲学」の思想・立場が、大事になってきているように思う。
 今のTVは、つまらない番組ばかりだと思っていた、自らの不明を恥じる。
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フィギュアとアド街ックと

2007-12-30 08:13:32 | つぶやき
 ふだんは、TVとはあまり無縁。でも、昨晩は、ついつい見てしまいました。思いがけず年末の番組。フィギュアとアド街ックと。合わせて4時間くらい、TVの前に。
 飯を食いながら、孫の面倒を見ながら、Wiiのfitをやりながら・・・。ながら、ながら、なんて久々でした。
 ついついひきこまれたしまったのは、生のバックミュージック・管弦楽団の演奏で、優雅に、かつ大胆に、個性豊かに演技する選手たちの若い躍動的な姿でした。 テープなら、途中の曲目変換などのタイミングは十分でしょうが、生となると、そうは簡単ではない。それを実に見事に調和させていました。
フィギュアスケートの世界選手権(来年3月・イエーテボリ=スウェーデン)代表らのエキシビション「メダリスト・オン・アイス」。29日、大阪なみはやドームで行われたものでした。  
 「ホリデイ・オン・アイス」とかいうアイス・スケートのショー。今でもあるのかどうか知りませんが、年甲斐もなく、一度実際に足を運んでみたくなりました。 
 12月31日の大晦日のTV。最近はもうワンパターンの「紅白」か「格闘技」かという、ろくでもない「選択肢」しかない取り合わせよりも、フィギュアスケートの放映でもしたほうが「視聴率」がとれるのではないでしょうか。来年はぜひ31日の放映を期待しています。
 これで、風呂にでも入ってと思ったら、今度は「アド街ック」が・・・。なんと京成沿線特集。内藤選手もゲストに出て、総集編というやつ。
 この番組。なじみのある街が、このところ特集されています。この番組。長く続いているようですが、特定の街、それも有名どころではなくて、無名に近い街の隠れた名物紹介。視聴者率はどの程度なんでしょうか?
 「町屋」「四つ木」「八広」「曳舟」など、下町を通る京成電車。これも興味深くついつい最後まで。
 「(元祖)ハイ・ボール」「モツの煮込み」「ホルモン」など飲み屋のメニュー紹介ばかり目につきましたが、それもなかなかよし! 第何十位でしたか、昔の知人も登場していました。下町らしい義理と人情、心意気を感じさせられました。
 先端技術から、お寺さんまで、街の隠れた(評判の)モノや人を取り上げ、幅広く扱うこの番組も、けっこう気に入っています。
 まあ、マイナーのテレビ局・葛飾ケーブルテレビの「特集」のようなものが、放映されるなんて、小気味よいですね。
 以上、久々の「テレビ批評」でした。
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何か変!宮内庁様

2007-12-29 08:34:48 | つぶやき
女性セブンの報道、宮内庁が訂正を要求(朝日新聞) - goo ニュース
 この記事。宮内庁の抗議の仕方が何か変!
 天皇一家の、ごく限られた内輪での話が、外に漏れて伝わる。誰かが、インチキな(もしかしたらホントウの)内容を外部に漏らす。意図的に、伝えていく。そして、それを重大事件のように、報道する週刊誌。
 これまで、女性週刊誌は、天皇一家の動向をどちらかというと好意的に、報道していた時期があった。むしろ、宮内庁のほうも、積極的に情報を流していたこともあったのではないか。
 最近は、かなり批判的(特に皇太子一家、雅子さん)な記事も目立つ。反論する機会も与えられず、誤った(もしかしたらホントウの)情報が世間にばらまかれていく。それがこの間の天皇の記者会見発言にもあるような、マスコミ批判にもなっていく。所詮、「売れたらなんぼ」の週刊誌と宮内庁の蜜月時代が終わっている感じ。
 でも、問題は、誰かが情報を流さない限り、記事には出来ないと言うこと。
 記者がその場にいたはずもないし、また、直接当事者(天皇一家の誰か、たとえば、皇太子の弟とか)に裏付けをとった記事でもない、と思う。まさか、皇居のいたるところに、盗聴器が仕掛けられていて、言動の一部始終があらわになっているはずもあるまい。
 宮内庁関係者で、意図的に情報操作をしている「役人」がいるのではないか。身内の情報管理の甘さもあるように感じる。
 勿論、天皇一家が、ベールの向こう側に「お隠れに」なって、皇室の動向が国民の前に示されないことは、戦前の「神格」化にもつながっていきかねない。
 イギリス女王一家のように、離婚やら、恋愛騒動やら、不始末やらがのべつまくなしに報道される事態に、日本の王家がならないために、今から厳しく対応しようとする政策的意図があるのだろうか、宮内庁に。
 ただ、宮内庁も、やみくもに反論するだけではなく、どうしたら天皇ご一家の様子、お考えが正しく国民に伝わるか、まず身内の議論が必要ではないか。権力的に対応することでは、かえって、国民の不信感(というよりは興味本位な視線)を増す。
 実は、こうした報道にまつわるいきさつを考えると、天皇と皇太子との対立をことさらに煽りたい、身近な「身内」とその支持者が存在しているのではないだろうか。
 国民の側も、意図的なマスコミ報道と、それへの過剰な宮内庁の反応に、冷静な目をもち、天皇家を見守る姿勢が必要なのではないか。
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自転車通行。ちょっと待って下さい、警察庁様

2007-12-28 09:28:10 | つぶやき
 「自転車の教則」をもう何十年ぶりに変えるとか。でも、新聞報道を見る限りでは、どうもおかしい。
 根本的なこと、すなわち「道交法」では、はっきり示されているように、自転車は軽車両。必ず左側通行だということ。
 このことの徹底がなされないまま、歩行者の危険を避けるため、歩道通行を規制し、自転車を原則「車道」通行にする。これでは、逆走(右側通行)自転車を増加させるばかりで、ますます車と自転車の事故が増加するにちがいない。
 今、多くの自転車は、通行レーンもないままの車道を、右でも左でも、勝手気ままに走行している。一部の違反には反則金を課するそうだが、それなら、以前から主張している「逆走自転車」をきちんと取り締まり、罰金を科するべきだ。
 と同時に、自転車が安全に車道を通行できるよう、専用レーンを設けることが大事だ。
 たとえば、バスレーンというのがある。事実、明治通りの南千住付近では、朝には必ず警察官が見張っていて、自動車がバスレーンを通っていると、必ず取り締まっている。
 そういうやり方をするならば、今度は、自転車レーンを必ず設置し、そのレーンに割り込んで停まっている自動車の摘発、処分、強制移動、そのくらいはやってほしい。
 その辺りはあいまいにしておいて、ただ歩道から閉め出すだけなら、警察当局のごまかしでしかない。
 どうせ変えるなら、まやかしの規制ではなく、自転車と車の共存、人と自転車の共存をめざした、抜本的な改正を望みたい。せっかく減ってきた交通事故が、この「改正」でかえって増加しては、いったい何のためなのか。
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オスカーピーターソン

2007-12-27 11:45:44 | つぶやき
 オスカー・ピーターソンが亡くなりました。その死は、日本のマスコミでもあまり取り上げられませんでした。たぶん「朝日」でも記事にならなかったような。何だか寂しい気がします。
 一世を風靡したジャズ・ピアニスト。レコードを聴き、それをテープにコピーして、車の中でもよく聴いていました。そして、日本のジャズマンのライブを聴きに行ったものです。
 私に、モダン・ジャズという、すてきな世界を教えてくれた、偉大なミュージシャンでした。かつて、日本に来たとき、聴きに行きました。その時の文章を再掲します。

 来日最終公演を聴きに行った。この人のジャズは、70年代ごろよく耳にしていた。
 まだCDのない時代、LPレコードを借りてきたり、買ったりして、それをテープにダビングしたりもした。また、当時、モダンジャズと称していたジャズをライブで聴いたりもした。新宿や銀座で。
 そのころ、オスカーピーターソンは、アメリカやヨーロッパのジャズとも違った雰囲気のピアノを弾いていた。たぶん、間違いでなければ、ハミングするような声がバックに聞こえてくる中で、軽やかに演奏していたように覚えている。黒人でありながらというと変だが、黒人音楽特有の粘っこさや泥臭さ、激しさがいい意味でなくて、小生の好きなタイプのジャズ演奏であった。
 そのジャズが生で聴けるという期待で出かけた。ご本人は、病的なほど異常に太っていて歩くのも困難なようだったのには、聞いてはいたものの愕然とした。
 しかし、ひとたびピアノに向かうや、かつて耳にしていたサウンドが飛び込んできた。最初のうちこそ、ピアノの鍵盤も高音部を含め、音域が少し狭く感じたが、だんだんとその音域も広がり、ラスト近くには、往年の、かつて耳にしていた音楽が奏でられた。
 もう来日は無理かもしれない、最近有名な、一世を風靡したジャズマンが次々と亡くなっていく中で、そのレクイエムともいうべき音楽がそこにはあった。リズミカルでサウンドと叙情的な音楽が見事にマッチしていて、久々に感動した。
 東京フォーラムAというだだっ広い会場が適しているとは思えないが、興行的にはそれも仕方がないかもしれない。例えば、もっと小さな会場で接したらもっと感動は大きかったであろう。
 また、舞台の照明が後追い照明の典型で、演奏が始まったあとにその演奏者を明かりが追ったり、途中から無意味な照明効果を狙ったりで、その点の工夫がなかったのが大変惜しく、せっかくの演奏の足を引っ張った感がした。
 この健康状態では再来日は厳しいようだ。そのラストチャンスに恵まれたような感じがした。
(2004/10/12 記)
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「さん」「君」「ちゃん」(小学生の呼称について)

2007-12-26 07:23:50 | つぶやき
 「楽しいはずのクリスマスイブの夜が暗転した。24日夜、東京都練馬区の東京外環道大泉JCT付近で起きたバスからの児童転落事故。サッカークラブに所属する小学5年の吉崎健君の死亡・・・」
 これは、産経新聞の記事です。ここでは、小学5年生の子どもに対して「君(くん)」付けにしています。一方で、朝日新聞では、一貫して「さん」付けになっています。
 もし、これが女子児童だったら、産経は「ちゃん」にするのかしら。朝日はやはり「さん」にするのかしら。被害者には気の毒だが、ちょっと気になりました。
 朝日では、インタビューの中でも「ボールをとろうとして吉崎『さん』が」となっています。小学生の子どもたちが、男の友達を「さん」付けするとは思えませんが。発言者が女子の子どもでも、「さん」というふうに、新聞では、表現するのでしょうか。
 以前、小学校の先生が男子を「君」付け、女子を「さん」付けにしていることが話題になったことがあります。
 ずっーと以前は、生徒(児童)に対して、男子にも女子にも「さん」付けだったのが、女子教員が増えてから、男には「君」女には「さん」と、男・女を区別するようになった、といううわさ(都会伝説の一種か)がありました。ついでに、その善し悪しに対して、いろいろと議論があったように覚えています。
 生徒(児童)どうしでも、女子は男の子には「君」付けが一般化しているようです。男子は女子には「さん」づけにしているようです。
 今は、「君」は上司から部下への言い方?、目下の者への言い方にもとれるのでしょうか。かつては、相手に対する尊敬の意味もあったのではないかとも思いますが。だから、「君」付けはいけない・・・。そういう議論にもなっていった?
 また、何歳くらいから「さん」付けになるのでしょうか、「産経」では?
 こんな不幸な出来事から不謹慎ですが、新聞報道においての呼称の違いにちょっと不思議な感じがしました。「毎日」や「讀賣」はどうだったのでしょうか?
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塾、家庭教師、そして親に・・・

2007-12-25 09:05:37 | つぶやき
なかなか成績が上がらなくて、困っています
ええ、夏休みから、家庭教師のセンセイにも来てもらっていますが
学校の方は、何とかなっています

せめて、あそこくらいには行かせてやりたいと
ええ、別に宗教がというわけではないんですが
学校の雰囲気がとてもすてきで、この子に向いているんじゃないかって

先生もご存じのように、小学校も私立ですので
今さら公立中っていうこともできませんですし・・・(涙)

皆さん、がんばっていらっしゃるんですから、せめてもう少しうちの子も
ハイ、家庭教師には、もう受験に向けたやり方を
算数と国語、社会、理科、週に2日ですが
国語は何とかなりそうですが、他の教科はどうも

ええ、偏差値は分かっています、40以下だっていうことも、でもそこを
無理を承知でお願いしたいんです、だって小学受験で失敗したから
リベンジですよ、中学で

この子には力はあるんですよ、でもそれをうまく受験に役立てられない
親ばかっていえばそれまでですが、何とか入ってくれないかと
他のレベルの低いところですか?
今は考えたくないです

まだ5年生じゃないですか、あと一年で何とかなってくれるのでは
のんびり屋さんだからいけないんですよ、この子は(涙)

お姉ちゃんですか、どうも学校に合わなくてちょっと不登校気味で
だからこの男の子に頑張ってもらわないと

だって、地元の公立中学は、よくないですよ
今度は、統廃合になるってことですし
また高校受験の頃に、ばたばたしたくないです
そこの区立中学校だって、そのころ、どうなっているか

そうですか、伸びてないんですね、成績が・・・
本人もよく分かっていないんですか、今の状態が(涙)
どうにかなりませんかね、この子をどうしてもあそこに行かせたいんです
中学受験で失敗しても、高校受験がある・・・それを考えると・・・(涙)

たしかに先生のおっしゃるとおり、子どもがいつ成長するか分からない
「大器晩成」ですか、でも、そうのんびりともできないじゃないんですか
子どもも、そのことをもっと自覚ししてくれればいいんですよ
先生からも厳しく言って下さい、お願いします、家でも頑張らせますから(涙)

 中学受験は、親の意志がほとんど。なかには、子どもの積極さもあるが。
 サッカーや野球が大好きな子ども。スイミングに頑張る子ども。
 芸能界にあこがれ、将来を夢見る子どもたち。
 その中に、勉強が大好き、勉強で頑張りたい、そういう少年少女がいても当然。
 
しかし、サッカーでも、水泳でも、タレントでも、そのセンスや資質は、厳しく問われる。その中で、よき指導者のもとで、本人も人一倍努力し、励み、やっと同世代のなかでも、抜きんでた存在に。
 誰でも努力すれば、親の期待通りに、栄冠を勝ち取るわけではない。まして、親の欲目でなれるものでもない。早くから才能を発揮する者もいれば、じっくり熟して大きく実る子どももいる。
 何でも小さい頃に全面開花しなければいけない、というような風潮は、どこかおかしい。
 英才教育ばやりの世の中。小さいうちから鍛えていれば、何とかなる、というような幻想と焦燥を、親に、特に母親に与えて、金稼ぎの手段とする連中は数多い。その中にあって、自分の子どもの成長を正しく見つめていける、親の役割は大きいと思う。
 「親」離れどころか、「子」離れ出来ない親の多いことよ。我が子しか見えず、我が子さえ良ければいいとしか考えない親の多いことよ。その親たちもある種の犠牲者ではある。
 塾の面談。子どもの前で、涙を流す親の悲しみ・悔しさ・・・。これも、今の日本の教育、子どもを取り巻く大人たちの悲しい現実なのかもしれない。
 
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モンスターペアレント

2007-12-24 13:30:19 | つぶやき
 いやあ、参りましたよ。ついに訴えられました、教育委員会に。何ってね、ちょっと遅れた子がいるんですよ、一人。
 その子の試験でね、漢字にフリガナをふらなかったって、クレームが入ってね。いやあ、参りましたよ。何ってね、その担任が、もう特別扱いにしなくっていいって言うからね、試験でもそうしたわけですよ。
 そしたら、そうとうご不満でね、うちの子に差別したったね、文句を言ってきたわけ。いやあ、それで、こういうふうに担任に言われたんで、その通りにしたって返事したら、それがやっぱり気にくわなかったらしくて、校長どころか即教育委員会へ言った、ってことですよ。
 でね、それが何とか収まったら、今度は、いつまでも特別扱いするな、ってクレームをつけてきたってことですよ。いやあ、参りましたよ。だって、おかしいじゃないですか、特別扱いしろって言ったかと思ったら、今度は特別扱いはやめろ!っていったい何なんですかね。
 むしろ、子供の方が、まっとうな感じですよ。親の方が、母親の方が熱くなってるって感じ。私は、あなたのために学校に文句を言って、あなたのために頑張っているのよ、ってアリバイ作りなんですかね。他に母親としてやるべきことがあると思うんですがね。
 これで、俺がもう学校なんてやめた、って言ったって、何とも感じないでしょうね、こういう親は。まあ、気の毒な面もありますがね。
 いやあ、そのまま、何の音沙汰もないですよ、教育委員会からも。受験生だから、親がぴりぴりしているのは、分かりマスがね。勝手すぎます、それでなくたって、ゆとり教育で、子供もめちゃくちゃなんですから。
 いやあ、参りました。今度は、いっそのこと、島にでも行こうかと思っています、何年間かは。島の豊かな自然の中で、教育らしい教育をしてみたいから。
 いいですよ、ぜひ遊びに来て下さい。でも、いつまで教員生活がもつかしら、って、不安になりますよ。精神的にも、ボロボロ。
 どうにかして下さいよ、お願いしますよ。
 近所の息子さん。3年前に、晴れて中学校の理科の先生になりました。希望に燃えて就職し、授業に、クラブ指導に頑張っています。なにしろ、土日も返上して、学校に行っているとのことです。
 その方が、最近、道で会っても、元気がありません。いったい何があったのでしょうか。愚痴混じりに語ってくれました。こんな私ですが、話しをして、少しは気持ちが晴れればいいのですが。のち
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天皇さんのほうがバランス感覚ありかな?

2007-12-23 14:35:02 | つぶやき
 天皇の誕生日会見発言。格差のこと、年金のこと、マスコミ報道のこと、きちんと述べて、国民の目線で心情(信条)を吐露した。
 これが戦前なら、この天皇発言を受けて、慚愧に堪えない、と恐れ入る忠臣も出てきそう。今の厚顔無恥な政治屋どもには「何とかにしょべん」くらいにしかとらえられないだろう。
 以前にも、おっちょこちょいの忠臣気取りの将棋指しが「君が代」発言で「強制」を軽くたしなめられたことも。その時も、この男、かえって天皇批判をしたような・・・、いやむしろ、天皇発言を利用した場面もあったが、今回ははたしてどうかな?
 いずれにせよ、庶民とは無関係な高貴なお方が、「へた」な政治家よりも世情に通じて、今の国民の不安や怒り(?)をよくご存じだ!ここに、今の日本国民の悲劇がある。
 ずっと昔、今の天皇がまだ皇太子だったころ、おうちにお邪魔して、一緒に食事をごちそうになった男から直接聞いたが、この家庭、思ったよりもいたって質素な生活ぶりだったそうだ。
 天皇さん、あなたに庶民の苦しい生活が分かるはずがない、と批判するのは簡単だが、今の政治の堕落ぶりには、お上も衆生もあきれていることを、もっと政治家は、真摯に受け止めるべきだ。
 そうは言っても、何だかUF0のことで、今度は鳩山法相まで発言して、大賑わいをしている永田町。鳩山、アルカイダ発言とかいろいろ物議を醸す御仁を含め、「アホ」な為政者どもには、「面の皮」が厚くて、何にも感じないだろうが。
 だいたい「いないもの」を「いない」と証明することほど、至難の業はないのにね。これで、弟から名指しされた「宇宙人」鳩山兄までUFO論議に参戦したら、いよいよ物笑いの種だ。
 ところで、今回の天皇発言。また、どう「政治利用」するか、これも、みものですな。
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厚労省のやることは他にあるでしょ!

2007-12-22 21:59:31 | つぶやき
上野公園の“メタボ鴨”、北へ帰れる?…専門家の間で議論(読売新聞) - goo ニュース
 どうもメタボばかりが、大流行。メタボ治療でこれから儲けよう、というキャンペーンに悪のりしているしか思えない。ついにカモまでそのえじきに。
 ネギをしょってるカモがいたなら、話題にしてもいいが。これごときで、ニュースにするマスコミも、マスコミ。
 薬害問題で、もっとやらなければいけない。年金問題で、もっともっと真剣にやらなければダメ!その厚労省も、桝添になってからますます官僚がなめてかかって言いたい放題、やりたい放題。
 UFOでも、閣僚が言いたい放題、防衛省官僚も、悪のり発言。今や、政権末期の様相。
 それでも「おとぼけ」福田は、合間を縫って官僚組織・天下りを容認する、という、もうまるで国民不在。早く衆院選をやって政権交代だ!
 国民を愚弄するにもほどがある!
 マスコミも堕落し放題だ!
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70才以上はどうなっているのか?

2007-12-21 23:34:11 | つぶやき
 年金では老後生活は守れない!が圧倒的との結果。当然でしょう。ホントウにそう思います。まさに我が家の現実ですから。再雇用で週に5日も働いていて。そのせいで、かえって、年金は大幅に減額され、月給は激減し・・・。
 これから、いよいよ大幅な生活必需品が値上がりする。いったい老後の生活は、と不安になるのは当然です。子供たちも独立し、夫婦二人になっても生活は楽ではない。医療費の心配は尽きません。
 まして、夫婦のうちでどちらかが、まだ年金支給年齢に達していない場合は、悲劇的です。たった一人の年金・給料で生活しなければならない。数年前までは、60才になると、年金は満額支給された。働けばそれに見合った給料をもらい、だからといって、年金が減額されることもなかった。
 どうも、日本の年金制度の考え方。30才前に結婚し、60才前に子供たちが自立し、その子供たちの家族と同居して老後を過ごす・・・。かつての「日本的家族制度」もっとはっきり言えば、「農村家庭」を、老後の生活のベースとしていたのではないか、と。
 だから、最近の、急激な核家族化の進行、晩婚、子供がなかなか自立・独立しない、二人(または一人)世帯の増加・・・。これで、老後の不安がない方がおかしいくらい。
 一番気になるのが、69才までの調査の結果で、年金不安が増しているということ。70才以上の方々は、実に多額の年金を貰っているのです。中には、年600万くらいの方もいる。
 この人たちの現役時代の年金の掛け金は、そう高くはなかった。それをお手盛りお手盛りで、厚く保護したのが、今の年金制度(軍人恩給はその最たるもの)。この矛盾と疲弊を、すべて今の団塊の世代以降の人々にむりやり押しつけているのです。
 団塊の世代。ゆりかごから墓場まで競争・狂騒・・・。日本の高度成長を戦士と支えてきて、挙げ句の果てが、老後の苦しみ。
 70才以上の老人にはことごとく稼ぎを吸い取られ、50才以下の人には日本の戦後の諸悪の元凶みたいに言われ、まったくいいことないですな。
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見てはもらえぬ・・・

2007-12-20 22:04:28 | つぶやき
 ブログの書き込みも、めっきり少なくなり、書きながら、かえってむなしくなり、かといって、他に楽しみもなく・・・。
 世の中の出来事に、義憤にかられても、もう今や、やたら義憤だらけで、新鮮味も薄れ。
 一億総コメンテーター気取りの中で、人の意見は聞かず、自分の意見ばかり押し通し、気にくわなければ、シャットアウト。「詠み人知らず」であっても、世に通用する、名歌の一つも、ものせず。不平・不満を書くのみ・・・。
 そうこうしているうちに、もうすでに、「師走」。あと10日余りで今年も暮れる。いったい今年の一年はどのように振り返るか。
 振り替えることもできない人生を、また一つ冥土に近づく齢を重ねた。
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喪中につき

2007-12-16 22:09:49 | つぶやき
 最近、喪中はがきが届きます。あの方からも、この人からも・・・。
 たいがいは、父親、母親ですが、夫妻だと、義父や義母の場合もあります。ひと頃よりはちょっと少なくなりました。ちょっと一段落したのでしょうか。年齢的にも。
 それでも、今の対象の方は、90才くらいの方が多いようです。たしかに「高齢社会」になっているな、と感じます。まだ、幸いにご本人が亡くなって、奥さんなどから欠礼の挨拶状は、ほとんどありません。
 年賀状も、200枚近くになると、実は、喪中のはがきが来た人には、出さないので、そのまま永久欠番にでもしようか、とも思いますが、それもなかなか決断が出来ず、翌年には復活となる場合が多いですね。
 そうそう、たまに、実兄や実姉が亡くなったから、というはがきもありますが、まれなような気がします。どの範囲で喪中にするのか、どういうものでしょうか?
 こうして、今年も年賀状を書く時期が来ました。挨拶部分はパソコンで打ちますが、ホントウの挨拶や宛名は、相変わらず手書きなので、もう、いつも年末ぎりぎりになってしまいます。
 早くも、年賀状の受付が始まったようです。けっこうやっかいな仕事で、気が重くなることもありますが、こうして年賀状を書くことで、慌ただしい一年のけじめにしたいものです。
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データ分析のおそまつさ

2007-12-15 21:27:10 | つぶやき
携帯使う小学生は優秀 塾通いで持たされるから?(産経新聞) - goo ニュース
 塾通いと携帯を持つこととは、たしかに相関関係にはあるでしょう。
 塾。小学校4年生からでないと、私立受験には間に合わない、ご時世。
 かつては、5年生からでも、何とか受験対応できたらしい。今は、学校でやってない内容をフォローするためには、4年になったら塾通い。4年生でも今頃に入ったのじゃ間に合わない。
 学校帰りに塾に直接行って、コンビニで夕飯を買って(中には持ってきてくれる親もいるらしい)塾で食べ、それから授業を受けて、帰宅は9時過ぎに、なんていう生活が、週に3日も4日も続きます。
 宿題は、塾からてんこ盛りで出され、学校の勉強よりは、そっちが主力。宿題を出さない塾は、親からすぐにクレームがつく。反対に、学校から余計な(と親が思う)宿題が出ると、今度は学校にクレームが・・・。
 なにしろ、中学受験は、子供の意志よりは、親の(特に母親の)希望が最優先。何が何でも我が子を塾に通わせ、いい中高一貫の私立に(または附属中学に)入れさせる、これが母親の使命感にもなっている?
 当然、子供の動向が心配、まっすぐ帰って来ないと、心配だ!どこかにより道はしてないか? 
 ちょっとでも塾からの帰宅が遅くなると、塾に連絡し、塾のバイト学生、必死に探して、コンビニやゲームセンターにて注意する「早く帰れ!」
 塾の時間延長の補修授業も盛ん。で、結局、連絡方法は、自衛手段は、携帯を持たせること。こうして、小学生のうちから、携帯が普及します。何!携帯電話を持っている子のほうが学力が高いって当たり前でしょうが。
 中学になると、携帯の違う使い方を覚えて、それにうつつを抜かす子もいて、学校の勉強がおろそかになる!当たり前でしょうが。
 こんな因果関係を税金を使って分析して発表する教(狂)育「いいん怪」って何なの?またそれを取り上げておもしろがるマスコミって何なのでしょう?
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街を歩いていると

2007-12-14 14:24:29 | つぶやき
 先日、何をするでもなく、街を散歩していると、立ち並んだ家並みの一角が、空き地になっていました。賑やかな通りの片隅。新築の家やこぎれいなマンションの中に、ぽつんとささやかな空間が、取り残されています。
 ここ何年も、毎日のように、それも朝な夕なに歩きなれた道筋。でも、はて?この空き地の前には、何が建っていたっけ?家人に聞いてもはっきりとは思い出せないことも・・・。

 たしか○○さんの家じゃなかったかしら。
 その人はもう引っ越してその跡に、お店屋さんがあったはずだよ
 たしか八百屋さん、果物屋さん?
 そうそう、八百屋さんだったかもしれない。
 今度は何が建つのかな?
 そういえば、あの人も引っ越してどうしているかしら?
 辺りの変化は急です。昨日の友が今日は赤の他人。
 不思議と通りは変わらない。

 でも、町並みは大きく変わっていきます。
 職場の近くでも、周囲の通りを何本も巻き込んで、大規模なマンション建設が始まっています。道路も、街の姿も、大きく変わろうとしています。なにしろ、100㍍近くの高層マンションが建つのですから。
 そうなると、ここには、以前誰が住んでいたとか、こういう会社があったとか、駐車場があったとかは、遠い昔話になってしまうでしょう。写真やビデオにでも残されていない限り、人の記憶の中では、いつしか誰からにも思い出されず、語り継がれることもなく、まさに「歴史」すらにもならずに・・・。
 大規模な開発なら、そうした記録もあるでしょうが、この町の、ささやかな土地の、建物の、住民の変化は、いつしか忘れ去られていくのでしょう。
 もしかしたら、人間の生死もそんなものかもしれません。あそこのおばあさん、あっちのおじいさんも、いつしか忘却の彼方へ。親族といえども、100年も過ぎれば、まったく顧みられることもなくなるでしょう。いや、50回忌が行われればまあ、いいくらいなものか!
 このところ、周りの人間で、自分の一代記を書いて、自費出版する人がいます。それをいただくこともあります。縁故でもあれば、そうしてしばらくは残されていくでしょう、その人の生き様が。そうでもしなければ、いたたまれない気持ちが、「死」を恐れる心と裏腹に、起こってくるのでしょうか。
 吉本隆明が「死んだら、死にっきり」というようなことを言っていますが、それでも、生に、むしろ死後にまでも執着するのが、人間の本性なのでしょうか?
 空き地には、プレハブの建物があっという間に建って、どこかの中華そばのチェーン店が、近日オープン!スタッフ募集のビラが、店先に貼ってありました。

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