昨日の朝のTV。「サンデー・・・」。関口宏もずいぶん老けて髪もだいぶ薄くなってしまったようで・・・。
あまりテレビには関心のない日常生活。まして、日曜の午前中などは、だいたいがだらだら過ごしている。年末は、家の中の片付けやらなにやらで、のんびりもしてられず、せきたてらるように起き出して、朝飯を食べて、少しばかりTVを見始めた。
この番組。最近は、見たことがなかった。前半はつまらなくて、興味もなかったが、後半の特集は、意外に面白かった。
「格差と地球温暖化」という一見関係なさそうな事象が、実は、密接に絡み合っているというテーマで、産業革命、すなわちエネルギー(化石燃料を用いる)革命以来の歴史をたどりながら、ドバイ・インド・中国の「格差」社会のすさまじい現実。一方で、北極海の氷山の急速な減少、住民や動物たちの苦しみ。アフリカ・ビクトリア湖の魚加工水産業、資本投下と現地の人々の生活苦。
自然現象の猛威など、夏目漱石が見た、19世紀のロンドンのすさまじい公害の様子(痰が真っ黒になってしまう現状からの、鋭い文明批判・・・)なども織り交ぜながら、(とはいっても漱石の話も含めて、ほとんどが承知していた内容であったが)改めて映像で確認しながら見ていると、身につまされる思いがした。
コメンテーターも、いかがわしいタレント連中ではなくて、その道の識者が揃っていて、受け答えも十分であった。田中優子さんのお姿も、はじめてTVで拝見した。彼女の江戸時代の関する書籍を読んでいるので、興味深かったのだ。また、オーム真理教での鋭い追求で気を吐いた、江川紹子さんもお元気でした。
金子教授をはじめ、他の方々も、きちんと他の人の話をメモをしながら聞き、自分もきちんと論証していく姿勢に、共感を覚えました。そして、それぞれが、巧みに現状分析と展望を語っていました。こういうやり方が、この番組のコンセプトなら、これからも見てみたくなりました。
その中で、グローバリズムがアメリカの不況脱出から生み出され、「新自由主義」(小さな政府、官から民へ、市場自由主義、規制緩和・・・)というかたちで、日本の構造改革への圧力となって、コイズミ政治として変革をもたらし、それが格差社会をうみだしてきたこと。それらは、けっして日本だけのことではないこと。「まず力があるモノが、富を増し、それを、貧しいモノへ波及させていく」ことが、実は、「富めるモノは、ますます富み、貧しいモノは、ますます貧しくなっている」現状。
ドバイの建築ラッシュ。目を見張るような高層住宅。人工島。なんと地球の大陸を模した埋め立て地が出現している!その中で、出稼ぎに来る、インド人などの外国人労働者の虐げられた生活・・・。
ごく一部のオイル長者が、国家規模で投資先を諸外国の先端技術資本に回して荒稼ぎし、「マイ」(個人・国家)の生活の豊かさだけを追求し、他をかえりみない・・。オイルマネーがどうしてこのように自在に世界経済を動かしていくことができるようになったのか?
まさに、新自由主義が破綻している現状。アメリカ資本主義は、「株主」優遇主義となって、その会社で働く労働者には、まったく還元されない。
ソ連崩壊によって、社会主義・共産主義(的考え方)が敗北し、資本主義・自由主義が勝利した。こういう流れの中にあって、誰も現状の資本主義(自由主義)の矛盾を、冷静に批判することなく、富裕層への生活転換を夢見て(踊らされて)、競争原理の中で、悪戦苦闘を強いられる。すでに、スタートラインから差がついているのにもかかわらず。
それも、所詮、今、生きている我々の中での競争原理でしかない。未来世代に対する倫理観もないままに、また、地球環境(人間以外の動植物への、自然環境)への洞察力もないままに、突き進んでいる現状。
「人間中心主義:人間主義」などという概念それ自身が、自然環境、地球環境などをまったく考えに入れない、一部の人間のおごりであることを感じた。
未来世代への責任、そうした視点から、環境問題、ひいては人間の文化の有り様を考えていく時代が来ているのではないか。
哲学者の加藤尚武さんが提唱する「環境倫理学」あるいは、千葉大学の小林教授たちが訴える「公共哲学」の思想・立場が、大事になってきているように思う。
今のTVは、つまらない番組ばかりだと思っていた、自らの不明を恥じる。
あまりテレビには関心のない日常生活。まして、日曜の午前中などは、だいたいがだらだら過ごしている。年末は、家の中の片付けやらなにやらで、のんびりもしてられず、せきたてらるように起き出して、朝飯を食べて、少しばかりTVを見始めた。
この番組。最近は、見たことがなかった。前半はつまらなくて、興味もなかったが、後半の特集は、意外に面白かった。
「格差と地球温暖化」という一見関係なさそうな事象が、実は、密接に絡み合っているというテーマで、産業革命、すなわちエネルギー(化石燃料を用いる)革命以来の歴史をたどりながら、ドバイ・インド・中国の「格差」社会のすさまじい現実。一方で、北極海の氷山の急速な減少、住民や動物たちの苦しみ。アフリカ・ビクトリア湖の魚加工水産業、資本投下と現地の人々の生活苦。
自然現象の猛威など、夏目漱石が見た、19世紀のロンドンのすさまじい公害の様子(痰が真っ黒になってしまう現状からの、鋭い文明批判・・・)なども織り交ぜながら、(とはいっても漱石の話も含めて、ほとんどが承知していた内容であったが)改めて映像で確認しながら見ていると、身につまされる思いがした。
コメンテーターも、いかがわしいタレント連中ではなくて、その道の識者が揃っていて、受け答えも十分であった。田中優子さんのお姿も、はじめてTVで拝見した。彼女の江戸時代の関する書籍を読んでいるので、興味深かったのだ。また、オーム真理教での鋭い追求で気を吐いた、江川紹子さんもお元気でした。
金子教授をはじめ、他の方々も、きちんと他の人の話をメモをしながら聞き、自分もきちんと論証していく姿勢に、共感を覚えました。そして、それぞれが、巧みに現状分析と展望を語っていました。こういうやり方が、この番組のコンセプトなら、これからも見てみたくなりました。
その中で、グローバリズムがアメリカの不況脱出から生み出され、「新自由主義」(小さな政府、官から民へ、市場自由主義、規制緩和・・・)というかたちで、日本の構造改革への圧力となって、コイズミ政治として変革をもたらし、それが格差社会をうみだしてきたこと。それらは、けっして日本だけのことではないこと。「まず力があるモノが、富を増し、それを、貧しいモノへ波及させていく」ことが、実は、「富めるモノは、ますます富み、貧しいモノは、ますます貧しくなっている」現状。
ドバイの建築ラッシュ。目を見張るような高層住宅。人工島。なんと地球の大陸を模した埋め立て地が出現している!その中で、出稼ぎに来る、インド人などの外国人労働者の虐げられた生活・・・。
ごく一部のオイル長者が、国家規模で投資先を諸外国の先端技術資本に回して荒稼ぎし、「マイ」(個人・国家)の生活の豊かさだけを追求し、他をかえりみない・・。オイルマネーがどうしてこのように自在に世界経済を動かしていくことができるようになったのか?
まさに、新自由主義が破綻している現状。アメリカ資本主義は、「株主」優遇主義となって、その会社で働く労働者には、まったく還元されない。
ソ連崩壊によって、社会主義・共産主義(的考え方)が敗北し、資本主義・自由主義が勝利した。こういう流れの中にあって、誰も現状の資本主義(自由主義)の矛盾を、冷静に批判することなく、富裕層への生活転換を夢見て(踊らされて)、競争原理の中で、悪戦苦闘を強いられる。すでに、スタートラインから差がついているのにもかかわらず。
それも、所詮、今、生きている我々の中での競争原理でしかない。未来世代に対する倫理観もないままに、また、地球環境(人間以外の動植物への、自然環境)への洞察力もないままに、突き進んでいる現状。
「人間中心主義:人間主義」などという概念それ自身が、自然環境、地球環境などをまったく考えに入れない、一部の人間のおごりであることを感じた。
未来世代への責任、そうした視点から、環境問題、ひいては人間の文化の有り様を考えていく時代が来ているのではないか。
哲学者の加藤尚武さんが提唱する「環境倫理学」あるいは、千葉大学の小林教授たちが訴える「公共哲学」の思想・立場が、大事になってきているように思う。
今のTVは、つまらない番組ばかりだと思っていた、自らの不明を恥じる。