おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

パナマ運河

2011-08-30 22:35:56 | つぶやき
 東京下町には、二箇所、日本版「パナマ運河」があります。その一つが写真の「扇橋閘門」。三つ目通りを南下して墨田工業高校を過ぎて右折、隅田川から分岐し、江東区の東西を横切る小名木川にあります。竣工は、1976(昭和51)年。
 「閘門(こうもん)」とは、水面の高さが違う2つの川のあいだを船が通行出来るようにするための施設。川と川のあいだに前後二箇所に水門をつくって、水位を調節し、水面の高さを同じにして船を通す方法で、まさにパナマ運河と同じ。
 江東区の内部水域は、地盤沈下の影響から水位を隅田川の平均潮位に比べ、マイナス1M下げています。そのため、満潮時の水位差は、3メートル以上。この水位差を調整しながら船を航行させる施設が、「扇橋閘門」というわけです。
 台風等の大きな水害が来たときに、水位が上昇するのを防ぐために閉じるという使い方をしているようです。たしかにこの地域は、長年、水害に悩まされた地域でしたから。
 かつては水上バスなども運行され、船の行き来も盛んな時期もあったようですが、現在は、船の往来もほとんどなく、前の扉、後ろの扉は開放されたまま。流れもなく、淀んだ水が・・・。
 せっかくの小名木川の流れが、もったいない感じが、ということでしょうか、今、下町(水辺)再発見、スカイツリーと合わせて観光にも力を入れてきました。修理工事中ですが、夏休みには、施設を区民に開放して見学会を行っています。
 ちょっとタイミングがずれて、残念! 出かけたときは、遠巻きに見ただけです。
 というわけで、本物の「パナマ運河」(パナマ)に出かけます。飛行機を乗り継いで17時間。かなりの長旅です。
隅田川側(前扉)。
水路。残念ながら柵ごしで水面は見えず。
小名木川側(後扉)。この間が調整水路。
北側にある小さな流水口からは、勢いよく大量の水が噴き出しています。水面の差を実感します。
後扉。
遠くにスカイツリー。
墨田区を南北に流れ、小名木川に合流する大横川。正面にスカイツリー。
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9月1日。震災慰霊碑。斉藤実

2011-08-26 23:51:23 | つぶやき
 まもなく9月1日。関東大震災。1923(大正12)年9月1日午前11時58分に発生。
 3月11日の東日本大震災そして福島第一原発の大事故。いまだ復旧のメドが付かないまま、半年が過ぎようとしています。一方で、政治はますます混沌としていくばかり。
 3年前。次のような記事を載せました。今も昔も変わらない、というか愚かな歴史を繰り返してはならないと思います。再掲しました。
 
 写真は、墨田区・春日通り、大横川にかかる横川橋東詰にある「震災慰霊碑」。関東大震災の際、より安全な場所として避難した避難先や火に追われた人々が集まった場所が、火災旋風に襲われたり、火に囲まれて脱出できなかったりして、多くの人々が犠牲となった。
 中でも、本所被服廠跡(現在の墨田区横網町公園)。火災旋風が発生し、約4万4千人が焼死または窒息死した。他にも下町の橋の袂や広場で多くの人が犠牲になった。
 そのうちの一つが、東京都墨田区横川1丁目、横川橋の袂。ここに、追悼碑がある。揮毫した人物が、戦前の軍人・政治家だった「斉藤実」。2・26事件で暗殺された。
 1932(昭和7)年の5・15事件でショックを受けた昭和天皇は、「ファッショに近い者は絶対に不可」との強い気持ちだった。一方、軍部や立憲政友会右派の森恪らは、右翼に近い平沼騏一郎を担ごうとしていた。
 元老・西園寺公望は当初、それまでの二大政党制のもとで、政党内閣を続けるつもりだったが、軍内部の状況を知るに及んで、政党内閣ではもたないと判断した。天皇の意向に応え、しかも、軍部も正面切って反対できない候補として、齋藤を首相に指名した。これによって、政党政治は終わりを告げた。
 蔵相・高橋是清と手を組んで、経済恐慌に苦しむ農村の救済に一定の業績を上げたが、外交問題では軍部の要求通り満州国を承認した。国内政治の安定を最大の眼目に置き、軍部との決定的対立は避けたのである。
 それでも、軍部は齋藤のリベラル臭を嫌い、嫌がらせを続け、閣僚のスキャンダル暴きに狂奔した。その犠牲になって辞任する閣僚も出たが、齋藤は後任人事を務め抜き、何とかしのいだ。
 しかしながら、帝人事件で大蔵次官らが逮捕されるに及んで、ついに内閣総辞職に追い込まれた。百十数人が収監されながら、公判では全員無罪という奇怪な事件だった。検察の平沼閥、軍、政友会右派らが仕組んだ「空中楼閣」説さえある。
 齋藤内閣は部分的には抵抗しつつも、総体としては日本の軍国主義化の流れを止めることはできなかった。各方面の妥協で生まれた「挙国一致内閣」の限界といえよう。
 ともに滞米経験があり親英米派だった高橋と斎藤は、それから4年後、1936(昭和11)年の2・26事件で殺害される。
 内大臣(前総理・子爵・予備役海軍大将)斎藤實は、天皇の側近たる内大臣の地位にあったことから襲撃を受ける。
 襲撃部隊は警備の警察官の抵抗を制圧して、特に抵抗もなく内府の殺害に成功する。他に犠牲者はいない。斎藤の体からは四十数発もの弾丸が摘出されたが、それが全てではなく、彼の体には摘出不可能な弾丸がなお多く存在していた。
 目の前での殺人に妻春子は「撃つなら私を撃ちなさい」と、銃を乱射する青年将校たちの前に立ちはだかり、筒先を掴もうとした。その結果腕に貫通銃創を負う。春子はひるまず、なお斎藤をかばおうと彼に覆いかぶさったという。春子の傷口はすぐに手当がなされたものの化膿等により、その後一週間以上高熱が下がらなかった。
 春子は1971年(満98歳)まで生存したが、晩年に至るまで当時の出来事を鮮明に覚えていた。この事件発生当時に着用していた斎藤実および春子の衣服が斎藤実記念館に現物展示されている。
 
 「挙国一致内閣」今は、「挙党体制」とか「挙党一致」で民主党の代表選。首相選びが
始まって、相変わらず党員としての権利を剥奪され、代表戦に投票権のない小沢さんが影で取り仕切っている(というか表面に出てくる)、実におかしな、それ故、長年の「日本の政界」の構造そのものです。
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グラントハイツ・啓志線

2011-08-24 22:57:05 | 鉄道遺跡
 都営大江戸線の終着駅「光が丘」。初めておりたちました。地下から地上に出ると大きなショッピングモールや高層住宅、警察や郵便局、区民ホールなどが建ち並ぶ大きな街の装い。
 ここは、かつては「グラントハイツ」(中には、かつては陸軍の基地、敗戦後米軍に接収されて米軍の基地に。広大な敷地のイメージに関連させて「グランドハイツ」と呼ぶ人もいましたが)。中央には滑走路があった広大な基地でした。
 今は、まったくその面影を残していません。緑の木々の多い広大な公園と文教施設にあふれた地域になっています。
 さらに、ここへの交通手段として、東武東上線「上板橋」駅から分岐して「啓志線」がありました。途中、自衛隊練馬駐屯地を経由してここまで路線が延びていました。
 廃線になった後は、急速な宅地開発でまったくその痕跡は残されていません。田柄川の北側に沿って線路がありました。昭和時代の終わり頃までは、あちこちにまだ痕跡があったそうです。もし、その線路が残っていて運行されていたら、このあたりの交通事情も大きく変わっていたことでしょう。今は、大江戸線が大活躍です。
 田柄高校の正門付近がその線の終着駅だったとか。
このあたりがクラントハイツへの分岐線になっていたところ。
かつてのこの付近の雰囲気、畑が残されています。
田柄川。緑道になっています。この少し北側に啓志線が走っていました。
どういうわけか、恐竜(かわいい?場に添わない?)のモニュメント。
この直線が線路跡? 古い航空写真と見比べると、何となくそんな感じですが。
反対側から。まったく痕跡がないのが残念です。
 いくつかの廃線には、緑道として残したり、モニュメントがあるのですが。宅地開発でそういう余裕もなかったのか、また、基地に対する様々な思いがあったのか。
かつて、ほとんどが農地でした。旧家でしょうか、古い木々が生い茂っていて、昔を彷彿とさせるたたずまいです。
光が丘駅。直線に広い道が北に向かっています。滑走路があったところ。
公園へのプロムナード。子供連れや若者の姿が目立ちます。
 2,3日続いた「寒い」雨空も晴れて、東京地方も再び暑くなりそうです。

 
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総選挙に打って出るべき

2011-08-23 23:12:50 | つぶやき
前原氏が代表選出馬正式表明…悩み抜いたが決意(読売新聞) - goo ニュース
 何のために前原さんを支持するのか、もう民主党、起死回生の解散総選挙に活路を見いだすことになった、と。
 一年後に前原氏が首相になっても民主党は過半数を取れず、下野。ならば、今こそ臨時国会で首班指名を受けて直ちに解散!
 そうすれば、何とか過半数を維持できるのではないか。頑張って下さい、前原さん。民主党政権維持という一点で前原代表の実現を望むものだが。
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「八か村落とし親水緑道」を訪ねて

2011-08-17 22:11:32 | 歴史・痕跡
 「八か村落し親水緑道」。「八ヶ村落堀」を整備改修したものです。「八ヶ村落堀」は江戸時代にこの辺りが新田地帯であった頃、葛西用水から分水して、現在の足立区の東北地帯、大谷田、東和から六木を通り、南西の綾瀬川にまで続く長い水路でした。
 名前の由来の「八ヶ村」とは、六木(むつき)、佐野新田(さのしんでん)、大谷田(おおやた)、蒲原(かばら)、北三谷(きたさんや)、普賢寺(ふげんじ)、五兵衛新田(ごへいしんでん)、伊藤谷(いとや)の八つの村を指し、水路がこの地域を経由していたことから、「八ヶ村落堀」と呼ばれていたそうです。田園地帯が住宅地に変わった後も、足立区東部地域の下水・雨水を排水する重要な水路でした。一方で、下水道が完備するまで、この水路が増水し、近隣住民は、たびたび水の被害にあいました。その後、下水道の完備により、本来の流れはなくなりました。この流れは、昭和22年の航空写真でもはっきりと分かります。
 現在は、下水の再利用によって、綾瀬駅北口付近から東に向かい、葛西用水を越えた東側までよく整備された緑道になっています。住宅街の中にありながらも、木々の緑も豊かで、水量も多く、憩いの空間を与えてくれています。残念ながら、場所によっては電力削減策によって、全く流れが途絶えてしまったところもありますが。
 葛西用水から少しばかり西に、炎天下の中でしたが、歩いて見ました。今日の終点は、公園になっていて、そこには、小高い丘と小さな遊水池がありました。北に隣接された保育園からは、子供達の、暑さに負けないような賑やかな声が響いていました。今度は、もう少し、西に向かって歩きたいと思います。
大谷田陸橋付近の葛西用水。曳舟川の上流に当たります。
八か村落とし堀との分岐点付近の葛西用水の流れ。
西に向かう道路に沿って流れていますが、現在は節水中のため、流れはないまま。
交差する道路をわたる手前にある「標識」。
道路を渡ると細い流れが続いています。流れに沿って遊歩道も整備され、歩きやすい道が続きます。
サルスベリ(百日紅)の花。街路樹として、花火のように青空に照り映えるサルスベリよりも、こういうふうに流れにさしかかるように咲く方がマッチしています。
今日の終点の公園の流れ。
親水緑道は、もっと西へ向かっていきます。
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バッカじゃないの、この男

2011-08-16 21:22:20 | つぶやき

 「泣いてはいけない」=海江田氏が反省の弁
 海江田万里経済産業相は15日午後の読売テレビ番組で、国会論戦で即時辞任を迫られて泣きだし、与野党から批判が出ていることに関し、「万感胸に迫ったが、泣いてはいけない。答弁の時はこらえたが、自分の席でこらえ切れなかった。答弁で泣いたわけではない」と釈明した。
 海江田氏は菅内閣の総辞職前に閣僚を辞任する意向を示しているが、その時期については「自分では決めているが、自分だけではどうにもならない事態もある。(菅直人)首相がいつ辞めるのかも分からない」と明言を避けた。民主党代表選への対応についても、「今すぐ出るとか出ないとは言えない」と述べるにとどめた。
                   「時事通信」(2011/08/15-17:48)とさ。
 
 経産省の言いなり男、何もかも、すべてが優柔不断。いまだに辞めるの、辞めないの、出るの、出ないのと・・・。「忍」と書いた手のひらを見せたことも、あれこれ言い訳をしているし・・・。
 涙も文化。所詮、この程度の涙文化しか持たないわけだ。そして、一国の「宰相」選びに出るとなったら、と思うと、こっちが情けなくて涙が出てきます、なんていう訳ないですね。呆れて呆れて、「」っちゃいます。
 
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8月15日。新宿。

2011-08-15 23:17:51 | つぶやき
車の流れもスムーズな都庁前の通り。
 
 66回目の終戦記念日。敗戦を「終戦」と言い繕っての66年。「敗戦」記念日という言い方では、たしかに記念すべきものではないですが。厳然たる事実としては「敗戦」。
 新宿中央公園では、セミが夏を惜しむかのようにうるさいばかりに鳴いています。よく聞くと、いろんなセミの鳴き声が・・・。
 世間は、お盆休みのせいで、都心の道路も電車も空いています。思いがけず座席に座れます。そのゆとりも、明日くらいで終わりでしょうか。昨日の上りの渋滞も激しかったようです。
 日の入りも心なしか早くなって、暑さももう一息というところ、それにしても、やっぱり暑いですね。
 政治の世界もいよいよ暑くなるようで、でも、世間の本格的な暑さが、峠を越えてきそうな時機から、というのですから、かなりタイミングは、遅れ気味。すべてに、そんな感じの政界です。どうなることでしょうか。自分の立場のことしか考えない輩が国家の行く末、当面の課題をこなしていけるのでしょうか。
 野田さんも、大震災をそそのかされて、「千載一遇のチャンス」などと言ったとか、自公が拒否しそうな「大連立」を声高に叫んでいるとか。ポリシーがないということでしょうか、「増税」やむなしの立場もあやふやになってきそうな・・・。
 永田町の政治世界の魑魅魍魎による駆け引きを、冷めた目で見ている国民を少しは思って下さい。
閑散とした人通り。
鳴くセミを撮るのは難しい。このセミたちはかなり高い木の幹にとまっているようす。
雌伏何年、せめて飛び立った跡だけでも。

 
 永田町のやかましいセミたち。アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミ・・・。果たしてどのセミが天下をとるのか。
 一瞬のあだ花(セミ)で終わらないよう、ゆく夏をせいぜい惜しんで下さい。
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暑い日差しの中で冷めている私・民主党は総選挙に打って出る気はまったくないですね

2011-08-12 22:07:17 | つぶやき
前原前外相、代表選不出馬の意向 グループ幹部に伝える(朝日新聞) - goo ニュース
 自民党なら総裁選びの中心は、その人物が総選挙になったときに勝てるタマかどうかが判断基準のような気がします。ところが、民主党はそういう気はないようです。今誰が首相になっても民主党に勝ち目はない、と誰もがそう判断している、すでに負け戦覚悟のようです。
 本命と噂される野田さんは御しやすいとすでに自公から侮られている。そのまま自公にいいようにあしらわれて、あげく選挙になったら、本当に民主党はおしまい!前原さんの首相の目はつぶれてしまう。だいたい、野田さんはインパクトに欠け、華やかさもなく、もっとも今大事な、リーダーシップに乏しい人物のようです。
 また、民主党の党首選で自薦他薦、増税賛成・反対で小物同士がごちゃごちゃすれば、ますます自民党は大喜び。
 前原さん。外国人からの献金問題でたたかれたらすぐ行き詰まってしまうからとか、次を狙うとか、言っているようですが、これでは、闘わずして負け! 
 相手(自公・野党)は、前原さんが次期党首(首相)になるのが一番警戒しているはずです。それを承知の上で、不戦敗ですから、ちょっと困ったものです。
 民主党内も、一年生議員は次の選挙を想定すれば(落ちてもいいやならいいですが)、ここは、「自公に勝てそうなタマを担ぎ出すべきでは」くらいの積極性はないのですかね。小沢や鳩山の顔色をうかがってばかりではいよいよ「ただの人」になってしまうのにね。
 前原さん、ぜひ出馬すべきではないですか。政治的な思想信条はともかくとして、相手が怖がる(いやがる)人物が一番ふさわしい。ぐずぐず言うなら前原さんのもとでただちに総選挙をしかけるという「奇策」がなければ、民主党政権はあだ花に終わってしまいます。渡辺ごときに「D級」と馬鹿にされていていいのですかね。彼も、前原さんが出るのを一番いやがっているようですが。
 東京地方。今日も厳しい残暑。新宿中央公園では、遅れてきた蝉たちの大合唱です。都庁も、これでもかという太陽の光を浴びています。
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読書「『戦争』の心理学・人間における戦闘のメカニズム」(デーヴ・グロスマン)二見書房

2011-08-10 22:42:16 | 読書無限
 前著「戦争における『人殺し』の心理学」で、第二次世界大戦では15%~20%の兵士しか敵に向かって発砲しておらず、「兵士は人が殺せない」がテーマでした。その後、軍は訓練法を改良し、ベトナム戦争では90%を超える発砲率になった。しかしそれは深刻な副作用をもたらす。本来なら殺せないはずの人を殺した兵士は精神を病むようになってしまった、という内容でした。
 この書は、そうした事態を受けて、次の問題意識としては「では、人を殺しても精神を病まない兵士を育てるにはどうしたらよいか」と。この書は、その回答編。
 戦闘中の人体の解剖学。戦闘という過酷な現実の中で、身体機能、精神作用はどのように刻々と変化していくか。
 戦闘中の知覚の歪み。目と耳の働き、記憶の喪失、空白、歪み、欠落・・・。(余談だが、大岡昇平が「俘虜記」で、一人の敗残兵としての己と若い米兵との遭遇・接近・別れを当時の心理状態を想い起こしながら克明に自己分析している。それを彷彿される内容でした。)
 さらに殺す決断の瞬間の心理状態を煙りがかった時とし、「煙」が晴れた後の兵士の心理状態(殺人への複雑で否定的な感情をどう克服するか、など、徹底して正義の使者として正義の武器を用いての戦闘行為を全面的に肯定しています。
 聖書の「汝殺すなかれ」を謀殺はしてはならないという意味であって、けっして正義のための(正義を守るための)殺人行為は許される、とりわけ戦闘場面における兵士の「殺人」に踏み込む兵士を鼓舞しています。たまには、こうした人間の本能的攻撃性・防御性を徹底して肯定する書も面白いと言えますが。
 スポーツでも特に野球では戦闘用語がふんだんに用いられています。なにしろ、巨人軍ですから。
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読書「広島の消えた日・被爆軍医の証言」(肥田舜太郎)影書房

2011-08-06 20:07:48 | つぶやき
 今日は、広島に原爆が落とされてから66年目。被爆地・広島は6日、66回目の原爆忌を迎えました。
 広島市中区の平和記念公園では、平和記念式典が開かれ、各都道府県の遺族代表や菅首相、市民ら約5万人が参列し、犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにしました。
 被爆2世でもある松井一実市長は「平和宣言」で、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいとし、さらに、福島第一原発事故を踏まえ、東日本大震災被災地の復興を願うとともに、エネルギー政策の転換についても国に具体策を講じるよう求めました。
 菅首相は、特に福島第一原発の事故について、「放射性物質の放出を引き起こし、わが国はもとより世界各国に大きな不安を与えた」が、「政府は事故の早期収束と健康被害の防止に向け、全力を挙げて取り組んでいく」と述べました。
 そのうえで、「エネルギー政策の白紙からの見直しを進めており、原子力についてはこれまでの『安全神話』を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していく。今回の事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、世界の人々や将来の世代に伝えていくことが、われわれの責務だと考えている」と訴えました。一部のマスコミからは、異例の発言ととらえられているようです。
 フクシマ原発事故で放出された放射能は広島に落とされた原爆の20倍だそうです。しかも、まだまだ大量の放射能が残留しています。
 この書は、1982(昭和57)年に発刊されたものの復刻版。今年の3月31日、この再刊にあたって、著者が戦後の世界を駆けめぐって関わってきた被爆者援護、反核運動などについて述べられています。
 特に、内部被曝の脅威などについて、以前から発言してきたことなど、フクシマ原発の事故を受けていよいよ切実な問題意識を共有することの大事さを感じます。
原爆ドーム。5年前の3月に出かけたときのもの。
 この時は、袋町小学校平和資料館など見て歩きました。爆心地から460㍍の位置にあるこの小学校は、木造校舎はすべて倒壊・全焼し、唯一鉄筋コンクリートだった西校舎のみが外壁のみ原形をとどめました。被爆直後から被災者の救護所として利用された西校舎内の階段などの壁面には被爆者の消息などを知らせる「伝言」が数多く残され、それが保存されています。
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読書「なぜ人はキスをするのか?」(シェリル・カーシェンバウム)河出書房新社

2011-08-04 22:40:08 | つぶやき
 このあいだ、60代の半ばにさしかかった連中と久々に会いました。中学校のクラス会というわけです。卒業してあしかけ半世紀。もう皆、すっかりおばあさん、おじいさんになっていて、いつしか一人欠け、二人欠けと寂しくなってはきましたが、何とか毎年続いているというのも、実に驚異です。
 もう自分も連れ合いも、ほとんどリタイアして、悠々自適? 孫の世話とお出かけ(中には海外旅行を趣味にしている者も)、ゴルフに、釣り、近所の子供達の野球の面倒と、中には独身「貴族」もいたり、まだ子供が独り立ちしていなくて、大変な者もいますが、集まれば、けっこう和気藹々の会。
 昔ほど大酒を飲むわけでもなく、カラオケではしゃぐわけでもなく、いったい何の為に集まっているのかも次第に曖昧に、言ってみれば慣習という名の年中行事? それがかえって気を遣わずにいいのですね。
 夫婦仲のいい方達が多くて、特に女性陣はそのようです。話題も健康問題から老後の問題、あっちいきこっちいき、てんでに勝手に会話している、のも、またよし。
 つい話がずれて、亭主や女房との話になっていきます。 
 たわないことですが、同じ缶コーヒーを飲むとか、同じ飲み物を同じストローで飲んでも平気とか、お菓子でもパンでも、相手の口をつけたものをもらっても平気とか・・・。ついには、「キス」・スキンシップをいまだに当たり前にしているとか、こうなると、どういうわけか女性陣は元気溌剌になってきます。声も大きくなって周囲に同意を求めてくる・・・。男性陣は次第に、無言になって・・・。まだまだ女性陣は、現役でした。
 ところで、「間接キス」っていうのは、どこまでが許される範囲なのでしょうかね。そして、キスはたしかに奥が深い!
 この本、文化人類学、動物生態学、進化生物学、細菌学、脳神経学、生理学、・・・等を駆使して、キスの本体を解明しようという試み。
 最初のふれ合いから男女のキス観の違い(それほどあるとは思えませんが)、キスとホルモンの関係、バイキン(互いのバクテリア)がうじゃうじゃ行き交う関係。二人の関係がどう深まり(決定的になる。離れてしまう)かなど、けっこう読みものとしては面白い構成になっています。人類がどうして「赤」に引きつけられていったかなど・・・。
 恋愛指南書にもなっているのが、ご愛敬です。まだまだ人生、心豊かにしつつ、簡単に見捨てちゃいけませんね、と得心。男性陣に奮起あれと、ともども決意を新たにしたのですな。
 今年の暮れには、同じメンバーで忘年会をやる予定。こうして、「年」を忘れてしまいそう・・・。いや、その前に、今年の夏こそ、三崎までマグロを食いに行くぞ! と密かに思うのでした。
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小沢さん、本気なの?

2011-08-03 22:19:11 | つぶやき
小沢氏、会期末までに不信任案提出の意向 新党・新会派も視野(産経新聞) - goo ニュース
 またしても産経の願望記事、そそのかし記事。で終わるのか。それとも、小沢さん、本気なの?
 何しろ民主党員としての権利を剥奪されている身。この際、新党を結成したいならそうした方がいいのでは。鳩ぽっぽさんも一緒にすれば、民主党も大分裂。今の時に叶っているかどうか、次には総選挙になること間違いなし。そうなれば、小沢新党も、民主党本体もぼろ負け。民主党政権も、結局、「一時のあだ花」でしかなかったのか。残念!
 そういえば、ギターサムライでしたっけ、ギター片手に盛り上げておいて「う~ん、残念」と叫んで、落ちをつけた芸人がいましたね、たしか。あの男、今はどうしているのでしょうか?
 
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海江田さんもずいぶんとコケにされた、と思う

2011-08-02 21:07:04 | つぶやき
保安院元課長、四電への参加要請認める やらせ意図否定(朝日新聞) - goo ニュース
 この方は、経済産業省にとっては、御しやすい方のような気がします。「脱原発」につながるような施策は、なんとしても阻止したい経産省、すみやかな原発運転再開を必死に海江田大臣に吹き込み、海江田さんもその気になってやってくれた。あげくに菅さん路線(発言)にNO!を突きつけて、大見得を切って格好つけたまではよかったが、どうもその後の展開が・・・。
 
 電気事業者に対して、ぜひシンポジウムに参加して電気事業者の立場から自由な意見を言ってくださいとは言う。これはこの種のシンポジウムでは必ずやります。それを今回もやっています」(伊藤敏氏)
 働きかけはどのような形で行われたのでしょうか。伊藤氏はシンポジウムのおよそ2か月前、保安院に四国電力東京支社の副支社長を呼び、「電力会社も広く参加して欲しい」と口頭で依頼したことを明らかにしました。
 「どんどん参加して意見があったら言ってください、ということです。私が(広報課長に)来てからは基本的にそれでやっていると思います」(伊藤敏氏)
 働きかけをした理由について伊藤氏は、前の年の玄海原発に関するシンポジウムで反対派が一方的に糾弾する形で議論が進んだことに危機感を抱いたからだと述べました。

 佐賀県知事も九電も、お目付役の経産省(産業界の意を受けて、といいつつ、省益を守り、伸ばすために)も、こうして原発推進で、一致。皆、ぐるになっていたのを、今になってマスコミで知った海江田さん。
 「忍」どころではなく、「堪袋の緒が切れ」てもいいような状態。にもかかわらず、実はまだしゃんんとしない。
 この点が、政治家としての弱点でもあるのでしょうね。あまりにも政治的信念がなさ過ぎ。いいように官僚にあしらわれているような・・・。
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家庭菜園も何だか元気がない

2011-08-01 20:44:58 | つぶやき
 8月に入りました。でも、去年のような猛暑とはずいぶん違うようで、暑さが戻ってきません。7月下旬からどうもしっくり来ない天気。曇り空が続き、時々、雨。予報では、今週末からは暑くなるそうですが、はたして? 去年ほどの勢いがなさそうな太平洋高気圧。去年の猛暑で平均寿命が下がったとか。今年はこの調子なら、と思うけれど、時差出勤での寝不足やら、サービス残業。節電のお達しで、蒸し暑さを我慢してかえって具合が悪くなる?
 節電の計画もかなりどんぶり勘定なところがあるようで、・・・。
 我が家の家庭菜園、プランター栽培も相変わらず何だか元気がありません。相変わらず蝉の声もまったく聞こえず・・・。今日も何だかおかしな空模様。かっと照りつけるような暑さは、って人間って実に勝手なものですなあ。
ナスも、やっと一つ。
赤くなるミニトマトもひっそりと。
黄色くなるはずのミニトマト。葉っぱの方が先に黄色く枯れ始めてきました。
ミニトマト。つやつや輝いていましたね、去年は。
去年の7月22日。
オクラもこんな状態。すでに「お蔵入り」ってしゃれにもなりません。
去年の7月25日。花も実も立派なオクラ。
 去年は、去年。何とかこれから挽回してほしいものです。
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