おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

一畑電車

2010-08-31 22:52:28 | つかのまの旅人
 出雲から宍道湖方面へ。湖沿いに走る電車が一畑電鉄・北松江線。通称「バタデン」。この電車がちょっと前に公開された邦画「RAILWAYS [レイルウェイズ]」のモデルとなった鉄道会社。
 映画の宣伝文句では、「49歳で電車の運転士になった男の物語」「大人が夢見ても、いいんですね。」と。

 筒井肇は、一流企業に勤める49歳。近々、昇進も決まり、会社での立場は確立。しかし、家庭を顧みない肇から、妻や娘の心は離れる一方だった。そんなある日、田舎で一人暮らす肇の母親が倒れたとの連絡が入る。追い打ちをかけるように、同期の親友が事故死したという知らせが。久しぶりに帰った故郷で、肇は想う。上り調子で来たはずのこれまでの人生。ただ目の前の仕事に追われ、走り続けてきた日々。家族を気遣う余裕もなく、母親にはまだ親孝行の一つもしてやれていない。気がつくと、すっかり息切れしている自分がいる。「俺は、こんな人生を送りたかったのか…?」そして肇は、決意する。子供の頃、母親に語った自分の夢、“バタデン”の運転手になることを。
 
 「でんてついずもし」から「まつえしんじこおんせん」まで。途中、大社線を分岐します。駅の一つ。「がんばれ一畑電車」の幟が目立つ、「うんしゅうひらた」駅。映画に登場した黄色の電車、木製の一両が、車庫に停まっていました。手前には煉瓦造りの給水塔らしきものが・・・。
 電車は、宍道湖の北側沿岸を走っていきます。自動車道路も気分のいい直線道路。右に宍道湖の静かな湖水、右手に電車の線路と。途中、2両編成の電車とすれ違いました。
 この「一畑」。松江では一大企業のよう、でも時代の波に乗れるかどうか。いつか廃線になってしまうのでは、とちょっと心配になりました。
モデルとなった木製の電車。
ホームのようす。
宍道湖の湖水。
 
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JR旧大社駅

2010-08-30 23:42:42 | 鉄道遺跡
 初めて出雲、松江の地を訪ねました。駆け足の旅でしたが、地元の方の案内で宍道湖周辺をぐるり、出雲空港から出雲、そして松江という順路でした。興味は鉄道、そして痕跡。その第1弾。
 明治末期、大正と鉄道の黎明から発展期を共に歩んできた出雲大社の門前町の表玄関。それが、「大社駅」。JR大社線は1990(平成2)年に廃止され、旧大社駅は国の重要文化財に指定されました。
 沿革史を見ると、出雲大社の参拝客のため、明治45年に最初の駅舎が造られ、大正13年、現在保存されている、二代目の駅舎に改築されたとのこと。大正浪漫風の建築美に当時の息吹を感じさせます。純和風の木造平屋建て。屋根から室内にいたる、細かな箇所にまで目配りがきいています。中央屋根部分の鴟尾、屋根の下がり棟の先端には亀の彫り物など・・・。
 駅前広場を出た道筋。大鳥居まで、今も門前町らしい静かで落ち着いた商家や民家が続いています。
待合室中央の出札口。
天井の灯籠風の和風シャンデリア。
ホームから終点付近を見る。このずっと先の方に出雲大社がある。
ホームの右方向。線路跡はりっぱな舗装道路になっている。左手に見える機関車は、D51。
駅舎の説明板。
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葛西臨海公園・大観覧車からのスカイツリー

2010-08-28 21:10:40 | つぶやき
 葛西臨海公園にある水族園に行きました。暑い日差しの中、車を降りたら目立つのは大観覧車。さっそく、10時ジャスト、一番乗りで乗りました。17分間の空中散歩。北にはスカイツリー南は東京湾、西は高層ビル、東はディズニーランド(シー)が一望できます。足元が少しむずむずしますがちょっぴり爽快な気分。孫は大はしゃぎでした。それから水族園へ。マグロやカツオのダイナミックな回遊。ペンギンなども自在に泳ぎ回る姿など、こちらもしばし堪能しました。孫も大喜びでした。
 観覧車の料金一人3歳以上700円。水族園はその半券があると、20%引きの560円。反対だと、観覧車は10%引きのようですが。この違いがおもしろい!
 でも、暑い夏は避けた方がよろしいようで。若い方や子供達は元気ですが、年寄りはぐったりの半日。
 観覧車からは、遠く彼方にスカイツリーが霞んで見えます。
下り始めた観覧車から。
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深大寺、つかの間の

2010-08-27 22:13:04 | つぶやき
 所用のついでと言っては申し訳ないですが、調布の深大寺(じんだいじ)にちょっと立ち寄りました。
 深大寺は、天台宗別格本山の寺院。山号は浮岳山。 浅草・浅草寺に次ぐ都内第二の古刹です。武蔵野台地、「ハケ」国分寺崖線の斜面に抱かれる形で、ゆたかな泉の湧く場所に建てられています。隣接する東京都立神代植物公園は旧寺領でした。
 深大寺の由縁、歴史は、『深大寺真名縁起詞書』それを仮名交じり文に改めた『深大寺仮名縁起詞書』、さらにそれを絵にした『深大寺縁起絵巻』によって伝えられています。
 『縁起』によれば、深大寺を開いた満功上人(まんくうしょうにん)の父、福満が、郷長・右近の娘と恋仲となりましたが、右近夫妻はこれを悲しみ、娘を湖水中の島にかくまってしまいます。時に福満は玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の故事を思い浮べ、深沙大王(じんじゃだいおう)に祈願して、霊亀の背に乗ってかの島に渡ることが出来たのです。娘の父母もこの奇瑞を知って二人の仲を許し、やがて生まれたのが満功上人であったと伝えています。
 長じて満功上人は、父福満の宿願を果すために出家し、南都に法相(ほっそう)を学び、帰郷後、この地に一宇(いちう)を建て深沙大王を祀りました。時に天平五年(七三三)、これが深大寺開創の伝説であります、と。
 古来、深大寺の境域は清水にめぐまれ、その流れは、かつては下流の田を潤してきました。古代、その水を求めて集まった人々の泉に対する感謝の心は、「水神信仰」を生んだのでしょう。(今も、調布市の水道資源の一つが深大寺境内付近にあります。)
 深沙大王は本来、疫病を除き、魔事を遠ざける効能のある神とされています。唐の玄奘三蔵が経典を求めて天竺に赴く途次、砂漠での難を深沙大王が救ったという説話は有名。
 深大寺釈迦堂に奉安されている白鳳釈迦如来倚像は、1913(大正2)年、旧国宝に指定され、東国随一の古仏として全国的に有名になりました。
 また、深大寺では土地柄、昔から蕎麦をつくり、すでに徳川時代には深大寺蕎麦として、将軍家や上野東叡山にも献上され、また蜀山人などが大いに喧伝、来詣者に賞味されてきました。
 さらに、近年境内には多くの俳人・歌人の碑が建立されています。蕎麦をめでながらその足跡を訪ねる参詣者も多いようです。
 深大寺の寺歴の中で消長、興亡を経ながら伝承されてきた信仰、それを育んできた水も緑も、そしてまた蕎麦も深大寺の大切な財産・生命なのでしょう。
 江戸時代文化年間の紀行文『遊暦雑記』は、
「この村は幾処となく溪あり坂あり、高低定めがたくて莫大に広し…実も、深大寺の辺は大樹繁茂し、野猿の清澄(せいちょう)、澗水(かんすい)の音のみ聞えて更に一切の俗事をはなれ、寂々寥々(じゃくじゃくりょうりょう)として心月を観ずるべき勝地ならんかし」と伝えています。
現在は、NHK総合TVで放映中の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の舞台として全国的に有名になりました。エンディングでは、市民から募集した「調布の風景」の写真が流れています。どれもすてきな写真です。
 私もすこしあやかって写真を撮ってきました。慌ただしい、つかの間の散策を楽しみながら、都会の喧噪と暑さをひととき忘れることが出来ました。もちろん、十割そばもしっかり味わってきました。
茅葺きの山門
本堂の脇に置かれた?
木漏れ日
元三大師堂奥の滝の流れ
高浜虚子の句。「遠山に日の当たりたる枯野かな」
お蕎麦屋さん
「雀のお宿」
ゲゲゲの鬼太郎にちなんだモニュメント
ゲゲゲの森
勢いよく回る水車。
この坂の上に水源がある。
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国分寺市・自然保護

2010-08-26 20:20:56 | つぶやき
 国分寺市内には貴重な自然が残されている。むしろ自然を残そうという市民運動が盛んな地域。武蔵野の雑木林、農地、河川・・・。昭和30年代、まだまだのどかな自然に恵まれた田園風景、里山が広がっていた、おだやかな丘陵地帯。近郊への開発が進み、そうした風景も、ぽつんぽつんと残されているだけになってしまった。何とか宅地化され、虫食い状態になった雑木林、畑を守る動きが定着している。そうしたことへの住民の意識も高い土地柄でもある。
 恋ヶ窪駅の北西。ほんの少し残された雑木林。航空写真では、回りはすでに樹木一本なく畑地と開発を待つ土地が広がっている。街道沿いに残された空間。猛暑の中で、ここだけが木漏れ日が穏やか。子供が一人、自転車を駐めて、林の中に入って行った。クワガタを捕りに行くのだと。車の激しく行き交う街道から、ちょっと踏み入れたところ。
 バスに乗って再び恋ヶ窪駅へ。周囲には、農地が広がっている。トウモロコシや枝豆や果物の木、植木栽培など、地場産業?としての農業が続けられていた。いつ宅地開発の波に呑み込まれてしまうのか。
 国分寺駅の南。野川の流れ。日立製作所の敷地内が、その源流。東に流れ多摩川に注ぐ。よく手入れされている。
 「殿ヶ谷戸公園」国分寺駅南すぐにある公園。これなども自然保護の市民運動の成果といえる。1929(昭和4)年に、三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備した。昭和40年代にこの地域に再開発計画が持ち上がったが、保存を求める住民運動をきっかけとして1974(昭和49)年、東京都が買収、公園として整備した。
通称「ハケ」という国分寺崖線と呼ばれる段丘崖と豊富な湧水を巧みに生かして築かれた庭園。園内には池や周遊順路が存在し、地元住民の憩いの場として利用されている。
古い樹齢の木々が目立つ。
木漏れ日。
バスからの風景。野菜生産地。
野川の流れ。 
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読書116「憲法ってこういうものだったのか!」(姜尚中・寺脇研)ユビキタ・スタジオ

2010-08-25 20:36:25 | つぶやき
 異色の対談というべきか。片や在日として積極的に発言をしながら、特に「愛国の作法」をものしたことで賛否両論、左右双方から批判されている人。片や文部官僚として「ゆとり教育」を推進し、今や左右双方から袋だたき状態にあるお方。
 この二人が「日本国憲法」について語り合うというスタイル。左派系の運動論を批判しながら、返す刀で自公、特に小泉政権の新自由主義政治(それに続く安倍、福田政治)を批判する。
 出版されたのが、2年前。民主党による政権交代が起きる前。それでいて、今読むと、期せずして政権交代の重要性を説いているのが、「先見の明」あり。しかし、今の民主党政権の状況をお二人はどう捉えるか。
 さて、この対談。公共「性」あるいは「公益」。それを支える個人のあり方、という視点から憲法の条文を分析、評価する。
 姜さん。在日コリアンとして地域社会で生活する中で、在日の問題を日本国籍を得るかどうかという問題に矮小化すべきではない、との考え方になったこと。さらに、在日外国人への参政権付与についても、否定的な見解。
 寺脇さん。文科省の役人、広島県教育長などの経験をもとに、官僚の立場は公共の福祉を実現することであり、ひいては官僚主導型の国づくりを強調する。
 お二人とも、直接民主主義的な発想を批判、民主的な手続きを云々することよりも、官僚による秩序づけられた自由主義経済と選挙代議制に支えられた政治の具現化を提唱する。
 その国づくりの根幹をなしているのが、憲法第9条であり、さらにそれと表裏一体の憲法第1条だと。そのため、第9条など、時々の政権の解釈で揺れ動いてはならない、とそう意味で、ぶれることのないような条文に改めるべきだ、と。
 また、日本の政治体制は、共和制ではなく、立憲君主制であり、そこに憲法の基本があることを強調し、「文化」「政治」「社会」の要としての天皇制を支持する。
 第1条(象徴天皇)と第9条(戦争放棄)とがセットというのは、戦後的なトラッド(伝統)で、そこから国民の福祉を実現するための政治のありようを考えなくてはならない、とする。この視点(第1条と9条の本質的な連関性)は、大変興味深いものがある。
 特に、民主主義(体制)に関連して、最近のマスコミ主導の世論、それこそが民主主義だと言わんばかりの、政治や経済などへの感情的(扇情的)な介入は、極力退けなければならないと主張する。
 憲法擁護・厳密な法解釈という立場では、お二人は、誰よりも保守派なのだろう。そして、憲法に掲げられた「理想」を実現しようという意識・意欲、そこから出て来る当時の自公政権批判、政治をとりまく情勢批判においては、誰よりも革新派なのだろう。
   
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古代からの道か? 墨田区・東武鐘ヶ淵駅付近

2010-08-24 20:06:47 | 歴史・痕跡
 墨田区から葛飾区まで。長く続く一本の直線道路。西は、隅田川にぶつかり、その先はもう定かではない。東に行くと、道は江戸川河畔につながる。その先は、国府台。
 葛飾区内にはこの古代の道がほぼ一直線で残っているが、墨田区内ではこの鐘ヶ淵駅辺りくらいにしか残っていない。昭和22年の航空写真でもはっきり分かる。それよりももっと古い「歴史的農業環境閲覧システム」(明治初期から中期の実測図)は、荒川放水路完成前の地図であり、それによって、鐘ヶ淵付近から葛飾小岩付近までの直線道路を確認できる。
 鐘ヶ淵側に久々に自転車で出かけた。暑い中を!写真は、鐘ヶ淵駅南の踏切から東を望んだもの。実は、もっと広い直線の道路が八広に向かっているが、それではない。車もやっと通れるような、細く少し曲がっている道(正面の道)が古道だと言われている。
荒川から西を見たもの。荒川は明治になって出来た人工の河川。
土手沿いにあった古い石仏。花が手向けてあった。古道の道筋にあたっている。
荒川から見た東・葛飾区側。正面にちょっと右方向に向かって、古道が続く。
荒川を渡った葛飾区側。水戸街道を渡ったところ。細いがまっすぐな道が立石へと向かう。

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スカイツリー二景

2010-08-23 22:17:29 | つぶやき
 北十間川に架かる枕橋からのスカイツリー。百日紅の赤と柳の緑。その向こうに霞んで見えます。かつてあった「東武隅田公園」駅付近です。
 昨日の日曜日。たまには自転車に乗って出かけようと、浅草まで。けっこうな時間、炎天下の中、水分補給に気をつけながら・・・。途中、荒川の河川敷では少年野球が行われ、元気な声が響きます。反対側は、大人達の草野球。これもご苦労さん。
 土手の道は、自転車に乗った人たちが子供連れも含めて、ひっきりなしに行き交います。皆さん、お元気です。長い夏休みも終わりに近づき、葛飾区では25日から平常授業とか、荒川区でもまもなく・・・。授業時間確保のために夏休みを短縮するのが、最近の公立の小、中学校。生徒諸君も、昨日が最後の日曜日というわけですね。
 スカイツリーが間近に迫る錦糸町。そこでは亀戸神社の御輿が繰り出し、錦糸公園をメインにして、下町ジャズ・フェスティバルが繰り広げられているとか。去りゆく夏を惜しむかのような賑わい。でも、この暑さはいつまで続くのでしょうか?
隅田公園。木の間越しのスカイツリー。
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読書116「『昭和』を点検する」(保阪正康+半藤一利)講談社現代新書

2010-08-22 20:02:49 | つぶやき
 半藤一利。東京下町生まれ。東京大空襲の体験も。「文藝春秋」に所属していたこともあり、一頃は保守派の論客でしたが(今も?)、太平洋戦争当時の日本軍部(特に日本陸軍)及び靖国神社におけるA級戦犯の合祀には極めて批判的で、昭和天皇の戦争責任についても否定していません。また近年は護憲派としての活動を積極的に行っています。
 そのため、保守派のドン(?)西尾幹二などから手厳しく批判されています。
 対する保阪正康。第二次世界大戦当時の軍部については極めて批判的であり、「大東亜戦争は自衛の戦争」と主張する靖国神社にも否定的。そのため総理大臣の靖国神社参拝にも極めて批判的で、一般人の靖国神社参拝についても「個人の自由」としながらも、「靖国神社に参拝することは靖国神社の主張を受け入れるということだ」と批判的です。
 これもまた、保守派論壇からは批判も多く、小林よしのりからは、当時の国際関係を無視しての、当事者の聞き書きスタイルの歴史観は、「蛸壺史観」とやはり手厳しい(どっちがそうなのか、と思いますが)。
 この二人。反対の立場から言わせれば、「俗人」(世俗)受けする歴史観の持ち主? 
 いずれにせよ、保守派からは目の敵に近い存在。戦争の犠牲となった自国の民衆、朝鮮半島をはじめ、他国の人々の目線から歴史を読み解くなどというのは、正統派歴史学者から言わせれば邪道なのかもしれません。
 かといって、西尾や小林の依拠する(きちんと学んだのだか、考えもせずに受け入れただけなのか、わかりませんが)、説く歴史観も、またきわめて偏っているとしか思えません。
 そこでこの書。とことん彼らが忌み嫌う、俗物受けするタイトル(小見出しで)で対談しようという、ある意味、痛快な小気味よい対談集になっています。その志たるやよし!
 だから、昭和を点検すると題していても、その内容は昭和20年8月15日敗戦に至るまでの「戦前昭和」を点検する、という内容になっていて、ま、反対派の「こいつら、また何を勝手なことを、俗受けする言葉で言い出すか」という手ぐすね引いて待っている連中をちょっと手玉にかけている、といった風情です。これが、お見事です。
 さて、対談の内容は、日本が負けることは明らかだったのに、どうして昭和20(1945)年8月15日まで続いたのか、とりわけ「ポツダム宣言」受諾まで20日間。この間に広島・長崎の原爆をはじめ、どれほど多くの犠牲が出たか・・・。そこにまで次第に話を狭めていくかたちになっています。
 では、何が「失敗の本質」であったのか。「どうせ」「いっそ」「せめて」。このありふれた言葉をもとに、半藤さんが他の書で昭和前史を読み解いていったわけですが(むしろ日本人の心性が、この三語によって括られる、とのことで)、その続編という趣です。まさに対談のなかでのベーシックなキーワードとなっています。
 この対談では、この三つの言葉の他に、「世界の大勢」「この際だから」「ウチはウチ」「それはおまえの仕事だろう」「しかたなかった」の五つ。
 証拠隠滅とか公文書の破棄とかで、資料も実は乏しい昭和戦争史。それは今でもなお闇の中のものも多いのです。そうした中での、ある意味、歴史を「探偵する」、そういうおもしろさがあります。その手法の中で、続々と登場する人物の発言、人となり、責任感、責任回避、黙殺、・・・、生身の人間像が浮かび上がっていきます。
 そうして読み進むうちに、実はこの対談は、けっしてかつての敗戦という結果に至った、戦ばなしではないことに気づかされます。
 今の官僚機構。役所や組織の体質、政治家の処世・・・。特に五つのキーワードがずばり大きく言えば、今の日本の政治状況、国際関係などの混乱につながっている体質。勤め先の上司の姿勢、無責任体制、成果主義、結果オーライ・・・、などまったく60年以上も少しも変わっていないことに気づきます。
 特に身近な官僚組織。個人的な思惑だけで、組織を勝手に動かし、計算尽くの人間関係がかえって無責任体制を生み、誇大報告(失敗を隠蔽し)で上司をだまし、縦割り組織の中で見て見ぬふりをする、他の部署の過ちを冷笑する、「ホウ・レン・ソウ」が根回しにすり替わり、そして、上も、中間も、ぜったいに責任を取らない、部下にその損失・失敗を押しつける・・・、そんな組織が今もはびこっている。ここに目を向けなければならないなのに、誰も気づいていて言わない! そこに歴史の悲劇があり、教訓があるはずなのですが。
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読書115「これでよろしくて?」(川上弘美)中央公論新社

2010-08-21 19:24:09 | 読書無限
 実は、川上弘美さんを取り上げるのが多いようです。初期の頃の作品の独特の、芥川賞を取ったあたりの、雰囲気さはなくなって、「センセイの鞄」的作風が、心地よいのかも知れません。
 あの一種、おどろおどろしい世界が気に入ってもいましたが、「異界が日常性を撃つ」などという作風が。ちょっと最近は人間界に、その日常性に依拠しながら人間界の中での葛藤、心のありようを描くというような作品が多いようで、それはそれで、おもしろいのですね。読者を少し意識しすぎて、エンタテインメントに過ぎるとも言えますが。
 この作品。妻、嫁、姑、小姑?、子育て(子のない家庭)・・・と女性の生活、人生などを「これでよろしくて?」と問いかけ、居直り、世間(体)の中で暮らしている女性が主人公。それを取り巻く女性達。いくら「婦人公論」に連載されていたとはいえ、どうも夫も含め男性陣の希薄なこと。
 川上さんも気になったのか、終わりの方では夫婦の子作りへの必死さも描いていますが、どうも地に足がついていなくて、また女性の世界に戻ってしまいますが。
 そうそう、「これでよろしくて? 同好会」のメンバーが、日常の人間関係(家族関係、夫婦関係・・・)に思い悩む(立場)に置かされた主人公にかかわってきて、主人公が何とか「これでよろしくて?」という境地になりつつある、そこまでたどり着いたとたんに、「私達、幽霊だったの」と消え去る描写がありましたが、これぞ川上ワールドと思いきや、実はそうではなく、その関係で主人公は勤め出す、という落ちになっています。どうこの趣向は? という感じです。
 でも、これだけ日常を描きながら(勿論狂言回しとして異界的人間も登場しますが)、その中に潜んでいる女の「性(さが)」を追求する姿勢には、男性読者として、かえってゾックとするものを・・・、そう、ここまできて、あの「川上ワールド」が、今も厳然として存在することに気づかされのです。「これでよろしくて?」というわけには、簡単にいかないのですが。 
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石神井公園

2010-08-19 21:16:52 | つぶやき
 石神井公園に初めて行きました。所用のついでに。暑い日差しを感じないほど、こんもりとした木々と二つの大きな池。石神井池・三宝寺池。特に、三宝寺池は武蔵野台地からの地下水が湧き出る池として存在していました。園内には、沼沢植物群や雑木林が見られ、23区内とは思えないほど緑豊かな武蔵野の面影を残しています。しかし、年々水量が減少し、景観維持のため、池の水も人工的に地下水から揚水しているようです。石神井池は、ボート場となっていますが、水辺には葦など水辺の植物があります。南側の散策道は、かなり古い樹齢のアカマツなどの鬱蒼とした林の中の小道となっています。
 三宝寺池は石神井川の水源の一つとされ、流域の豪族であった豊島氏もこの水の支配の為、この池の南の台地に石神井城を築城したとされています。
 石神井池(ボート池)は、三宝寺池一帯が風致地区に指定された際、三宝寺池とともに武蔵野の景観を保護する目的で人工的に作られたもの。もともと三宝寺池から周辺の田んぼに水を引いていた水路でしたが、それを人工的にせき止めて池としました。その整備の歴史も古く、80年近くの昔の1933(昭和8)年に作られています。
 かつては石神井川(小金井~王子~隅田川)の本流は、三宝寺池から流れ出す川とされ、小金井からの流れは大川と呼ばれる支流でした。しかし、徐々に流域の都市化が進行し三宝寺池の湧水が減ると、池から合流点(山下橋)までの流れは、三宝寺川と呼ばれるようになり、大川が石神井川本流となりました。
 石神井川の名称は、石神井村を貫流する川だったために村の名前にちなんで呼ばれたと言われています。石神井村の名前は、村内に昔からあった「石神」(石棒を神体として祭ったもの)に由来し、この「石神」は三宝寺池から出たとも、井を掘っていたら土中から出たとも伝えられています。
 石神井川は、西東京市・練馬区の一部では「大川」、練馬区・板橋区では「石神井川」、北区で「音無川」「王子川」「滝野川」とも呼ばれています。石神井川が隅田川に注ぐようになっているのには、諸説があるようで、もともと上野の不忍池に通じていたとも。
 木漏れ日の中の久々の散策でした。写真は、三宝池のようす。何か深遠な雰囲気のする池でした。
散策道の一部。
石神井池遠望。
実がなっています。
水辺の草花。
池からの落ち口。三宝川となって石神井川に合流します。
実際の流れは暗渠で、遊歩道になっています。
石神井公園駅のホーム。古くなったレールを柱に。現在、大改造工事中。いずれ取り払われる運命に。
屋根も木製。レールには、記号がそのまま残っています。
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38.2度。練馬。

2010-08-18 21:20:28 | つぶやき
 2010年8月17日(火)。体験しました、38.2度(以上)。午後2時頃、練馬区・西武線・都立家政駅から、炎天下の道を歩いていました。照り返しは激しく、商店街の道も通る人も少なく、真夏の日差し。まだまだ樹木の多い土地ですが、道路には木陰もなく、ペットボトルの水を飲み飲み歩きました。
 一仕事終えて、また帰り道。ますます高くなる日差し。熱射(文字通り貫くような)。これが38度なんだなと(勿論、ここで測っているのではないのですが)。地上の木陰の百葉箱での気温(これが正式記録:38.2度)とは、雲泥の差のような体感温度です。
 街を行く人もまばらで、真昼の静寂という感じ。静まりかえったような雰囲気に何かおどろおどろしさまで感じました。日本の他の土地でも、この気温を記録したそうです。いつまで続くこの熱波という思いが一杯です。そして、今日も、仕事で外出。今度は、石神井公園駅の近くに。ここも、かなり暑い!
 写真は、練馬区立中村小学校の正門に掲げられたお知らせ。これで、3日間中止だそうです。
中村小の校庭。ほとんど全面、芝生が植えられています。
きれいに整えられた芝生。
革靴で踏み入れてもふかふかとしてぬくもりのある芝生。ここで、近々親子キャンプが行われるそうです。
通りがかりにあったなまこ壁の土蔵つくり。
とある家の門扉にあったかわいらしい石像。暑さの中でけなげな姿です。
立ち寄った喫茶店の中庭風景。ここの主人、85歳でまだまだ現役とのこと。

 
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gooニュースの気になるところ

2010-08-17 22:56:24 | つぶやき
①為替含め見守る…GDP減速で首相
②ウイルス作成で処罰、刑法改正案
③石原都知事「この国は駄目に」
④党内に溝…中曽根氏、人事に苦悩
⑤「どこの国の閣僚か」政権を批判
⑥小沢氏を重要ポストで…原口氏
⑦年金機構不調、長妻氏が原因とも
⑧首相・日銀総裁会談、逆効果とも
 インターネットで見るニュースは、gooとGoogleです。最新のニュースや天気などけっこう利用しています。特にgooは。地図も検索できるし何かと便利です。
 前々から気になっていたことですが、gooの取り上げる新聞記事。特に、政治系になるとどういうわけか産経新聞が多く登場するのです。昨日の夜10時過ぎの「注目する政治ニュース」このうち、③、④、⑤、⑧が産経。あとは読売と時事通信のもの。朝日や毎日はなし。
 産経新聞がどれほどの購読者数がいるのか分かりませんが、夕刊がないぶん、少ないはず。また、内容から分かるように、基本的には民主党政権批判(産経新聞の記事)。これまでの自公政権に対してはどうだったかは、定かではありませんが、かなり意図的な内容をもった記事を「注目すべき」記事としています。
 気になったので、朝のニュース記事一覧を見ると、ほとんど毎日、やはり産経新聞が目立ちます。今さら気づいたのもお恥ずかしいですが、gooの編集者は、産経新聞に肩入れしています。
 そのため、ブログに取り上げられた(関心度の高い)記事も、産経がいくつも登場しています。そういう編集方針ならそれでいい、嫌いな人は見なければいいのですから。新聞を読まず、インターネットでニュースを検索する人も多いようですが、gooはそういう人に積極的にアプローチしているのでしょう。
 一方のGoogleは、地方紙を含めて、日経など、幅広く新聞記事を載せています。それと比べて、gooのスタンスがとても気になりました。そういえば、都庁の役人の間でけっこう読まれているのが、実は産経新聞、といううわさですが。
 (追伸)今日の朝10時過ぎのgooの「政治ニュース一覧」。
 12のニュースが取り上げられていましたが、そのうち何と7つが「産経新聞」、他に時事通信が2,讀賣新聞、朝日新聞、中国新聞それぞれ1。やはり意図的な編集だと思いますが。夕刊がない分、夜遅くになると、産経新聞の記事はなくなります。 

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38.1度。練馬

2010-08-16 19:55:17 | つぶやき
 車に乗って、クーラーをがんがんかけていても、いっこうに涼しくなりません。外気温が39度を表示しています。今、一軒、仕事を終えて次のところへ。人を迎えに行って、送り届けてそしてまた・・・。クーラーの調子が悪いようで、どうも使いすぎたようで。環七も明治通りも車の流れは順調。それがせめてもの慰めです。
 さっきは、ラジオで練馬区で38・1度を記録したとか。体温を超えること、2度以上。これじゃ、体内の水分も蒸発しそうです。
 この練馬。東京でも有数の高温地帯。それだけでなく、ゲリラ豪雨とか雷雨とか、他の場所に比べて、気候の変化が強烈な地域。「環八雲」という排気ガス汚染の雲が、環八の上を帯状に出来たりして・・・。
 いろいろ原因は取りざたされています。東京湾沿いに建ち並ぶ高層ビルが、海風を遮断して、そうして四方からの淀んだ空気がたまりやすい、とか。今、遅めの昼飯を食べて、ちょっと一息ついたところ。さ、この暑さは明日くらいまでとか、そういう予報はもう信じずに残りわずかの(はずの)暑さにめげずに一仕事しようか。
 押上駅前の交差点。赤信号でぐっと首を傾けて左手を見上げると、スカイツリーが霞んで見えます。歩道には、たくさんの見物客です。(以上、午後1時過ぎ)

(追伸)ちょっと休んで3時頃、車に乗ってエンジンをかけたときには、外気温が45度を示していました。びっくり仰天!これでは、コンクリート道を歩いていたら、体感的には40度以上なのでしょう。今日も各地で35度以上を記録したとか。この暑さ、今週も続くようです。(この部分は、午後8時前)
 
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セミのつぶやき

2010-08-15 19:20:50 | つぶやき
 暑い夏ももうそろそろお終いですね。それでもやっぱり今年の夏は暑かったんでしょうね。一日中いい日差しで、洗濯物もよく乾いたでしょう、ベランダの物干しには、もう何も吊されていません。
 ここんちの家の庭は、何十年もほとんど植えた木も雑草も変わらないままなので、地中から出てきても安心です。この回りは、家を建て直したりして、私達が土の中にいる間に地面もなくなり、頼りにした木も切り倒される。さてやっと地上に出られるかなと思ってもそのまま出られなくなってしまうこともありますが・・・。
 最近、私達の世界でも、関西の方からですか、やけにやかましく大きく鳴くセミが、このあたりにも進出しています。でも、私達は昔なじみの優しい鳴き方のセミです。ミーンミーンと鳴くんですが。
 やっと地上に出てもわずかな時を楽しんで(人々の耳を楽しませて)消える命ですが、最近の子供は手にとってみるのを嫌がる、特に母親がそうさせているような・・・。セミの抜け殻なんか見るのもイヤって顔をされてしまいます。ちょっと残念な気がします。
 こうして夏が去って、私達の子供がもう何年もして地上に出て来るときにはこのあたりはどう変わっているのでしょうかね。(写真は、クヌギの葉っぱにあるセミの抜け殻)
柿の木の下にたくさんあるセミの地上口。けっこう大きな穴があります。
ベランダの日よけのシートにとまっているセミ。
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