おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

1月5日。「小寒」。寒波が日本列島を覆うようですが。♪おおさむこさむ 山から小僧が泣いてきた。春の七草・七草粥。寒仕込み。

2025-01-05 19:50:15 | 世間世界

朝晩はぐっと冷え込み、少しずつ寒さも極まってきているように思います。

寒は別名「寒中・寒の内」ともいい、武道や芸事の「寒稽古」や「寒中水泳」なども寒に行われます。

今日は、二十四節気の「小寒」。

「小寒」の一つ前の節気は「冬至」(12月22日)、一つ後の節気は「大寒」(1月20日)。

この日から「節分」(2月4日頃の「立春の前日)までの約30日間を「寒(かん)」または「寒中」「寒の内」という。この日は「寒の入り(かんのいり)」ともいい、寒さの始まりを意味する。ただし、実際にはすでに寒さの厳しい時期である。

江戸時代の暦の解説書『暦便覧』では「冬至より一陽起こる故に陰気に逆らふ故、益々冷える也」と説明している。この日から「寒中見舞い」を出し始める。

おおさむこさむ
山から小僧が泣いてきた

※この「泣いてきた」の歌詞については、「やってきた」、「飛んできた」など、微妙に異なる歌われ方が存在するようです。

また、お天気用語では、「大寒」、「小寒」は、「だいかん」「しょうかん」と読みます。

関東地方。「小寒」とは裏腹の、暖かく晴れた日が続きます。明日は雨のようですが。

初候 1月5日〜1月9日頃

芹乃栄 せりすなわちさかう

芹が生え始める頃。芹は春の七草のひとつで、冷たい水辺で育ちます。一箇所から競り合って生えていることから、芹(セリ)という名前になりました。

次候 1月10日〜1月14日頃

水泉動 しみずあたたかをふくむ

地中で凍った泉の水が溶け、動き始める頃。まだまだ空気は冷たく、寒い時期ですが、春に向けて少しずつ動き出しています。

末候 1月15日〜1月19日頃

雉始雊 きじはじめてなく

雉が鳴き始める頃。雄が雌への求愛のしるしとして「ケーンケーン」と甲高い声で鳴きます。足の裏で震動を敏感に察知することができ、数秒早く地震を知らせることができます。

のもの

蝋梅ろうばい

寒さに強く、花の少ない冬に咲く貴重な花です。甘い香りが特徴的で、ろう細工のような花びらと、梅に似ていることから蝋梅という名前になりました。

柊ひいらぎ

葉の鋭いトゲによって、邪気を払う木とされています。しかし、鋭いトゲは老樹になると、トゲをなくし丸い葉になってしまいます。

河豚ふぐ

この時期の河豚は、産卵前で脂がのっています。刺身で食べる場合は「てっさ」と呼ばれ、普通の魚よりも弾力があり噛み切れないため、薄く切り、ポン酢につけて食べるのが一般的です。

野菜

七草粥ななくさがゆ

1月7日は人日の節句で七草粥の日でもあります。お正月のご馳走を食べたあと、この七草のお粥は体に沁みます。ぜひ、七日の朝には七草を刻み、お粥をつくって食しましょう。

             (「向島百花園」にて)

 『せり・なずな ごぎょう・はこべら・ほとけのざ すずな・すずしろ はるのななくさ』

1月11日(木)は、「鏡開き」。

次の写真は、3年前の1月6日。けっこうな雪模様に。

午後4時過ぎの「スカイツリー」のようすをまとめて。

   

    

        

本格的な寒さが今年は? さらに雪は・・・。

東京地方。今日、明日は、雨。しかし、寒中らしい寒さが続かず、火曜以降は、日本海側の雪に対して、乾いた晴れ間が続きそうです。 

大学入試、高校入試も始まる時期。受験生にとっても「試練の冬」がやってくる頃になり、・・・とは言うのも以前の話。

今は、前年の10月頃から、指定校推薦、公募などと大学入試の形態も様変わり。

もうすでに行き先が決まっている学生も多いようです。

「試練の冬」は、中学受験を控える小学6年生にこそ当てはまる? 

ところで、

※日本の最低気温:1902年(明治35年)1月25日、北海道上川地方旭川市で観測した「-41.0℃」。

※世界の最低気温:2010年(平成22年)8月10日、南極大陸の東部のドームA付近で観測した「-93.2℃」。

※日本の最高気温:2018年7月23日(埼玉県熊谷市)と2020年8月17日(静岡県浜松市)で観測した「41.1℃」。

温暖化の影響も大いにある昨今です。

当方としては「寒仕込み」ということに興味が。そこで、

冬場に造る酒はうまい

日本酒で「寒仕込み」という言葉をよく聞く。「寒造り」とも呼び、冬場の寒い時期に仕込むのが、日本酒伝統の製法である。

なぜ、冬場に仕込むのか? 

まずは、原料である米が秋に収穫されることと関係している。米がとれてからでないと、酒造りはできないからだ。

そして、寒い時期だと雑菌が繁殖しにくいこと挙げられる。日本酒の仕込みは、温度管理がとても重要なのだ。低温だと、余計な雑菌の繁殖を抑え、お酒をつくる微生物が、よい働きをしてくれるのである。冬場の低い気温の中で、もろみをゆっくりと時間をかけて発酵させると、きめ細やかで良質な酒に仕上ると言われ、昔は「寒酒」と呼ばれた。

日本酒はそもそも、四季醸造といって、1年中造られるものだった。ただ、暑い時期だと急速に発酵してしまい、発酵途中のもろみが腐ってしまう難点も。

寒仕込みは、江戸時代に最も酒造技術が進んでいたといわれる伊丹(兵庫)で確立されたという。江戸幕府も、寒造り以外の醸造を禁止し、寒仕込みが清酒造りの主流となっていったという。

閑散期の冬場の収入源として、農家が出稼ぎで杜氏になり、日本各地に“杜氏集団”ができるようになっていったのも、寒仕込みと関係している。福岡では「芥屋(けや)杜氏」などが有名で、いまだに冬場限定で酒造りに携わる蔵人がいる。

現代では、空調設備が整った酒蔵では、1年中酒造りをする「四季醸造」が一般化している。冬場が「旬」だった酒が、今や四季を通して、楽しめるようになったのである。

(この項、「」HPより)

   (いずみ市大原にて)。 

今夜は「寒仕込み」の旨いお酒を飲むことにしましょうか。

次は「大寒」(1月20日)。

※二十四節気は、「立春」から始まり「大寒」で終わります。      

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霜降。10月23日(水)。初時雨。紅葉。イチョウ。霜降り。

2024-10-23 18:27:13 | 世間世界

                  隅田公園にて。ただし、11月下旬のころ。

10月下旬では、紅葉にはまだまだ早い時期。

                      

ところで、今日は、二十四節気のうちの「霜降」。
 
朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が降りはじめるころ。
 
露が霜に変わり、だんだんと冬が近づいてくる時期。
 
21日の東京地方。すっかり冷え切り、厚手のシャツを着込むことに。
 
たしかに朝晩は涼しさを感じるし、陽の沈むのも一段と早くなった印象。
 
5時過ぎでは暗くなり、自転車のライトを点けないと、あぶない。
 
それでも、向島百花園などではイチョウの木もモミジも、まだまだ色づかない。
 
昨日からはしばらく気温は、高め。でも、雨模様、と。寒暖差、晴れ、雨と変化が激しい今日この頃。 
 
自然の営みは、暦の上の「二十四節気」の季節感・自然観とはずいぶんずれてきているようです。
 
暦の上で「霜降」とは、

朝晩の冷え込みがさらに増し、北国や山里では霜が降りはじめるころ。だんだんと冬が近づいてくる。北国では初雪の便りも。

ということになります。

我が家でも、少しずつ冬支度。冬物の服装の準備。

「七十二侯」では、

初侯 10月23日〜10月27日頃

霜始降 しもはじめてふる

霜がはじめて降りる頃。

次侯 10月28日〜11月1日頃

霎時施 こさめときどきふる

通り雨のように雨が降りはじめる頃。降ったかと思えば、すぐに青空が顔を出す。

※「時雨」のことのようです。

「初時雨」は、人々や動物たちが冬支度をはじめる合図だといわれている。

※「初時雨」というと、芭蕉の句を思い浮かべる。

旅人と 我名よばれん 初しぐれ  (『笈の小文』)

初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり  (『猿蓑』)

末侯 11月2日〜11月6日頃

楓蔦黄 もみじつたきばむ

もみじや蔦が色づいてくる頃。葉が赤色に変わることを「紅葉」と呼び、銀杏のように黄色に変わることは「黄葉」と呼びます。また、秋の山が紅葉することを「山粧う(よそおう)」という。

ここで、俳句、和歌をいくつか紹介。
 
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 正岡子規
 
奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき 猿丸太夫(『小倉百人一首』)
 
                          

ただしこの歌は、『古今和歌集』では作者は「よみ人しらず」となっている菅原道真の撰と伝わる『新撰万葉集』にも「奥山丹 黄葉踏別 鳴鹿之 音聆時曾 秋者金敷」の表記で採られているが、これも作者名はない。(「Wikipedia」より)

裏を見せ 表を見せて 散る紅葉(もみじ) 良寛が臨終の際に、弟子の貞心尼(ていしんに)に言い残した句。

(「向島百花園」にて。ただし、11月下旬。)

※七十二侯については、「暦生活」HPより。

毎年感じることですが、日本の四季は最近では「二季」に。夏から冬、冬から夏という具合。

ところで、「霜降(しもふり)肉」といえば、牛肉で脂肪が筋肉の間に細かく網の目のように入っている肉のこと。豚肉や馬肉にも用いられる。筋肉(筋繊維)の間に入った脂肪は「サシ」と呼ばれており、それが細かいほど上質とされる。

たまには高級な霜降り牛を食してみたいものです。

写真は神戸牛の霜降り。

(「Wikipedia」より)

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不可解な公明党の姿勢。しかし、何の疑問も持たず、ひたすら当選のために活動。不思議な組織・創価学会。

2024-10-18 18:18:16 | 世間世界

今回の総選挙。石破さんの乾坤一擲の初陣・大勝負! さて、どうなることやら。

ところで、今回は、とりわけ公明党の党利党略・打算が目に付く。

非公認や重複立候補が認められなかった裏金候補35人を「推薦」するという。

「裏金問題」で非公認となった候補者へ推薦を決定。地元の要望だといろいろいいわけがましいことを言っているが、無所属には学会の票を差し出すから、比例区には「公明党」へ。また、公明党が出馬する「小選挙区」の票を是非とも、と。

新委員長のところと大阪。

まるで、「公明(正大)」と裏腹の姿勢。

と思っていたら、小泉郵政民営化解散のときも同じような事が。

20年前とまったく変わらない、選挙「勝利」至上主義組織のあわれさよ。

題して公明党=創価学会というろくでもない存在」。再掲します。

《2005年8月13日》。

政治の世界に限らず、人と人とのつながり。昨日の友は今日の敵。敵の敵は味方。・・・よくあることです。それにしてもと思います。公明党=創価学会のやり口には。
 今回の選挙。コイズミさんのやり方。郵政民営化反対者は公認せず、対立候補を立てる。それで、郵政賛成派で過半数がとれなければ、首相の座を降りる。ある意味で、政党政治家らしい対応の仕方です。
 政党という団体は、まさに政策の一致が根本であって、その主義、主張に一定の拘束性を持つのは当然でしょう。こうした考えを一貫して堅持するコイズミさん。その姿勢を批判するなら、党内で反コイズミの多数派工作をして、コイズミさんを党代表の座から下ろす。コイズミさんの考え方・行動は、我が党の党是とは反するとして。それが叶わなければ、主義・主張を同じくする同志を募って、新たな政党団体を結成する。これが当たり前ではないでしょうか。
 党内論争は、論争として大いに行い、いったん党内がまとまったならば、その方針に従って、党人として行動する。自民党の50年間。そうしたやり方が出来ず、派閥間の合従連衡で、自民党という政治結社を組織していた。こうした旧態依然とした体質・あり方をぶっ壊していく、これがコイズミ流だと思うのです。その意味では、コイズミさん。首尾一貫しています。
 小選挙区制のもと、反対派は、自分たちで政治団体をつくるか、圧倒的に不利であっても無所属で選挙運動をする。勿論、今の自民党の体質ではそれがすっきりと出来ず、反対派候補者に対する党本部と県連との意見が合わない。まさに内紛的選挙戦になることも、仕方がないでしょう。どうみても組織政党とはいえないんですから、自民党は。だから、日本の政治の実権を握ってこられたとも言えますね。
 しかし、小選挙区制になった今、二大政党制の是非はともあれ、政党間で政策論争・論議がなされ、それが国民の前に明らかにされる。そして、投票の際の重要な観点になっていく、こうならなければ、小選挙区制をおく意義がないと思います。こうして、初めて今回の選挙の争点がはっきりもしてくるのです。
 ところが、相変わらずの自民党内のゴタゴタ。自民党公認がだめなら、無所属で立候補するという、反対派議員も多いようです。コイズミさんも当初の目的通り、反対派には自民党公認で賛成派候補者を擁立する方向。「内ゲバ」解散とも言われる所以です。もしかしたら漁夫の利を得るのは民主党。そうであってもコイズミさん、自らの節を曲げないでしょう。ある意味で立派な御仁です。
 そこで、またもや露呈したのが、公明党=創価学会の態度のおかしさです。
「郵政民営化には賛成です。コイズミさんをこれからも支えます。」と公言しておきながら、一方で、郵政民営化反対派の候補者を応援することもあり得るという。 郵政民営化可否を巡って、自民党内が大もめになっているとき、反対派には今後選挙支援をしない、と反対派切り崩しに一役買った公明党幹部。その根拠は、否決して総選挙になることを阻止!という一点のみでした。ところが、あれよあれよというまの総選挙。
 ここで、公明党の党利党略のえげつなさが出てきたのです。神崎さんをはじめ党幹部は、「郵政民営化賛成」という舌の根も乾かないうちに、反対派候補者(自民党本部から公認されない候補者)も支援する場合がある、と発言しました。この理由は、簡単。無所属では比例区には投票する対象の組織がない。そこで、「小選挙区では、誰々、比例区には公明党を」と叫んで貰いたいのです。
 これは、前の総選挙でも行った戦法。自民党の候補者が、学会からの固定票ほしさで「比例区には公明党」と演説して回りました。それで、比例区の公明党票は大きく伸びました。これは、候補者が連呼しただけではなく、自民党候補者の「後援会員名簿」を譲り受け、徹底した公明党への投票依頼行動をしたからです。
 今回もその作戦。郵政民営化に反対・賛成は関係なし!ただただ自分たちが有利になりさえすれば、それでOKというわけです。
 同じ「信仰者」ということで存在するはずの創価学会組織。本来、政党支持は自由であるはずなのに、信心の組織を全面的に使って、会員を選挙活動にかり出す。あげくの果てに、自民党候補者への投票を上から指示されたり、自民党後援会名簿をもとに、公明党への一票をお願いする。・・・表向きは、自由です、どの党に入れよう、と言いつつも。そこに、この組織の「ろくでもなさ」があるのです。
 まして今回は、コイズミさんが争点にしたいのは、「郵政民営化賛成か反対か」だとすれば、これほどいい加減な政党組織はないと思います。コイズミさんと一緒に少数派に転落したらイヤ!敵であろうと何であろうと、その保険のためには、節操も主義も何もない。
 どうしてこういう団体が、日本に跳梁跋扈しているのでしょうか。こういうことでは、「イカン」崎!と思うのです。

・・・

さて、今回はどうなるか、思惑通りにいくかどうか。該当選挙区に選挙権・票を持たない小生ですが。

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「十三夜」。10月15日(火)。「豆名月」・「栗名月」。月見団子・ススキ。樋口一葉『十三夜』。

2024-10-15 20:30:08 | 世間世界

今夜は、「十三夜」。少し欠けた月がきれいですが、スマホではうまく撮れないので、「ウェザーニュース」を拝借。

  近所の公園から。                 

十三夜とは、昔使っていた月の満ち欠けをもとに1か月の日付を決める太陰太陽暦(旧暦)の9月13日の夜を指し、この日に見える月は旧暦の8月15日(十五夜)に出る月(中秋の名月)と並ぶ名月とされています。

平安時代に中国から伝わったとされる十五夜の月を愛でる風習とは異なり、十三夜の少し欠けた月を愛でる風習は日本独特のものと言われています。

ではなぜ、満月でもない十三夜にお月見をする風習が日本で始まったのでしょうか?

これに関しては諸説あるものの、延喜(えんぎ)19年9月13日 (現在の暦では919年10月9日)に、当時の法皇が催した月の宴がきっかけとなったというのが、最も有力な説とされています。

また、十三夜の月は、十五夜の月(中秋の名月)とセットで呼ばれることも多く、旧暦8月の十五夜の月を「前の月」、9月の十三夜の月を「後(のち)の月」と呼んだり、2つの月を合わせて「二夜(ふたよ)の月」と呼ぶこともあります。

そして、片方しかお月見を行わないことは「片見月(かたみづき)」と呼ばれ、縁起の悪いものとされています。

(この項、「ウェザーニュース」HPより)

十三夜には、別の言い方があります。この時期は、栗や豆が収穫できる時期であり、旬のものをお供えしてお月見をしたことから「豆名月(まめめいげつ)」「栗名月(くりめいげつ)」と呼ばれます。十五夜の「芋名月」が、芋を収穫しお供えしたことから名づけられたのと同じですね。

また、十五夜に次いで美しく、十五夜の後に巡ってくるので、「後(のち)の月」とも呼ばれます。

お月見では、秋の収穫に感謝するため、収穫物をお月様にお供えします。お供えしたものは、必ず美味しくいただきましょう。神様との結びつきが強くなると考えられています。十五夜に対して十三夜の月見を「後の月見」と言います。

「後の月見」に何を準備して、楽しみましょうか? まずは、月見団子。十三夜の場合は、13個のお団子を用意し、1段目に9個、2段目に4個並べます。月見団子は、お月様から見えるところもしくは、床の間にお供えしましょう。合わせて、収穫された旬の果物や野菜をお供えし、秋の実りに感謝します。旬を迎える栗やブドウと言った果物がおすすめです。名前の由来にもなっている枝豆、大豆をお供えするのも良いでしょう。

そして、収穫物と共に、ススキを飾ります。ススキの鋭い切り口は、魔除けになる。茎の内部が空洞のため、神様の宿り場になると信じられていたため、古くから神様の依り代(よりしろ)と考えられていました。悪霊や災いなどから収穫物を守り、翌年の豊作を願う意味が込められています。

(この項、「Oggi.jpおしゃれもキャリアも。働く女性のWebメディア」HPより)

※樋口一葉『十三夜』を紹介します。

《貧しい士族斉藤主計の娘お関は、官吏原田勇に望まれて七年前に結婚したが、勇は冷酷無情なのに耐えかねてある夜、無心に眠る幼い太郎に切ない別れを告げて、無断で実家に帰る。おりしも十三夜、》

・・・ほんに/\手が懸つて成ませぬ、何故彼樣で御座りませうと言ひかけて思ひ出しの涙むねの中に漲るやうに、思ひ切つて置いては來たれど今頃は目を覺して母さん母さんと婢女をんなどもを迷惑がらせ、煎餅おせんやおこしの※(「口+多」、第3水準1-15-2)たらしも利かで、皆々手を引いて鬼に喰はすとおどかしてゞも居やう、あゝ可愛さうな事をと聲たてゝも泣きたきを、さしも兩親ふたおやの機嫌よげなるに言ひ出かねて、烟にまぎらす烟草二三服、空咳こん/\として涙を襦袢の袖にかくしぬ。

今宵は舊暦の十三夜、舊弊なれどお月見の眞似事に團子をこしらへてお月樣にお備へ申せし、これはお前も好物なれば少々なりとも亥之助に持たせて上やうと思ふたけれど、亥之助も何か極りを惡がつて其樣な物はお止よしなされと言ふし、十五夜にあげなんだから片月見に成つても惡るし、喰べさせたいと思ひながら思ふばかりで上る事が出來なんだに、今夜來て呉れるとは夢の樣な、ほんに心が屆いたのであらう、自宅うちで甘い物はいくらも喰べやうけれど親のこしらいたは又別物、奧樣氣を取すてゝ今夜は昔しのお關になつて、外見みえを構はず豆なり栗なり氣に入つたを喰べて見せてお呉れ、いつでも父樣と噂すること、出世は出世に相違なく、人の見る目も立派なほど、お位の宜い方々や御身分のある奧樣がたとの御交際おつきあひもして、兎も角も原田の妻と名告なのつて通るには氣骨の折れる事もあらう、女子をんなどもの使ひやう出入りの者の行渡り、人の上に立つものは夫れ丈に苦勞が多く、里方が此樣な身柄では猶更のこと人に侮られぬやうの心懸けもしなければ成るまじ、夫れを種々さま/″\に思ふて見ると父さんだとて私だとて孫なり子なりの顏の見たいは當然あたりまへなれど、餘りうるさく出入りをしてはと控へられて、ほんに御門の前を通る事はありとも木綿着物に毛繻子の洋傘かうもりさした時には見す/\お二階の簾を見ながら、吁あゝお關は何をして居る事かと思ひやるばかり行過ぎて仕舞まする、實家でも少し何とか成つて居たならばお前の肩身も廣からうし、同じくでも少しは息のつけやう物を、何を云ふにも此通り、お月見の團子をあげやうにも重箱おぢうからしてお恥かしいでは無からうか、ほんにお前の心遣ひが思はれると嬉しき中にも思ふまゝの通路が叶はねば、愚痴の一トつかみ賤しき身分を情なげに言はれて、本當に私は親不孝だと思ひまする、それは成程和やはらかひ衣服きものきて手車に乘りあるく時は立派らしくも見えませうけれど、父さんや母さんに斯うして上やうと思ふ事も出來ず、いはゞ自分の皮一重、寧そ賃仕事してもお傍で暮した方が餘つぽど快よう御座いますと言ひ出すに、馬鹿、馬鹿、其樣な事を假にも言ふてはならぬ、嫁に行つた身が實家さとの親の貢をするなどゝ思ひも寄らぬこと、家に居る時は齋藤の娘、嫁入つては原田の奧方ではないか、勇さんの氣に入る樣にして家の内を納めてさへ行けば何の子細は無い、骨が折れるからとて夫れ丈の運のある身ならば堪へられぬ事は無い筈、女などゝ言ふ者は何うも愚痴で、お袋などが詰らぬ事を言ひ出すから困り切る、いや何うも團子を喰べさせる事が出來ぬとて一日大立腹であつた、大分熱心で調製こしらへたものと見えるから十分に喰べて安心させて遣つて呉れ、餘程甘うまからうぞと父親の滑稽おどけを入れるに、再び言ひそびれて御馳走の栗枝豆ありがたく頂戴をなしぬ。

※太字:「十三夜」にちなんだもの。

《両親を見て言い出しかねていたが、あやしむ父に促されて経緯を話し、離縁をと哀願する。父は、お関に因果を含め、ねんごろに説きさとす。お関もついにはすべて運命とあきらめ、力なく夫の家に帰る。》

《その途中乗った車屋はなんと幼なじみの高坂録之助。話を聞けば、自分のために自暴自棄、妻子を捨てて落ちぶれた暮らしをしている。そのひとを今、目の前にして、万感、胸に迫る思いで、無限の悲しみを抱いたまま、彼とも別れ、帰って行く。》

男はうす淋しき顏に笑みを浮べて貴孃といふ事も知りませぬので、飛んだ我まゝの不調法、さ、お乘りなされ、お供しまする、さぞ不意でお驚きなさりましたろう、車を挽くと言ふも名ばかり、何が樂しみに轅棒かぢぼうをにぎつて、何が望みに牛馬の眞似をする、錢が貰へたら嬉しいか、酒が呑まれたら愉快なか、考へれば何も彼も悉皆しつかい厭やで、お客樣を乘せやうが空車からの時だらうが嫌やとなると用捨なく嫌やに成まする、呆れはてる我まゝ男、愛想が盡きるでは有りませぬか、さ、お乘りなされ、お供をしますと進められて、あれ知らぬ中は仕方もなし、知つて其車それに乘れます物か、夫れでも此樣な淋しい處を一人ゆくは心細いほどに、廣小路へ出るまで唯道づれに成つて下され、話しながら行ませうとてお關は小褄少し引あげて、ぬり下駄のおと是れも淋しげなり。
 昔の友といふ中にもこれは忘られぬ由縁ゆかりのある人、小川町の高坂とて小奇麗な烟草屋の一人息子、今は此樣に色も黒く見られぬ男になつては居れども、世にある頃の唐棧たうざんぞろひに小氣こきの利いた前だれがけ、お世辭も上手、愛敬もありて、年の行かぬやうにも無い、父親の居た時よりは却つて店が賑やかなと評判された利口らしい人の、さても/\の替り樣、我身が嫁入りの噂聞えそめた頃から、やけ遊びの底ぬけ騷ぎ、高坂の息子は丸で人間が變つたやうな、魔でもさしたか、祟りでもあるか、よもや只事では無いと其頃に聞きしが、今宵見れば如何にも淺ましい身の有樣、木賃泊りに居なさんすやうに成らうとは思ひも寄らぬ、私は此人に思はれて、十二の年より十七まで明暮れ顏を合せるたびに行々は彼の店の彼處へ座つて新聞見ながら商ひするのと思ふても居たれど、量らぬ人に縁の定まり、親々の言ふ事なれば何の異存を入れられやう、烟草やの録さんにはと思へどそれはほんの子供ごゝろ、先方さきからも口へ出して言ふた事はなし、此方は猶さら、これは取とまらぬ夢の樣な戀なるを、思ひ切つて仕舞へ、思ひ切つて仕舞へ、あきらめて仕舞うと心を定めて、今の原田へ嫁入りの事には成つたれど、其際までも涙がこぼれて忘れかねた人、私が思ふほどは此人も思ふて、夫れ故の身の破滅かも知れぬ物を、我が此樣な丸髷などに、取濟したる樣な姿をいかばかり面にくゝ思はれるであらう、夢さらさうした樂しらしい身ではなけれどもと阿關は振かへつて録之助を見やるに、何を思ふか茫然とせし顏つき、時たま逢ひし阿關に向つて左のみは嬉しき樣子も見えざりき。
 廣小路に出れば車もあり、阿關は紙入れより紙幣いくらか取出して小菊こぎくの紙にしほらしく包みて、録さんこれは誠に失禮なれど鼻紙なりとも買つて下され、久し振でお目にかゝつて何か申たい事は澤山たんとあるやうなれど口へ出ませぬは察して下され、では私は御別れに致します、隨分からだを厭ふて煩らはぬ樣に、伯母さんをも早く安心させておあげなさりまし、蔭ながら私も祈ります、何うぞ以前の録さんにお成りなされて、お立派にお店をお開きに成ります處を見せて下され、左樣ならばと挨拶すれば録之助は紙づゝみを頂いて、お辭儀申す筈なれど貴孃のお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つても是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も歸ります、更けては路が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人それは東へ、此人これは南へ、大路の柳月のかげになびいて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。

(明治二十八年十二月「文藝倶樂部」臨時増刊 閨秀小説)

(「青空文庫」より)

               樋口一葉。これまでの五千円札の肖像でした。

新しい五千円札の肖像画は、津田梅子さん。

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9月22日(日)・秋分の日。秋の彼岸(ひがん)会。暑さ寒さも彼岸まで。おはぎ。秋の日はつるべ落とし。

2024-09-23 16:40:27 | 世間世界

 

                彼岸花。(幸手「権現堂堤 」にて)        

             すすき。(「向島百花園」にて)

夏日が続く東京地方。やっと涼しくなる気配。でも、最近。秋雨前線の影響か、時ならぬ豪雨がところ選ばず襲ってくる。

今朝のお天気。 日差しはあるが、けっこう涼しく感じる。

さて、昨日は、二十四節気の第16番目「秋分」。「春分」と同じように、太陽が真東から昇り真西に沈む、昼と夜の長さが同じになる日。

※じっさいには、昼の方が少し長い。

「秋分の日」をはさんで前後7日間、仏教寺院では、「秋季彼岸会」が行われます。

※「彼岸」とは、サンスクリット語の「パーラミータ」(波羅蜜多)の訳語。「至彼岸(彼の岸に至る)」また「度(渡る)」と音訳します。
仏教では、私たちが生活しているこの世界を穢土(えど)、または娑婆世界と言い、穢れた苦しみの世界であると説いています。そして、この娑婆世界を此岸(しがん=こちら側の岸)に、煩悩・業・苦の三道という苦しみを大河の流れに、涅槃(ねはん=成仏の境界)を彼岸(向こう岸)に、それぞれ譬えるのです。
「彼岸会」はわが国の仏教一般に広くおこなわれている行事の1つで、古くは聖徳太子の頃からおこなわれていたようです。その内容は時代によって移り変りがありましたが、現在では世間一般に先祖の供養をすることが主になっており、お寺へ参詣して塔婆供養をしたり、お墓参りをする事が通例となっています。

※「秋分の日」は、1948年(昭和23年)に公布・施行された「祝日法」(昭和23年法律第178号)によって制定された。同法第2条では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」ことを趣旨としている。(「Wikipedia」より)

※「暑さ寒さも彼岸まで」。これからしだいに秋が深まっていく(はず)。

「白露」 →「秋分」 →「寒露」

「秋の日はつるべ落とし」

秋の日は、井戸のつるべ(釣瓶)が落ちるように早く沈み、暮れてしまうことのたとえ。秋になると、日没の時刻が早まるだけでなく、その後の薄明の時間も短くなり、日が沈んで間もなく真っ暗になる。

※つるべ(釣瓶)は、井戸で水を汲み上げるために使われる道具で、桶を縄の先にとりつけたものを滑車に掛けて使用する。

(渋川・白井宿にて)

「七十二侯」でいうと、

・初侯 9月22日〜9月27日頃

雷乃収声 かみなりすなわちこえをおさむ

夏の間に鳴り響いた雷が収まる頃。空にはもこもことした鱗雲があらわれます。残暑も落ち着き、秋の気候へと変わっていきます。

(荒川・四つ木橋にて)

・次侯 9月28日〜10月2日頃

蟄虫坏戸 むしかくれてとをふさぐ

外で活動していた虫たちが冬ごもりの支度をはじめる頃。虫たちは秋冬が終わるのを、約半年間も土の中で静かに待ちます。そして、啓蟄の頃に再び姿を現します。

・末侯 10月3日〜10月7日頃

水始涸 みずはじめてかるる

田の水を落として、稲穂の刈り入れを始める頃。

刈り入れが終わった田んぼ。(幸手にて)

(この項、「暦生活」HP参照)

秋分の日には仏壇におはぎをお供えします。春は牡丹が咲くので「牡丹餅(ぼたもち)」、秋には萩が咲くため「御萩(おはぎ)」と呼ばれています。

はぎ。(「向島百花園」にて)

         おはぎ。   

春に食べられるぼたもちは基本的にこしあんで、秋に食べるおはぎは粒あんで作られます。これは小豆の収穫時期の違いが理由。

小豆は秋頃に収穫されるため、おはぎは収穫してすぐの小豆を使って作られます。収穫したての小豆は香りもよく、皮も柔らかいので、粒をいかして粒あんで食べるのです。

「半殺し」とは東北地方や長野県、静岡県、四国地方などの方言で、比較的山間部で使われていることが多いようです。小豆をこしあんにすることを皆殺し、粒あん(粒が残っている状態)にすることを半殺しと表現します。いずれもお米や豆をすりつぶした状態をさした言葉として流布しています。

           (この項、「」HP参照)

次は、10月8日(火)「寒露」。だんだんと秋も深まってきます(くるはず)。

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7月6日。小暑。暑中見舞い。鰻・万葉集・平賀源内。ベガ・アルタイル・夏の大三角形。七夕飾り。雨の夜の品定め。

2024-07-06 20:12:08 | 世間世界

小暑」は二十四節気の11番目。夏が本格化する時季。「夏至→小暑→大暑→立秋」とういう移り変わりに。

暑中見舞い」を出す時期は小暑から立秋の前日まで(「大暑」までという説などもあるようですが)。立秋(今年は8月7日)以降は「残暑見舞い」となります。
 
暦の上では、これからが夏本番、とういうか、すでに暑さが厳しくなっています。
 
「小暑」が「大暑」、「大暑」が「猛暑」と言い換えられるくらい。
 
せめて「立秋」くらい暦通りになってほしいものです。
 
東京地方。ここ2,3日は、35℃を超えるほど、気温が上昇。猛暑日。今日も朝から晴れ。あっという間に30℃越え。蒸し暑い! 雷もありそう。まさに「夕立」。
 
この時期は、梅雨の末期で、集中豪雨、最近はゲリラ豪雨と呼ばれる激しい雨が梅雨前線の停滞によって局地的な激しい雨に襲われます。九州地方などで大きな災害を生んでいます。
 
今日は、全国的に晴れ。猛暑になったところも多いようです。ちょっと歩くだけで汗が噴き出るありさま。
 
夕立が来そうな空模様。
 
 
七十二侯でいうと、
 
・初侯 7月6日〜7月11日頃

温風至 あつかぜいたる

雲の間から注ぐ陽がだんだんと強くなる頃。 温風とは湿った空気が山を越え、乾いた温かい風となって吹き降ろすフェーン現象のことを表しているとも言われています。

・次侯 7月12日〜7月16日頃

蓮始開 はすはじめてひらく

蓮がゆっくりと蕾をほどき、花を咲かす頃。 水底から茎を伸ばし、水面に葉を浮かべ、綺麗な花を咲かせる蓮ですが、花が開いてから4日目には散ってしまいます。

 (大賀ハス「千葉公園」にて。)

・末侯 7月17日〜7月21日頃

鷹乃学習 たかすなわちわざをなす

5・6月に孵化した雛が、巣立ちの準備をする頃。 独り立ちができるよう、飛び方を覚え、獲物の捕り方を覚え、「独り」ということを一から学びます。

先日、TVで鷹匠の話題がありました。害鳥を追い払うために活用している、とのこと。見ごたえのある内容でした。

我が家辺りでも小鳥の鳴き声がしきりに聞こえます。巣立ちする雛もいるのでしょう、近所の工場の屋根にはツバメが巣を作っています。

のものとしては

虫 アゲハチョウ

※今日、「向島百花園」でアゲハチョウが1羽飛んでいるのをみかけました。あちこち飛び回っているので、写真には撮れませんでした、残念! 「小暑」の日にタイミングよすぎです。

魚 

鰻の、いい匂いと煙が。

                                  (小見川にて)

野菜 大蒜(にんにく)

行事 祇園祭

(この項、主に「暦生活」HPより)

※「鰻」といえば、今からおよそ1.230年以上昔、『万葉集』にある、大友家持が知人の石麻呂に贈った歌二首が思い浮かびます。

「土用の丑の日(今年は7月23日・大暑)に鰻を食べる」という風習。夏場で売れ行きが落ちた鰻屋から相談された蘭学者で発明家の平賀源内が鰻を売るためのキャッチコピーを店先に掲げたところ大繁盛した、ということから始まった、という説が有名です。が、万葉集の時代から、鰻は夏場の滋養強壮に最適だったようです。

〈 痩せたる人を嗤咲へる歌二首〉痩せている石麻呂を戯れにからかってみた歌二首

3853: 石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ

石麻呂に申し上げよう。夏痩せに良いというものとして鰻があるそうだ。鰻を捕って召し上がれ。

3854: 痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな

いくら痩せすぎているといっても、生きていればこそのはなし。万々が一、鰻を捕ろうとして川に入って流されるなよ。

さて、明日・7月7日は、「七夕」。「五節句」の1つ。

そして、「東京都知事選」投票日。それぞれの思いを短冊に、ではなく投票用紙に託して、といってもこの暑さじゃ、投票所にも行かない可能性、大。またまた低投票率で終わるか?  

七夕飾り。

(「向島百花園」にて)

※五節句は、1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽。

7月7日あるいはその前夜の行事。本来は陰暦で行っていたが、現在は陽暦の7月7日に行う所が多い。東北地方などでは月遅れの8月7日に行っている。七夕は織女祭(しょくじょさい)、星祭(ほしまつり)などともいい、中国伝来の行事と、日本古来の伝承、さらに盆行事の一環としての行事など、さまざまな要素が入り混じって今日に伝承されている。

 歴史的にみると、奈良時代には宮中の行事として、この日中国伝来の乞巧奠(きこうでん)が行われている。桃、梨(なし)、茄子(なす)、瓜(うり)、大豆(だいず)、干鯛(ひだい)、薄鮑(うすあわび)などを清涼殿の東庭に供え、牽牛(けんぎゅう)・織女の二星を祀(まつ)ったという。『延喜式(えんぎしき)』には織部司(おりべのつかさ)の行事として7月7日に織女祭が行われたというが、いずれも宮廷や貴族の習俗であった。室町時代になると七夕に歌を供える風習が入り、7という数にあやかって、7種の遊びを行ったという。さらに江戸時代には武家の年中行事としても定着し、五節供の一つに定められている。笹竹(ささたけ)に五色の紙や糸を吊(つ)るして軒端に立てる風も江戸市中にみられ、今日に近い七夕風景になってきた。

 七夕の名称については、日本では古く神を迎え祀るのに、乙女が水辺の棚に設けた機屋(はたや)にこもり、神の降臨を待って一夜を過ごすという伝承があり、これから棚機女(たなばたつめ)、乙棚機(おとたなばた)、さらに「たなばた」とよぶようになったという折口信夫(おりくちしのぶ)の説がある。七夕には一夜水辺にこもって(みそぎ)を行い、翌朝送り神に託して穢(けがれ)を持ち去ってもらうものであったともいい、現に各地に伝承される水浴の習俗はその名残(なごり)であるという。七夕にはかならず洗髪をするとか、食器類を洗うものだという地域は広くある。観光で有名になっている青森県弘前地方のねぶた行事も七夕の日であり、ねぶたは「佞武多」という字をあてているが、眠りを追い払う行事である。秋の収穫作業を控え、仕事の妨げとなる睡魔、悪霊を追い払う行事だった。

 中国では、この日、牽牛星(わし座のα(アルファ)星アルタイル)と織女星(こと座のα星ベガ)の二星が、天の川を挟んで年に一度相会う日となっている。牽牛は農時を知る基準となり、織女はその名の示すように養蚕や裁縫をつかさどる星とされていた。陰暦7月の初めころは、この二星が北東から南西に横たわる天の川を挟んで、人々の頭上に明るく見えるところから、擬人化して二星の相会う伝説が生まれたものである。この伝説は、日本の口承文芸のなかにも数多く語られている。

(「Wikipedia」より)

 七夕の由来譚(たん)は、室町時代の『天稚彦物語(あめわかひこものがたり)』に、娘が大蛇と結婚する異類婚姻譚となって語られており、現に全国にすこしずつ語り口を変えて伝承されている。その骨子は天人女房の昔話である。

 天女が水浴びをしていると、若者がかいまみて、一人の天女の羽衣を隠してしまう。羽衣のない天女は天に帰ることができず男の妻となる。子供が生まれ、その子供の歌から羽衣が穀物倉に隠してあることを知り、天女は羽衣をつけ、子供を連れて天に飛び去ってしまう。天女は別れるとき、瓜の種を残してゆく。男はこの瓜のつるを登って天上へ行く。天帝の難題を天女の援助によって解決するが、禁じられていた瓜を縦に割ってしまい、瓜から流れた水が大洪水となり、男は流されてしまう。この川が天の川で、天女は流されてゆく男に、7日7日に会おうといったのに、男は7月7日と聞き違え、年に一度7月7日にしか会えないようになってしまった。

 七夕行事には、盆行事の一環としての要素も多い。この日盆道(ぼんみち)作りをするとか、盆の市(いち)が開かれるなどというもので、7月の満月の盆に対し、朔日(ついたち)との中間、7日ごろを目安として日を設定したもので、これに他の七夕の要素が複合して今日のような形式となったものであろう。中国伝来の乞巧奠は当初貴族に伝わり、それはこの日晴天を祈る星祭となり、乾燥文化圏の行事に属し、一方、日本古来の農神としての七夕は、民間に流布し盆行事とも結合して穢を祓う習俗となり、したがって雨天を望む湿潤文化圏の行事の要素をもっている。七夕はこの二つの複合習俗といえよう。

[鎌田久子](この項、「コトバンク」HPより)

ちなみに、「七夕」は本来、旧暦7月7日の行事ですから、立秋のころ。そのため俳句では秋の季語になっています。

「おり姫星」はこと座の「べガ」のことで、「ひこ星」はわし座の「アルタイル」のこと。

ベガ、アルタイルと、はくちょう座のデネブの三つの一等星を結んだのが「夏の大三角形」。

東の空に、明るいベガとアルタイルを見つけることができます。都会では間を流れる天の川を見ることができませんが、ベガとアルタイルはすぐにわかることでしょう。

夏の大三角形

源氏物語「帚木」の巻・「雨の夜の品定め」。

五月雨(梅雨時)の夜、17歳になった光源氏のもとに、義兄の頭中将が訪ねてくる。さらに左馬頭と藤式部丞も交えて、4人で女性談義をすることになる。

この中で、「七夕」にかこつけた話題が出てきます。

「・・・はかなきあだ事をもまことの大事をも、 言ひあはせたるにかひなからず、龍田姫と言はむにもつきなからず、 織女の手にも劣るまじくその方も具して、うるさくなむはべりし」
とて、(左馬頭は)いとあはれと思ひ出でたり。(頭)中将、
「その織女の裁ち縫ふ方をのどめて、長き契りにぞあえまし。げに、その龍田姫の錦には、またしくものあらじ。はかなき花紅葉といふも、をりふしの色あひつきなく、はかばかしからぬは、露のはえなく消えぬるわざなり。さあるにより、難き世とは定めかねたるぞや」
と、言ひはやしたまふ。

「・・・風流なことでも実生活のことでも、話し合うかいがあり、龍田姫といってもいいほど染色の技能もあり、織姫にも劣らないほど、裁縫の腕も兼ね備え、たいした女であった」と言って、左馬頭は(あっという間に亡くなった)その女をしみじみと思い出している。頭中将は、「その織女のような裁縫の腕はさし置いても、(せめて七夕の)長い契りにあやかりたいものだ。本当に、その龍田姫の錦(染め)以上のものはいないでしょう。それほどでもない花紅葉にしても、折々の季節の色合いとが悪く、はかばかしくないのは、まったく露のごとくあっという間に消えるようなつまらないものだ。そう思うと、良き妻を選ぶのは難しく、決めかねるものだね」と言いはやす。

・・・

この方ともお別れです。

次の二十四節気「大暑(猛暑)」は、7月22日(月)

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4月19日。「穀雨」。「春雨じゃ濡れていこう」。藤棚。牡丹。筍(たけのこ)。「夏も近づく八十八夜」・茶摘。

2024-04-19 20:58:57 | 世間世界

モッコウバラ。黄色と白と(我が家の)。

  モッコウバラ。

             

今日の東京地方は、晴れ。気温も高い。風も強い。

そして、今日は、24節気の6番目「穀雨(こくう)」。

今年は4月19日(水)〜5月4日(土)の期間で、5月5日(日)が「立夏」となります。

「春の柔らかな雨に農作物が潤う」という意味で、穀物の成長を助ける雨のことです。

『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。(「Wikipedia」より)

春雨じゃ濡れていこう」とは、新国劇『月形半平太』で主人公が傘を差し掛ける舞妓に言う有名な台詞。

英語だと、Let's feel the spring rain on our face.

春雨は、このころの、しっとりと降る雨のことをいうようです。

最近の雨は、「しっとり」とはかけ離れて雹が降ったり、窓に吹き付けるような雨だったりで、情緒もありません。

実際は、4季というよりか、2季になりつつあるようで、冬から夏へと、いきなり暑くなりました。

ワイシャツ姿、半袖姿が目立つ、今日この頃。冬物はタンスじまい。肌掛け1枚で済むような東京地方の夜です。

我が家の猫たちも、開いた窓から外を眺めるように。

    

      

              (「向島百花園」にて)

「七十二侯」によって「3期」に分かつと、

・初侯 4月20日〜4月24日頃

葭始生 あしはじめてしょうず

水辺の葭が芽吹き始め、山の植物、野の植物が緑一色に輝き始める頃。葭は、最終的にすだれや屋根などに形を変え、人々の生活を手助けしてくれます。

・次侯 4月25日〜4月29日頃

霜止出苗 しもやんでなえいづる

暖かくなり、霜も降らなくなり、苗がすくすくと育つ頃。田植えの準備が始まり、活気にあふれている農家の様子が連想できる言葉です。

・末侯 4月30日〜5月4日頃

牡丹華 ぼたんはなさく

百花の王である牡丹が開花し始める頃。美しく、存在感があり堂々としている牡丹。中国では、国の代表花として牡丹があげられ、数え切れないほどの逸話や美術に登場します。

(この項、「暦生活」HPより)

 

     (「同」にて)

※「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の例えがあるように、芍薬は枝分かれせずまっすぐ伸びるのに対し、牡丹は枝分かれして横に広がります。

芍薬。

野菜としては、筍(たけのこ)

「筍」という漢字は、「旬」に「竹かんむり」を載せた形ですが、竹が10日間(一旬)で成長する(旬は「10日間」を表す)」ということに由来しているようです。

タケノコの成長の速さは次第に増し、地表に顔を出す頃は1日当たり数センチメートル程度だったものが、10日目頃には数十センチメートルから、時には1メートルを超える。タケノコにうっかり帽子を掛けたまま1日経つと(手が届かない高さまで持ち上げられて)取ることができなくなる場合があるとも言われる。この様に昼夜を問わず伸びるのがとても速いことから、漢字の「筍」は10日間を意味する「旬」から来ている、などと言われることもある。ただ、2 - 3カ月程度でその成長は止まる。長さ数十センチまで成長を続けたタケノコには養分不足のため成長を終える「止まりタケノコ」と呼ばれる現象があり、全体の30%から70%にこのような現象がみられる。(「Wikipedia」参照)

 

(「同」にて)                                           

さて、穀雨の終わりごろ(「立夏」直前)が八十八夜」(立春から数えて88日目)。今年は5月1日(水)。

「夏も近づく八十八夜」という歌い出しで始まる『茶摘(ちゃつみ)』は、1912年(明治45年)刊行の唱歌集「尋常少学唱歌」に掲載され、後には「文部省唱歌」として歌い継がれています。

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは
茶摘じゃないか
茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠

日和つづきの今日此の頃を、
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ 摘め摘め
摘まねばならぬ
摘まにや日本の茶にならぬ

         (「YouTube」より)

このまま、本格的な夏を迎えそうな今日この頃です。

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4月4日。清明。季節感のずれが激しい今日この頃。「花に嵐」、・・・ツバメ・雁・虹にまつわるお話。清明節・シーミー。。

2024-04-04 18:34:51 | 世間世界

 今日、4月4日は、「清明」。春分のあと、14日目。

清明(せいめい)とは万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清浄明潔」という言葉を訳した季語です。花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹く頃です。

こよみ便覧』には三月節に「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。様々な花が咲き乱れ、お花見シーズンになる。(「Wkipedia」より)

とありますが、今年の東京地方。やっと桜(ソメイヨシノ)の開花宣言。31日は28℃まで気温が上昇した、というのですから、異常気象というべきか。

昨日から曇り、のち雨。肌寒い。そして今日。サクラも曇天の下で、満開に。

近所の団地。このあいだの31日・日曜日は2分咲きくらい。それでも親子連れ、年寄りがお花見を。

久々の好天で足が向いたのでしょうか、久々の方ともお会いでき、・・・。

少子化が危機的な状況の日本、それでもけっこう子ども達の姿も。昔はもっともっといたのでしょうね。

去年は、もうすでに散っていましたが、今年は入学式の頃にもサクラがまだ咲いていて、満開の下で記念写真が撮れるかな?

しかし、確実に温暖化は進行しています。某高校の入学式の写真を15年くらい遡ると、歴然としています。

その高校は、サクラの種類も早咲きから遅咲きまで植えてあって、何もソメイヨシノだけがサクラではない、と。

今年は、サクラの木の下で新入生揃っての記念写真が叶えられそうです。枝垂れ桜、八重桜、・・・。

とはいうものの、サクラは咲き始めると、すぐに満開。今年のソメイヨシノ、はたしてどうか。昨日、今朝がたの雨で散り始めています。

「花に嵐」の譬えのように、しばらく寒気がやってくるようで、不安定な天気が続きそうです。

勧 酒  干武陵
  勧 君 金 屈 巵
  満 酌 不 須 辞
  花 発 多 風 雨
  人 生 足 別 離
書き下し文
  君に勧む 金屈巵(きんくつし)
  満酌 辞するを須(もち)いず
  花発(ひら)いて風雨多し
  人生 別離足る

井伏鱒二の訳
  この盃を受けてくれ
  どうぞなみなみ注がしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  さよならだけが人生だ
 
 「花に嵐」は、「好事魔多し」ということでしょうが、漢詩の全体では、あるいは井伏の訳の方が分かりやすくて、むしろ「会うは別れの始め」とか、せっかくの逢瀬もいつかは必ず別れが訪れる。
 ま、いつか訪れる別れを見据えつつも、「人生意気に感ず」で、友人とのひとときを、その時々を精一杯楽しんでいくことが大切だ、くらいの意味合いでしょうか。
 「さよならだけが人生だから、この出会いのひとときを大いに楽しもう」

七十二侯では、

初侯 4月4日〜4月8日頃

玄鳥至 つばめきたる

ツバメが海を渡って、日本にやってくる頃。本格的な春と農耕シーズンを迎える時期です。

※「若いツバメ」は、年上の女性の愛人となっている若い男をさす俗語。

明治時代の婦人運動・女性解放運動の先駆者 平塚雷鳥と、年下の青年画家 奥村博史の恋に由来する。
平塚が年下の男と恋に落ちたことで、平塚を慕う人々の間で大騒ぎとなり、奥村は身を引くことにした。
その時、奥村から平塚に宛てた手紙の中で、「若い燕は池の平和のために飛び去っていく」と書いたことから流行語となり、女性から見て年下の愛人を「若いツバメ」いうようになった。(「語源由来辞典」より)

次侯 4月9日〜4月13日頃

鴻雁帰 こうがんかえる

ツバメとは反対に、冬の間を日本で過ごした雁が北のシベリアへと帰っていく頃です。

※「雁書」というのは、便り、手紙のこと。中国前漢の蘇武が、匈奴に捕らえられた時、自分の生存を知らせる手紙を雁の足に結んで放ったという故事からきている。そこで、中国では、「雁」は、遠隔の地の消息を伝える通信の使者と考えられている。

末侯 4月14日〜4月19日頃

虹始見 にじはじめてあらわる

春が深くなるにつれ、空気が潤ってくるので、この時期からきれいな虹を見ることができます。

※日本では、虹の色は一般的に外側から順に「赤・橙・黃・緑・青・藍 ・紫」と識別していますが、世界共通の認識ではありません。アメリカでは6色、ドイツでは5色と識別されているようです。アジア諸国、ヨーロッパ諸国の中でも虹の色に違いがあるようです。

(「ウェザーニュース」より)

付け足し

以下「ウェザーニュース」より。

「清明」は「清浄明潔(せいじょうめいけつ)」という言葉の略となっています。
「こよみ便覧」(江戸時代に書かれた暦の解説書)の清明の説明部分で登場しており、この時期は、草木を始めとした全ての物が活き活きとしており、清らかで美しいということを伝えています。

中国には清明節(せいめいせつ)という祝日があります。毎年4月の4日前後で、ご先祖様にご加護と平安を祈る日とされています。
清明節は、家族そろって祖先の墓に足を運び、お供えをしたり、お墓の掃除をするという習慣があります。日本でいうお盆のようなものですね。ちなみに、お墓を清めるという意味合いから、別名「掃墓節(そうぼせつ)」とも言われているそうです。

清明祭は、中国のみならず沖縄でも実施されています。「せいめいさい」ではなく「シーミー」と呼ばれ、二十四節気「清明」の期間に行うところがほとんどだそうです。目的は中国と同じくご先祖様の供養。

ただ、シーミーにはちょっと変わった点が。掃除などを済ませた後、お墓の前にレジャーシートを敷いて、お重に入ったごちそうを食べるという習慣があります。「え、お墓の前で?狭くないの…?」なんて思いますが、沖縄のお墓の前は、清明祭のためにきちんとスペースが設けられているようです。家族とワイワイ楽しみながら食事ができるということで、ご先祖様自身も楽しみにしている行事の一つかもしれませんね。

「春を迎えて郊外を散策する日」ということで、清明節は、掃墓節の他に「踏青節(とうせいせつ)」とも言われています。
暖かくなった清明の時期にはまさにピッタリです。

次の24節気は「穀雨」(4月19日)。

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3月20日。春分。お彼岸・パーラミータ。ぼたもち・おはぎ・半殺し。ノウルーズ。

2024-03-20 18:34:41 | 世間世界

               

今日は、彼岸のお中日。春は「春分の日」、秋は「秋分の日」を中日として前後3日間、合わせて7日間が「お彼岸」の期間となります。

3月17日(日) 彼岸入り

3月20日(水・祝) 中日(春分の日)

3月23日(土) 彼岸明け

彼岸とは、サンスクリット語の「パーラミータ」(波羅蜜多)の訳語。

仏教各派ではこの日を中心に法要が営まれます。コロナ禍で檀家や信徒が大勢集まれない年が続きましたが、今年は、・・・。

春分は、二十四節気の第4番目。よく昼の長さと夜の長さがほぼ等しくなるとされるが、実際には昼の方が14分ほど長い。

「七十二侯」では、

・初侯 3月20日〜3月24日頃

雀始巣 すずめはじめてすくう

雀が巣を作り始める頃。

隣の家にあった大きなキンモクセイ。整地され、二棟の新築住宅に。木もなくなり、たくさんいた雀の騒がしいくらいの鳴き声もなし。

我が家の猫たち心なしか寂しそう。何しろ雀の姿と鳴き声に反応していましたから。

今は、遠くからの烏の鳴き声に耳をそばだてています。

キンモクセイも毎年秋には花と強烈なにおいを発散していましたが、それもなし。

新築の家は庭のスペースもまったくなく、敷地いっぱい三階建て。都内では仕方が無いことですが。

こうして、近所でもめっきり雀の姿がなくなりました。緑も花も・・・。

・次侯 3月25日〜3月29日頃

桜始開 さくらはじめてひらく

全国各地から桜の開花が聞こえてくる頃。先週末、隅田川堤では桜祭りの雪洞の飾り付けが行われていました。

去年3月19日。隅田公園(浅草側)では枝垂れ桜が満開でした。今年はまだそこまでは。

         

 

日曜も仕事なのか、サラリーマンが桜の下で。

・末侯 3月30日〜4月3日頃

雷乃発声 かみなりすなわちこえをはっす

雷が遠くの空で鳴りはじめる頃。季節の変わり目であり大気が不安定であることから、雪や雹を降らせることもあります。

(以上、「暦生活」HP参照)

東京地方。最近は、気温の乱高下が激しい。17日は20度℃越えでしたが、一昨日からは一気に8℃以上低下、今日は「花冷え」どころか、真冬並みの寒さに。冷たい雨も降り始めました。その後、突風が吹き始め、今もうなりを立てています。

今年は、当初の予想よりも桜(ソメイヨシノ)の開花が遅いような気がします。近所の河津ザクラや隅田公園(向島側)のオオヒカンザクラは、すっかり散ってしまっていますが。

「暑さ寒さも彼岸まで」とか言いますが、果たしてこれからは? ・・・。

春のお彼岸に食べる「ぼたもち」の由来は「牡丹餅」。春のお彼岸の頃は牡丹の花が咲く時期で、その時期に食べられることからこう呼ばれ始めました。

秋のお彼岸に食べる「おはぎ」の由来は「お萩」です。おはぎに使用する粒あんを秋に咲く萩の花に見立て、こう呼ばれるようになりました。

ぼたもちやおはぎのような、お餅をあんこで包んだ和菓子は、夏は「夜船」冬は「北窓」とも呼ばれます。これはいわゆる言葉遊び的な言いまわし。どういった言葉遊びかといえば、「月」と餅つきの「搗(つ)き」をかけたものです。

ぼたもちやおはぎは基本的に米をついて作らないため、「つき」がないとして、「月のない夜は、いつ船が着いたかわからない」ので「夜船」としたり、「北側の窓からは月がみえない」ことから「北窓」と呼ぶようになったとか。

夏の夜に浮かぶ船や、北窓にちらつく雪の白が、潰したご飯の白とあんこの黒をイメージさせたのではないかとも考えられます。

春に食べられるぼたもちは基本的にこしあんで、秋に食べるおはぎは粒あんで作られます。これは小豆の収穫時期の違いが理由。

小豆は秋頃に収穫されるため、おはぎは収穫してすぐの小豆を使って作られます。収穫したての小豆は香りもよく、皮も柔らかいので、粒をいかして粒あんで食べるのです。

「半殺し」とは東北地方や長野県、静岡県、四国地方などの方言で、比較的山間部で使われていることが多いようです。小豆をこしあんにすることを皆殺し、粒あん(粒が残っている状態)にすることを半殺しと表現します。いずれもお米や豆をすりつぶした状態をさした言葉として流布しています。

           (この項、「」HP参照)

・・・

ところで、この日は、イラン暦では「元旦」にあたるそうです。

かつてペルシャ帝国の文化的影響下にあったイランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる「ノウルーズ」という祭日で、毎年春分の日に各国の文化交流会によるイベントが行われている。(「Wikipedia」より)

次は、二十四節気の第5番目「清明」。4月4日(木)になります。

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3月5日。啓蟄。菰はずし。春雷(「虫出しの雷」)。菜種梅雨(なたねつゆ)。

2024-03-05 20:22:34 | 世間世界

水緩む季節。

3月5日(火)は二十四節気の3番目「啓蟄(けいちつ)」。「雨水」から15日目頃で、今日から春分までの期間。

「啓」は「開く」「開放する」という意味があり、「蟄」は「隠れる」「虫が地中にとじこもる。」という意味があります。

土中で冬ごもりをしていた生き物たちが目覚める頃。

生き物たちは久しぶりに感じるさわやかな風と、麗らかな春の光の中で生き生きとしていく時期。

※実際に虫が活動を始めるのは日平均気温が10℃を超えるようになってからで、鹿児島では2月下旬、東京や大阪で3月下旬、札幌は5月上旬頃に当たる。虫が冬眠から目覚めるとそれを補食する小動物も冬眠から目覚め動き始める。

七十二侯では、

初侯 3月6日〜3月10日頃

蟄虫啓戸 すごもりむしとをひらく

土中で冬眠をしていた虫たちが、暖かい春の日差しの下に出てき始める頃。虫とはいいますが、冬眠から目覚め始めるすべての生き物のことを表しています。

次侯 3月11日〜3月15日頃

桃始笑 ももはじめてさく

桃のつぼみが開き、花が咲き始める頃。昔は“咲く”という言葉を“笑う”と表現したそうです。ゆっくりと開いていく桃の花は、ほほ笑んでいるようにも見えます。

末侯 3月16日〜3月20日頃

菜虫化蝶 なむしちょうとなる

厳しい冬を越したさなぎが羽化し、美しい蝶へと生まれ変わり、羽ばたく頃。菜虫とは、大根や蕪などの葉につく青虫のことをいいます。

のもの

さかな さより

春から秋にかけて収穫され、旬は3月~5月頃。寿司や天ぷらによく用いられる高級食材です。お祝いの席には、その長い身を結んだ昆布だしのお吸い物が出されることも。

鳥 かわらひわ

羽を広げると黄色のきれいな模様がはっきりと見えます。数羽で行動することが多く、春から夏にかけて頻繁に住宅街に現れます。

野菜 わらび

わらびは野山などの日当たりのいい場所に多くみられる山菜です。山菜の中でもあくが強く、時間がたつと硬くなってしまうので、採った日には必ずあく抜きをします。

花 かたばみ

ハート型の3枚の葉に、小さな黄色い花が春から秋にかけて咲きます。クローバーとよく似ていますが、全く異なる植物です。夜になると葉をしぼませ眠りについたように見えます。

                               

たのしみ(行事)

十六団子

春には農作物を守るために“田の神様”が山から里へ下りてきます。収穫が終わる秋には山に戻っていきます。この神様の移動日である三月と十一月の十六日に、十六個の団子を供えることを「十六団子」と言います。

(この項、「暦生活」HPより)

行事

菰はずし

マツカレハなどの害虫から守るために、松の幹に巻きつけていた藁(わら)でできた菰(こも)をはずす「菰はずし」を啓蟄の恒例行事にしているところが多い。

松の菰。「向島百花園」にて(2024・2)。

春雷

 立春から立夏の頃までに発生する雷。寒冷前線通過時に発生する界雷で、を伴うこともある。 立春の頃の雷は春の到来を伝えるともいわれ、冬眠していた地中の虫たちが雷鳴に驚いて目覚めるという意味から「虫出しの雷」とも呼ばれる。

菜種梅雨(なたねつゆ)

この時期に続く長雨のこと。ちょうど菜の花が咲く季節に降る長雨なので、このように呼ばれている。

「催花雨(さいかう)」という別名も。桜や菜の花など、さまざまな花が咲くのを促す雨という意。

東京地方は昼過ぎから明朝まで雨模様。肌寒い。真冬に逆戻り。しばらくは曇りや雨の日が続く。これが「菜種梅雨」(のはしり)。

来週からは、本格的な春の陽気が続くようですが。

「暑さ寒さも彼岸まで」といいますから、20日「春分の日」あたりが冬の寒さとのお別れ?

こうして確実に春がめぐってくる。

                  路傍の菜の花。(「荒川を遡る」より)

江戸川・流山付近の土手にて(2022・3)。

次の二十四節気は、『春分』(3月20日)。

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3月3日。「上巳(じょうし)」・桃の節句。「桃夭(とうよう)」。「万葉集」大伴家持。「ひな祭り」・鴻巣のひな祭り。

2024-03-03 20:15:58 | 世間世界

 中国から伝わり、宮中行事となったのが「節句」の始まり。宮中行事であった5つの節句を、江戸幕府が一年のうちで特に重要な節目として式日(しきじつ)に定めたことで庶民の暮らしの中で根付いた。

※当時は旧暦(太陰暦)上の日にち。

今日は、「上巳」。上巳とは、3月最初の巳(み)の日という意味。「巳」は蛇。

※じっさい、今日の干支は「丙寅(ひのえとら)」。

1月7日=人日(じんじつ)、3月3日=上巳(じょうし)、5月5日=端午(たんご)、7月7日=七夕(しちせき)、9月9日=重陽(ちょうよう)という「五節句」の一つ。

「人日」を1月1日と勘違いしている人もいますが、1月7日が正しい日付。(1月1日は「元旦」として特別扱いに)。9月9日の「重陽」は日本では他の節句に比べて、なじみが薄い感じです。

※なお、今の暦(太陽暦)では3月3日・5月5日・7月7日は同じ曜日となります。

「上巳」は「桃の節句」とも。

同じように「人日」は「七草の節句」、「端午」は「菖蒲の節句」、「七夕」は「笹の節句」、「重陽」は「菊の節句」とも言います。

春らしい桃の花にちなんで、 上巳の日は「桃の節句」と呼ばれるようになりました。

桃には厄除け、魔除け、長寿のパワーが。花と言えば、中国では「桃」を指すようです。

『詩経』にある漢詩

桃夭」(とうよう)=「若々しい桃」

桃之夭夭  灼灼其華

之子于帰  宜其室家

桃之夭夭  有蕡其実

之子于帰  宜其家室

桃之夭夭  其葉蓁蓁

之子于帰  宜其家人

桃(の花)は若々しいよ、  燃えるように盛んに咲くその花よ。

(その花のように若く美しい)この娘は今お嫁に行きます。  きっとその家の人とうまくいくでしょう。

桃(の実)は若々しいよ、   はち切れるようなその実よ。

この娘は今お嫁に行きます。  きっとその家の人とうまくいくでしょう。

桃(の葉)は若々しいよ、  盛んに茂るその葉よ。

この娘は今お嫁に行きます。  きっとその家の人とうまくいくでしょう。

※嫁いでいく娘の幸福を願う庶民の素朴な感情を歌い上げたもので、代表的な祝婚歌として知られています。高校の古典の教科書では、定番のはず。

次の歌は、『万葉集』中、大伴家持の歌。

春の苑 紅にほふ 桃の花 した照る道に 出で立つをとめ

そして「ひな祭り」。

 ひな祭りの歴史は古く、その起源は平安時代中期(約1000年前)にまでさかのぼります。
 その頃の人々は、三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、無病息災を願う祓いの行事をしていました。陰陽師(おんみょうじ・占い師のこと)を呼んで天地の神に祈り、季節の食物を供え、また人形(ひとがた)に自分の災厄を托して海や川に流すのです。
 また、その頃、上流の少女たちの間では“ひいな遊び”というものが行われていました。ひいなとはお人形のことです。紙などで作った人形と、御殿や、身の回りの道具をまねた玩具で遊ぶもので、いまの“ままごと遊び”でしょう。このことは紫式部の『源氏物語』や、清少納言の『枕草子』にも見られます。
 長い月日の間に、こうした行事と遊びが重なり合って、現在のようなひな祭りとなりました。
 上巳の節句が三月三日に定まったのは、わが国では室町時代(約600年前)頃のことと思われます。しかし、この頃から安土・桃山時代にかけては、まだひな人形を飾って遊ぶ今のひな祭りとはかけはなれた、祓いの行事の日でした。この日が華やかな女性のお祭りとなるのは、戦国の世が終り、世の中が平和になった江戸時代からのことです。
 江戸初期の寛永6年(1629)、京都御所で盛大なひな祭りが催されました。この頃から、幕府の大奥でもひな祭りを行うようになり、やがてこの習慣は上流から町民へ、大都市から地方へと大きく広がっていったのです。
 そして江戸中期には、女性たちばかりでなく、女の赤ちゃん誕生を祝う初節句の風習も生まれて、ひな祭りはますます盛んとなりました。江戸市中には雛市(ひないち)が、日本橋十軒店(じゅっけんだな・いまの室町)や浅草茅町(かやちょう・いまの浅草橋)など各所に立って大変にぎわいました。またこの頃から附属のひな人形やひな道具の種類も多くなり、かなり贅沢なものが作られるようになりました。幕府はひな人形の華美を禁じるお触れを再三出しています。
 明治に入ると、新政府は従来の節句行事を廃止して新しく祝祭日を定めました。節句行事は一時衰えますが、しかし、長い間人々の生活に根を下ろした行事は簡単になくなるものではなく、やがて復活します。こうして上巳、端午、七夕など子どもに関係深いお節句は、いまも民間行事として盛んに行われています。

(この項、「人形辞典」HPより)

以下は「中山道」を歩いた時の記録から。

・・・

鴻巣にある「広田屋」さん。ちょっと店内へ。

    

 お店の方に許可をもらって、写真を。ゆったりとしたスペースの店内には、ひな人形がズラリ。15万、20万円(それ以上の)というひな人形に「売約済み」の印がいくつも。

 「鴻巣」は江戸時代から受け継がれているひな人形のふるさと。関東三大ひな市(鴻巣、岩槻、江戸日本橋十軒店)の一つに数えられ、特に着物に着付けでは関東一と評判だった、とか。江戸から明治の「鴻巣雛」には鳳凰の刺繍が施され、女雛の手を出さないものが多いようです。着物の生地は京都西陣から買い付けいていました。
 明治になると「県内では越谷6軒、大沢3軒、岩槻3軒、に比べて、鴻巣の人形業者31軒、職人300人」という記録があるほどの活況ぶりでした。

「鴻巣の古今雛」。西陣の生地による鳳凰の刺繍。

初期の頃の「鴻巣雛」。  

そこで、鴻巣市ならではのイベントを紹介。
  (HPより)

・・・

ひな祭りの料理の定番は、「ちらし寿司」と蛤のお吸い物

また、「白酒」。白い見た目からも、甘酒と混同されていることが多いようですが、その成分や製法は全く異なります。白酒は、みりんや焼酎などに蒸したもち米や米麹を仕込み、1ヶ月程熟成させた醪をすりつぶして造られたお酒のこと。(「暦生活」HPより)

孫娘も高校生なので今さら「ひなあられ」でもないでしょうし、白酒というわけにもいきません。

当方は、日本酒で一杯! ではなく、「一番搾り」で乾杯(自分に)!

                

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2月19日。雨水(うすい)。ふきのとう。朧月夜。「獺祭」。

2024-02-19 20:48:29 | 世間世界

フキノトウ。

             (「向島百花園」にて)

暦の上で今日が「24節気」の2番目「雨水」です。「立春」(2月4日)から数えて15日目ころ。3番目の「啓蟄」(3月5日)までの期間を指します。

雨水(うすい)とは、降る雪が雨へと変わり、雪解けが始まる頃のこと。草木が芽生える頃で、雨水は農耕を始める時期の目安とされてきました。春一番が吹くのもこの頃ですが、本格的な春の訪れにはまだ遠く、時に大雪が降ったりもします。こうして三寒四温を繰り返しながら、本格的な春に向かいます。

『暦便覧』には「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となればなり」と記されている。実際は積雪のピークであり、それゆえ、この時節から寒さも峠を越えたと見ることもできる。(「Wikipedia」より)

※インフルエンザが相変わらず流行中。さらに花粉症が大流行の兆し。新型コロナ感染症も衰えず・・・。

今日あたりでも、皆さん、しっかりマスクを着用しています。

高齢者など、かえって油断してはならない時期となっているとも。

「七十二侯」でいうと、

・初侯 2月19日〜2月23日頃

土脉潤起 つちのしょううるおいおこる

冷たい雪が暖かい春の雨に代わり、大地に潤いをあたえる頃。寒さもゆるみ、眠っていた動物も目覚めます。

・次侯 2月24日〜2月28日頃

霞始靆 かすみはじめてたなびく

霧やもやのため、遠くの山や景色がほのかに現れては消え、山野の情景に趣が加わる頃。春に出る霧を霞(かすみ)と呼び、夜の霞は朧(おぼろ)と呼ばれます。

※中国からやってくる「黄砂」の影響のようですが。

朧月夜』作詞高野辰之、作曲岡野貞一

  1. 菜の花畠に、入日薄れ、
    見わたす山の、霞ふかし。
    春風そよふく、空を見れば、
    夕月かかりて、にほひ淡し。
  2. 里わの火影ほかげも、森の色も、
    田中の小路をたどる人も、
    かはづのなくねも、かねの音も、
    さながら霞める 朧月夜。                                           

朧月夜(おぼろづくよ、おぼろづきよ)

源氏物語』の登場人物。六の君、有明の君、尚侍君(かんのきみ)とも呼ばれる。

※「花宴」の巻で初めて登場し、以降、「葵」、「賢木」、「須磨」、「澪標」、さらに「若菜」上下などに登場する。

「朧月夜」は、大江千里和歌「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしく(似る)ものぞなき」を口ずさみながら源氏のもとに現れるところから物語が展開する。当時権勢を誇った桐壺帝の右大臣の六の君(六番目の娘)で、弘徽殿女御の妹という高貴な生まれだが、作中では珍しい艶やかで奔放な気性の女君である。

姉弘徽殿女御の産んだ東宮(後の朱雀帝)女御に入内する予定だったが、宮中の桜花の宴の夜に思いがけなくも光源氏と出会い、後に関係が発覚して入内は取り止めになる。葵の上の死後、右大臣は源氏と結婚させることも考えたが、弘徽殿女御が猛反対し、源氏自身も既に紫の上を妻にしていたため実現しなかった。

始め御匣殿別当として登華殿にあり、後に尚侍(ないしのかみ)となって弘徽殿に移る。その美貌と当世風で華やかな人柄から朱雀帝の寵愛を一身に受ける一方、源氏との逢瀬も密かに続けていた。朱雀帝は自身が源氏の魅力に及ばぬことを認め、朧月夜を責めなかったが、彼女との関係が発覚したことが右大臣と弘徽殿大后の怒りを買い、源氏須磨流しの一因となった。

源氏が須磨に流されていた時に父の太政大臣(元右大臣)が死去。朱雀帝退位の後に再び源氏と関係を持つが、最後は源氏にも告げずに院の後を追い出家、物語から退場する。

※「右大臣」は、源氏の政敵。源氏は、政敵の娘との恋愛関係になった。源氏が20歳のころ。

 (この項、「Wikipedia」参照)

・末侯 2月29日〜3月4日頃

草木萌動 そうもくめばえいずる

足もとや庭木の先にほんのりと薄緑に色づく芽が見られる頃。やわらかい春の日差しの中、草木が芽吹き、新しい命が生まれます。

《旬のもの》

野菜 春キャベツ

魚介 蛤

野菜 辛子菜

言葉 獺魚を祭る(かわうそをまつる)

中国古代の天文学での七十二候では、雨水の初候は「獺祭魚(かわうそをまつる)」でした。かわうそが捕らえた魚を川岸に並べている様子が、人が祭りのときに物を供える様子に見えたことから生まれた季節の名前です。

(この項、「暦生活」HP等参照) 

正岡子規は、雅号として「獺祭書屋主人」を使っている。そのため、9月19日の命日を「糸瓜忌」と並んで、「獺祭忌」とも呼ばれている。

「獺祭」という日本酒。同社のHPには「獺祭」命名由来を以下のように語っている。

『弊社の所在地である獺越の地名の由来は「川上村に古い獺(編集部注:かわうそ)がいて、子供を化かして当村まで追越してきた」ので獺越と称するようになったといわれておりますが(出典;地下上申)、この地名から一字をとって銘柄を「獺祭」と命名しております。獺祭の言葉の意味は、獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから、詩や文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす事をさします。獺祭から思い起こされるのは、明治の日本文学に革命を起こしたといわれる正岡子規が自らを獺祭書屋主人と号した事です。「酒造りは夢創り、拓こう日本酒新時代」をキャッチフレーズに伝統とか手造りという言葉に安住することなく、変革と革新の中からより優れた酒を創り出そうとする弊社の酒名に「獺祭」と命名した由来はこんな思いからです。』

(この項、「風の旅行社」HPより)

暖冬とはこういうものか! という昨今のお天気。

東京地方。15日には21度、「春一番」が吹きました。そして、今日は、「雨水」そのもの。予想よりも気温は高くならなかったようですが。

各地で早くも桜の開花が。

ここは、すでに満開の「寒桜(元朝桜)」。

(1月27日。南房総市にて)

次は、「啓蟄」3月5日。

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節分。2月3日。追儺(ついな)・鬼やらい。豆まき。鬼ごっこ。柊鰯。恵方巻き。

2024-02-03 20:28:55 | 世間世界

梅の花が咲き始めています。(「向島百花園」正門横)

          しろかが。        ひとえかんこう。

 2月3日は「節分」。そして、明日は「立春」。

東京地方、2月1日は、3月下旬並みの暖かさ。あちこちで桜が開花。しかし、昨日の午後からは一転、大陸からの強い寒気の影響で、2月らしい厳しい寒さが。そして、今日は風もなく、穏やかな天気。しかし、明朝は雪模様になるとか。目まぐるしく変わる2月初めのお天気です。

日本海側や北海道は、寒波の影響で猛烈な吹雪。交通や水道等、日常生活にもそうとう支障をきたしているようです。大地震に見舞われた能登半島地域は、まだまだ厳しい冬が続きそうです。

さて、

「節分」とは「季節を分ける」という意味。そのため、季節の変わり目として二十四節気の「立春」・「立夏」・「立秋」・「立冬」の前日が節分となります。したがって、「節分」は春・夏・秋・冬ごとに4日あったわけですが、その中でも春は新年の始まりでもあることから、「節分」というと、立春の前日を指すようになりました。

古代中国で行われていた疫病を追い払うための「大儺(だいな・たいな)」という儀式が日本に伝わって、「追儺(ついな)」として宮中の年中行事として定められ、新年の前日である大晦日(旧暦12月30日)に行われるようになりました。

追儺は「鬼やらい」とも呼ばれ、お面をかぶって衣装をつけ、神に扮した方相氏(ほうそうし)と呼ばれる役目の人が、目に見えない邪鬼を追い払うという行事でした。

※「儺」という字には「はらう」という意味がある。

 平安時代の末になると、追儺の行事が変化し、それまで鬼を追い払う役目だった方相氏が、逆に鬼に見立てられて、群臣らに追い出されるようになりました。

その後、豆を投げることが追儺に取り入れられて、「鬼は外、福は内」と唱えるようになったようです。

さらに時代が下って、現在のように立春の前日(節分)に行うようになりました。

※「立春」と「元旦」とは一致しない。今年、旧暦の元旦は、2月10日(土)。

豆を投げるようになったのは、「魔を滅する=魔滅(まめ)」からだとも、 また、「魔物の目をめがけて豆を投げれば、魔を滅ぼす」ことから、「魔目(まめ)」=「豆」とも言われています。さらに、炒った豆を使うのは「射る→炒る」という語呂合わせから、と。

現在の節分の豆まきには、大豆を用いることが一般的です。

民俗学では、現在の「鬼ごっこ」の起源が、この追儺・鬼やらいにあるといわれています。

 節分の日には、豆まき以外にも、炒った豆を神社やお寺に納めて無病息災を願ったり、厄除けのために炒り豆を食べたり、最近ではあまり見かけませんが、焼いた鰯(いわし)の頭を柊(ひいらぎ)の小枝に刺した「柊鰯」を門口に飾って邪気を追い払う風習があります。

柊鰯

柊の葉の棘が鬼の目を刺すので門口から鬼が入れず、また塩鰯を焼く臭気と煙で鬼が近寄らないという(逆に、鰯の臭いで鬼を誘い、柊の葉の棘が鬼の目をさすとも説明される)。

奈良県奈良市内では、多くの家々が柊鰯の風習を今でも受け継いでいて、ごく普通に柊鰯が見られる。福島県から関東円にかけても、今でもこの風習が見られる。

(この項、「Wikipedia」より)

紀貫之の「土佐日記」(平安初期)には、

元日、なほ同じとまりなり。・・・おしあゆの口をのみぞ吸ふ。このすふ人々の口を押年魚もし思ふやうあらむや。今日は都のみぞ思ひやらるゝ。「九重の門のしりくめ繩のなよしの頭ひゝら木らいかに」とぞいひあへる。

※「なよし」=ボラ(鯔)。「ひゝら木」=ヒイラギ(柊)

とあるように、相当古くからの風習のようです。「鰯」ではなくて「鯔」だったようですが。

この風習に由来する言葉で、「鰯の頭も信心から」というのがあります。「一旦信じてしまえば、どんなつまらないものでもありがたく思えるということ」。かなり皮肉交じりの成句ですね。

平安・鎌倉から長く続く「節分」の風習は、その中身が変化しつつも残したい行事の1つです。

「追儺より四方拝につゞくこそ、面白しろけれ。晦日の夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には、猶することにてありしこそ、あはれなりしか。」(『徒然草』第19段)

「尹大納言光忠卿、追儺の上卿を勤められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」とぞのたまひける。かの又五郎は、老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者にてぞありける。」

(『同』第102段)

・・・

 また、近年、節分に恵方(今年は「東北東」)を向いて「太巻き」を丸かじりすると、願い事が叶い、無病息災や商売繁盛をもたらすという行事がはやっています。

これはもともと大阪、関西地方で行われていたもの(らしい。起源は定かではない)が、広島県の某コンビニ店で「恵方巻き」と名付けて売り始め、さらに他のコンビニでも大々的に宣伝、販売されるようになって全国に広まった、とか

「恵方巻き」は、かなり売れ筋の商品となり、コンビニのヒット作になったわけです。他のスーパーなどでも盛んに売られています。

ただ、食べきれないで廃棄したりなど、「食品ロス」が問題になりました。

最近は、予約制などしているようですが、今年ははたしてどうか? 

このところの大幅な物価値上げ。巻物の中身にも、影響が出ているようです。

当方。ささやかな豆まきとささやかな数の豆を食べることにします。

鬼夜叉」(新潟県佐渡市・北雪酒造)神保町の酒屋さんにて。 

※ラベルを逆さにすると鬼の貌から仏の顔になるとか。                  

そして、いよいよ明日は、「立春」。

「向島百花園」。

今年の「梅まつり」:2月10日(土)~3月3日(日)

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7月7日。小暑。鰻・万葉集。七夕。牽牛・織女。ベガ・アルタイル。夏の大三角形。『源氏物語』雨の夜の品定め。

2023-07-07 20:36:41 | 世間世界

今日、7月7日は二十四節気のうち、「小暑」。小暑の頃は、暑さが次第に強まっていく時期にあたります。

この時期は、梅雨の末期で、集中豪雨、最近はゲリラ豪雨と呼ばれる激しい雨が梅雨前線の停滞によって局地的な激しい雨に襲われます。一方で、東京などは晴れ。今年一番の暑さ。ちょっと歩くだけで汗が噴き出るありさま。

七十二侯でいうと、
 
・初侯 7月7日〜7月11日頃

温風至 あつかぜいたる

雲の間から注ぐ陽がだんだんと強くなる頃。 温風とは湿った空気が山を越え、乾いた温かい風となって吹き降ろすフェーン現象のことを表しているとも言われています。

・次侯 7月12日〜7月16日頃

蓮始開 はすはじめてひらく

蓮がゆっくりと蕾をほどき、花を咲かす頃。 水底から茎を伸ばし、水面に葉を浮かべ、綺麗な花を咲かせる蓮ですが、花が開いてから4日目には散ってしまいます。

数年前に「千葉公園」に「大賀ハス」を見に行ったことがあります。千葉市で発見された世界最古の花として、千葉県の天然記念物および、千葉市の市花に制定されています。

 

・末侯 7月17日〜7月22日頃

鷹乃学習 たかすなわちわざをなす

5・6月に孵化した雛が、巣立ちの準備をする頃。 独り立ちができるよう、飛び方を覚え、獲物の捕り方を覚え、「独り」ということを一から学びます。

さすがに都会では鷹を目撃することはありませんが、我が家辺りでも小鳥の鳴き声がしきりに聞こえます。巣立ちする雛もいるのでしょう。近所の工場の屋根にはツバメが巣を作っています。

のものとしては

虫 アゲハチョウ

魚 

野菜 大蒜(にんにく)

行事 祇園祭

(この項、主に「暦生活」HPより)

※「鰻」といえば、今からおよそ1.230年以上昔、『万葉集』にある、大友家持が知人の石麻呂に贈った歌二首が思い浮かびます。

「土用の丑の日(今年は7月20日)に鰻を食べる」という風習。夏場で売れ行きが落ちた鰻屋から相談された蘭学者で発明家の平賀源内が鰻を売るためのキャッチコピーを店先に掲げたところ大繁盛した、ということから始まった、という説が有名ですが、万葉集の時代から鰻は夏場の滋養強壮に最適だったようです。

〈 痩せたる人を嗤咲へる歌二首〉痩せている石麻呂を戯れにからかってみた歌二首

3853: 石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ

石麻呂に申し上げよう。夏痩せに良いというものとして鰻があるそうだ。鰻を捕って召し上がれ。

3854: 痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな

いくら痩せすぎているといっても、生きていればこそのはなし。万々が一、鰻を捕ろうとして川に入って流されるなよ。

そして、7月7日は、「七夕」。「五節句」の1つ。 

※五節句は、1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽。

天の川を挟んで向かい合うベガ(織女星)とアルタイル(牽牛星)

(「wikipedia」より)

中国では、7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈った。7月7日に行われた乞巧奠(きこうでん・乞巧とは牽牛・織女の2星に裁縫技芸の上達を祈り、奠とは物を供える祭の意。)と織女・牽牛伝説が関連づけられている。「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」と。

日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。

(この項、「Wikipedia」参照)

「おり姫星」はこと座の「べガ」のことで、「ひこ星」はわし座の「アルタイル」のこと。

ベガ、アルタイルと、はくちょう座のデネブの三つの一等星を結んだのが「夏の大三角形」。

七夕の晩には、東の空に、明るいベガとアルタイルを見つけることができます。都会では間を流れる天の川を見ることができませんが、ベガとアルタイルはすぐにわかるかな?

夏の大三角形

七夕飾り。

(「向島百花園」にて)

暑中見舞い」を出す時期は小暑から立秋の前日まで(「大暑」までという説などもあるようですが)。立秋(今年は8月8日)以降は「残暑見舞い」となります。

さて、五月雨(梅雨)というと、源氏物語「帚木」の巻・「雨の夜の品定め」が思い浮かびます。

五月雨の夜、17歳になった光源氏のもとに、義兄の頭中将(とうのちゅうじょう)が訪ねてきます。さらに左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)も交えて、4人で女性談義をすることになる。この場面は慣例的に『雨夜の品定め』(あまよのしなさだめ)と呼ばれます。この中で、「七夕」にかこつけた話題が出てきます。

「・・・はかなきあだ事をもまことの大事をも、 言ひあはせたるにかひなからず、龍田姫と言はむにもつきなからず、 織女の手にも劣るまじくその方も具して、うるさくなむはべりし」
とて、(左馬頭は)いとあはれと思ひ出でたり。(頭)中将、
「その織女の裁ち縫ふ方をのどめて、長き契りにぞあえまし。げに、その龍田姫の錦には、またしくものあらじ。はかなき花紅葉といふも、をりふしの色あひつきなく、はかばかしからぬは、露のはえなく消えぬるわざなり。さあるにより、難き世とは定めかねたるぞや」
と、言ひはやしたまふ。

「・・・風流なことでも実生活のことでも、話し合うかいがあり、龍田姫といってもいいほど染色の技能もあり、織姫にも劣らないほど、裁縫の腕も兼ね備え、たいした女であった」と言って、左馬頭は(あっという間に亡くなった)その女をしみじみと思い出している。頭中将は、「その織女のような裁縫の腕はさし置いても、(せめて七夕の)長い契りにあやかりたいものだ。本当に、その龍田姫の錦(染め)以上のものはいないでしょう。それほどでもない花紅葉にしても、折々の季節の色合いとが悪く、はかばかしくないのは、まったく露のごとくあっという間に消えるようなつまらないものだ。そう思うと、良き妻を選ぶのは難しく、決めかねるものだね」と言いはやす。

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コロナワクチン第4回目接種

2022-07-21 11:12:33 | 世間世界

そうなんです、これまで3回はファイザーだったんですが。

副作用っていわないですね、副反応がちょっと心配で。

いっときモデルナはその副反応ということですか、ファイザーに比べて強く出るとか。

武田薬品がかんでいるんですか。

けっこうファイザーがファイザーがッ、という感じでしたね。

モデルナがいやだ、というわけじゃなくて、副作用が、じゃない副反応が心配で。

(この爺さん、あれこれうるさいね)

明日になった方が副反応が出ますか。

今日は、お酒もけっこう。お風呂も、ですか!

(にやっとしたね、おじいさん。年寄りはお酒のことになると、目の色が変わるな)

明日は、お酒は控えめに、ということですね。あちこち出歩かずに、家で安静にしていて下さい、と。

いえね、昨日の晩も今日のことがあるんで、お酒を飲まなかったですが。

今日のワクチンと関係なかったんですね。

(このじいさん、やけに真っ黒に日焼けしているね)

ま、近所の買い物くらいはいいですよね。

(暑いですから、途中で熱中症になったら、大変ですよ)

しかし、いつまで打ち続けるんですかね。秋には5回目、なんてことに。

モデルナは前よりも半分にしたんですか?

効き目に変わりはないんですよね。副作用、つい言ってしまいますね。

少しは、軽くなる、というわけですか。効き目も半減じゃしょうがないですが。

そんなことはありませんよ、って信じていいのかな。

(早く看護師さんに腕を出して、左ですか。ちょっとチクンとしますが)

これで、いいですか。二の腕から下が真っ黒に日焼けしてしまって。

36.4分で大丈夫ですかね。

なるほど37.5度以上の人は注射は打てない、ということに。

(はい、終わりました。別室で指示に従って下さい)

(ふう、次の方をお呼びしますので)

有り難うございました。けっこう元気なジジババもいらっしゃるんですね。・・・

午後4時過ぎの保健所にて。

 

というわけで、昨日の晩から、解熱剤を用意し、凍らせたポカリも用意し、万全の体勢で。

朝、何となく身体が重い感じ、熱も少しあるのかな?

というわけで、安静に自宅に閉じこもっています。

なかなか川歩きも三浦海岸歩きもできない、今日この頃です。

※今日の日めくり

「小事にこだわらず、常に高い目標を」。なるほど。

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