おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「あんた」「おまえ」(国会雑感)

2010-01-31 20:43:14 | つぶやき
 鳩山さんの施政方針演説。「格調」「理念」高く、という点ではなかなかのできばえ。しかし、政権を取って最初の演説ならともかく、外交、経済、さまざまな課題が山積して、ただちに手を打たなければならないのに、「宇宙」語では国民の心にはなかなか響かない。
 平田オリザさんが演説原稿に手を入れたそうだが、彼の芝居、リアルに現実・生活を描きながら、あてもない空間をさまよっているような感じ。またその反対だったり・・・。それがまた彼の作劇術の魅力なのだが。ちょっと政治家の演説には向かないかも。
 ガンジーの「労働なき富」は、たしかに当時のインド社会の民主的な改革の方途としては実にすばらしく、今でも少しも色あせないし、まさに現代社会のひずみ解消に向けて、発信する力と現実性を持ちうるものだ。
 しかし、このフレーズ、母親からの巨額な資金援助を受けていた(を知らぬ存ぜぬの)鳩山さんの言葉にはしごく向かない表現。ガンジーさんも「霊界」で怒っていると、「幸福の何チャラ」総裁も、言い出すに違いない。
 野党からヤジが飛ぶのも当然と言えば、当然。それにしても、ヤジのことば。新聞報道によって異なるのだが、「あんた」「おまえ」。これが、一国の首相に向かって発する言葉かと耳を疑った。一国の宰相の地位、いかに軽い存在にすぎないことが、歴然とする発言。 
 与党側も与党側で、閣僚自らヤジを飛ばすことが日常茶飯事になっている(亀井さんの居直り・不規則発言は、ひどいものだが)。民主党の一年生議員、小沢仕込みのヤジを飛ばすと。負けじと野党議員も・・・。下品な言葉のやりとりくらいで済めばいいが、かつてのように肉弾相打つ乱闘国会にでもなったら、それこそド顰蹙もの。
 あるマスコミではないが、「学級崩壊」ならぬ「国会崩壊」。そんなところで、天下国家のことを語るとは! 民の憂いごとなんかそっちのけで、選挙に勝つか負けるかだけが、与野党の関心事。ここで、敵を倒しておけば、夏の陣での自軍が有利だ、と。
 自民党。定年制を巡ってごたごたが起こって、一件落着のような感じだが、火種はくすぶっている。公明党。埼玉選挙区、いったんは撤退を決定したが、民主党支持下落で再び立候補させるとか。社民党はあの体たらく、さて他の政党は?
 政治家志望の若い人が増えているらしい。仕事として魅力があるかどうか別として、各党の公募(公明党ん、共産党は除く)には、けっこう30台、40代の脱サラ組を含めて殺到する。国会議員でこれなんだから、各種の首長、県・市区町村議会にも若い連中がチャレンジしてくる。
 そういう意味では、政治を芸能情報並みに身近なものにし(スポーツ新聞の、政治に関する記事はとてもおもしろい)、主権者としての国民の眼をむかさせる効果としては、今の国会(政権交代)の姿は、実に啓蒙的(教育的)ではある。 
 
  
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村山さんがトラウマになって

2010-01-30 19:52:49 | つぶやき


社民党さん。わずか国会議員12名なのに何をやっているの?
 記事にもあるように、参院選が近づく中、党勢回復の道筋がまったく見いだせない焦りそのもの。
 福島さんに批判的な議員からすれば、「連立を重視する福島氏の党運営では、独自性を発揮するのは難しい」。逆に、福島氏に近い議員は「連立を離れれば成果が上げられず、ますます苦しくなる」と。
 このコップ(コップどころかおちょこよりも小さい)の中の争いは、自社連立の村山首相のもと、自衛隊の容認など、ずるずると自民党にすり寄り、結果的に社会党の存在を失わせていったことへの深刻(と考えているのは当人たちだけ)なトラウマがある。不思議と、双方とも「難しい」「苦しい」というところでは、一致。
 このままでは、去年の衆院選でもはっきりしたように、都市部などでは票に結びつけられず、沖縄など、地域政党の地位になってしまう(これはこれでいいことだが)のは、目に見えているにもかかわらず、もめている。その争いの中身は、かつての社会党のような路線論争(イデオロギー論争)にもなっていない!
 さらに、こうしてマスコミが報道すればするほど、支持者は去っていってしまう。
 みんなの党は少しの人数だが勢いがあるし、共産党は少数でも動じない「信念」ごときものがある。公明党は学会員の熱烈な支持母体が・・・。それに対して、社民党。「連合」をはじめ、組合の大半は民主党支援に回り、かといって、市民レベルでの組織もなく、じり貧は目に見えている。はてさていかにしたものか。
 他党からは「衆参で12人しかいないのに、主導権争いをしている場合か」と冷ややかな声も出ている。これも当然です。
 それにしても、亀井さんの発言しかり、小沢さんの態度しかり、そして鳩山さんの言動しかり、半年も経たないうちに、すでに連立政権末期という状況。さらに、国会での与野党の下品なやりとりが、ますます政党不信から、政治不信へと拍車を掛ける。何ともいやはや。
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ありうる、ありえる?

2010-01-29 19:55:41 | つぶやき
 1月28日「朝日新聞」朝刊2面。アメリカ・トヨタ車のリコールを巡る記事の中。気になった表現がありました。
 「関係者によると、今回のリコールは引当金の範囲内で処理できるとみられ、一部費用を部品メーカーにふたんさせることもありえる。」
 この「ありえる」という表現は、これまでの日本語の用い方からすれば誤りで、「ありうる」と「するべき」です。と書きながら、ここも本来「すべき」ですね。このように日本語の表現が微妙にかつてと異なる感じがします。その代表が、「ありえる」「するべき」。
 「朝日」の記事は、関係者が話したことを、記者がそのまま記事にしたので、「・・・ありえる」と言ったのをそのまま活字にした、とも考えられます。また、記者自身が誤用したとも。
 いずれにせよ、会話でも「・・・ありえる」というふうに言う方は、多くいます。「ありえます」なら正しいのですが、その表現に引きずられてしまうのでしょうか。
 昨日の昼、6チャンネルのワイドショーでもコメンテーター二人が「ありえる」と発言していました。(余談ですが、その番組の中で、ふつうは「一石を投じる(一石を投ず)」というべきところを「一投石する」と言っていましたが、それはありですか。)
 「すべき」の場合は、「べし」の接続のしかたに違和感があるのでしょう。現代語の「する」という動詞のサ行の活用が「し・し・する・する・すれ・せよ、(し)よう」。一方、古語の「す」は「せ・し・す・する・すれ・せよ」なので、混乱が・・・。
 勿論、この言い方(「ありうる」「すべき」)自身、慣用的な用いられ方にすぎず、どちらの表現(「ありえる」「するべき」)も今や許容範囲となってきている、とは思います。 漢字の読みでも、かつては違和感があったものも、許容されてきました。例えば、「重複」は本来「ちょうふく」のはずですが、「じゅうふく」も可ですから。これなどの例は他にもたくさんありそうです。
 でも、TVなどで、ペルーの「大」地震を「おお」地震と言うのは、ちょっと違和感があります。「だい」地震ではないでしょうか。湯桶読みのような言い方は、おかしい感じがしますので。
 まあ、数年前、わが耳を疑った言い方に比べれば、「よし」とすべきでしょうね。あの、天下のNHKのアナウンサーが「いよいよ、興味つつですね」と。「興味津々」を言い間違えたのでした。
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読書81「今日はなんの日、富士山の日」(田代博)新日本出版

2010-01-28 21:28:04 | 読書無限
 毎日、富士山の写真を撮り、四六時中、富士山のことを考えてきた方の書。富士山は見て楽しむ「見力(みりょく)」ある山だとのこと。そこから、富士山にまつわるエピソード、特に富士山の「見力」に迫っている。
 特に、「富士山は、どこまで見えるか」、丹念に科学的に調べ、現地まで赴き、写真を撮る、また撮った方の写真を掲載。東西南北、眼で確かめられる限界の土地を調べ尽くしている。八丈島から、伊勢志摩スカイラインから、和歌山県から、福島県から、飛行機の上から・・・。実に興味深い写真が解説と共に掲載されているのは、驚き。
 また高速道路ではどうか、新幹線ではどうか、など実地踏査の話もおもしろい。唯一、山手線から見えていた(目白~高田馬場間)富士山も、もう眼にすることは出来ないなど、都市の景観の変貌も伝えている。ダイヤモンド冨士などシャッターチャンス・ポイントなど至れり尽くせり・・・。
 学術的な話題も豊富で、まさに、一年中、毎日が「富士山の日」である、筆者の思いが伝わってくる。
 ところで、東京・墨田に建設中にスカイツリー。今300㍍に迫ろうとしている。だんだん遠くから、東西南北あちこちで見ることが出来るようになってきた。完成後は600㍍以上になるこのタワー。さて、「どこまで見えるか」。
 この間、高尾山に登った方、新宿の高層ビル群の向こうに見えるのではと双眼鏡を持ち、期待して行ったが、残念! 見えなかったとのこと。完成すれば見えるか。東はどこまで、北はどこまで・・・。
 完成前にもちょっと暇な時に、あちこちに出かけてみようとするか。勿論、この著者のように、方向、視界、天気などさまざまデータを駆使しなければならないが。
 「日本一」の富士山に比べて、ちょっと見劣りはするが、下町のシンボルタワーから東京、関東とどこまでその「見力」を発揮できるか、興味深いところです。
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捜査関係者によると・・・

2010-01-27 20:47:57 | つぶやき
 元俳優の押尾学容疑者(31)=麻薬及び向精神薬取締法違反罪で起訴=と一緒に合成麻薬MDMAを使用した飲食店従業員の女性(当時30)が薬物中毒死した事件で、東京地検は25日、押尾容疑者を保護責任者遺棄致死罪などで追起訴した。この事件は裁判員裁判の対象となる。(「朝日新聞」の記事)
以下、各社の記事の引用。
1 地検は、押尾容疑者が起訴内容を認めているかどうか明らかにしていないが、捜査関係者によると、「女性の容体が急変して死んだ」と供述し、救命できた可能性を否定しているという。
2 起訴状によると、押尾容疑者は昨年8月2日、東京・六本木のマンションの部屋で、女性とともにMDMAを服用。午後5時50分ごろ、女性がけいれんしたり錯乱状態になったりし、同6時ごろには重い薬物中毒の症状を示した。この間、押尾容疑者は女性の容体の悪化を認識しながら、救急車を呼ぶなど必要な対応を取らず、同6時47分から同53分ごろまでの間に女性を死亡させたとされる。
3 捜査関係者によると、押尾容疑者は泉田被告にメールで、栄養剤を装って「アミノ酸」と称し、MDMAの調達を依頼していた。押尾容疑者は泉田被告からのMDMA譲り受けは認めているが、女性への譲渡については、「女性が準備した」と、否定しているという。
4 捜査関係者によると、押尾被告は、知人の男(31=同法違反罪で起訴)からのMDMA譲渡は大筋で認めているが、田中さんへの譲渡や遺棄致死の罪は否認。
5 知人女性の薬物中毒死事件で、保護責任者遺棄致死などの罪で追起訴された元俳優の押尾学被告(31)の弁護団が26日、記者会見し、公判で無罪を主張する方針を明らかにした。
 弁護団によると、押尾被告は昨年8月2日、合成麻薬MDMAを一緒に使用した後に女性(当時30)が死亡した経緯について、(1)少し様子がおかしくなってから死亡まで、長くても30分ぐらいしかなく、急死だった(2)救命活動を懸命に行った――と供述しているという。
 このことから、(1)女性が自分で薬物を使用しており、押尾被告は「保護責任者」にはあたらない(2)救命活動をしており遺棄行為がない――として、同罪は成立しないとしている。
6 押尾被告の起訴内容によると、女性は同日午後5時50分ごろにけいれんなどが始まり、同6時47分から同53分ごろまでの間に死亡したとされる。
7 起訴状によると、押尾被告は昨年8月2日、東京都港区の六本木ヒルズのマンションで飲食店従業員田中香織さん=当時(30)=と一緒にMDMAをのみ、田中さんの容体が急変したのに救急車を呼ぶなど適切な救命措置を取らず、放置して死亡させた、としている。
8 地検は、田中さんが同日午後5時50分ごろ、けいれんを伴う錯乱状態になり、約10分後に急性MDMA中毒症状が出たと指摘。死亡時刻は午後6時47分ごろから同53分ごろの間としている。
9 捜査関係者によると、押尾被告は、知人の男からMDMAをもらったことは大筋で認めているが、田中さんへの譲渡や遺棄致死の罪については否認。MDMAを男から入手する際は、隠語や数字を使いメールなどでやりとりしていた。
10 元東京地検検事の大沢孝征弁護士は公判日程について「人事異動の時期の3、4月を避け、おそらく5月ごろになるだろう」と指摘。量刑に関しては「よく似た事例では求刑が懲役8年で判決は懲役6年だった。恐らく同じ程度になるのでは」と話している。
 「関係者」という表現について、地検や警察当局(捜査当局)からの意図的な情報垂れ流しとそれをそのまま記事にする、新聞等マスコミの姿勢が話題になっている。このところ、ついこの前までの「関係者によると」という表現(言い方)が、少しニュースソースが分かるようなものになってきている感じが。
 5は、弁護士の記者会見の記事だからおそらく発表のまま。ただ、一方的に鵜呑みにしていいかどうかは疑問? さらに、「と供述しているという」などから起訴状(供述内容)に対する、弁護士と検察との対立がうかがわれる。
10は、具体的な個人名をあげての取材。ただ、量刑まで読者に推測させるのはやり過ぎ。
2、6、7は、「起訴状」の内容をそのまま(だろう)。「推定無罪」の立場に立っているかどうかは疑問だが、ともかく起訴状そのものを入手しての記事。
 1、3、4、9に登場する「捜査関係者」とはいったい何者? こうした場合、当人には、守秘義務は生じないのか(捜査内容を漏らしたことへのおとがめはないのだろうか)。
  8の「地検」とは何を指しているのか?公式発表なのか、それとも地検関係者の物言いなのか?
 以上、gooニュースに取り上げられた各社の表現を分析。なお、時事通信などもあったが省略。これらの表現から浮かび上がるものは、一体何か? 
 中でも気になるのは、捜査関係者が一応に、被告が一部起訴内容に関して否定していることをはっきり語っている点。 おそらく同じ人物だろう、ニュースソースは。
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読書80「検察を支配する『悪魔』」(田原総一朗+田中森一)講談社

2010-01-26 22:35:47 | つぶやき
 小沢一郎さんへの疑惑。土地建物の購入資金。その4億円の中に、胆沢ダム建設にからむ建設会社からの裏金が含まれているはず。表面的には、虚偽記載などの「政治資金規正法」違反事件として。3人の元・現秘書が逮捕、拘留期限を延長しての取り調べが続く。そこでは、執拗に小沢さんの関与を追求され、何とか小沢さんも起訴に持ち込みたい、と。どういう罪で? 
 (受託)収賄罪が成立することにはならない、というのが、専門家の見方。野党時代の小沢さんには、便宜を図るべき職務権限はなかった、と。ならば、虚偽記載に関与していたこと。さらには、個人的に持っていたお金だったとしても、妻からのお金が一部含まれていれば、申告漏れ、贈与税逃れ・・・。そして、便宜供与・・・。
 今のところ、何とか建設の元役員の供述だけが唯一の証言、その他の客観的な裏付けは出ていない。この間の家宅捜索で新たな裏付け証拠が出てきたのか?
 かなり強引とも思えるような徹底した追求。そうまでして、なぜ、東京の特捜部が昨年の3月以来、執拗に小沢さんを追求しているのか。
 少し前の「週刊朝日」の記事ではないが、夏の参議院選挙で民主党に過半数をとらせまい、という「政治」判断がそこにはあるのか。国民の一人としては、そうは思いたくはない。まさに「国策捜査」! その国策とは今の民主党政権つぶしなのか。
 政権与党の幹事長を、任意の事情聴取ではなく、被告発人として黙秘権を認め、正式な検事調書として署名捺印させた。小沢さんは黙秘権を行使することはなかったと言うが。
 一部のマスコミも検察情報に踊らされているかのごとく、検察と一体となって、小沢の「悪」を暴くことに必死になっている。そこに、マスコミ操作を含めて、検察の底知れぬ「悪意」を見て取ることも可能だ。 
 「汚いハトを駆逐して、きれいなタカの時代にする」ここで言う「タカ」とは、正義の味方の「検察権力」のこと。(しかし、何と今の時勢に不思議と符合する表現か!)これは、この書の一節。
 この書に登場する「田中森一」。元検事・「ヤミ」社会の弁護士。詐欺事件で逮捕され、有罪判決を受けた。いろいろ批判・中傷されている人間。一方の「田原総一朗」。これまた好き嫌いの激しく、評価の分かれる人間。
 この二人が、2年前に対談して「検察ファッショ」の実態を世に問うたものが、この書。
出版当時は、その内容の真偽を巡って、少し話題になった程度だった。
 実名入りで多くの「疑獄事件」を取り上げ、有力政治家の介入の実態や検察上層部の実像(政権与党=自民党への政治的おもねり)などを明らかにしながら、その奥にはアメリカの対日政策(反米、親ロ・中は何としても捻り潰す・・・)のすさまじい実態などにふれている。
 特に、検察当局が思い描いたストーリーの通りになるように、徹底した取り調べの実態など、読み進むにつれて背筋が寒くなる思いがした(自分が被疑者になって、取り調べを受けたとき、検察官の前で、真実を語り通せるか)。ついこの間、菅家さんの事件でも明らかにされたが。
 今また、小沢幹事長の今回の容疑(と検察は固執している)事件と重ね合わせることでますます身震いがした。
 小沢さんが道義的・政治的責任をとって幹事長を辞める、という選択肢を選んだとしたら、検察はどう動いただろうか?
 「政治資金規正法」違反事件としても、うやむやにせずに小沢逮捕まで進める、さもなくば、秘書逮捕・起訴で一件落着とする・・・。はたしてどうなったか?
 マスコミも徹底した取材によって(検察垂れ流し情報とも思えるようなのではなくて)、「事件」と称される、この小沢問題を追及して欲しい。我々もマスコミ情報を鵜呑みにせずに、それなりの判断力を持つ必要がありそうだ。
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154 今や275㍍。スカイツリー

2010-01-25 20:22:55 | つぶやき
 今年になって、久々に近くを通りました。スカイツリーの高さも、今や275㍍に。この携帯写真は、東武線の業平橋駅操車場から撮ったものです。冬の明るい光を真横に浴びている感じです。近くで見上げると、首が痛くなるほど(言い古された表現ですが)。本体工事が進むにつれて、すぐ北を流れる堀割(北十間川)もどんどん整備工事が盛んに行われています。京成押上駅の周辺の商店街でも、建物が取り壊され、整地が進んでいます。
 今のところ、以前と変わらないのは、東武の業平橋駅とその東側に広がる車両基地付近。浅草と日光、足利などを結ぶ特急の車両が時々停車しています。その脇を東武電車が通っていきます。こうして光景は、タワーが完成しても、この雰囲気は?
 通行人も立ち止まり、振り返り見上げていきます。記念写真もあちこちで。
 東京タワーが、都心とはいえ、芝公園や寺院など意外と閑静な自然に囲まれて(昔行った記憶ですから、今は?)いるのとは、趣を異にするようです。
 この新タワーが、下町の街並み、生活とうまくマッチして存在していくのか、それとも、それらの息づかいとはきっちりと隔絶された、別の空間(メカニックな)存在として機能するのか。タワーの、白く、無機質で、金属的な形態・輝きを見ていると、ちょっと新たな興味がわいてきます。
 これから先、運営主体者の東武鉄道と、それを地元で支える墨田区との一帯となった町づくり・コンセプトが、地元の人々を含んで、きちんと議論されていく必要がありますね。
 
 この写真は、京成押上駅付近から。
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読書79「漱石、ジャムを舐める」(河内一郎)創元社

2010-01-24 21:01:34 | つぶやき
 この方、大学卒業後、38年間、大手食品会社に勤めて、退職。第二の人生、高校時代から興味を持っていた夏目漱石を研究しようと思い立ち、食のことについて調べあげ、一冊の書にした。たしかに漱石研究、もう隅から隅まで調べ尽くされている感がある。
 だが、この方、それにもめげずに、そのごまんとある漱石研究のうち、食のことについてまとまったものがないのに目を付け、さまざまな文献(多くの漱石の作品から漱石関連の研究書・・・)を徹底して調べ上げた、その成果が、この書。
 たしかによくぞここまでマニアックに調べたものか、というのが率直な感想。漱石家の朝・昼・夜の食事内容。胃弱な漱石の食事の取り方、好き嫌い、奥さんの鏡子さんの料理下手。さらに、作品中のある店、行きつけの飲食店(下戸だった漱石だが飲み屋なども)など現在までの移り変わりなども紹介している。ついでに、蒲焼き、パン、天ぷら、すしなど食品の原点・発祥、工夫、歴史などにも・・・。
 さらにご丁寧なことに(頭が下がる思いだが)、漱石当時のものの値段、推移なども表にしてある。給料までも詳細に載せてある(同僚のものまで)。
 年表は、漱石に関する事項の下には、食文化関係の年表を載せて、と微に入り細に入る資料が・・・。
 今とは違って、江戸前の魚の種類の豊富なこと(なにしろシジミが漱石の住まいの近くの川から採れる!)や漱石の甘党ぶり、けっこう肉類が好きだったこと、出席した結婚披露宴での食べたもの、その少し前に食べたものが引き金で宿痾の胃の病で亡くなったこと、など話題も盛りだくさん。食品会社勤務だったというのも、不思議な因縁が。
 長年の会社勤め(宮仕え)を終えて、さあ何をするか、仕事仕事に明け暮れた人生。ふと思い悩む方も多い。この方のように長年の懸案事項を解決するぞとの意気込み、これがまた次の課題を見つけ、チャレンジしていくことになるのかもしれない。
 そういえば、まだお付き合いのある、職場の最長老。齢80を超える方だが、60歳くらいで退職したあと、旧制中学の歴史などの教育関係の資料収拾から、芥川龍之介について、今でも調査研究していらっしゃり、それぞれ何冊か小冊子にまとめている。
 その本を読ませていただくたびに、「我が輩も、何か」と思う。そう思いつつもなかなか行動に表せず、こうしてつまらぬ文章をものすだけなのが、何ともはがゆい。
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読書78「杉浦日向子と笑いの様式」(田中優子・佐高信)七つ森書館

2010-01-23 22:54:42 | つぶやき
 「名は体を表す」「名実共に」という言葉は誰でも知っています。一方で「有名無実」なども。何だか名が体を表さないことも多いようです。時には、本の題名と内容とがちょっとミスマッチしている場合も・・・。
 装幀のおもしろさと表題に心をひかれて取り上げましたが、中身(内容)と全体のタイトルとが少しずれているような感じが・・・。
 難病と長い間闘い(不謹慎な言い方ですが、ある意味では業病を受け入れ、自然体でつきあい)さらに結婚・離婚と、人生を一気に駆け抜けた一人の女性の追悼談、と思いきや、漫画家としての才能、大江戸(人と暮らし、息づかい)をこよなく心酔した(もちろん、毀誉褒貶はありましたが)その心意気を故人と深く関わった二人が対談する趣向。そこに、編集的には、ちょっと無理があったかなと・・・。
 それでも、佐高信の「信念」「思い」(今の時代・政治などにおもねりはするまい)が貫かれてはいます。杉浦さんを酒の肴と言っては大変ご両人(+田中さん)(佐高さんは、ほとんど下戸)に失礼です。
 (つまらない個人的な話ですが、ずっと以前、職場の仕事が午前中で終わり、4人で昼飯を食べようということでそば屋さんに行き、まずちょっと酒をとなって次第に盛り上がり、昼はとっくに過ぎ、夕方になっても談論風発、もう外は真っ暗、店を出る気配もなく、お店の人もあきれかえる始末、それでもまた晩飯にソバを食し、結局閉店まで飲み続けたことがありました。約8時間。)気のあった者同士のおしゃべりと飲み会、団欒ほど人生楽しいものはないですが。 
 江戸を語りながら、亡き人を語り、俗世間を語りながら、無常世界を語り、・・・次第に夜が更けていく・・・。時に斜に構え、時に素直に耳を傾け・・・、そんな妙味がにじみ出てくるのがいちばん「満足、満足」。
 ファニーではなく、インタレストこそ、「笑い」の本質かも知れませんね。と、ここまで来ると、この本の題名も中身もやっと一致してくるような・・・。
 杉浦さん、「幽体離脱」して、江戸から東京にやってきて、そして現住所・江戸の町に帰って行ったという感想が、素直に感じられる本でした。
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読書77「暮らしのなかの左右学」(小沢康甫)東京堂出版

2010-01-22 22:03:36 | つぶやき
 最近、目につく書物つくりの一つ。団塊の世代、それまで興味・関心を持っていた事柄。
 長い間の会社勤め、本業の仕事(と生活?)に忙しくて、なかなかきちんと調べたり、まとめたりできなかったことを、退職を機会に、改めて一つの成果として完成させる。それまでの仕事と関連がある場合も多いが、退職後の余暇(?)にそれまで手つかずだった関心事への集中力、持続力・・・。そうしたことに積極的な人が目立つ。「ブログ」などもそういう傾向の一つかもしれないが。
 この方の場合は、「左右」に興味を持って、30年以上。本のコピーやら資料など、それらを収めたノートが13冊にもなった、という。丹念に実証的に調べ尽くした、長年の努力が実った力作。写真など、自ら現地で撮ってきたものが多いのも、こうした本の特徴。何でも調べてやろうとの好奇心旺盛の世代とも・・・。
 左右の区別ある下駄、家の出入り口の違い、男雛・女雛の並べ方の変遷、競馬場による競馬の右回り・左回り、など日常生活にからんだお話から、語源、蔓の巻き方、渦、通行法、左右の優劣(日本編、海外編)、など「軽い」エッセー風の味付けながら、なかなか蘊蓄のある内容が豊富。
 ところで、「右前」「左前」。和服は男女とも右前、死装束は左前。洋服は男は「右前」女は「左前」というのが、常識。ところが「男の洋服、左側が外になる、だから左前ではないか」。身近にいる若い女性の発言、これは、たしかに間違い。
 この書では、衣服で言う「左前」の「前」とは「手前」のことで、肌に近い方を指していて、左の襟を手前にしてその上に右の襟を重ねる着方、とある。けれども、広辞苑では、相手から見て「右前」「左前」と名付けている。
 自分自身、いつも迷うのはこのあたり。どちらから見て「右」「左」というのかが分からない場合がある。「左尊右卑」などもそんな感じ。どちらから見た判断なのか、ますます右往左往する結果となるのは、もうかつての常識が失われつつあるからか。
  
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都立高での最近のお話

2010-01-21 09:35:47 | つぶやき
 都立高に勤める知人から聞いたお話。この方、定年退職して再雇用で働いている。都立高校。教員個人にパソコンが配布された。TAIMS(タイムス・タイムズ?)というのが導入されて、これからはインターネットシステム(パソコン)を通して、あれこれやりとりをすることになるらしい。
 その方の話では、休暇届けなどいろいろな申請や報告も、これからは、そのパソコンを通して行うシステムになる。だから、必ず一日に一度、パソコンを開けてメール内容をチェックするようになる。そのために、今、全都の都立学校の職場に、順次パソコンが支給されている、と。
 知人の勤める学校でも、つい先日行われた。その前から、机の上をきれいにしておくように(教員はえてして机の上は乱雑)お達しがあり、その方も周りの人も、一応準備万端整えて、心待ちにして(?)待っていた。やってきました、富士通のパソコン(東京都御用達は、きまって富士通?)を持って、若い青年達が・・・。ランケーブルを繋いだり、電源を確認したり、てきぱきと作業をしていきます。
 その方、興味深く見守っていたら、自分の机には置いていかなナイ! 事務の方、「あ、先生にはありません。共有で4人の方に一つのパソコンですので」「えっ、そんな話聞いていないですよ」「あれ、言いませんでしたか」「えっ・・・」そのまま絶句したそうです。
 聞くと、知人の他に理科の実習助手の方もないそうで、共有のパソコンを使うようになっているらしい。事務室で同じような立場の方には一人一台。その差って何?
 さっそく、同僚達は操作を「楽し」そうに苦労しながらも動かし始めたそうです。メールをやってみる人、インターネットに接続して見る人・・・。
 授業の持ち時数は、他の教員と同じかそれ以上、生活指導や進路相談などもほとんど同じ。唯一異なるのは、勤務日数がわずか少ないだけと給料がひどく少ないだけ。やらされていることは、まったく変わらない。実習助手の方は、他の教員と勤務条件はまったく同じ。にもかかわらずこの差別は何に!
 わざわざ他の部屋にまで足を運んでいちいちパソコンを開く、他の方が使っている場合はちょっと待った!
 パソコンは、どうせレンタル。4台余分(?)に入れたからといって、莫大なお金がかかるとは思えない。ふだんは他の方と同じ扱いをしていて、どうしてこういうことだけは差別するのか。ホントウに憤っていました、その方は。職場に差別と分断を持ち込むな!と。
 これからは人事などすべてをパソコンによって管理していこう、というみえすえた魂胆がちらほら、そうして、同じ職場で机を並べて働く人を運営の埒外に位置づけていく、なんてちょっと姑息ではありませんか、教育庁様! 
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読書76「野獣降臨(のけものきたりて)」(野田秀樹)新潮社

2010-01-19 23:16:37 | 読書無限
 永遠の演劇少年「野田秀樹」26歳、1982(昭和57)年作の戯曲。後書きには「駒場小劇場」にて公演予定とある。この芝居は、才気溌剌とした「天才」野田の、まさに勢いづいている頃。
 テレビで人気の高い女優などが出演し、えらく高い入場料を取って見せる、今の野田芝居とは、たしかに違う青年(少年)芝居。伝説の「夢の遊民社」。
 今さらながら、戯曲として「読んで」みて、そのテンポの良さと動きの激しさとテーマの荒唐無稽な展開と・・・。現実にあった宇宙船事故をモチーフに、ウサギの国と人の国人の争い、そこにそして病原菌撲滅の闘いと・・・。ギリシャ神話を交えながらの「若さ」あふれる芝居。
 野田の芝居は、基本的には「二項」対立という西洋哲学の論理法(表現)に即したものが多い。そうした弁証法的な作劇術は、下手をすると陳腐なものになってしまう。そこを正反合で止揚していく。その底にあるのは、今も昔も、言葉の絡み合い(闘い)、だじゃれに堕する寸前の言葉「遊び」、というのが野田の真骨頂か。
 今の若い連中がこれを観ても、おそらく芝居のテンポについて行けないのではないか。マシンガンのように飛び出す、激しくも情緒的な台詞を、頭の中で漢字仮名交じりに置き換えて、体と心で理解するという機能が、めっきり衰えている若い諸君。
 おそらく演じることも出来ないのではないか。その意味では、まさに考古学的名作というべきではある。
 残念! どこかで、再演する劇団(集団)はいないだろうか?
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穏やかな冬晴れ

2010-01-17 20:06:53 | つぶやき
 東京地方は穏やかな冬晴れが続いています。気温は低いですが、北風もなく雲一つない晴天。センター試験も昨日、今日の二日間で終了。日本全国一斉に行われる一大試験。北海道などでは雪模様で受験生も会場まで難儀したようですが。
 共通一次試験以来、何かと批判があっても、今や、現浪会わせて受験生50万人以上が受ける試験として、否応なしに定着してきたようで・・・。
 これから3月中旬まで、入試本番。高校や中学・小学校も含めて、寒い冬のさなかの試験。新型インフルも少しおさまってきたようで、良かったですが。
 今年の受験。目下の経済不況からか、国公立志望が増えたり、教員養成系など資格が取れる学科に人気があるとか。また、受験校の数も減らすなど、先行き不透明な中での受験事情。
 早稲田・慶應などの有名大学は別として、私立も志望者減で何とかして受験生を集めようと特待生制度やら割引制度やら、なりふりかまぬ学生集めのようです。
 ここ、墨田区の大横川親水公園の一角では、「フリーマーケット」が行われ、ちょっぴり寒さもゆるんだ午後、店もそこそこ出て、子ども連れなどもやってきて、けっこう賑わっていました。
 そのはるか向こうには、もう260㍍を超えますます高くなる「スカイツリー」がビルの間から顔をのぞかせていました。工事現場近くには、見物人があふれんばかりだそうで。
 
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昨日の続き

2010-01-16 22:01:13 | つぶやき
 何とか花束贈呈、ねぎらいのイベントも終わりました。私が立て替えた3500円。会計の方から5000円札で貰い、1500円返しました。
 その方、銀行に行って下ろす時間がなかったので、自分のお金で立て替えたということでした。副支店長からの2000円はそのまま机の中にあるとのこと。
 そして、終業。たまたま退職する方に会いました。その方も花束を持っています、同じ日に、同じように送別・・・。
 「つかぬ事を聞きますが、副支店長からの2000円、どうされましたか」「ああ、あれね、そういうものは、個人的には貰うべきではないのと思っているので、課長さんにはそのように話して丁重にお返ししてもらいました」「ああそうですか」
 「ところでおたくの方は?」「うちですか。わざわざ持ってきたので、返すのもなんだから・・・」「受け取ったのですか」「ま、そういうことで。課長も、まあいいんじゃないかって言うんで」
 「じゃ、お花代の一部にしたということですか」「いや、会計の方は、それとは別にして使わなかったようですが」「だって、貰ったことは事実でしょう。お花代に使ったって言われても、しかたがないんじゃないですか」
 「こちらの会計ではきちんと分けていますから」「でも、あとあと、支店長にも、あのときのお金は、あそこの課では有効に使ってくれたなんて思われるんじゃ」「・・・」
 「おたくの課長、支店長には、これからも世話になる人のためにとかなんとか、なにがしかのお金の援助をほのめかしたんじゃないんですか」「他から余計な詮索をされたら、課長は、そういうことはなかった、って言えばいいからと」
 「たった2000円で、ぎくしゃくしたくないこともわかりますがね」「・・・」「月曜日が楽しみですね、けっこうおひれがついて、うわさが支店内に広まりませんかね」
 たいしたことのない話が、こんな話になるとは思ってもいなかった!月曜日。事態はいったいどうなっていることやら。
 我が支店でも、新規事業の予算やら人事やらを巡って、けっこう、その準備であわただしい。別に何もなく、平穏な一週間が始まるような気もするし、そうではないような、波乱が起こる気もするし・・・。
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職場での出来事(長くなりますが)

2010-01-15 20:18:16 | つぶやき
 私が勤めている職場での、最近の出来事です。私の所属する部署で、まもなく定年退職する方がいます。その方は、職場の中核として、長年頑張って来られた方。我が課の慣例として、退職される方の都合のよい機会に、職場で花束を差し上げ、ねぎらうことになっています。その日が、ちょうど今日。
 そこで、私がその花束を調達することになり、一昨日、近所の花屋さんに行き、3500円(ささやかですが)を立て替えて支払い、予約してきました。
 この2,3日前、どこでこういう話を聞きつけたのか、支店長(小さな支店ですが、部署はたくさん)がその花代の一部を出させてくれ、と副支店長を通じて、課長に内々話がありました。課では、今までそういうことはなかったことだし、課員皆で少しずつ出し合って、ためている会費から出すことなので、丁重にお断りすることにしました。
 ただ、退職される方も、あと数年は同じ部署で嘱託として、後輩の指導に当たることになっています。何かのついでに、支店長の耳に入れておいたことがあったかも? 「嘱託で残って貰うんだから、大事にしないといけませんよ」「これからも、支店長、あの方の手助けが必要でしょう」とか・・・。まさかそういうことを言うはずもありませんが。
 もともと支店長は、機を見るに敏な男(それで出世したようなもの?)。一昨日(つまりお花を予約しに行った日)、またまた副支店長が、茶封筒を持ってきました。支店内では、近々同じように定年退職する方が、二人います。そのときに対応した方の話では、その方達の分も持っていたようです。
 その封筒を開けると、2000円、入っていました。けっして催促したわけではありませんが、わざわざ持ってきたものをむげに断るのも何だから、結局、そのお金は、課の親睦会会計に入れることにしました。確かなのは、花代の一部にあてようとは、誰も思っていないことです。
 そして、明日。私が花代として立て替えた3500円は、親睦会の会計担当の方から貰うのですが、支店長(ホントウは、副支店長が支店長の意を受けて、立て替えたのかも知れません)の2000円は、その一部として扱われてしまうのでしょうか?
 入金と出金がほぼ同じ時期。出金の一部ともいえなくもありませんし、たまたま重なっただけともいえます。一方、支店長(副支店長)は、「自分のお金が花代の一部に充てられた」とも思うでしょう。こちら側(ご本人も含めて)には、そういうつもりは全くない!
 明日貰う(払う)お金は、微妙な存在です。(立て替えた私にとっては、間違いなく3500円貰えればいいだけのことですが。)まして、1000円札が2枚、まだ銀行に入れずに現金のまま、会計の方のもとにはある、それを含めて3500円貰ったとしたら・・・。
やっぱりはじめから断ればよかったのでしょうか。これからも送別会やら何やらお金がかかる時期でもあるので、ついつい受け取ってしまった、・・・。このこと、他の課の方、まして上の本社の監察部署には、知られていない話になっていますが・・・。
 これは、職場での悩ましい、ホントウのお話です。・・・。
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