先を続けます。そろそろ紫陽花の季節。
再び東武線の踏切を渡ります。遠くに「幸手」駅。
沿道には「カスリーン台風」での浸水水位の赤テープ。
軒下まで来ています。
古いおうち。
「
らき☆すた」のシール。
「小早川ゆたか」 「柊つかさ」
???
「おやじ」にはまったく分かりません。そこで、例によって「Wikipedia」のお世話に。
『らき☆すた』は、美水かがみによる日本の4コマ漫画作品、およびそれを原作としたゲーム、アニメ、小説作品。KADOKAWA(角川書店ブランドカンパニー)の月刊ゲーム雑誌『コンプティーク』において2004年1月号より連載されているほか、『コンプエース』など数誌で掲載されている。
《概要》
小柄でアニメやゲームが大好きな、オタクな女子高生(7巻より大学生)泉こなたと、その友人でゆったりした性格の柊つかさ、つかさの双子の姉でしっかり者でツッコミ役の柊かがみ、容姿端麗で博識ながら天然な所がある高良みゆきの4人を中心として、その周囲の人々も含めたまったりとした普段の生活を描いている。
タイトルはLucky Star(ラッキー スター)が原義であり、単行本表紙のロゴにもそうデザインされている。作者の美水によれば「女の子が学園生活を送る漫画のタイトル」としてイメージした結果、女優が演じるという意味合いの「スター」と、「幸運」や「気まぐれ」という意味を持つ「ラッキー」をあわせたとしている。
そもそもは『コンプティーク』誌でわずか3ページの4コマ漫画連載枠が空いたための掲載だったが、人気を博したためページ数も増え、さらに『月刊少年エース』や『月刊コンプエース』など、掲載誌も増えていった。
2005年8月24日にドラマCDが発売され、さらに2005年12月1日にはニンテンドーDSで『らき☆すた 萌えドリル』が、2007年5月24日には同じくニンテンドーDSで続編の『真・らき☆すた萌えドリル 〜旅立ち〜』が発売された。2007年4月から9月にかけてテレビアニメ版が放送され、それに連動する形で2007年1月からラジオ番組『らっきー☆ちゃんねる』も放送が開始した。2008年1月24日には『真・らき☆すた』の予約特典であった恋愛アドベンチャー「らき☆すら -Lucky☆Star RAvish Romance-」が、PlayStation 2用アドベンチャーゲーム『らき☆すた 〜陵桜学園 桜藤祭〜』というタイトルに変えて発売された。2008年夏にはOVAとアニメ版の声優によるドラマCDが発売、2009年12月にはPlayStation Portableで『らき☆すた ネットアイドル・マイスター』が発売された。『月刊コンプエース』2011年4月号および『コンプティーク』2011年4月号にて作品初のミュージカル化作品『らき☆すた≒おん☆すて』の企画が発表され[3]、2012年9月20日から30日まで東京ドームシティアトラクションズ内にあるシアターGロッソで上演された。
また、サイドストーリーとして登場人物の1人で情報ページ『らっきー☆ちゃんねる』のキャプテン・小神あきらを主人公にした『あきらの王国』が『コンプエース』(Vol.014(2007年6月号増刊)~)で、『萌えドリル』シリーズのオリジナルキャラクター、宮河ひなた・ひかげ姉妹を主人公にした『宮河家の空腹』が『コンプH's』(Vol.7〜Vol.9、休刊)、『コンプエース』(2009年6月号〜2013年3月号)を経て『コンプティーク』(2013年3月号〜)でそれぞれ連載されており、『宮河家の空腹』は2013年4月よりWebアニメとして配信された。
《主な舞台》
アニメ版の舞台は埼玉県春日部市をモデルにしている。
陵桜学園高等学校(りょうおうがくえんこうとうがっこう)/陵桜学園高等部(りょうおうがくえんこうとうぶ)
こなた達が通う学校。埼玉県内にあるという設定。こなた達の学年で13クラスもあるマンモス校。女子の制服はセーラー服で、スカートと襟の色が冬服は赤で夏服は青。プールはあるが、体育の授業になぜか水泳は入っていない。アニメ版では作者の出身校(春日部共栄高等学校)がモデルとなっている(エンディングクレジットの「スペシャルサンクス」で表記)。
鷹宮神社(たかのみやじんじゃ)
柊姉妹の父が宮司を務める神社で、柊家はこの境内に居住する。家の電話機は古い黒電話で電電公社の600形電話機である。アニメ版でのモデルは埼玉県久喜市(旧北葛飾郡鷲宮町)にある鷲宮神社。こちらの最寄り駅は東武鉄道伊勢崎線鷲宮駅下車5分程度。埼玉新聞での掲載4コマなどでは鷲宮神社がそのまま登場しているが、あくまでもモデルとしてである。
糟日部駅(かすかべえき)
アニメ版にのみ登場、鉄道会社は糖武鉄道(とうぶてつどう)と表記されている。モデルは東武鉄道伊勢崎線・野田線春日部駅。泉家の近所埼玉県幸手市と思われる。『陵桜学園入学案内書』の「らき☆すた関連マップ」でも東武鉄道日光線幸手駅が「泉家の最寄り駅」として記載されており、アニメ版では幸手市内や権現堂堤がモチーフとして用いられている。
幸手市は作者の出身地であり、作者の旧居が2009年春に泉家を再現する形でギャラリー兼交流施設「きまぐれスタジオ 美水かがみギャラリー幸手」として2011年初めまで開館していた。
・・・
《聖地巡礼と地元での町おこしイベント》
「聖地巡礼」の対象のひとつとされている鷲宮神社。鳥居の側にあるのが大酉茶屋わしのみや
アニメ雑誌『月刊ニュータイプ』2007年8月号の付録「『らき☆すた』的遠足のしおり」にて、埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現在は久喜市に合併)の鷲宮神社を始めとした、いくつかの場所が本作の舞台の1つであると紹介されたことをきっかけに、ファンが聖地巡礼と称して登場した場所を訪れるようになった。
鷲宮神社においては、彼らが絵馬に『らき☆すた』の登場人物の絵を描いて奉納する、記念撮影を行う、コスプレ姿で参拝するなどの行動がマスメディアを通じて報じられた。
初詣の参拝客も、2008年にはこの年の埼玉県内第3位となる約30万人、また2009年には同第2位となる約42万人に達し、関係者の驚きを呼んだ。なお、初詣の参拝客の過去最高は2014年現在、2011年から4年連続で約47万人であり安定している。
こうした「巡礼」を受け、鷲宮町商工会は、町独自のオリジナルグッズを制作、同会青年部の運営する大酉茶屋わしのみやや町内の複数の商店にて発売し、作者や出演声優の鷲宮神社への公式参拝イベントを開催した。その他にも歳末セールで『らき☆すた』のキャラクターをあしらったスクラッチカードを用いるなど、様々な地域振興策に取り組んでいる。鷲宮町もこうした経緯から2008年4月1日付で柊一家を町内の架空の住所に住民登録し、同年4月7日より特別住民票の交付を行った。また毎年9月に行われる鷲宮神社の土師祭では、2008年より『らき☆すた』のキャラクターを描いた「『らき☆すた』神輿」(下記写真参照)が練り歩くようになり、報道などで話題となったほか、2010年に行われた上海国際博覧会でのジャパン・ウィーク「CoFesta IN 上海」ではこの神輿の特別公演が行われた。
さらに、作者の美水の出身地であり、作中ではこなたの住んでいる町とされる幸手市の商工会でも、『らき☆すた』を元にした地域振興策として、歳末セールで『らき☆すた』をフィーチャーした企画を実施、オリジナルグッズの製作・発売を行ったほか、関連イベントの開催するなど、様々な企画を行い、2009年3月28日には美水家が転居に伴って空き家となった旧居を無償で商工会で借り受け、泉家を再現したギャラリー兼交流施設「きまぐれスタジオ 美水かがみギャラリー幸手」を開館(2011年1月10日に閉館)、2010年1月1日付けで泉一家をギャラリーの所在地に住民登録し、同年1月3日より特別住民票の交付を行った。またエコポイントの交換商品として、幸手市共通商品券「らき☆すた商品券フルコンプセット3000 円分」を用意した。メインの舞台となった春日部市でも、鷲宮・幸手双方にグッズのための桐細工を提供しているほか、春日部独自の商品開発も行っている。また3市町の商工会・商工会議所等関係各所で相互連携しており、各商工会の間で版権データの共有や今後のイベント開催・グッズ販売での共同事業の展開などに取り組んでいる。
2007年12月からの2008年5月までの半年間の鷲宮町での経済効果は4170万円、商工会の2007年度決算での歳入合計が前年度比36%増の8000万円になったと発表、幸手市も約2500万円の経済効果があったと商工会が発表している。また「聖地巡礼」「オタクツーリズムや漫画・アニメ等を用いた町おこし(「萌えおこし[24]」とも呼ばれる場合がある)の成功例として経済的・学術的観点からも注目されるようになり、鷲宮町商工会でも北海道大学観光学高等研究センターと共同でメディアコンテンツと地域振興のあり方に関する研究プロジェクトを行っている。
このほか、2009年より埼玉新聞に断続的に記事や漫画が掲載され、2010年からは土師祭や鷲宮・幸手両商工会のスタンプラリーに埼玉新聞社が主催社として参加、2012年6月からは国土交通省関東地方整備局荒川上流河川事務所の新聞広報に本作のキャラクターが起用され、制作した埼玉新聞と読売新聞埼玉版に掲載されている。また、舞台を沿線に持つ東武鉄道と『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の舞台となった秩父市を走る秩父鉄道共同で両作品がコラボレーションした記念切符を2012年1月に発売、2012年6月24日と2013年6月23日には埼玉西武ライオンズが「らき☆すたデー」と銘打ったイベントを開催し、コラボグッズの販売やつかさ役の福原香織やかがみ役の加藤英美里による始球式や一部回ので場内アナウンスを行っている。
この集客効果は、埼玉県の観光課に「観光資源として力を持っているんだ」と認識させ、2013年より「アニメ・マンガまつり in 埼玉(アニ玉祭)」開催へのきっかけとなった。
何だかちっとも分かりませんでした
「倉松川」に架かる「志手橋」を渡ると、「幸手宿」の中心部に入ります。
来た道を振り返って望む。
神明神社とたにし不動尊
・・・境内には成田・菅谷両不動尊があり、菅谷不動尊は「たにし不動尊」ともいわれています。眼病の人が、たにしを描いた絵馬を奉納すれば御利益があるといわれ、この絵馬は他にはあまり例がないものです。・・・
神社の前の道は、江戸時代の五街道のひとつである、かつての日光道中です。志手橋を渡ったこの周辺は幸手宿の入口で、開発者の新井右馬之助にちなみ、右馬之助町と呼ばれていました。
また、江戸時代にはここに高札場があり、幕府の掟や法令などを書いた高札が掲げられていました。
幸手市教育委員会
几号高低標(英国式水準点)
この案内板の後ろの石は、以前奉納された灯籠の基礎の部分で、長い年月の間に上部が壊れたために脇の置かれていたものです。
その側面に不の記号が刻まれていますが、これは「几号高低標」といいます。
明治7年(1874)にイギリス式の測量方法が導入され、東京・塩竃(宮城県)間の水準測量を行った際に神社の鳥居や灯籠等に設置したもので、横線は測量に用いる平板を表し、下の部分は三脚を表しています。
幸手市教育委員会
「幸手駅入口」交差点の右手角には伝統的な商家の趣のおうち。
その脇には、
「
幸手宿まちなみマップ」。
国登録有形文化財 元醤油醸造業 上埜屋の屋号でパリ博万博銅メダル
国登録有形文化財「岸本家住宅主屋」は、かつて醤油醸造業を営み、屋号「上庄(うえしょう)」と呼ばれ、幸手宿指折りの商家として栄えていました。
当会では、往時の幸手の繁栄を物語る貴重な遺産であるこの建物を後世に伝える、また活性化の核として活用するため、国の補助事業を活用し「済世をはたしました。
さらに、交差点の左手、一角には「明治天皇行在所跡」碑。
明治天皇は、明治9年6月奥羽巡幸の際、14年7月、同10月、山形・秋田・北海道巡幸の際、29年10月近衛師団演習天覧の際に幸手を通られ、明治9年には元本陣の知久家に、あとは右馬之助町の元名主であった中村家に宿泊しています。・・・
解説碑がありますが、まったく判読不能。
そこで、その解説板。
明治天皇行在所説明板。
説 明
明治十四年山形秋田両縣及北海道還幸の砌十月十日行在所となり 明治二十九年十月近衛師團小機動演習天覽のため埼玉縣下行幸の際 同月二十日より二十二市行在所となりたる處にしてよく𦾔規模を存せり
注 意
一、火気に注意する事
一、工作物樹木等を損傷せざること
昭和十年十一月二日 文部省
何とも仰々しい表現です。「東海道」など旧街道筋には「明治天皇行在所跡」などの碑がよく見られますが、多くは昭和に入ってから建てられたもので、当時の国の状況・方向性(国体護持)をよく示しています。この10年後、「大東亜戦争」は多くの犠牲のもとに敗北に終わります。
交差点近くにある古い商家。
この先に「幸手宿」の中心的な建物が残っているようですが、今回はここまで。信号を左に折れて「幸手」駅に向かいました。
(14:12)途中のお店には「幸手宿」の文字が。