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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書38?「東京銭湯お遍路MAP」(東京都公衆浴場業生活衛生同業組合)草社

2009-09-30 22:39:38 | つぶやき
 これは読書ではありませんね。でもとても面白い本です。東京中のお風呂屋さん935軒が掲載されています。加盟していないのかこの企画に参加していないお風呂屋さんも載っていますから総数ではもっと多くなりそうです。
 各区ごとに場所とその特徴(一言メッセージなど)が書かれています。色刷りで大変見やすくなっていて、どこにあるかも一目瞭然。お風呂好きにはたまらない一品です。定休日・営業時間・最寄り駅からの所要時間、サウナがあるか、露天風呂があるか、など至れり尽せりです。温泉も明示。写真もあります。
 入り口についても、店員が脱衣場を直接見渡せる番台スタイルと直接見渡せないフロント式かどうかも。番台スタイルはあまり今では好まれないのかな?
 「お遍路マップ」というくらいですから、88箇所巡りのスタンプラリーになっていて、行った風呂屋さんでそれぞれスタンプを「スタンプノート」に押して、完成すれば、特製のバッジがもらえる仕組み。さらに浴場組合のHPに名前が載るという。何とも面白い企画ですね。
 一日何軒入れるかも楽しめる。でも、一風呂浴び、着替えて、電車やバス、車、自転車に乗って次に向かい(それまでに一汗かいて)また入る。勿論大人一人450円ずつかかります。実に優雅なお金の使い方ではありませんか。
 ちなみに友人は、墨田区内にある、天然温泉の銭湯の主人です。いつ会ってもにこにこ肌のつやもよく、頭もぴかぴかに磨き上げた、いいおやじです。ぜひツアーで行きませんか。
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140 東京都港湾局貨物線晴海埠頭

2009-09-29 21:46:23 | 鉄道遺跡
 春海橋からしばらく西に向かうと大きな道路にぶつかります。銀座から勝鬨橋を渡って、有明方面に進む幹線道路。晴海大橋の西側は晴海埠頭。ここまで、東京都港湾局晴海線という貨物線が来ていました。(もう一つの支線は、豊洲埠頭まで。豊洲埠頭では石炭や鉄鋼製品などを積み込んでいたとのこと。)
 何気なく橋のたもとから眼の下の倉庫の敷地内を見ていると、線路の跡がありました。アスファルトで上を覆われていますが間違いなく線路。ずっと奥の方まで続いているようです。
 それが、この写真。ちょっと遠方からでわかりにくいのですが、肉眼だとはっきり確認できます。二手に分かれ、またその先が分かれているのまでうっすらと残っています。
 越中島貨物駅から伸びていたこの貨物線。北には小名木川・新小岩・金町と続いていました。東京都港湾局の所有。開通は、1953(昭和28)年。1989(平成元)年に、廃止されました。
 沿線一帯は、再開発が急速に進んで、鉄橋とここ以外はもう直接の痕跡はなくなってしまったようですが・・・。
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139 春海橋鉄橋

2009-09-28 19:41:45 | 鉄道遺跡
 以前取り上げた、JRの越中島貨物線。その行き止まりになった所から西に向かって進む、東京都港湾局が運営していた晴海埠頭までの貨物線の跡をたどってみました。
 というか、豊洲地域、かつての石川島播磨工業の広大な敷地を中心に、大規模な再開発が進み、高層マンションやショッピング・モールが出来ています。その「アーバンドックららぽーと豊洲」に出かけたついでに、ちょっと探索してみたわけです。
 この「・・・ドック」という名称に、かつての巨大な造船工場の面影を宿しているのでしょう、たしかに、南に広がる海・運河の景色は、他の街中のショッピングモールとは違い、印象がとてもいい感じです。
 船着き場の岸壁と大型のクレーンも、かつてのドックのイメージを想像させようとの工夫があるのでしょう、勿論、いつしかそんなことも忘れ去られていくでしょうが。
 今回の目的の場所は、そこから運河沿いの遊歩道を少し歩き、「春海橋」。そこには、かつての貨物線の鉄橋がそのまま残っています。橋の東側には線路が通っていたという姿は、みじんもうかがえません。
 また、橋の西側は、大きなセメント工場の敷地になって、今は、大きな工事中。囲いがあって中は見えません。両側を切断され、この鉄橋だけが運河の中に残っています。線路もそのままに、雑草に埋もれています。
 この鉄橋について、歴史などのきちんとした説明板のないのが残念です。立ち止まって見る人もなく、散歩やジョギングの人が横目に見ながらひっきりなしに通り過ぎていきます。いつしか撤去する予定なのかも知れません。(もう少し東にある運河に架かっていた鉄橋は、跡形なく撤去されてしまいました。)
 写真は、春海橋からアーバンドック豊洲を望んだもの。大きなクレーンと跳ね橋が中央奥に見えます。
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読書37「反貧困の学校」(宇都宮健児×湯浅誠編)明石書房

2009-09-27 19:53:42 | つぶやき
 先日、知人の娘さんが見えた。2007年に大学を出て、その後、通信教育で小学校の先生の免許を取得、この4月から晴れて近県の小学校の先生に。
 いきなり4年生の担任だが、授業やら何やらで必死にやってきて、やっと運動会も終わったとのこと。実に生き生きとして働いているようす。他の友人でも小学校の先生になったり、大学卒業後、いきなり海外勤務にとか、司法試験に受かったとか、皆、それぞれ頑張っているとのことだ。聞くと皆そこそこの会社などに就職できたようだ。
 その中で、言っていたのが、大学院へ行った友達、他の人より2年、3年、社会に出るのが遅くなった、とたん、今年の就職難。思うように就活もできず、研究もままならず困っている者がいるという。
 10年以上前、就職難から正社員の道が閉ざされ、多くのニートが生み出され、その後も、そうした世代の人の、正社員希望が叶えられずにいる。そして、就職難も持ち直して、就職もつかのまの活性化。それにも取り残される30代前半、さらにもっと上の世代が振り返ったら、派遣切り、首切り・・・。
 そしてまたまたここに来ての、一大就職難。こうして、生まれた世代、卒業する年によって、これほど差が生じる社会は、まさにいびつな社会でしかない。
 「プータロウ」「フリーター」「ニート」などと労働市場の調整弁としてうまく利用され、気がついたら30代、「婚活」がビジネスとして成功し、ここでもうまく利用され、あげくの果てに・・・。
 「反貧困」とは、内向きの言葉でなく、外に向かった闘う言葉であることを、もっと市民の一人一人が自覚したい。
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出来レースの結果?

2009-09-26 21:57:34 | つぶやき
福知山線脱線 先輩後輩のなれ合い 情報漏洩、見返りは鉄道模型やチョロQ(産経新聞) - goo ニュース
 この件では、以前、「JR福知山線事故の本質」(山口栄一編著)NTT出版という本を紹介したことがあります。その本は、その事故の本質と「企業の社会的責任を科学から捉える」との副題を付した内容を持っています。
 事故の原因を運転手とその人事管理システム、JRとなった会社の経営方針に目を向ける報道姿勢や「事故調査報告書」に対して、事故現場の詳しい分析から、運転手のスピード超過によるカーブ脱線事故ではなく、カーブ構造の持つ速度限界に目を向け、「列車転覆」事故であり、そこから改めて、会社の社会的責任のあり方を追求しています。
 会社側は被害者に対する社会的使命感を込めて被害者への補償を行い、事故後の生活や仕事、通院での不利益に苦しむ被害者の一人ひとりの生活の質(QOL)を最大限高められるような個別的・具体的な手だてを尽くすこと。
 また、企業として、チーフ・サイエンス・オフィサー(CSO)を経営チームのの一員として設置する、すなわち安全管理の達成に向けて、会社組織の中での科学者の責任と任務を会社ぐるみで確立していくこと、科学的思考能力を会社のすみずみにゆきわたらせることを提言しています。
 まさにその指摘の通り、こうしたことを見抜いていたかのような本ですが、今回の会社ぐるみ、現役・OBなれ合いによって、報告書を改ざんし、事故の一因を会社の安全管理の欠如、経営者陣の社会的責任の欠如にあることをうやむやにしようとした、悪質さを喝破したものです。
 それにしても、見返りが居酒屋の飲食と模型とチョロQとはいやはや!
 さらに元社長は、いまだに取締役として平然としているのだからいったいこの会社は!
 多くの被害者・遺族はたまったものではありません。
 
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読書36「狭山事件虚偽自白」(浜田寿美男)北大路書房

2009-09-24 23:41:11 | つぶやき
 著者の浜田さんは、発達心理学の方。その方面の著書も多く、乳幼児から青年にかけて、心理学に基づく心身の発達史を主に研究している。私も、何冊か読んだことがある。
 一方で、裁判、とりわけ被疑者が自白にする至る過程の精神心理についても関心を寄せ、著書も多い。その中での成果の一冊が今回の書。
 「狭山事件」は、1963(昭和38)年、女子高校生に対する、強盗・強姦・殺人・死体遺棄で、石川一雄被告が逮捕され、起訴。起訴事実を認め、一審判決では死刑判決。しかし、二審では、一転自白を撤回し、起訴事実を否認。無期懲役。 1977(昭和52)年最高裁で、無期懲役が確定。以後、再三にわたる再審請求も棄却され、現在に至っている。この間、石川さんは、1994(平成6)年、仮釈放されている。
 身代金を受け取りにきた(と思われる)犯人を警察が目の前で取り逃がし、その後、遺体が発見されたことで、必死の捜査により捜査線上にあがってきた石川さんを別件によって逮捕した。その上で、本命たる女子高生事件を長期、徹底的に取り調べ、本人の自白と物証(特に、「詫び状」の存在、被害者の体内に残された血液型が同じである、脅迫状の筆跡が本人に酷似しているという鑑定がなされた、ことなど)によって再逮捕・起訴した。当時、マスコミでは、連日報道された。
 その後、この裁判は、石川さんが「被差別」出身だということで、差別問題ともからみ、「開放同盟」などによって「えん罪」として裁判闘争が行われていく。そのため、微妙な「政治党派」(立場)にからんだ問題ともなって、今日でもこの狭山裁判(闘争)にからむ内容には、さまざまな反応を呼ぶことになる。
 筆者は、若干立ち位置を異にしながら、「自白」偏重の日本の警察・検察の姿勢、裁判のあり方などへ厳しい批判を投げかけている(石川逮捕の根底には差別問題があったという立場はあるが)。
 今日、裁判員制度が導入されて、一般市民が有罪・量刑の判決を下すという現実の中で、えん罪事件への関心も深まっている。また、警察での取り調べ可視化の問題など具体的な課題も浮かび上がっている。
 中でも、連日の厳しい追及によって「自白」に追い込まれていく「被疑者」の心理状態、さらに、「自白調書」とその裏付けとなる、具体的な「物証(の発見)」というかたちで、裁判所に提出され、判決・量刑の重要な判断材料(裏付け)となっていく・・・。
 その心理の「闇」を自白調書の分析・評価によって、供述の変遷を解析していく緻密な作業がこの書の内容である。結論は、推定「無罪」である。
 この事件、逮捕、裁判に対する「政治的」立場をいったん脇に置いてこの書を読むとき、たびたび、えん罪事件が生み出されていく警察、裁判(司法)制度への重大な警告の書ともいえる。 
 
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読書35「ゼロの王国」(鹿島田真希)講談社

2009-09-22 06:32:37 | つぶやき
 二冊目の紹介。ちょっと奇妙な恋愛「譚」というべきか。彼女の信仰体験がベースにあって展開される、男女の風変わりな恋の物語。
 今までの宗教小説(例えば遠藤周作、三浦綾子、高橋たか子・・・)などとは、趣がとても異なる。自らの信仰告白にも似ていた作家、小説の書き手に対する批判的な視点がある。信仰への確信やその反対の懐疑が、個人的なものではなくて、他の人々との共同(生活)において確立していく、というような。
 教会での共同作業・奉仕活動などを通じて交流を持つ男女の込み入った関わり、それはまた、恋愛、愛情、結婚といったものがいかに希薄なものでしかないかを、実に屈折した文体で描いている。あくまでも、思春期の頃、教会での信仰体験を持ち、おそらくは、それを今は客観的に見つめている人間・女性の目からなのだが。
 主人公・吉田青年の奇妙な話はまだ続くらしい。そして、ワインなどやたらとお酒をけっこうたしなむ、登場人物のそれぞれの物語も。
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読書33「日本の路面電車Ⅱ廃止路線東日本編」(原口隆行)JTBキャンブックス

2009-09-21 21:51:35 | つぶやき
 これは、今興味を持っているジャンルの本。ずばり、路面電車の廃止路線を細かく歴史的に振り返ったもの。
 当時の車両や停車場付近のようすなど昔の写真が数多く掲載されている。まさに郷愁の世界。廃線好きは、この資料をもとに現地に出かけて現状を把握、さらにその痕跡を丁寧に調べる。幸運にも、その跡が見つかれば最高!
 実に奥の深い、時間の余裕とお金がないと、なかなか取り組めない「趣味」。でも、面白いですな、これが。ちょっとこの本の中で触手を動かしている場所があるのですが内緒にしておきます。「ろめん」電車は、「ろまん」電車に通じているのです。
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読書32「未見坂」(堀江敏幸)新潮社

2009-09-20 19:14:30 | つぶやき
 堀江敏幸。最近の短編小説を集めたもの。中でも、「滑走路へ」「トンネルのおじさん」は、少年が主人公。この方は、他の作品でも言えることでしょうが、家族のや地域の絆を大事にしつつ、そこに生活している「人々」に視点を置いた作品が、一つの流れとしてあるようです。
 特に、母親(あるいは父と別居している、または父と離婚話が進んでいる等の設定のもと)と少年。その少年を囲む人々(大人、子供、地域)の交流が描かれています。「滑走路へ」では、父不在の家庭の少年が、事故で体の自由がきかなくなった少年との交流が描かれます。航空写真を撮るためにはるか上空を飛んでくる飛行機の姿(それには、友人の父親が乗っている)に、思春期にさしかかり始めた不安定で落ち着かない、主人公の少年の心、姿をオーバーラップさせています。
 「トンネルのおじさん」では、多分、離婚の込み入った話し合いのために母の元から親戚に預けられた少年が描かれています。夏休みの宿題の工作で、森に分け入り、朽ちた大きな樹木の根っこを掘り出す、そのためにおじさんと山に向かった少年。長い時の流れとその中で失っていったもの、まだ失わずに残っているもの、人の営み、心に強く訴えるもの、そうした生の実感を、子供ながら感じ取る少年。
 おじさんとの会話の中からにじみ出てくる悲哀みたいものが作者の心遣いとして漂ってきます。
 表題の「未見坂」でもそういう名もなき人々の人生の一こまが描かれています。
微妙な人生の喜怒哀楽を端的に描く作家の一人です。 
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読書34「国道の謎」(松波成行)祥伝社

2009-09-19 22:05:10 | つぶやき
 「鉄道マニア」本、売り上げも安定して、隠れた読者もたくさん。そして、「廃線マニア」も、そこそこブームに。TVでも取り上げられることも。嵐山光三郎さんなんかもエッセイで書いていますが、「いよいよおたくも廃線ですか」って。
 人生、黄昏れてくると「郷愁の」(涙と感動の)廃線跡巡りが始まるのでしょうか。かつて、奈良に行ったとき、平城宮址の、礎石がところどころにあるだけの、ただただ何もない広場に立って、落ちる夕日を眺めたことがあました。ホントウに誰もいない!1300年前の廃墟でした。
 それからもう数十年、今や老年の域。下町に限っていた「廃線」「痕跡」探しもいよいよ全国版にしようかという心境です。
 そんな思いのときに見かけた本が、これ。
 筆者は、本職はケミカルエンジニアだそうですが、自他共に認める「国道愛好家」(いわゆる「国道男」、ただし、「国」は「酷」とも表記するらしい)。ライフワークとして「国道」を究める、と筆者の自己紹介にあります。扉の写真からして、マニア垂涎のポイント、本州最北にある「階段国道」ですから内容は推して知るべし。
 国道一号線。横浜付近の明治初年の写真。まだ横浜が港町そのものだったころの紹介から現在の「青木橋」付近のようす・・・。
 清水峠越えの国道、称して「点線国道」。これは途中から登山道になっていきます。余談ですが、ずいぶん昔、30年以上前に、この道を新潟県側から途中まで歩いたことがあります。当時は、その道が国道などとはまったく意識していませんでしたが。
 さらに、「海上国道」などその道特有の言葉があるようで、その名称にも興味を持ちました。
 静岡県の富士山の南側斜面に、「469」号があります。この道は、最近きちんと整備されて立派な道路になりました。御殿場から富士宮を抜けて清水のほうまで続く道です。
 ほんの少し前までは、農家の庭先を通るようなところもあって、びっくりしたことがあります。今でも、道路脇にかつての山道が所々に残っています。今度、手始めに写真を撮りに行こうかと思っています。
 
 
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138 城東電気軌道(東荒川~今井橋)東荒川跡

2009-09-15 20:43:13 | 鉄道遺跡
 都心からの首都高・小松川線が荒川を越える。荒川の左岸には外環状線が頭上高く通っている。その二つの路線をジョイントして、首都高の機能をより高めさせようとの計画が進んでいます。
 その接続地点が、かつての城東電車(都電)の終点だった東荒川停車場付近。地元住民への説明会も開催されて、いよいよ本格的な用地買収などの計画が進んでいくことに。
 この城東電車。1917(大正6)錦糸町~小松川間で開業。その後、支線として水神森~大島(のち洲崎まで開通)が完成。本線は今井までの予定が、荒川放水路の架橋がネックになって工事が進展せず、1925(大正14)年に荒川の東側部分として東荒川~今井が完成。1926(大正15)年になって小松川~西荒川(現在の首都高下の駐車場付近)が完成。荒川はバスが代行するという中途半端な路線になってしまいました。
 その後、経営基盤の弱さから、「東京乗合自動車」に吸収、その会社も「東京地下鉄道」(後の帝都営団地下鉄、現在の東京メトロ)に吸収されるなど幾多の経営会社の変遷があって、1942(昭和17)年、戦争が激しさを増す中で、東京市電気局に吸収されることになります。
 錦糸町~小松川は、25系統の一部に組み込まれ、東荒川~今井橋間は、26系統になりました。この26系統は、1952(昭和27)年5月に他の都電に先駆けるように廃止され、その日から上野~今井間のトロリーバスが運行を始めます。
 廃止された線路は主に宅地化され、ほとんど痕跡がなくなっていきます。一部水路を渡る際の鉄橋などは残っていましたが、それもなくなります。さらに首都高速道路の工事によって、終点の東荒川付近は大きく変貌していきました。ただ、終点付近にあった神社だけは、ほぼ当時のままの位置に残っています。
 写真は、その神社(上に見えるのが、首都高・小松川線の橋桁)。この辺りに、終点と車庫があったと思われます。
 知人の家が、この神社の東側、高速道路に沿った細い道の北側にあります。以前は、もう少し南側にあった(おそらく都電線路跡に建っていたか)のですが、首都高・小松川線の建設のために、今の場所に立ち退いたそうです。
 そして、今回も、新たな関係道路建設のために立ち退かざるをええない・・・。こうして、かつての街並みも大きく変化していくのでしょうか。
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読書31「黄金の猿」(鹿島田真希)文藝春秋社

2009-09-14 20:04:09 | つぶやき
 このところ、純文学系では、女性作家が元気なようです。日本文芸家協会が編纂した『2009文学』でも、掲載された短編小説の3分の2が女性作家でした。
 最近読んだ、鹿島田さんも元気な作家の一人です。「黄金の猿」三部作を中心に何編かまとめられています。
 私小説的な要素を感じさせる中で、肉体と精神の微妙なずれの中で感じる心身の疎外感。その中で、マグマのように蓄えられた性的な怨念、こだわり、諦観」みたいなものが、押さえきれずににじみ出てくる、というような印象を受けました。
 特に性的なコンプレックス(本来の用い方での)が、表象化されているところに、とても面白く、一気に読み終えました。
 1976年生まれ。略歴に「17歳、正教会信徒となる」とあるように、宗教体験に基づく作風が感じられます。(高橋たか子さんなどクリスチャンの女性作家も多いですが)
 川上弘美さんが一頃の独特のキレが失われて少し作風が変化して(センセイの鞄以来)ちょっと残念な中で、今後、期待できそうな作家の一人になりそうです。
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読書30「JR福知山線事故の本質」(山口栄一編著)NTT出版

2009-09-13 06:31:17 | つぶやき
 2009年7月8日、神戸地方検察庁は、当時の安全担当役員だった西日本旅客鉄道株式会社取締役社長山崎正夫を業務上過失致死傷罪で在宅起訴した。これを受けて、山崎は取締役社長を辞職する意向を表明した。
 起訴理由は、山崎が福知山線の東西線への乗り入れの線形改良工事の前年の函館本線の日本貨物鉄道の脱線事故を受けてこの事故の曲線半径の線形に注目して、当該区間にATS-Pを設置すれば事故が防げる趣旨の発言から、福知山線の線形付替に危険性を認識していた事を理由としている。
 
 2009年8月21日、JR福知山線脱線事故の20遺族35人が、神戸地検が容疑不十分で不起訴としたJR西日本の井手正敬・元相談役(74)▽南谷昌二郎顧問(68)▽垣内剛顧問(65)の社長経験者3人の業務上過失致死傷罪での起訴を求め、神戸第1検察審査会に審査を申し立てた。5月の検察審査会法改正で、検審が起訴相当と判断すれば地検は再捜査し、不起訴とするか原則3カ月以内に起訴しなければ、検審が改めて審査する。再び起訴すべきだと判断すれば、3人は自動的に起訴される。
 井手元相談役は、同罪で1人だけ起訴された山崎正夫社長(66)が安全対策を統括する常務鉄道本部長だった時に社長と会長を務め、南谷顧問は事故当時の会長、垣内顧問は社長。
 申立書によると▽3人は、ブレーキ操作の遅れなど人為的なミスが多発し事故につながるとの予見可能性があったのに、自動列車停止装置を事故現場に設置しなかった▽事故現場をJR西管内でトップレベルの急カーブに付け替えたのに、ダイヤの過密化、高速化を進め、安全措置を講じなかった--と指摘。「(山崎社長ら)部下に責務を丸投げして免責される立場にない。安全対策の根幹にかかわる重要な部分は厳正な監督責任がある」としている。
 JR西日本は「あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、心から深くおわび申し上げます。検察審査会への申し立ては真摯(しんし)に受け止めてまいりたい」とのコメントを発表した。
 
 2005(平成17)年4月25日午前9時18分頃、JR西日本・福知山線尼崎駅 - 塚口駅間で発生し、107名の死者を出した列車脱線(転覆)事故。 
 事故の犠牲者は、死者107名(当該電車運転士含む)、負傷者562名を出す未曾有の大惨事となった。犠牲者の多くは1両目か2両目の乗客。
 死者数において、JR発足後としては、1991(平成3)年、信楽高原鉄道列車衝突事故(死者42名)を抜いて過去最大となり、旧国鉄時代含めて、戦後4番目。事故では負傷しなかった同列車の乗客やマンション住人、救助作業に参加した周辺住民なども心的外傷後ストレス障害を発症するなど大きな影響を及ぼした。
 また、1両目、2両目の電車が突っ込んだ、マンションには47世帯が居住していた。
 この本は、その事故の本質と「企業の社会的責任を科学から捉える」との副題を付した内容を持つ。
 事故の原因を運転手とその人事管理システム、JRとなった会社の経営方針に目を向ける報道姿勢に対して、事故現場の詳しい分析から、スピード超過によるカーブ脱線事故ではなく、カーブ構造の持つ速度限界に目を向け、「列車転覆」事故であることを実証的に明らかにしようとした。
 さらに、まさに奇跡的に一命を取り留めた、若い女性被害者の手記を通して、当時の被害のすさまじい状況とその後の度重なる手術、リハビリなど、厳しい社会復帰への歩みを希望を失うことなく闘っている姿を描いている。
 その中で、会社側の不誠実な対応なども記しながら、会社の社会的責任のあり方を追求している。その中で、被害者に対する社会的使命感を込めて被害者への補償を行い、事故後の生活や仕事、通院での不利益に苦しむ被害者の一人ひとりの生活の質(QOL)を最大限高められるような個別的・具体的な手だてを尽くすこと。 また、企業として、チーフ・サイエンス・オフィサー(CSO)を経営チームのの一員として設置する、すなわち安全管理の達成に向けて、会社組織の中での科学者の責任と任務を会社ぐるみで確立していくこと、科学的思考能力を会社のすみずみにゆきわたらせることを提言している。
 筆者は、日本における科学・技術・イノベーションの連鎖システムの枠組みを主に実践的に研究、提案してる方。興味深く、示唆に富んだ内容であった。
 
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読書29「ニッポン『もの物語』」(夏目幸明)講談社

2009-09-12 20:41:44 | つぶやき
 物書き。人が書かないものを書いて当たる、これはたいしたもの。発想の新鮮さというか、目の付け所から始まり、内容も読者のつぼに見事にはまる、売れる!
 一方、今まで他の人が書いたに違いない、ある種の陳腐と見なされていることがある。別のいい方をすれば、そんなことわざわざ調べて書かないだろう、そこに書き手の触手が動き、あとは行動あるのみ。
 それもコンセプトが肝心、ただ誰もが納得することを書くだけではなく、へ!と目から鱗の内容があれば、鬼に金棒、となる。
 特に本の装丁、インパクトがある書名とデザイン・・・。ちょっと今回は、負けました!つい最後まで面白く読んでしまった!
 日本の企業の原動力、模倣と発明と改良・・・。大企業から中小企業までの日本の工業力の底力、世界に雄飛する日本企業の、従業員の、並々ならぬ努力に敬意を表しつつ・・・。 
 その思想。「ものづくり」ニッポンの企業人たち。そこに焦点を合わせ、取材した成果がここにある。少しその浅い質疑応答・感想ではあったが。
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読書28「おはよう、水晶―おやすみ、水晶」(笙野頼子)筑摩書房

2009-09-11 21:31:24 | 読書無限
 ついこの前まで、笙野頼子さんの小説・随想にはけっこうはまりまして、去年の末から今年の初めにかけて、近所の何カ所かの図書館を巡って借りてほとんど読みました。最近の作品はともかく、初期のものはすでに再版されていないものが多かったせいもありまして。
 何しろ猫好きがたまりません。家にも二匹老猫がいまして、年のせいか最近、腎臓に不安があって医者がよいをしていました。
 何とか持ちこたえていますが、神社の境内の下でミーミー泣いていた、生まれたばかりの猫たちを息子が持ってきて、かれこれ14年。笙野さんの文章のように一喜一憂しながら家族の一員として過ごしています。
 もちろん、笙野さんの本質は純文学者ですから、こちらも本来の小説の読者ではありますが、猫への愛情というか、関わりというか、死んだ猫への痛切な思いなど実に辛い話で、こちらもつい感情移入してしまうことがたびたび。
 住まいがS倉市、印旛沼の近くということで、そこにも親近感がありますね。
 それもこれも、私生活すべてをかけての真っ向勝負の作家という感じがしているので。近代日本文学のうちでも、伝統的な「純文学」作家と思います。
 それでも、そんじょそこらの作家と違うのは、私的レベルと公的レベルという棲み分けを、けっしてに棲み分けない、きれい事の世界、オブラートに包まれた(包まなくてはならないとされる)世界を一刀両断にしていくという、情念(敵対者によっては「怨念」)に貫かれていることです。あくまでもS倉を根拠地としながら打って出る姿勢がいいですね。(この方は、一「所」懸命のDNAも持っているのではないか。ここでいう「所」は住まい、家族、故郷、容姿・・・など依って立つ地点・基盤の意味ですが。)
 御年53歳になりますか、これまで自分で自分を深く規定していた「容姿」「性情」「信念」(そこから生まれる衝動)から、ただの普通のおばさん化した「容姿」「心情」になりつつあって、情念も一段と深化(?)してきて、悟りの境地にまであとわずかなのでしょうか。 
 結局のところ、本来の彼女の勝負場所、小説の読者ではなさそうです。それは実に申し訳ないことですが、一方で、オーソリティである「文壇」界(方々)への果敢な挑戦、挑発、舌鋒の鋭さ、切れがなくなってきているのが残念など、という不謹慎な感想を持っています。
 「だいにっぽん、おんたこめいわく史」などの三部作は、実にわくわくしながら楽しく読むことが出来ました(この楽しくとは興味深くということですが)。あの切れ味の復活を望みます。
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