おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

400㍍を超えたスカイツリー

2010-07-30 21:15:54 | つぶやき
 昨日は一日。今日も午前中は強い雨。昼近くなってやっと雨も上がりました。とたんに暑い夏が戻ってきました。人間って贅沢な動物です。せっかく30度を下回ってもむしむししていて、不快指数も高い。晴れたら晴れたで、暑い暑い!
 ところで、スカイツリー。400㍍の大台に乗ったようです。第一展望台の工事にかかっていたせいで、上には伸びなかったとか。いよいよ高くなって広角レンズのカメラでないと全景は無理なようです。撮影スポットの北十間川の逆さツリーもすでにツリーの先端は入らなくなったようです。
 写真は、駒形橋からのもの。隅田川を水上バスが進んでいます。明日は、隅田川の花火大会です。準備も着々、次第に盛り上がってきています。
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KID-O-KID in SUNAMO

2010-07-29 20:13:18 | つぶやき
 孫。夏休みに入って、幼稚園も休み。暇をもてあまして、じいさん・ばあさんのところへやってくる。
 今日・木曜日の天気。昨日まで何日も続いた猛暑がまるで嘘みたいな雨風。気温も25度ほど、かえって、涼しいくらい。
 孫の世話もこの天気じゃ、プールにも行けない、公園も無理。家にいてもビデオ、さもなければ、Wiiスポーツくらい、それにも飽きて・・・。
 そこで、以前行ったことのあるSUNAMOへ車に乗せて出かけた。その間、ばあさんは家で少しはゆっくりとさせたい。このSUNAMO。南砂町駅近くにできた、ショッピング・モールの愛称。DOCOMOにあやかったのか、PASUMOにあやかったのか、ま、おもしろいネーミングではある。休み、さらに雨で、子供連れが目立つ。
 そこにある「KID-O-KID」インドアプレイグランド、というコンセプト。ちょっと待たされて、入場。費用は30分600円(会員は500円)大人は300円。延長は10分ごと100円。
 中にはいると、にぎやかにぎやか。よちよち歩きから小学校1,2年生あたりが飛び回っている。
 様々なかたちをしたソフトブロックでトンネルをつくってくぐったり、青いボールを一杯敷き詰めたプール(海に見立てた)に飛び込んで埋もれたり、サイバーホイールと名付けられた、大きな球体に入ってぐるぐる回ったり、エアトラックでピョンピョン跳んだり走ったり、クッションのよく利いたエアキャッスルという空間で走ったり転んだり、シャボン玉に興じたり、と、ま、次々と場所を移しては楽しんでいる。
 親たちは、参加する者も、遠目で眺めている者もいて、一緒に来た母親同士しゃべっていたり、適当にくつろいでいる者も。係の女性もいて、目配りはしているようで、道具の取り合いやぶつかり合い、けんかなどもなさそう。ま、安全できちんとした管理下での子供の遊び場、という感じ。
 空調も効いて、動いていても汗もそれほどかかず、炎天下では考えられないような運動量になっている。そのあたりが、この施設の狙いか。
 夢中になってかけずり回り、あっという間に時間が経って、1時間30分。料金を精算して場外に・・・。ポテトフライとジュースを飲んで、ついでに、コインゲームをちょっとやって、帰宅。途中から車の中で、孫は寝てしまった。こうして半日が終わった。
 やれやれ!
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玉川上水・新宿駅南口付近

2010-07-27 21:58:51 | 歴史・痕跡
 玉川上水は多摩川の羽村取水場から延々四谷大木戸まで運ばれた。その標高差はわずか100㍍。掘削にかけた玉川兄弟の苦労が偲ばれる。幕府から玉川兄弟に工事実施の命が下ったのは1653年の正月で、着工が同年4月、四谷大木戸までの本線開通が11月15日とされるが、1653年2月10日着工、翌年8月2日本線開通とする史料もある。いずれにせよ、6ヶ月ほどで完成させたことになり、いかに突貫工事であったがわかる。
 羽村から五日市街道、甲州街道沿いに進む流れは、淀橋浄水場がまだ活躍していた頃まで、その当時のままに流れていた。新宿駅以東では、玉川上水の面影は再び途絶えるように見えるが、流路は地下に保全されている。1986年の清流復活事業に際し行われた東京都の通水試験では終点の四谷大木戸まで通水可能であった、という。実に見事な大工事技術であった。今でも、終点に近い新宿御苑付近では、旧上水は御苑北縁の道路下に埋設されていて、大雨時などの下水越流時には千駄ヶ谷幹線(穏田川)へ連なる排水路として利用されている。
  地上には現在、新宿区による「玉川上水を偲ぶ流れ」(玉川上水・内藤新宿分水散歩道)の整備が進められている。
 玉川上水の終点である旧四谷大木戸地点(新宿4丁目交差点)には、東京都水道局新宿営業所があり、傍らに「水道碑記」(すいどうのいしぶみのき)が建てられている。 往時、ここに水番所があり、ここから先は埋設された石樋・木樋を通して江戸市中各地へと配水していた。
 写真は、甲州街道脇にある新宿高校に保存されている「石樋」。これは、玉川上水の流れに雨水などの汚水が流れ込まないよう、上水の上を渡してあった。ここから低地である天龍寺(明治通り沿い)側へ落としていった。かなり大きなしっかりした石造りである。
 この辺りから東側、甲州街道沿いが「内藤新宿」となる。画面左手が甲州街道。
説明板側からみたところ。
現在の天龍寺。明治通りからみたところ。
新宿駅南口方向。
かつての京王電鉄の新宿駅跡。現在、京王追分ビル。JR線を越えてここまで来ていた。

 
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オクラの花

2010-07-26 20:35:30 | つぶやき
 あちこちで激しい雷雨の予報が出ています。東京地方は、雷の音は聞こえてきても雨はぱらつくばかり。かえって蒸し暑くなってしまいます。ちょっと外出しただけでも汗が噴き出します。この天気、いつまで続くのでしょうか。
 この炎天下、植物もぐったりしています。中には、朝方大きな花を咲かせ、大ぶりの緑が濃い葉っぱ。そして、すくっと立った実。オクラは元気な方です。
 オクラ。黄色に中央が赤茶色の大きな花をつけます。開花は夜から早朝にかけて。昼にはしぼんでしまいます。開花後、先の尖った実をつけます。10㌢くらいになりますか、表面に短毛が生えています。
 原産地は、アフリカ北東部(エチオピア?)で、熱帯から温帯で栽培。エジプトでは、紀元前元年頃にはすでに栽培されていた、といいます。アメリカには、西アフリカから移住させられた奴隷によって栽培が始まり、現在でもアメリカ合衆国南部、西インド諸島、ブラジル北部など、アフリカ系住民の多い地域でよく栽培されているとのことです。
 オクラは、刻んだ時にぬめぬめした粘り気が出ますが、この粘り気の正体は、ペクチン、アラピン、ガラクタンという食物繊維で、コレステロールを減らす効果をもっているとのこと。他の栄養素としては、ビタミンA、B1、B2、C、ミネラル、カルシウム、カリウムなどが含まれるため、夏ばて防止、便秘・下痢に効く腸整作用などが期待できる、と。
 我が家では、軽くゆでて刻み、シラスなどをまぶして、ご飯にかけて食べることが多い。たまには天ぷらにしても独特の歯ごたえがあって、美味です。
 写真は、オクラの花。その脇に見えるのが実。
ついでに、ピーマン。
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「朝日」の記事のスタンスは?貴乃花関連記事の読み方

2010-07-25 22:56:47 | つぶやき
 その1
 調査委は、貴乃花親方(37)=元横綱=が愛媛県や神戸市で山口組系の暴力団関係者と会食したりイベントで同席したりした、などと報道されたことについて、「暴力団員と交際している事実は一切認められない」との見解を発表した。
 その2(「しかし、・・・」という書き出しが適切)
 貴乃花親方が地元の和食レストランやスナックで会食した場に、地元の山口組系暴力団会長が同席していたことは、愛媛県警の関係者が確認している。23日、改めて取材したが、県警関係者は見方を変えていない。また、地元の関係者も朝日新聞の報道前の取材に対し、レストランに暴力団会長がいた、と証言していた。会長の関係者が経営する近くのスナックに行ったという。
 さらに、貴乃花親方が2008年夏に神戸市内であった地域イベントに出席した際、別の山口組系暴力団の幹部と同席していたことも、兵庫県警の関係者が確認していた。愛媛県での同席問題が16日に報じられた直後、朝日新聞の取材で認めた。この幹部の所属する暴力団は、愛媛県の会食で同席した会長の暴力団の上部組織にあたる。
 
 同じ記事の中での2箇所の表現。初めに調査委員会の報告内容を記者会見の取材として載せ、その後に、朝日としての(独自の)取材記事を載せて、調査委員会の見解を否定する(疑問視する)記事にしてある(印象)。普通の文章構成からみれば、当然、調査委の報告内容はおかしい!という主張である。それをあたかも客観的な記事の如くに装いながら、警察関係者の発言を元にして、自分たちの報道の方が正しい、ということ立場で紙面を構成しているのだ。
 それでいて、ひたすら「警察関係者」をニュースソースにしている。「愛媛県警の関係者が確認」「23日、改めて取材したが、県警関係者は見方を変えていない。」「県警関係者によると」という具合。(この「警察関係者」というあいまいな表現は、報道機関の常套的表現だが、関係者とは、一体誰なのだ? 検察官でもない。まさか近所の交番の警察官のはずもない。警察記者クラブに対して、警察幹部が提供した話題であるにちがいない。)
 一箇所だけ、「地元の関係者も朝日新聞の報道前の取材に対し、レストランに暴力団会長がいた、と証言していた。」というかたちで、警察関係者以外の取材記事を書いているが、「朝日新聞の報道前の取材に対して」「証言していた」と巧妙に過去形にして言い逃れできるような表現がある。
 それも、「レストランに暴力団会長がいた」ということであって、「貴乃花と同席していた」とはなっていない! また「会長の関係者が経営する近くのスナックに行った」となっていて、「同席していた」となっていない!
 そもそも「報道」「同席したと報道された」という表現も、もともとは、時事通信社の配信が元ネタ。どこの報道記事も、異口同音に「警察関係者」から聞いた話という形式になって、警察情報を公にした(警察が公にした)ことがまず先にあり、それを受けて、ほぼ一斉に各報道機関がほぼ同じような内容を報道したことが分かる。きちんと裏付け取材した形跡もない。(唯一、朝日だけは、貴乃花自身にインタビューし、それを記事にしている。)けっして朝日新聞の報道が先行したわけではない。  
 調査委員会も、愛媛県の現地に直接出向き、複数の関係者からも事情を聴いたが、愛媛県警からは聴いていない。これも、どうもいい加減。さもなければ、警察が聴取に応じなかったのか。一方では、警察関係者から「貴乃花親方が暴力団と交際しているとは認識していない」との回答を得た、という。
 また報道ではあいまいに表現していた「スナック」が、実は会長の長男の妻が経営、会長の組事務所から約20メートルの近距離にある点は確認できた、として、これが読者に公表された新事実。
 さて、この問題。
①貴乃花は暴力団と同席した。→同席していなかった。
②貴乃花は暴力団と認識していた。→認識していなかった。
 この2点がポイント。以下は、報道内容から類推。
③貴乃花は暴力団と認識して、同席した。→認識していなかったし、同席もしていなかった。
④貴乃花は暴力団と認識せず、同席していた。→認識して、同席しなかった。
⑤貴乃花は暴力団と認識して、同席していなかった。→認識せず、同席していた。
 結論は、④。⑤の→の方ではなかったか?(どちらも同じ結果となるが)
 さらには、
⑥暴力団はレストランにはいたが、貴乃花のグループとは別の場所にいた。次に行ったスナックは、暴力団の身内が経営していて、店長もしくは経営者としてそのスナックにいた(貴乃花と同じグループの中ではなくて、これらはありうること)。
⑦いずれも、同じ場所にはいたが、貴乃花は知らなかった。「面識がない」との貴乃花の発言からも分かる。もちろん、どちらの場所でも、貴乃花と一緒に行った回りの人々は、その暴力団の存在を認識していた。
 ここまでくると、警察関係者も、貴乃花も、調査委員会も、かなり見解は一致してくる。
 調査委員会の結論にある、「暴力団員と交際している事実は一切認められない」ということと「警察関係者から『貴乃花親方が暴力団と交際しているとは認識していない』との回答を得た」という2点が、それを意味している。警察も傷つかず、貴乃花も傷つかず、調査委員会も面目を保つことができた。
 結局、警察情報に乗ってしまって、これを機会にいよいよ「反貴乃花」「反相撲協会」のキャンペーンを大々的に展開しようとした朝日だけが恥をかいた感じだが、今のところは。
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百日紅と土用の丑の日

2010-07-24 20:13:47 | つぶやき
 土用丑の日もまもなく。今年は、26日(月)ひのとうし。この日に、鰻を食べるという風習がある。この由来としては、平賀源内が発案したという説が最もよく知られている。
 商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため、源内の所に相談に行った。源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。すると、物知りとして有名な源内の言うことならということで、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという。
 「う」(し)に「う」(なぎ)をかけただけでこれだけヒットするとは驚き。
 しかし、1000年以上前に、
 
 石麻呂に 吾もの申す 夏やせに よしと云ふものぞ うなぎ取り召せ

 という歌が万葉集に残されている。作者は、かの有名な大伴家持。ここに出て来る石麻呂さん、とても痩せていていつもからかわれている。特に、夏は目立ったのだろう。こうして現代の我々にまで名前が残された・・・。暑い時期を乗り切る栄養をつけるために、という風習があったようだ。
 物知りの平賀源内、これを知らないわけがない。実に見事な着想であった。
 鰻にはビタミンA、ビタミンB類が豊富に含まれているため、夏バテ、食欲減退防止の効果が期待できる。夏の時期に鰻を食べるのは、理に適った習慣であるともいえる。しかし、ウナギの旬は、身に養分を貯える晩秋から初冬にかけての時期で、秋から春に比べても夏のものは味がおちる。そこがまた平賀源内と鰻屋のみごとなマッチングではあった。
 土用丑の日に、鰻を食するという習慣の起源にはいろいろあるらしいが。
 例えば、やはり鰻屋に相談をもちかけられた太田蜀山人が、「丑の日に鰻を食べると薬になる」という内容の狂歌をキャッチコピーとして考え出したという話。また、平仮名で墨汁を使って毛筆で書いた「うし」と言う文字が、まるで二匹の鰻のように見えたから、という説、等々。
 我が家もこの習慣には勝てず、早々と鰻を食べた。近所の鰻屋さん、おいしいとの評判でちょっと前に注文したらこれが実に美味であった。(その翌日、九州に出かけ、たまたま鰻屋さんに誘われ、食べた。何とか産という日本産であったが、どうもおいしくなかった。なおさら近所の鰻屋の味の良さを改めて実感)こうして、ちょっと早めの鰻重を家族揃って食べた。またおいしかった。
 さて、その鰻屋さんの近くの街路樹は、さるすべり。紅とか白っぽい花を、枝が折れんばかりに咲かせている。「百日紅」と書くように、けっこう日持ちのする花で、炎天下の暑い日差しの中で咲き誇っている。これが咲くとたしかに夏一番という雰囲気になる。
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大暑の時期はおろおろ歩き・・・

2010-07-23 23:41:36 | つぶやき
 やっと長い暑い一日が終わろうとしています。息子が彼女を連れてきて結婚します!
 そんな挨拶がありました。今日は「大暑」で「大安」。そういうひどりだったのですね。
食事をして話をしてお互いちょっと気まずい雰囲気で、かといって緊張してもいられず、ついつまらない冗談を言って、相手を(彼女のご両親を)気遣いながら、少し飲んで本人は酔っぱらって何となく暇乞い。下ではまだ片付けものをしています。
 今日の日めくり。「夏は日向を歩き、冬は日影を歩く」ってどういうことでしょうか。この猛暑、年寄りは日影を求めて歩くしかないのですが。
 若いカップル。日向も日影も共に歩くしかないのですね。長い人生に生まれる、さまざまな辛いこと、悲しいこと、それぞれをしっかり受け止めて、できたら末永く仲よく歩いて下さい。
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初めての玉川上水

2010-07-22 21:52:22 | 歴史・痕跡
 たまたま国分寺まで用事ができて、ついでに玉川上水を、と。国分寺から西武線に乗り変えて、「鷹の台」駅で下車して、それから「一橋学園」駅までの玉川上水のほとりを歩きました。一歩出ると炎天下の中、けれども、こんもり茂った林に覆われて、静かな散歩道でした。アスファルト道路の照り返しなど、嘘みたいな世界。
 行き交う人もまばらで、気持ちのよい道筋でした。暑い日差しを避けてこうして歩くのも楽しいものです。ここを抜けた後のかんかん照りは、かなり辛いものがありましたが。
 玉川上水(たまがわじょうすい)。かつて江戸市中へ飲料水を供給していた上水。羽村から四谷まで高低差はわずか100㍍。これを掘削したのですから、並大抵の工事ではなかったようです。
 これより上流の小平監視所から、かつては、多量の水が新宿区の淀橋浄水場まで送られていましたが、1965(昭和40)年、浄水場の廃止とともに、送水を停止、それ以降は、水道施設としての利用はなくなり、長い間「空堀」の状態でした。
 現在は、東京都の清流復活事業に従って処理水を流しています。左側に流れている細い流れ(新堀用水)は、多摩川の流れがそのまま流れている、とのこと。
 そうした経過がありますが、この上水道は、古くからの樹木がよく茂り、豊かな木立に覆われている箇所が多くあって、とても長い区間が緑道としてしっかりと保存されています。
 この夏ですから、汗をかきかき、それでも少し爽快な気分で歩いてきました。
小川水視所跡
木漏れ日の中の上水
思ったより谷深い感じ。流れも速い。
津田塾大。創立者・津田梅子さん。
由緒ありそうな建物。大学構内にあった。
平櫛田中彫刻美術館 
学園駅近く。
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暑~い、暑~い。この暑さは

2010-07-21 21:48:09 | つぶやき
 実に暑いですね、この夏は。午前中に自転車で(これ自体が、無謀に近い!)ちょっと近所まで出かけました。いつもは短パン、Tシャツ。一応半袖シャツを着てズボンをはいて、もうそれだけで暑くなってきて、自転車に乗ってさっそうというわけにもいかず、汗をかきかき、行ってきました。先方はクーラーがきいて、ひんやりとするほど。ホッと一息。
 さて、用事を済ませて、昼過ぎ、また自転車に乗って・・・、もう参った、参った。なまじっか涼しいところにいたせいで、暑さが毛穴から奥深く突き刺さってくる。汗が噴き出すひまもないほど。
 沖縄ではこの時期、仕事にあくせくせず、木陰で涼むのがいいらしい。東京ではそうもいかず、皆さん、この炎天下、気息奄々としながら外出して、用事を済ますしかありません。
 さて、我が家のゴーヤ。すっかり夏の暑さになじんで、青々と茂って、しっかり実もつけています。ここ何年か、最近、西日の強い窓側によしず代わりに植えていて、適度な日陰を作ってくれます。近所でも植えている方もいて、通る人の眼を楽しませています。
 さすがにこの猛暑、葉っぱもぐったりして、日が落ちるのを待っているようです。日が影ってきてから水をまくと、葉っぱもしゃっきとして、生き返って青さが増してきます。
 収穫してゴーヤチャンプルでも食べましょうか。夏ばて防止にもいいようです、あの苦さがたまりません。
 
これは、表側から見たところ、けっこう茂っています。 
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読書111「東京の1万年を歩く」東京古里会編・著(学習研究社)

2010-07-20 22:08:49 | つぶやき
 またまた趣味の世界。古代から近代(「野川の上中流域に残る原始・古代の遺跡」~「2・26事件」)まで、東京の、今に残る歴史探訪記。八王子市から足立区まで都内の地域を17項目に分けて紹介しています。どういう基準で選んだのか今ひとつ不明なところもありますが、源頼朝、太田道灌、武田信玄、赤穂浪士、新撰組、彰義隊など登場人物も、関東・東京にちなんだ人々。実際に歩いた順路や時間などの詳しい行程表も載せてあり、さらに当時のようすをイラストで表現したり、と工夫されている。
 発刊が2年前にもかかわらず、載せられた写真などから見ても、現時点ではすでに現地のようすが変わっている場所もあり、都会の激しい変化が知れる。一方で、史跡保存を積極的に行っている自治体も増えて(ちょっと手遅れの感もあるが)、自然の景観保存や復活なども多くなっている。そういう意味では、歩いて見てみるのも、一興。
 ただし、今日この頃の東京地方の猛暑では、熱中症の方が心配。涼しさが戻ってくる秋がよろしいようで。短くて2時間、長いと4時間以上のコースもありますので。
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新型スカイライナーで成田空港まで行ってみようかな、でも・・・

2010-07-19 23:35:40 | つぶやき
 7月17日、京成、北総線沿線は、お祭り気分。なにしろ山本寛斎デザインの新型スカイライナーが日暮里~成田空港を36分で結ぶ。そのお披露目の日。その名も、スカイアクセス。
 時速160㌔は、私鉄では最高速度。でも、京成電車。日暮里付近、町屋付近、青砥付近では、急カーブの連続、さすが最近はしもた屋の軒先をかすめるように走る箇所もなくなって・・・。高砂を過ぎると、高架線になって、直線がぐんと増えるが・・・。
 だから、車体の長さも、たぶんJRなどの車両に比べると、短い(乗降扉が3つしかない!)。それなりのスピードで走ったら、左右上下に揺れて、たぶん目が回る。そのあたりは、かなり改善されて乗り心地は、まあまあよくなったらしい。最高速度160㌔、新しく敷設され、直線が続く路線(印旛日医大前~成田空港)で出すらしい。(唯一の途中駅「成田湯川」という駅名は、地元密着の駅名?)
 それにしても、今までの北総線。近郊電車の中でも一・二を争うほど運賃が高く、また思うように沿線の開発が進まない。「千葉ニュータウン」という大開発地域だが、初期の頃と大して変わらないたたずまいが続く。これまでの終点が、私大医学部の付属病院名。これで、いよいよ沿線開発も進む、という目論見。運賃も少し下げた設定になった(そのための公費による資金援助は、白井市議会では反対!)。
 (生来の皮肉屋の小生)ホントウに成田アクセスで大きく変わるのか。京成電鉄が社運をかけた大勝負に出たことは認めるが・・・。なにしろ、売り上げの多くは、この新路線をあてにしているらしい。
 でも、日暮里駅の改装工事は何だったの?成田空港行きのスカイライナー優先のため、在来線とスカイライナーのホームのつくりが違いすぎ!だいたい下り線の線路は一本なのに両側にホームがある。向こうはスカイ専用。こちらは在来線専用。電車の進入は、どちらのホームからもアナウンスが・・・。もちろん、スカイライナーかどうかは、見ればすぐ分かるが。
 向こうは、ゆったりした待合室に、ホームの幅も広い感じ。こちらは階段スペースやエレベータスペースがホームに食い込んで、実に手狭な印象。整列乗車などできるわけがないほど、いつも混み合って、ホームから落ちそうなほどの状態で、電車を待つ。そして来る電車は、スカイ・・・。警笛アナウンスは声高に電車の進入を伝える。もちろん、乗車はできない。やっと来た電車は、古い、汚い、狭い・・・。ああ!スカイライナー様のお通りだい!
 
 ところで、こんな記事が朝日に。  

 他の一方で、東京都の羽田空港は10月に新滑走路が完成して発着枠が33万回になり、将来は40万回まで増える。このため、国土交通省は両空港間を行き来する乗客が増えるとみて、成田―羽田間を50分台で結ぶ鉄道路線を計画している。
 京成はすでに、都営浅草線と京急線を経由して両空港を結んでいるが、スカイアクセス開業で約20分短縮しても最速103分にとどまる。このため、国交省は都営浅草線の押上(墨田区)―泉岳寺(港区)間に「バイパス新線」を造り、東京駅近くに新駅を置くルートを候補として決定。実現すると新駅から成田まで37分、羽田まで22分になる。

 その新線の運営主体が京成ならまだいいが、そうでなければ、京成の投資分は回収できるの? そして、そうなったら、荒川区に位置する「京成日暮里駅」は、かつてのように、東京北東部の下町への乗換駅として、さびれてしまうにちがいない。ま、余計な心配。
 かつて、中国の文学者・魯迅が医学の勉強のために仙台に旅立つ列車の中、この「日暮里」という駅を過ぎるとき、その駅名のイメージから、激しい郷愁にかられた話しを残しているが、今度は、東にある「成田空港」に、さらには世界に向かって開けていくことにつながれば、駅名も、また、よしだが。
 これは、余談。かつてJRでの英語の車内放送。「日暮里」については、どう聞いても、「ニポリ」としか聞こえなかった。おいおい、「nipori」はないでしょうと思っていたら、最近は、「ニッポリ」とはっきり聞こえる。「NIPPORI」が、自然。全体的に車内の英語放送、駅名に関しては日本語の発音通りになっているようだ。
 さて、それでは、孫でも連れて日暮里から成田空港へとスカイライナーに乗ってみようか、と、ここは本気で考えている。
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トマトは野菜かフルーツか

2010-07-18 09:46:31 | つぶやき
 今朝の朝日「天声人語」。孫引きですが、昔アメリカでトマトはフルーツか野菜かの論争があったそうです。関税をかけるかどうかに係わるので、それなりの論争が。結論は、「野菜」その理由は、デザートにならないから。
 なるほど。キュウリは、スイカは、タマネギは、ジャガイモ、メロンは・・・。葉物は一応野菜系だと思いますが・・。
 昨晩、「ワタミ」で飲みました。ビールを飲んで酎ハイを飲んで、適当につまみを頼んで、暑かったのでゴーヤチャンプルなどの沖縄料理なども頼みました。気心が知れた連中とおしゃべりをして、ほろ酔い気分でご帰宅。
 そのとき、店の宣伝文句にひかれて、トウモロコシを頼みました。メロンくらいの糖度があって甘い! 表面はほんのり焦げ目がついていて、トウモロコシの普通の食し方。
 でも、一かじりしたら、たしかに口の中いっぱいに甘さが・・・。どうも辛党にはちょっと違和感が・・・、でもデザートみたいに食べたら、とてもいい感じです。こうなると、この種のトウモロコシは果物になるのでしょうか。最近は、甘さを売り物の野菜もあるようです。カボチャでも、カボチャ祭りの頃には、ファミレスでもデザートのようにしてメニューにしていますし・・・。野菜か果物かは、けっこう甘さが決め手なのでしょうね。
 さて、我が家の庭のミニトマト。しっかり実りのシーズンを迎えました。朝から強烈な太陽の中、その赤さがまた光ります。つまんで食べました。けっこうフルーツ「的」です。
別の種類の黄色いトマト 
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警察発表を鵜呑みにした結果・・・

2010-07-16 21:05:33 | つぶやき
貴乃花親方、暴力団関係者と同席 愛媛で、交際は否定(共同通信) - goo ニュース
 このニュース。「相撲の貴乃花親方(37)=元横綱貴乃花、本名花田光司=が6月、新弟子の勧誘のため愛媛県愛南町を訪れ保護者らと会食などをした際、地元の暴力団関係者が同席していたことが16日、県警への取材で分かった。」(産経の第一報)
 この記事は、朝日の夕刊でも「・・・県警への取材で分かった。」と表現しながらも、その後で詳細に報道し、貴乃花親方へのインタビューも載せて親方が真っ向から否定していることも記事にしています。
 産経もその後になって、「報道陣に対して」と前置きをして、

 貴乃花親方はこう暴力団関係者との同席自体を完全に否定した。貴乃花親方によると、小学生時代から縁のある中学3年生の選手を勧誘に訪問。その父母とのつきあいで、14~15人ほどと会食したという。

というようにニュアンスに変化が生じています。

 貴乃花親方は名古屋場所が開催されている愛知県体育館で報道陣に対し、「暴力団との付き合い、面識は一切ありません」と暴力団関係者との個人的な交際を否定した。
 16日朝、その会食の席に暴力団関係者がいたのではないかと取材を受けた貴乃花親方は、すぐに父母に電話をして確認。そうした人物はいなかったとの返答を得た。
 
ここまで来ると、最初の報道は何であったのか?
まさにマッチポンプ的でしかありません。さもなければ、ガセネタを警察からガセネタをつかまされ、そのまま検証もせずに記事にしたのか?
 または、どこからか報道への強い圧力がかかったのか? 
 某親方の野球賭博疑惑記事を載せた週刊新潮の記事が訴えられる可能性が出てきたためにあわてて修正の方向をとったのか?
 実に何とも不可解なお話しです。たぶん、警察は貴乃花問題では、情報を小出しに出してくるでしょう。それにマスコミも飛びついて・・・。
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昨日は昨日、今日は今日

2010-07-14 20:31:43 | つぶやき
 昨日のトイレの日めくりは「昨日は昨日、今日は今日」。
 「闘い済んで日が暮れて」ならぬ「夜が明けて」、政治情勢も刻々と変化。ねじれ現象をどうにか(自分たちの有利なように)しなければ、と多数派工作。議長選挙では、野党統一候補を立てるべく、そして政局のイニシアチブと取らんと、「みんな」の渡辺さん、議席獲得の勢いで、声高に「アジェンダ」「アジェンダ」と叫び回るも、自民党をはじめ他はちょっと引き気味。
 対する民主党。惨敗の責任をとって「菅さん退陣、幹事長交代」の声は上げても、今のところ大声にはならず、小沢さんも、黙り。
 このまま9月党首選まで議論・対立は持ち越しそう。そのあいだにも、「みんな」や「公明」に誘いの声を掛けている。閣僚の座をひきかえにして誘ったら、それでも「NO」といえる気概はあるのかどうか。
 「昨日の敵は、今日の友」「明日は、明日の風が吹く」一寸先は闇が、今の政界。
 それにしても、一時、参議院は無用の長物のごとく言われて、廃止すべしという声まで上ったことが嘘みたい。
 昨夏、衆議院で落選した議員で、めでたく復活したお方も。今度は、6年間、首切りにならない、安泰の生活が待っている。衆議院議員よりも、こっちの方が生活は安定。そして、「昨日は昨日、今日からは・・・」と昨日までの苦しみ・切なさを、楽しみに変えて、政治家稼業にいそしむことになりますか。
 自民党の当選者のうちで、立候補した小泉チルドレンが半分くらい当選らしい。この連中って、郵政改革選挙以来の市場原理主義、新自由主義路線の信奉者だったはず。さらに、イケメン(?)の小泉・次男坊を選挙遊説の先頭にし、CMにもかり出して、選挙民の歓心を買う作戦。これが、見事に当たったとか。これって、自民党の路線が、またぞろ小泉路線、弱肉強食の格差社会の徹底化路線に変更した、っていうこと(でもなさそうなのに)。
 「みんなの党」にいたっては、その政策は明らかにこうした小泉路線の継承。今また、国民の喝采を浴びている(のか)。
 「昨日は昨日、今日は今日」って自分さえ勝てれば(よければ)、どんな手段もかまわない、これが一番、国民を愚弄していることではないか。
 気がつけば、自分たちの生活そのものが損なわれる。国民自身が、もっと賢くならなければならないはずだが・・・。 
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夕空晴れて・・・

2010-07-13 20:33:01 | つぶやき
 この歌詞の続きは「秋風吹き・・・」となるのですが、昨日の夕方、梅雨時の空が晴れてこんな夕焼け空になりました。まるで秋を思わせるような澄んだ空。スカイツリーもちょっと幻想的な感じに見えています。駒形橋からの風景。
 いつもはここから曳舟駅まで歩いていきます。ゆっくりで約50分。勤め帰りにはほどよい距離、ちょっと歩きすぎかな。一日中、ずっと空調の効いた室内にいると、せめて帰りくらいは自然の風に吹かれて、雨に打たれて、夕日に照らされていくのもいいものです。
 スカイツリーもますます高く高くなっています。
駒形橋の橋のたもとから。
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