平成の初め頃に少し立ち寄ったきりで、何十年ぶりかで倉敷の町を駆け足で。
4月21日(日)。岡山市内でお祝い事があったついでに、ほんのちょと倉敷まで。新幹線出発時間も迫っていて、ゆっくり見学もできず。
蔵造りの街並みは川越などでもお目に掛かりますが、瀬戸内の街並みもまた風情があります。外国人観光客もたくさん。夕暮れ前のそぞろ歩きを楽しんでいます。
「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」。
井上家住宅は、倉敷川畔の重要伝統的建造物群保存地区の中でも代表的な大型の町屋の一つで、古くから倉敷の中心通りである本町通り(往還)に面して建っています。
小屋組みの登り梁形式で束を併用しているなど、非常に古いかたちを採用しています。また、何面二階外壁の7つの倉敷窓には火災に備えて土扉が付いています。倉敷では少なくとも江戸時代後半には大火がなく、こうした古い町屋の形式が残っているのは井上家だけとなっています。
今回の修理で発見された墨書から、主屋は享保6年(1721)に上棟されたことがわかり、倉敷美観地区内では最古の町屋であることが判明しました。
ところで、地名の由来は?
現倉敷市の名称は、全国的にも観光地として知られる倉敷美観地区の周辺一帯の旧地名「倉敷村」に由来します。倉敷という地名は、中世に支配地の年貢米や貢納物を領主へ送るために、周辺の支配地からそれらを集めておく場所であった「倉敷地」に由来しているとする説が地元の歴史家の間では有力とされています。
倉敷地は「蔵屋敷が立ち並んだので、『蔵屋敷』地が転訛して『倉敷』地となった」と云われ、また「倉とは船蔵屋敷あるいは水夫屋敷のことを指す」ともいわれています。
倉敷村が誕生したのは戦国時代~安土桃山時代の間(1565年~1585年)。
江戸時代に幕府代官所が置かれ陣屋町となり、また物資の集散地になり、川港として栄えて豪商の蔵が建ち並び商家町として繁栄。現在の美観地区周辺の基礎が生まれた。
「有鄰庵」。
築100年の古民家で、岡山と倉敷のおいしいものを
有鄰庵は、倉敷の美観地区の中心にある、地元の食材にこだわったカフェ。(夜はゲストハウスになります)
せっかく倉敷にいらっしゃったのなら、地元のおいしいものを、楽しみながら味わってほしい。
そんな思いで、食材と味はもちろん、接客にも心をこめています。
私たちが目指しているのは、「また来たいと思っていただける最愛のおもてなし」。
岡山県でも有数の観光地である美観地区で、たくさんの方々に岡山ならではの食材やメニューを楽しんでいただくことが、地元の生産者の皆さんにも貢献できることにつながります。
そうやって地元での結びつきも大事にしながら、お客様から愛される、「このお店に来てよかった」と思っていただけるおもてなしをさせていただきたいと思っています。
(この項、「」HPより)
右手の店先で外国人がアイスを販売。楽しそうに? 仕事中。
重厚な造り。
情趣ある裏通り。右手は「有隣荘」。
大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の旧別邸。独特の製法で焼かれた瓦は、見る角度によって緑色に光り、地元では「緑御殿」とも呼ばれています。
「中国銀行」。
江戸時代から続く「茶道一式 森江商店」。
「デニム製作所」。デニムのスーツが店頭に。
アーケード街、並ぶ商店は見世倉造り。
《おまけ》人々の心を癒す幻想的なあかり
美観地区を訪れる観光客は、陽の高いうちに町を見てまわる人がほとんどでしょう。この周辺の施設の多くは午後5時を過ぎると閉館するため、夕方には美観地区を離れるという人が大多数だと思われます。日中の明るい日差しの下で見る町並みもとても美しいのですが、実は夕暮れ時からの景観もさらに美しく、おすすめです。
夕陽が西の空に落ちる頃、美観地区全体が景観照明のやさしい光に包まれ始めます。暗闇の中から浮かび上がるように照らされた倉敷格子や白壁の建物、それらが倉敷川の川面に映る姿は幻想的です。
この景観照明は世界的な照明デザイナー石井幹子さんがプロデュースしたもので、倉敷市と周辺住民の協力で始まり定着しました。この照明によって昼間とはまた違った表情を見せる夜の美観地区の美しさを、多くの観光客の皆様にぜひ知ってもらい、心ゆくまで堪能してもらえたらと思います。
(この項、「倉敷観光WEB」HPより)
次回は、泊まりがけでゆっくりと探索してみましょう。