港区の三田に住んでいて、どこに出かけるのにも自転車。5年前に胃ガンを手術した体験を持つ。もう医者から大丈夫と言われてますます元気。
上野まで買い物に出かけ、その足で先輩後輩の関係で、桜田門の警視庁まで行き、ついでに新宿西口にある都庁まで足を伸ばし、これから三田まで帰るのだという(勿論、自転車で)方にたまたま出会った。先週のことでした。
60過ぎで、大病をした方とは思えない元気ぶりに、びっくり・唖然。
そこで、久々の休み。こちらも、(せめて)上野くらいまでは、自転車で行ってみるか。勢い込んで自転車をこぎ始めたものの、途中で、早くも挫折。いっそのこと、この辺りをうろついてみることに。そこで、ぐるっと隅田川の西側を走って、終わり。今度は、新宿まで脇目もふらずに頑張ってみるぞ、と空意地を張ってみるのですが・・・。
東武浅草駅は花川戸1丁目。花川戸といえば、「助六」。そして、少し北西の「吉原」そして、猪牙船通った山谷堀。桜橋。回ってみれば、約3時間の自転車旅行でした。
姥が池跡。浅草小の裏手になります。
その公園。小さな祠と池がある、その傍らに助六にちなんだ石碑がありました。歌舞伎十八番の一つが「助六所縁江戸桜」。助六は実在の人物かしら。石碑には墓があるとか。モデルになった人物はいるようです。
こちらは、助六寿司に縁がありそう。稲荷鮨と巻寿司(太巻きや干瓢巻きなど)を折り詰めた箱寿司のことを「助六」という。これは助六の愛人・揚巻の名が稲荷の「油揚」と「巻寿司」に通じることにしゃれて付けたというのは、有名。
助六にあやかったというお店がありました。周囲に柳をあしらった雰囲気のあるお店です。
吉原大門付近。ここが吉原の入り口。この大路の曲がった辺り両側に、たくさんの店が並んでいました。今は、別の「風俗店」が立ち並んでいます。店口には客引きのお兄さんが・・・。携帯といえども、シャッターを切るのは・・・。そこで、広い道を通るだけ。
山谷堀跡が公園になっています。この句碑は正岡子規の句。「牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな」
都立浅草高校付近からのスカイツリー。桜並木が続く公園です。
残念ですが、水は流れていません。枯山水?ほどの風情はありません。
山谷堀公園の由来書き。橋の名は橋脚の一部と交差点に残っています。
12月には勘三郎率いる「平成中村座」が開かれる。隅田公園の一角、会場となる仮設施設の大がかりな工事が始まっています。その脇から見えるスカイツリー。
桜橋からのスカイツリー。まだまだ工事が続く中、小さなクレーンが活躍しています。
この辺り、隅田川をはさんで西も東も昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で壊滅的な被害を受けた地域の一つ。その慰霊碑が東武浅草駅近く、隅田公園内にあります。
桜橋付近。向島と浅草とは、かつて、渡し船で行き来した。その目印ともなったのこの「常夜灯」。一基、向島側に残されています。浅草は、少し高台にあった待乳山聖天が舟人や旅人の目印になったとか。どこからでも、スカイツリーが見えました。