おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

これは大変!

2011-10-30 22:15:10 | つぶやき
市長失言引き金、東京・小金井のゴミ収集危機(読売新聞) - goo ニュース
 いい気分で東小金井駅から帰ってきました。昨日の夕方の記事。東小金井北口の再開発、武蔵小金井駅南口周辺など物いりが続く小金井市。それにしても、ゴミ焼却は23区でも大問題になったあげく、自前で各区がやることになり、ゴミ処理場をそれぞれ作って、やっと収まった。
 小金井市も環境整備で最も大事なゴミ問題を他に頼り切ってきた、ツケが回ってきた。市民もそのへんをどのように捉えて市長選に投票したのだろうか。まさにきれい事ではすまされない、自治意識でもあるはず。
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玉川上水・小金井桜

2011-10-29 22:07:28 | つぶやき
 穏やかな日差し。武蔵小金井駅から北に向かい、小金井橋から玉川上水を歩きました。かつては、上水のこの辺りは、桜並木が続いて名所だった。今もヤマザクラを中心に桜の古木が並んでいる散歩道。
 桜の咲く時節には、さぞ大賑わいでしょうが、10月の終わり、歩く人も少ない遊歩道。上水側は柵が続き、右側は住宅地の通り。単調な道のりと言っては申し訳ない。
 近くの小金井公園では地震で倒壊した家屋から人命救助という大がかりな訓練を行っていたようです。夜のTVで知りました。
小金井橋の橋のたもとにある「名勝・小金井桜」の碑
玉川上水の流れそのものはほとんど見えませんが、歩道の右側が桜並木になっています。
小金井桜保存のために新しい桜の木も植えられています。古木は枯れているものもありました。
「小金井桜」のいわれを記した記念碑。
植えられているのは、落葉する広葉樹なので、秋から冬へかけてまた風情が出て来る感じ。
途中で見かけた、つがいのヤマバト。
フェンス越しですが、上水側には草花やモミジなどが目立ちます。
歩道橋の上からの玉川上水。けっこう勢いよく流れています。
東小金井駅に戻る途中、仙川の流れ。新小金井街道・小金井市貫井北町に上流・発端がある川ですが、まったく水が流れている様子はありません。直角に曲がっているなど、人工的に造られています。中流の仙川の様子からは、まったく想像もできません。
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そもそも公聴会・審議会などそんな程度ですね。期待する方がちょっと・・・。

2011-10-27 20:48:10 | つぶやき
電力会社「やらせ問題」の背景にある“そもそも論”【山崎元コラム】(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
 電力会社は国策会社。国と一体化して電力事業を展開してきた。原発もそう、発電用ダム建設も、送電線もすべて国の政策的関与・すなわち税金が多く投入される仕組み。かつての国鉄がそうだった。政治家の利権がらみの介入も、当然。そういう体質にどっぷり浸かってきた電力会社。恐いものなし、とはこのこと。地域の経団連の会長(副)の座も定席になっている「大」社長さん方。
 今さら国が何を言うか、特に民主党ごとき「あだ花」政権の大臣(猫の目の如くに交替する)にあれこれ言われる必要はない。まして、脱原発的な施策の持ち主連中に、何で頭を下げなければならんのか。
 ここで辞めたら、他の電力会社にも悪影響を与えるだけだ。他の会社だって今までばれないようにうまくやっていたんだから。九電も北電の両社長とも同じ考えなのだろう。
 そもそも公聴会自体、電力会社のみの考えで進んでいる・運営されているわけはない。すべて国の役人が関与して、しゃんしゃんと事が運ぶようになっている(時にはガス抜きも含めて)。
 反対派に言いたい放題言わせておいて、しっかり当初の目論見通りに。施策を通すための便法手段が、公聴会なるものの実態。あるいは最初から巧妙に多数派工作をするのは、ごく当たり前ではないか。かつてのタウン・ミーティングがその典型。
 時の施策にドッコイショする会議。国会の予算委での公聴会も同じ。政党ごとに推薦された人間が意見を述べていくだけ。委員諸公は欠席か居眠り三昧。
 記者クラブなんかもそんな程度ではないか、ドッコイショして、情報の垂れ流しを行うのだから。
 審議会なども、同じやり方。識者と呼ばれる方々の会議でも、そのほとんどが事務方の役人の筋書き通りに進む。そこで、形式的なお墨付きを頂ければけっこう、万が一そうでなければ、適当に報告内容を繕って、初志貫徹して、お終い。
 ただし、意外に教育委員会はそうではない場合も、たまに。何しろ委員諸氏は、それなりに一家言ある方々だから。想定外の展開に、事務方があたふたする場合も。ま、まれだが。
 最近の政権のもとでの審議会は、自公政権の時とは異なって、けっこう施策に対する異論・反論が出てきて、興味深い。それが気に入らない御仁も多くいる。
 その代表格が、今回の九電首脳陣。第三者委員会そのものが気に入らない。あんた方素人に、国策の根幹である原子力政策の重さ、大切さ、国際経済へ影響、その一方で建設・維持の困難さ、特に首長との綿密な関係など・・・何がわかるか!てな考えが根底に。
 なかなか辞めませんね。株価が暴落すれば、少しは考えるかも知れない。株主訴訟が恐いから。大臣の立場や国民のことなどまったく関係ないところで事が進む、まさに国家的悲・喜劇です。
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人勧完全実施。特例法成立。どちらが大事か

2011-10-26 22:41:08 | つぶやき
国家公務員給与の勧告見送りへ 政権「減額は特例法で」(朝日新聞) - goo ニュース
 1982(昭和57)年にも、人勧を無視しこの時は賃金UPをしなかったことが。交渉権を奪われている代償機関として人事院勧告。当時、その勧告を実施せよと公務員側は怒って交渉したが、そのまま押し通された。当時の政府与党は、自民党。今回は攻守ところをかえている。今回の政府方針に対して、自民党幹事長が「憲法違反だ」とよくいいますね。
 それよりも、公務員側が何にもこの件で発言・行動している報道がないのが奇妙。自分たちの支持する政党が与党だからなのか。
 そうではなくて、大幅な賃下げにつながる「特例法」とセットになっている人事院勧告制度を廃止して、公務員労働者が直接労使交渉を行う、という法律の制定を切望(悲願実現)している、という政治情勢。
 そこで、自民党。特例法の方がはるかに公務員賃金の引き下げになることがわかっているのに、今さらの如く憲法違反とまで言いながら「人勧完全実施」を叫ぶ。それは、「特例法」と関連法案に反対、そのため、「特例法」の審議に入らせないため?
 人事院の主張にべったりの自民党幹事長発言。ならば、自民党は、人勧を完全実施し、その後で「特例法」(修正をした上で、また、人勧廃止法案を含めて)の成立に協力するという姿勢を見せるだろうか。
 さらに重要なのは、それほど大幅な公務員給与削減を求めるなら、議員がもっと身銭を切ることではないか。議員定数の削減、議員報酬の削減、政党助成金の大幅カット、まだまだやることはたくさんある。自民党もそういうことをきちんと主張してみたらどうか。
 民主党主導?でいつのまにか議員経費削減を元に戻したことを追求すべきではないか。ま、そんな気はさらさらなそうだが。反対のための反対(そして適当に妥協する)なら、かつての野党と同じだ。
 
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水道路(すいどうみち)四つ木~立石~青戸

2011-10-25 20:23:19 | 歴史・痕跡
 金町浄水場から荒川までほぼ一直線で続く「水道路(すいどうみち)」。今回は、その荒川放水路の土手から青戸・中川放水路まで。途中、京成線をくぐったり、環七を横切ったりして続いていく。今もこの道の下には大きな水道鉄管が通っているのでしょうか。
道は、広くなったり、狭くなったりしながらも、ほぼ葛飾区の中央、北東から南西を貫いています。
 写真は、荒川土手越しのスカイツリー。かつてはこの辺りに水道橋が架かっていて、墨田区の方へ通じていました。手前の川は、綾瀬川。ずいぶんきれいになりました。
中央に見える細い道が水道路。ちょっと左にカーブしてそのまままっすぐに進みます。
荒川に架かる橋はありませんが、京成バスの停留所名にその痕跡が残っています。
単調な一本道が続きます。かつてはけっこうでこぼこ道(水道管のマンホール部分が地上に出ていましたので)。
この道沿いには、小さな町工場がたくさんありました。下町の町工場から世界的な製品が生み出されています。渋江公園には、そうしたものの一つ、セルロイド工業発祥の記念碑があります。
立石大通りとクロスします。この大通りは古代からの道。葛飾区の東から西へ一直線で貫かれ、奥戸・小岩へと続きます。
この辺りから道路は広くなり、バス通りになります。右手の建物の隣奥に、かつてのプロボクシング・世界チャンピオン内藤さんの所属している「宮田ジム」があります。
左側は寺町。天文台のあるお寺、コンサートホールのあるお寺などユニークなお寺が並んでいます。
「葛飾モーツアルト・ホール」の前のモーツアルト像。ウィーン市と姉妹都市だとか。「寅さん」の映画でもその話題があったような・・・。
青砥駅から少し出たところの細長い商店街を通り、環七を越えていくと中川に着きます。坂の向こうが中川、向こう岸が、高砂。
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ロシアの大統領・首相のような関係にするのかな?

2011-10-24 22:34:28 | つぶやき
橋下氏、市長選に出馬表明 維新・松井氏は知事選 11月27日ダブル選確定(産経新聞) - goo ニュース
 自分が代表を務める会派の一員を知事選に出馬させ、自分は市に立候補。争点は大阪都構想の是非とマスコミに喧伝していて、マスコミもそれを書きたてる。
 実際には、彼らは、公務員攻撃、とくに教員攻撃に終始するに違いない。何しろ大衆受けする「公務員・教員がいかにダメか」、そのための条例を提出するも、あくまで選挙戦に有利に働くよう、継続審議。
 公約になかったものを次々と政策化、勝てば、官軍。何でも通す。彼が市長になったらまずやることは議会のリコール・解散。市議会の過半数を確保する(名古屋でうまくいったように)。こうして外堀を埋めてから、「都」構想に走る(選挙では、ひたすら公務員・教員攻撃。そして民・自・公まとめて既成政党攻撃)。自民党も公明党も(民主党すら)日和ってどっちつかずのうちに、大勝利に・・・。
 府知事に松井氏が当選しても、橋下の傀儡のようなものだから、橋下に唯々諾々と従うのみ。そのうち、目鼻がつけば、彼は、再び大阪府知事に立候補。松井氏は途中で辞職するかもしれない、橋下府知事再来のために。
 まるで、ロシアの現政権みたいなたらい回し。それでも(、そうなると見越しても)、ロシアでもそうなように、府民・市民はこれを圧倒的に支持するはず。片や帝政ロシア大国の復権、片や帝都(本当は京都だけども)大阪復権(東京、何するものぞ)という大阪人の誇りと屈折を巧みに最大限利用していく、たしかに上手(うわて)です(既成政党の連中よりは)。
 そこで、そううまくいきますかね(いってほしくない)、と歯ぎしりするのみです。
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水道路(すいどうみち)。柴又~高砂~青戸

2011-10-23 22:07:56 | 歴史・痕跡
 利根川・江戸川水系から取水している金町浄水場。3月11日の大震災後、放射能が検出され、大騒ぎになりました。石原都知事が浄水場の水を飲むパフォーマンスで、安全宣言。日本一まずかった金町浄水場の水道水。懸命な技術革新によって、今や「東京の水」として売り出している、その水が福島第一原発事故によって放射能汚染。当時はてんやわんやの大騒動。それも沈静化。
 今度は、葛飾区、土壌の放射能汚染が問題になっています。
 23区のうち、東部地域を中心に供給されている上水道。葛飾区内にはその上水道管が伸びています。青砥駅付近から木根川橋付近まで一直線に伸びる道路。その道路を地元のの方によっては「水道路(すいどうみち)」と呼んでいました(今でも?)。
 かつては、これが幹線水路だったようで、荒川を鉄管が渡り、墨田区の方まで続いていました。今は、全くそれは見当たりません。現在では、災害対策など非常時に備えて、上水の配給のために多くの幹線水路が幹線道路に沿って敷設されているのでしょう。
 葛飾区の中川。京成線のすぐ北側にあった鉄管ももう少し北側に移り(移設したのではなくて、新設?)、跡形もありません。道だけはかつてのように、金町浄水場から四つ木までほぼ一直線に続いています。
 写真は、京成金町線越しの金町浄水場。ここから水道路は始まります。
水道敷地を示す道標。
浄水場方向を望む。道路には、小学校など学校施設が目立ちます。
交差点から柴又方向。神社や仏閣も目立ちます。
一直線の道。
車の通りも激しくありませんが。
馬頭観音のある古刹。交差している道は、旧「佐倉街道」だと思います。水戸街道新宿の宿から分かれている道。
中川近くなると道が判然としなくなりますが、そのまま直線で中川に。
その北側に接している青龍神社の池。つり客が何人か。蓮の葉がいっぱい。昔からあったような・・・。
青戸側からの中川。かつてはここに鉄管が渡っていました。振り返って急な坂を下りると、青砥駅方向に進みます。
現在の水道鉄管。この先はどうなって進んでいるのか。そのまま西に向かっていくのでしょうか。
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玉川上水駅

2011-10-22 21:08:19 | つぶやき
 羽村取水堰で取水された多摩川の水は、東に向かって流れていきます。多摩川水系は現在でも東京の上水源の1/3ほどを占めていて、上水道の原水として利用されている、とのことです。
 取水された水の大部分は、山口貯水池(狭山湖)・村山貯水池(多摩湖)へトンネルで送水され、最終的には東村山市にある東村山浄水場で利用されます。
 残りの水はさらに下流、西武拝島線・多摩都市モノレールの玉川上水駅付近の清願院橋から300メートルほど下流にある小平監視所(旧称:小平水衛所)で取水され、東村山浄水場、および現役の農業用水路である新堀用水の双方に送水されていきます。この小平監視所は、練馬、埼玉南部への「野火止用水」との分岐点でもあります。
 「玉川上水」駅。西武鉄道の方は立川市、多摩都市モノレールの方は、東大和市と、二つの市にまたがっていますが、乗り換えには便利な構造になっています。
 多摩川からの流れそのものは、この小平監視所でおしまい(この監視所は立川市と小平市にまたがっています)。これから下流の玉川上水は下水道処理によって浄化された水が流されていて、両岸を古い木立に囲まれながら、玉川上水の流れが続きます。途中、杉並区久我山付近からは暗渠になって、緑道公園などなってはるばる新宿駅・新宿御苑まで続きます。昨夜からの激しい雨、まだ時折ぱらつく中で、玉川上水駅付近をつかの間の散策でした。多摩川の水も白く濁って勢いよく流れています。
駅のそばにある「清願院橋」から見た、下流のようす。
その上流。流れに沿って小道が続きますが、ぬかるんでいて歩行困難。
水量はたっぷりあります。
激しい雨が降ったせいか、白く濁って渦を巻くように勢いよく下流に向かっていきます。
小平監視所への道。奥にあるのが監視所。
多摩川からの流れが見られるのは、ここまで。
ここから下流は下水処理水。清流復活事業として取り組まれてきました。
玉川上水の流れに直接触れることが出来る地点への階段。雨の時は、滑りやすいので要注意。
多摩都市モノレール「玉川上水」駅。
西武拝島線「玉川上水」駅ホームから見上げたモノレール駅。
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読書「色の不思議世界」(小町谷朝生)原書房

2011-10-20 20:24:09 | 読書無限
 「色仕掛け」。図版の構成につけたネーミング。まさにいろんな意味での色の仕掛けを筆者が呼び名「RG視」(一方の眼に赤色フィルタ、他方の眼に緑色フィルタをつけて見る方法。立体メガネ)で具体化しています。眼にも右利き、左利きがあるらしい。そして、筆者に言わせるとおよそ80%の人が右眼利きだとか。
 そこで、左目には赤色、右目には緑(実は青緑色)のフィルターを付ける。そのRGメガネによって見させるための図版が多く掲載されています。そこから見えて来るものは何か。実際に見たわけではないのですが(出来たら、この本の附録としてそのメガネが挟み込まれているとよかったなあ!)不思議なまさに「色仕掛け」の世界が展開する(そうです)。
 透明な「いろ」が不透明な「色」として識別され、具体的に命名され広がる色の世界。これは、筆者が言うところの「眼と脳が作り上げる世界」にほかならない。
 当然、時代や文化によっていろを分別するための「言語」としての「色」の名にも違いや変化が出て来る。ある時代にはおとしめられていた「色」が時代の色(雰囲気・人々の嗜好なども含めて)によって価値が高まり、愛好されることも。
 色彩学。筆者が色「バカ」(本人の言)になって50年。その蘊蓄を傾けた不思議な色の世界を説いています。
 現れる色はすべて眼と脳の働きによるもの。幻? 波長として存在する「いろ」が見えるという不思議さ。そこから、「時代を演出する色の名前」(ここでは江戸の浅黄色と茶色が登場)「環境としての色」(ここでは空の青さの秘密、緑をめぐる色彩誌など)「白と黒」(ベンハムの独楽=白と黒色の半円分割の独楽上に4箇所放射線状に配置された3本の円弧が黒色で描かれている=を回転させると、有彩色が見えるという。)
 筆者は、漢字の成り立ちなどにも洞察して上での「色」の解釈なども語られます。例えば、「黒」。漢字は、火によって燻されたという字形。人工的なものだ。それと自然に存在する「黒色」との関係性。雷という字のから浮かび上がる自然の色観。
 他にも、在りし日の「トキ」の「トキ色」とはどういう色だったかなど、多彩な話題変幻自在に登場します。すべてが「色仕掛け」になっています。筆者の長年の研究の集大成とも言うべき内容が、素人にも分かりやすく紹介されています。
 厚手の書ですが、興味深く読み終えることが出来ました。
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花川戸~吉原~山谷堀~桜橋

2011-10-18 22:14:36 | 歴史・痕跡
 港区の三田に住んでいて、どこに出かけるのにも自転車。5年前に胃ガンを手術した体験を持つ。もう医者から大丈夫と言われてますます元気。
 上野まで買い物に出かけ、その足で先輩後輩の関係で、桜田門の警視庁まで行き、ついでに新宿西口にある都庁まで足を伸ばし、これから三田まで帰るのだという(勿論、自転車で)方にたまたま出会った。先週のことでした。
 60過ぎで、大病をした方とは思えない元気ぶりに、びっくり・唖然。
 そこで、久々の休み。こちらも、(せめて)上野くらいまでは、自転車で行ってみるか。勢い込んで自転車をこぎ始めたものの、途中で、早くも挫折。いっそのこと、この辺りをうろついてみることに。そこで、ぐるっと隅田川の西側を走って、終わり。今度は、新宿まで脇目もふらずに頑張ってみるぞ、と空意地を張ってみるのですが・・・。
 東武浅草駅は花川戸1丁目。花川戸といえば、「助六」。そして、少し北西の「吉原」そして、猪牙船通った山谷堀。桜橋。回ってみれば、約3時間の自転車旅行でした。
姥が池跡。浅草小の裏手になります。 
その公園。小さな祠と池がある、その傍らに助六にちなんだ石碑がありました。歌舞伎十八番の一つが「助六所縁江戸桜」。助六は実在の人物かしら。石碑には墓があるとか。モデルになった人物はいるようです。
 こちらは、助六寿司に縁がありそう。稲荷鮨と巻寿司(太巻きや干瓢巻きなど)を折り詰めた箱寿司のことを「助六」という。これは助六の愛人・揚巻の名が稲荷の「油揚」と「巻寿司」に通じることにしゃれて付けたというのは、有名。
助六にあやかったというお店がありました。周囲に柳をあしらった雰囲気のあるお店です。
吉原大門付近。ここが吉原の入り口。この大路の曲がった辺り両側に、たくさんの店が並んでいました。今は、別の「風俗店」が立ち並んでいます。店口には客引きのお兄さんが・・・。携帯といえども、シャッターを切るのは・・・。そこで、広い道を通るだけ。
山谷堀跡が公園になっています。この句碑は正岡子規の句。「牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな」
都立浅草高校付近からのスカイツリー。桜並木が続く公園です。
残念ですが、水は流れていません。枯山水?ほどの風情はありません。
山谷堀公園の由来書き。橋の名は橋脚の一部と交差点に残っています。
12月には勘三郎率いる「平成中村座」が開かれる。隅田公園の一角、会場となる仮設施設の大がかりな工事が始まっています。その脇から見えるスカイツリー。
桜橋からのスカイツリー。まだまだ工事が続く中、小さなクレーンが活躍しています。
この辺り、隅田川をはさんで西も東も昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で壊滅的な被害を受けた地域の一つ。その慰霊碑が東武浅草駅近く、隅田公園内にあります。
桜橋付近。向島と浅草とは、かつて、渡し船で行き来した。その目印ともなったのこの「常夜灯」。一基、向島側に残されています。浅草は、少し高台にあった待乳山聖天が舟人や旅人の目印になったとか。どこからでも、スカイツリーが見えました。
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一企業、一首長を超える何かが

2011-10-17 19:41:24 | つぶやき
佐賀知事「辞任避けられぬ」…調査で郷原氏に(読売新聞) - goo ニュース
 この話が本当なら、そうした思いを覆す働きがあった(覆さないとならないという圧力があった)のではないか。
 九電の社長の辞任もしかり。原発への批判、脱原発などにつながることを絶対に阻止するという「国家」の意識があるような・・・。辞任はさせない(しない)、責任問題につながらせない・・・。
 そういえば、九電の社長は自分が辞任することで他の電力会社への影響が大きい、というようなことを述べていた、と。佐賀県知事に累を及ぼさないように報告書も作成した。
 本当の狙いは、どこのどういう組織にあるのか。恐ろしい話です。「反原発」「脱原発」的発言は絶対に許さない、そういう発言する政治家たちは、たとえ揚げ足取りでも辞任に追い込む、という強固な意志もこの間の辞任騒ぎでは感じたものだが。
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かなり恐い話ですね

2011-10-13 23:06:30 | つぶやき
高線量、床下の瓶が原因か 世田谷区発表(朝日新聞) - goo ニュース
 今回の検査で高線量が測定された、これが昨日今日の話でなく、長い間放置されていたものだったら、おおごとです。もうすでに浴びるだけ浴びていたら、と考えると。さらに、今回の検査で発覚しないまま、住民が知らずに長い間、高い放射線浴び、被曝していくとしたら・・・。
 雨水が原因かなど、と報道していたマスコミ(世田谷区の記者会見での発表そのままでしょうが)の姿勢も、発表を真に受けて情報を垂れ流しつづけたという、これもまた恐ろしい話ですね。
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痛さも並ではないようで

2011-10-11 22:09:56 | つぶやき
小沢元代表、昨夜退院…14日に第2回公判(読売新聞) - goo ニュース
 尿道結石の痛さは、並の痛さではないようです。胆石の痛さも凄いようですが。実は弟も息子も、この尿道結石になりまして・・・。兆候としては、おしっこに血が混じっている。おかしいな、と思ってこれは悪い病気じゃないかと心配するヒマもなく、数日を経ずして、猛烈な背中の下、腰の痛みに襲われる。こうなったら、救急車で運ばれるしかない。立っても寝てもいられないくらいの猛烈な痛み。このまま失神するじゃないかと息子は語っています。
 救急病院に着くと、さすが、その道はその道。検査ですぐ結石だと診断、点滴を打ちながら痛みを抑える。けれど、治療はそれまで。後は、自然に出て来るのをひたすら待つ、というか、出すために水分を(本人はビールを)飲み続けて1週間くらいで、おちんちんの先から便器にカチンと音がするくらいの小さい石が出てきた。
 それまでも大変、とがった石が細い管を通過するのだから、ありありと下がって来るのが分かった、とか。
 その時のお医者さんには、身内に同じ病気にかかった人はいないかと聞かれたそうだ。遺伝的な体質が影響するとか。それに若くて元気がいい人間がかかりやすいとも。その意味で、小沢さんは実に壮健な身体なのでしょう。
 政治家の病は嘘が多い、ホントウは重篤な病気なのに隠す、政治生命に影響するからだそうだ。しかし、医師の発表と経過から、さらに我が家の尿道結石経験からすると、小沢さんの病気も「尿道結石」に間違いないでしょう。
 せっせと大いに水分を摂って早く石が出ますように・・・。ま、心労も大きいでしょうが。
 
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京島散策

2011-10-10 23:17:56 | つぶやき
 京成曳舟駅を降りて、押上までぐるりと散策しました。東武亀戸線をはさんで下町の家並みがひしめく土地。それでも、区画整理やら京成線の高架工事とかで、だんだんと(むしろ大きく)変わって行く街の姿。戦後から60年。時代に取り残されたかのようだった街が、いろんな意味で大変化を遂げる時代になったのですね。
曳舟駅からの曲がりくねった道。かつての水路跡でしょうか。自然に右に左にカーブしています。明治の頃の、中川と曳舟側を結ぶ水路と重なっていますが。
その通りに沿った家並みの中に、こんなこんもりとした木々に囲まれた家がありました。昔からの家のようです。
土蔵造りの家(手前)と昔ながらの商店風の建物。
二階建ての棟割長屋が続く通り。
鉄骨に変わった家もありますが、木で作ったままの家も。
キラキラ橘商店街。一頃よりも元気がなさそうな。シャッター通りになってしまっては残念です。年寄りの住む街になってしまったのでしょうか。
曳舟駅前の通りには、再開発で大きなビルが建てられるそうです。
立体交差区間も次第に出来つつあります。
回りを工事現場に囲まれた脇にある古木。いわれがあるようです。
遠くにはスカイツリー。
東武亀戸線。駅がこのあたりにあったようですが。3月10日の東京大空襲ですっかり駅舎も焼け落ちて、廃駅になった駅もあるとか。
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読書「江戸から東京へ 都立高等学校地理歴史科用」(東京都教育委員会)

2011-10-09 20:35:04 | 読書無限
 これは、教科書です。高校の地理歴史では、「世界史」という科目は必修なので、必ず全国の高校生は学習する事になっています。ところが、「日本史」は必ずしも習わせなければならない科目ではなくて、選択科目になっています。
 さまざまな、というよりはまさに時の政治情勢の中で、世界史のみの必修。日本史をぜひ必修科目にという声も大きいのですが、いまだに叶わず・・・。そこで、各県では何とか日本史を学ばせたいと・・・、その一つが東京都教育委員会で編集、発行された。
 もっと詳しく深く学ぶには、単位数も多くて大学受験にも役立つ内容で、という向きにはそれなりのカリキュラム。最低限、自分たちが住む地域の、ここ100年くらいの歴史はしっかり学び取って欲しい、との目論見。「江戸から東京へ」。
 図版も多く、平易な内容。活字も少なく、読みやすい。反面、ちょっと深く学びたい生徒には不満が出そう。それから先は、自分で調べよう、と調べ学習にもなっています。
 昔と今。東京の発展、すなわち日本の発展。江戸末期から明治、大正、と今に至るまでの行きつ、戻りつしつつ、時を重ねてきた「東京の歴史」を興味を持って学べるよう、分かりやすく解説しています。
 対象が高校生(1年生を想定?)にしては、今はやりの「歴史散歩」みたいな構想で編集されているのが、面白い。これは、実は、「おやじ」たちの趣味の領域なのですね。
 昔はここはこうだった、事件はここで起こった、ここから歴史が始まった。ここがここまで来るには、こんな先人の苦闘があった・・・。
 東京都を歴史的に大きく俯瞰するというよりも、歴史的価値、評価は二の次にして、個別具体的な地域の話題性に終始しているのが、いいのか、悪いのか。評価のわかれるところ。寄せ集めの編集者たちの個々の意識にちょっと振り回されてしまった感も・・・。
 個人的には、この間、「廃線・痕跡」シリーズで追求している場所や内容が、登場しているが、大変よろしい!できたら、私を編集委員に招いて欲しかったぞ!
 この本の巻末にある「歴史散歩」をもとに、しばらく歩き回れそうです。今、追いかけている「玉川上水」跡めぐりも、一項目として載っているので。
 一般の本屋でも売ればいいのに、売れると思いますよ。特に、都庁第一庁舎の本屋さんにはぜひ置いて貰いたい。「廃線・鉄道マニア」のコーナーが立派に成り立っている珍しい書店ですから。
 表紙は浅草寺の五重塔とスカイツリー。でも、どちらも新しい建造物です、残念。
 

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