田園地帯が広がる。
対岸にある「大利根飛行場」。
印旛水門。
ここからは、1月22日(土)。
長門川
利根川と北印旛沼とを連絡する役割を果たす。それゆえ短区間ながら印旛沼水系全体に係る流域を擁し、印旛地域の水量調節に活用される治水上重要な河川である。事実上印旛沼唯一の流出河川となっている。(「Wikipedia」参照)
川面にはモーターボートが。
「海から67㎞」。
「生板鍋子新田」。何と読むのでしょうか?
「まないたなべこしんでん」。対岸の茨城県稲敷郡河内町にも同名の地名があります。「大徳鍋子新田」という地名も。由来は?
家並みが増えてきます。
「若草大橋有料道路」が間近に。
若草大橋有料道路につきましては,利根川の上流と下流に架橋されていた栄橋及び長豊橋の渋滞緩和を目的に,茨城県道路公社が有料道路事業により平成18年に建設し,その建設の際の借入金を,通行料金収入により償還することとしております。
(「」HPより)
左手遠くに雪に覆われた富士山が。
突然、銃声が聞こえてきます。猟銃でしょうか、河原で二人のハンターの姿。犬もしきりに吠えています。
「海から70㎞」。
標識の右奥遠くに富士山(↓)
「海から72㎞」「西」地区。
印旛郡栄町から印西市木下(きおろし)へ。しだいに市街地になってきます。
整備が進む河川敷。
「木下東」交差点。
「海から74㎞」。
木下(きおろし)の町に入ってきます。「川魚料理 銚子屋」の看板が見えてきます。
「←JR木下駅」・「木下河岸跡→」。
2010年の11月末、「木下街道」歩きでここに着きました。
「木下河岸跡」解説板」。
「木下街道」(現「市川・印西線」)は、江戸時代初期に行徳河岸(現市川市)と木下河岸(現印西市)を結ぶ往還として、行徳、八幡、鎌ヶ谷、白井、大森、木下の6か所に宿がおかれました。人の行き来だけでなく、銚子方面から江戸日本橋の魚市場へと鮮魚を送る道としても重宝されました。貞享4年(1687)、松尾芭蕉は「鹿島紀行」の旅で木下街道を利用しました。
※「きおろし」は、伐採され河川で運ばれた材木を下ろしたことに由来するらしい。
現在の河岸のようす。
上流方向。
かつては印西の中心地(印西市役所の最寄りの鉄道駅は「木下駅」。)でしたが、今や「千葉ニュータウン」にお株を奪われた印象です。
北総線「千葉ニュータウン中央」駅前のようす。
「手賀排水機場」。
本施設は、国営手賀沼干拓事業により昭和31年に完成した排水機場です。降雨時には流域約160km2※1(柏市、印西市、我孫子市、鎌ケ谷市、白井市、流山市及び松戸市)から手賀沼に流入する洪水を手賀川の流末にて毎秒40m3※2で利根川へ強制排水することで、受益地3,400haを保全しており、近年では、流域の都市開発や道路等の浸水対策にも効果を発揮し、農地以外の社会共通資本の防災対策上も重要な施設となっています。
手賀川。
遊覧船の船着き場もある。
手賀沼では、大きな干拓が2度行われている。第一干拓では、現在の下手賀川付近、第二干拓では今の手賀川北岸が埋められた。これにより、ほとんどが水田となり、残った部分が手賀川となった。
「今昔マップ」より、「干拓前後」。新田開発と住宅地化。
「海から75㎞」。
我孫子市に入ります。
河川管理境界「←取手出張所 安食出張所→」。
「栄橋」が見えてきます。
「生(鮮魚)街道」の起点・網代場付近にある「馬頭観音堂」が眼下に。
「鮮魚街道」は、ここから終点・松戸河岸まで歩きました。(2020年9月)
解説板。
布佐「利根川」河岸から松戸「江戸川」河岸までの道筋。
※「鮮魚」の「せん」は、「魚」を三つ重ねたもの「鱻」が本字。
もともと急流箇所である布佐・布川間の狭窄部下流にあたり、海から昇る魚が一旦留まるため、網、投げ網の漁場となりました。後に水運の発達と共に船着場も出来て栄えました。
現在は、網代場もすっかり住宅地になってしまい、「観音堂」だけが唯一面影を宿すのみです。
※網代(あじろ)
- 網の代わりという意味。
- 定置網の漁場。また、いつも魚群が集まってくる場所。
- 湖や川に柴や竹を細かく立て並べ、魚を簀の中に誘い込んで獲る仕掛け。
栄橋。
上流を望む。
我孫子市のマンホール。
我孫子市のシンボルである「手賀沼」と、市の鳥「オオバン」、市の花「ツツジ」、をデザインしたもの。
※オオバン
頭をフリフリ泳ぐ真っ黒い鳥 白い額がトレードマーク
(「Wikipedia」より)
今回の掲載地図(部分)。
ところで、
今日、2月17日は、「天使のささやき記念日」。天使のささやき=ダイヤモンドダスト
1978年(昭和53年)2月17日に北海道幌加内町母子里(もしり)で日本最寒記録の-41.2℃を観測したことを記念し、制定された。
日本では1902年(明治35年)1月25日に北海道旭川市で-41.0℃を観測し、日本最低気温として気象庁に公式登録された。その76年後の1978年に北海道幌加内町母子里の北海道大学付属演習林近隣の気象観測施設で-41.2℃を観測した。わずか0.2℃差で日本最寒の地となったが気象庁の観測対象から外れているため認められず、非公式記録のままとなっている。
※気象庁の測候所が観測した記録であると確認された場合のみ日本最寒記録として認定される。今回の場合は気象庁の施設ではなかったため認定されなかった。
ダイヤモンドダストは、極寒の時期にいくつもの気象条件が揃ったときだけに出現する、美しい自然現象です。氷点下10℃以下の快晴の早朝に、無風状態で湿度があると水蒸気が急速に冷却されるため、雲になる前に氷の粒になります。空中で舞い散るこの無数の氷の粒が、日光に反射してキラキラと輝くことから命名されたようです。別名として「天使のささやき」などとも表現されています。
(「GoodDay北海道」HPより)
一方で、今日は、日本海側を中心に、大荒れの雪模様。ダイヤモンドダストという(神秘的な)雰囲気ではなさそうですが。