橋の下をくぐり抜けると、森の中の道に。
広大な「野鳥の森」。さまざまな鳥の鳴き声が。
森を抜けて明るい道へ。振り返る。
麦畑。
道はゴルフ場にぶつかり、右折します。
正面に秩父鉄道の踏切。堤防が分断されています。
ここにも「荒川大麻生公園」の標識が。
堤防に沿って歩きます。
来た道を振り返る。
左手は「大麻生ゴルフ場」。
なかなか堤防の上へ上がれません。
「海まで80.0㎞」ポスト。
堤防に上がり、振り返ると直線で続いていました。
右手、堤防下は「秩父鉄道」の線路。
「大麻生駅」が見えてきました。
秩父鉄道の電車が。
ここで「秩父鉄道」について。
1899年(明治32年)11月、「上武鉄道株式会社」として設立し、1901年(明治34年)10月、熊谷~寄居間(18.9キロ)が開業。その後、区間が逐次延長され、1930年(昭和5年)3月、秩父本線 羽生~三峰口間全線が開業しました。1916年(大正5年)3月、埼玉県大宮町(現在の秩父市)が秩父町に名称変更されたため、社名も「秩父鉄道株式会社」に改称しました。
現在は、秩父本線 羽生~三峰口間(71.7キロ)と貨物専用の三ヶ尻線 武川~三ヶ尻間(3.7キロ)から成り、営業キロ75.4キロは地方民鉄の中ではトップクラス。沿線は寄居を境に、東は関東平野、西は秩父盆地と、平野部と山間部の二つの顔を持ちます。
1988年(昭和63年)から運行を開始した「SLパレオエクスプレス」は、都心から日帰りでも利用できる観光列車として2017年度(平成29年度)に運行30周年を迎え、沿線地域や企業との連携イベント等で他のSL列車にはない話題作りに努めています。また、「長瀞ラインくだり」や「宝登山小動物公園」など長瀞地域の観光施設を運営するほか、沿線地域を中心とした不動産事業も展開しています。
☆2019年11月8日に秩父鉄道はおかげさまで創立120周年をむかえました。
<秩父鉄道のロゴマーク>
秩父鉄道は荒川とともに。
荒川と並走し、橋を渡り、人々を観光地へ。
その川の流れと水しぶき、長瀞の岩畳。
それらをシンプルな図案・色合いで「秩父の表情」として表現しました。
CHICHIBU頭文字の「C」をモチーフにしたシンボルマーク。
鉄道の「車輪」もイメージさせます。
また、「人の笑顔」も図案に隠されており、「喜んでいただく鉄道」を表しています。
沿線地域の人々と歩んできた鉄道、地域をつなぐ鉄道。
これからも地域の未来を切り開く鉄道でありたいという思いを込めたロゴマークです。
(この項、「」HPより)
路線図
(「」より)
熊谷から三峰口までこれから度々利用する鉄道です。ただし、当面、PASMO、Suicaが使えないのが残念!
「荒川左岸81.2K」ポスト。
このゴルフ場が荒川河川敷ゴルフ場としては最上流になっているようです。赤羽から歩き、ずいぶんとたくさん、河川敷のゴルフ場を眺めてきました。
ところで、明日5月1日は、「八十八夜」。
立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたるわけです。
「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などといわれるように、遅霜が発生する時期である。一般に霜は八十八夜ごろまでといわれているが、「九十九夜の泣き霜」という言葉もあり、5月半ばごろまで泣いても泣ききれないほどの大きな遅霜の被害が発生する地方もある。農家に対して特に注意を喚起するためにこの雑節が作られた。八十八夜は日本独自の雑節である。
この日に摘んだ茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きするともいわれている。茶の産地(埼玉県入間市、狭山市・静岡各地・京都宇治など)では、新茶のサービス以外に手もみ茶の実演や茶摘みの実演など、一般の人々も参加するイベントが行われる。
(「Wikipedia」より)
文部省唱歌『茶摘み』
- 夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠 - 日和(ひより)つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ
5月1日といえば、「メーデー」。コロナ禍の下、昨今のご時世では余り話題にもなりませんが・・・。
そして、5月5日が「立夏」。