橋本 治(はしもと おさむ)
1948年〈昭和23年〉3月25日 - 2019年〈平成31年〉1月29日)。
イラストで注目され、『桃尻娘』(1977年)で作家としてデビューすると博学や独特の文体を駆使し、古典の現代語訳、評論・戯曲など多才ぶりを発揮する。作品に『桃尻語訳 枕草子』(1987 - 1988年)、『蝶のゆくえ』(2004年)、『初夏の色』(2013年)などがある。
(「Wikipedia」より)
東大紛争のさなか「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目されました。
※同世代の大学生だった小生。「大学紛争」のさなか、このポスターには驚きました。
東大闘争の無期限ストの中で、学部側との交渉も決裂し、学部側には公認されないまま「自主管理」による駒場祭が開かれた。多くは東大闘争をテーマに扱っていた。橋本治氏作の、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」の有名なポスターはこの年のもの。企画準備は混乱の中で進まず、サークル企画はほとんどなかった。
(この項「」HPより)
このブログでも、橋本治の小説、評論をいくつかとりあげたこともあります。
久々に図書館に出かけ、手に取った小説を紹介します。
二十世紀初頭の巴里を豪華絢爛に蘇らせた傑作耽美小説!
橋本治(文)岡田嘉夫(絵)コンビが2006年から2013年まで試行錯誤を繰り広げた豪華本(定価3万5千円、発行部数150部)として刊行された『マルメロ草紙』をテキストの読みやすさを重視した新たな装いで刊行されたもの。
2021年11月第1刷発行。
時は二十世紀初頭の巴里。ブーローニュの森近くの瀟洒な屋敷で暮らす、大実業家エミール・ボナストリューとその慎ましやかな夫人シャルロット。貞淑な姉シャルロットとは対照的な生き方を求め、華やかなパリで女優を目指す妹のナディーヌ。
その館に陽に灼けた美しいショーマレー中尉が招かれて、エミールとナディーヌ、そしてシャルロットの心に波風が立ち始める。やがて、パリ社交界の中心に座す、エナメルで固めたような美貌で名高いヴェルチュルーズ侯爵夫人から仮装舞踏会の招待状が届く。館の大広間で繰り広げられる仮装舞踏会。扇情的な異国の音楽が奏でられ、エミールとナディーヌに、そしてシャルロットと侯爵夫人、ショーマレー中尉にも官能の波が押し寄せる。
ロダン、ジャン・コクトー、ニジンスキー、モディリアーニなども登場する中、煌めきに満ちた女性たちの甘酸っぱく、香気に満ちた物語。(「amazon.co.j
さて、
「年老いた大樹にも、緑の若芽は息づきましょう。まだ年若い小枝の先にも、艶なる黄金の彩りは宿りましょう。それはいずれの世紀にも起こりましたこと。この世紀の初めにそれが起こりましても、なんの不思議もないことでございます。」(p9)
「ベル・エポック(よき時代)」。1890年頃の19世紀末から1914年の第一次世界大戦開幕までの時代のことを指す。
フランス第三共和政の時代
19世紀中頃のナポレオン3世皇帝時代から発展した産業革命によって、経済が隆盛し、上下水道の整備による公衆衛生の改善、交通網の発達や電話の実用化など、生活インフラが大幅に向上、さらにエッフェル塔の完成やパリ万国博覧会の開催など、パリへは世界中から富豪が集まった。その注文に答えるように芸術家、建築家、宝飾家、作家、研究者などが各分野で活躍の場を与えられ、都市文化が栄えるようになった。
【絵】岡田嘉夫
20世紀初頭、パリ社交界の数奇で耽美的な恋愛譚。美文調の文体から醸し出す、艶めかしさ。橋本治らしい物語。
※本文中に一カ所「1910年5月の末日(みそか)」という具体的な日にちが記されている。(p104)
マルメロ
マルメロという名はポルトガル語の「Marmelo」から来ているとのこと。
マルメロの花言葉は、「幸福」「魅惑」。「愛の糧」にも例えられる。
古代ローマ人は寝室の芳香剤としてマルメロの実を置き、ルネッサンス美術では情熱・忠誠・豊穣の象徴になった。
※「かりん」とは別種のようだ。
「ふくよかに匂い立つマルメロのお酒を口に含んだショーマレー中尉は、再び口を開きます。
『察するところ、マドモアゼル・ナデイーヌは、結婚がお嫌い―ということですか? 一生をリキュールの瓶の中で暮らすのはおいやだ、と』
ショーマレー中尉を見て、そしてそのまま視線を姉のシャロットにひたと向けて、ナデイーヌは申しました。「ウイ!」
シャルロットにはその「ウイ」が「ノン」と聞こえました。」(p62)
こうして、姉妹の恋愛・葛藤・遍歴が語られます。その語り手は、ガラス工房の主宰者、アンヌ・ボナストリュー。聞き手は、離婚し、心を病んだ娘と暮らす日本女性。
「パリに来たナデイーヌの手を引いた人は、社交界にふさわしい大富豪でございました。ひそやかな恋もまございました。でも無粋なことに、その人は姉の夫。心のままに生きようとしてナデイーヌは、夢のタピスリ(掛け布)を引き破るばかりでした。」(p200)
「シャルロットとエミールとの間に生まれたボナストリュー家の一人娘、アンヌ・ボナストリュー。八十歳になる彼女の口から母と叔母とにまつわる話を聞いたのは、一九八九年のこと。場所はヴエネッツイア、大運河に臨む彼女のメゾン(住居)の一室だった。」(p202)
※アンヌはナデイーヌを母親と思っていた。
「・・・人の世を逐われた女にとって、愛する人と共に世をさすらうことは、決してつらくはございません。・・・革命のロシアに潜入いたしました二人は、スパイの容疑で捕らえられ、シベリアへ送られました。別れ別れになって、その後は知れません。おそらく二人は、お互いを求めながら、飢えと寒さに死にましたのでしょう。その先は、ナデイーヌも知りませんでした。」(p214)
獄中で組み合わせて造った粗末なガラスの飾り物を手にしたアンヌ。
「それは粗末な色ガラスでございました。それを手にして、光にかざして、私はその刹那、母を思い出しました。母としてシャルロットが私の胸に訪れましたのは、その時が初めてでございました。人は心を見ます。見るべきものの向こうにございますものは、人の心でございましょう。私は、その哀れな飾り物に『母』を直感いたしました。そこにあるものは『恋しい』と思う心の色でございました。」(p215)
「心を鎖すものは、人の思惑。心を鎖す檻となるのは、官能の肉。その肉に通う血の色が赤くなれば、人の世に不幸はないはず。でも、人の血は赤く、人は不幸に泣く。泣かなくともよいのよ。ご覧(ろう)じませ、人の世はさまざま―。
そうして老婦人は立ち上がると、大運河を望む部屋の窓を開けた。人の世の騒音がそこに渦巻いて、『なるほど、不幸というものは美しいものなのかもしれない』と、私は人の世の平穏に対して、ひそかに思った。」(p217)
鬼才・橋本治の小説を久々に読みました。感動!
特別展「帰って来た橋本治」展
【会期】2024年3月30日(土)~6月2日(日)
休館日:月曜日(4月29日、5月6日は開館)
【開館時間】午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
【会場】神奈川近代文学館第2・3展示室
※この「特別展」は、別の機会に紹介したことがあります。