おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

戦艦ポチョムキン

2012-07-31 22:08:27 | つぶやき
「東電だけきれいなバスに」…下請け作業員不満(読売新聞) - goo ニュース
 とっさに映画「戦艦ポチョムキン」を思い浮かべました。セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督の作品。
 以下の解説は、「goo映画」による。 
 1905年、黒海で起きたポチョムキン号の兵士の革命的叛乱を、オールロケによる記録映画的手法と独創的なモンタージュ技法で再現。その斬新な映画表現は後世の映画人に多くの影響を与えた。
あらすじ
 軍隊の度重なる敗北にともない、ロシア国内には、労働者ゼネスト、農民の暴動、従属民族の反乱が相次ぎ、革命の気運が漸く軍隊の内部にまで高まって来た1905年6月。戦艦ポチョムキンは、労働者のゼネストが行なわれているオデッサの港からほど遠からぬところに碇泊していた。6月14日の朝、甲板の一隅に吊された牛肉の表面に蛆が群がっていることから、水兵たちの怒りは爆発した。
 が、そこに現われた先任士官ギリヤロフスキーにより水兵たちは追いちらされ、食卓には腐肉のスープが並べられた。だが、誰一人として手をつける者はなかった。数刻後、緊急集合のラッパが鳴り渡り、甲板に整列した全員にむかって艦長ゴリコフ(V・バルスキー)は、スープに満足した者は前に出ろと命じ、出ない者は帆桁に引っぱりあげるようにと命じた。水兵たちは動揺した。その時水兵の一人マトウシェンコは水兵たちに砲塔の下に集まるよう呼びかけ多くの水兵はその指示に従った。ギリヤロフスキーは、衛兵に艦首に残った十数名の水兵を射つように命令した。間髪を入れずワクリンチュク(A・アントーノフ)がさけんだ。「兄弟たち、誰を射つつもりか!」という言葉に、衛兵たちの銃はおろされた。ギリヤロフスキーは再度命令したが、撃つ気のない衛兵をみてその手から銃をとり水兵たちを撃とうとした。水兵たちは一斉に立ち上った。軍医や艦長は海に投げこまれた。しかし、指導者ワクリンチュクもギリヤロフスキーの銃にたおれた。このポチョムキンでの暴動のニュースはすぐ町中に広がり、多くの大衆の心を大きくゆさぶった。それから間もなくポチョムキンには黒海艦隊が鎮圧にくるという情報が入った。降伏か抗戦かをめぐって激しい討論の末、ポチョムキンは抗戦ということに決った。夜になり、艦隊は姿をみせた。マトウシェンコの命令で、ポチョムキンのマストには「われらに合流せよ」の信号旗が上げられた。艦隊は射程距離内に入った。戦いか、死か、緊張した一瞬がながれた。そして次の瞬間、ポチョムキンの水兵たちが聞いたのは、津波のように押しよせてくる「同志!」という言葉だった。
 かなり以前、観たときの印象は強烈でした。まるで記録映画、ドキュメンタリーフィルムを観ているようでした。中でも、多くの方が感じたように、激しい銃弾の嵐の中、乳母車がオデッサの階段から転がり落ちるシーン(ワンカットでの撮影が長い)は、リアリティ満点で、迫力がありました。
 「革命は些細なことではない、しかし、些細なことから起きる」(たぶんレーニンの言葉)を思い出しました。「食い物の恨みは恐しい」という通俗的な表現も、ついでに。今回は食い物ではありませんが。
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粗製濫造って他にもありそう

2012-07-29 21:14:03 | つぶやき
私ほど資質ある人いない…女性同行の減税市議(読売新聞) - goo ニュース
 「減税」という市民受けするキャッチフレーズで当選した方々。どうも政治家としての資質を疑うような御仁を見かける。国会。小泉チルドレンにもいたし、小沢ガールズにもどうも顰蹙を買う人もいました。
 これからもこういう方々が、お気楽な選挙で当選したあげく、オイオイという方も増えてくるにちがいない昨今の雰囲気。にわか仕込みの主義・主張では、化けの皮もすぐ剥がれそう。それでも、勝てば官軍! 
 国会議員でも、「公的」と「私的」の区別、けじめもつけられない人物も今までも結構いたが、それにしてもこの居直り方はお見事です。いっときの人気商売として、今や、政治家が商売として成り立つ時代は、果たして国民にとってよいことかどうか。
 「言葉のあやで文書に『私的旅行』と書いた。(議員として)おれほど資質のある男はいない。」たしか、とっくに亡くなられた崇高なお方も「言葉のあや」と発言したことがあったが、いったい何のことについてだったか。「文学的表現」とおっしゃったのか。
 そもそも、政治家としての資質などというものは、既にないものねだりなのかもしれない。
 おそらく「反増税」ではなくて、野田内閣は「反原発」「脱原発」で倒閣するであろう。それ以前に野田さんに対する信頼・信用への決定的な不信感がそうさせるであろう。それは、自公への信頼回復ではなく、これまでの財界依存・官僚依存の日本の統治システムを根本的に変革することになるのではないか。その意味では、橋下さん率いる「維新の会」の存在意義が増すことになる。
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見沼代親水公園その2

2012-07-28 12:27:40 | つぶやき
 見沼代用水と毛長川との交差する地点。つい最近までは、見沼代用水はサイフォンの原理を利用して(伏越)毛長川の上を越えていました。流路付替え工事と橋の付替え工事もほぼ完成、今度はそういう方式ではなくなったようです。北から流れてきた見沼代用水を直接、毛長川に落とす仕組み、橋も立派になりました。現在の浄化装置の説明版はありましたが、過去の様子・仕組みを掲示板・モニュメント等で表示するといいと思いますが・・・。ちょっと期待していたので、残念。それでも、緑道公園は炎天の下、四阿などには年寄りたちの憩う姿も。
 それにして、暑い日が続きます。
毛長川との交差する地点。左右に流れているのが毛長川。川底までけっこう深い。かつては、その上を用水が通過していた。
新しい橋の北側から見たところ。勢いよく大量の水が毛長川に落ちています。現在は、流れの一部が毛長川の下をくぐっているのか。
見沼代用水の上流。
北西から流れてきます。
毛長川の西方向(上流)。
見沼代親水公園。沿道はよく整備されています。
神領堀親水緑道。見沼代用水から分岐した用水路跡。「神領」の由来は、このあたりが上野の寛永寺の所領の土地だったから。
「舎人二ツ橋」の由来が記されたモニュメント。かつてはここで毛長川と見沼代用水とが接近していました。現在は、毛長川の水路が北側に変更され、ここには記念碑のみ。舎人ライナーの終点「見沼代親水公園」駅そば。
モニュメントの全景。奥がかつての毛長川の水路(現在は緑道)。左に沿って「見沼代用水」の流れ。
尾久橋通りをはさんで、正面奥が「見沼代親水公園」の東側入口。
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決める政治が国民の思いを切る政治に

2012-07-27 00:04:10 | つぶやき
構図の似るオスプレイと原発問題をリスクとリターンの視点で考える(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
 徹底した民主党政権批判を貫いているこの方の主張には、疑問符がないわけではないが、今回の論評には肯く点が多々。野田さんの決める(決断する)政治が、いかに国民の切実な思い・願いを切っているか(ないがしろにしているか)について、ご本人は全く分かっていないようです。原発再稼働もしかり。
 もともと、野党の自民党は原発推進、日米同盟深化の路線。財界・官僚と一体となって(言いなりになってきた)これまでと同様、「原発再稼働賛成」「オスプレイ配備賛成」に変更はないはず。敵失から解散総選挙で与党に返り咲くことができそう、その深謀遠慮で、ただ黙っているだけ。浅ましい姿よ。
 野田政権NO!民主党政権NO! しかし、その後に期待を集めるのは、自民党ではなくて、橋下維新の会などの第三極待望論。そこにアンチ戦後憲法・超保守のイシハラさんを頭にした返り咲きの「青嵐会」一派。遅れてやってきた新自由主義(自己責任、小さな政府)の「みんな」等が加わる。社民や共産は残念ながら、おそらく埒外。「生活」は、一定の支持は集めそうな勢い。小沢さんの主張(反野田という)は、一応納得できる面もある(選挙に有利だから言っているだけ?)が。
 特に、「国民の生活を守る」というよりも「中国やロシア、韓国、北朝鮮から国家を守るのが第一、それあっての国民生活なのだ」。その主張への支持者がけっこう増加中。産経の「反共・反民主・反戦後民主主義(憲法)」キャンペーンが、今や、一定の国民(とりわけネットびと)に受ける世の中になりつつある。桜井さんなど彼らが言う「正論」が当たり前の時代がやっと来た! というような気配。声高な論調には、くわばら・くわばら。
 こうして、民主党の後には、公務員攻撃と学校いじめと自衛隊増強と憲法改「正」と・・・。そういえば、主義主張も曖昧のまま、常に勝ち馬に乗りたがる「公明」も、政界再編の機運に乗じて、虎視眈々と政権与党入りを目論んでいる。
 こうした魑魅魍魎の政治情勢・未来を「物知り」顔の田中さんはどう捉えているのだろうか。そこを知りたい。
 
 
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東名・大和トンネルはどうにかなりませんか

2012-07-26 20:57:02 | つぶやき
なぜ渋滞時は追い越し車線のほうが流れが悪いのか(プレジデントオンライン) - goo ニュース
 東名にはしばしば利用。何年も前からの体験で、渋滞時には左側を走行する方が、何となく流れがいいように感じています。さらに、ただ左を走るのではなく、高速バスや大型トラックの動きを見ながら同じように車線変更をしていくと、やはり何となくスムーズに。
 一方で、自然渋滞の発生しやすい所、東名では大和トンネル、中央なら小仏トンネル。特に大和トンネルは、上下線とも休日になると必ずといっていいほど、渋滞情報が出ます。
 東名の下りは大和トンネルまでが上り坂、帰りはその反対。どっちもそれを過ぎると流れがよくなる傾向。トンネルという構造をなくす、あるいは車線を増やせ(登坂車線)ば、少しはスムーズに流れるのでは、と素人は考えます。上に何か問題があるのかどうか・・・。新東名が出来て以来、御殿場からは西はけっこうスムーズに流れることが多くなりました(料金も安くなって)ので、よけい気になります。
 今週末も東名で出かけます。
 余談ですが、御殿場から富士方向。新東名の上に架かる橋はほとんど斜め(それもけっこう急)、海側に向かって傾斜する橋。富士山側からなだらかに海に下がっていった森・山をスッパと見事(?)に切り取って造成した直線道路、という印象です。元々の東名ではあまり感じませんでした。動物たちも自由に行き来していたところがばっさりなくなってしまったのだから戸惑うでしょうね、動物注意の標識が目立つ道路でもあります。
 「駿河湾沼津」は、趣のあるS・Aです。海鮮丼がおいしい。上り線の「鐘」も何だか場違いで、かえって面白い。建物内のお店は充実しています。
連れの女性に言わせると、「安っぽいラブホテルみたい」「・・・」
そう言いながら、土産とパンをしっかり買いました。
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見沼代親水公園

2012-07-25 22:38:31 | つぶやき
 見沼代用水(みぬまだいようすい)は、江戸時代の1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために開いた灌漑農業用水。流路は、現在の埼玉県行田市付近の利根川より取水され、東縁代用水路は東京都足立区、西縁代用水路は埼玉県さいたま市南区に至る。埼玉・東京の葛西用水、愛知県の明治用水とならび、日本三大農業用水と称されている、とのこと。
 日暮里から舎人ライナーに乗って終点まで。最末端の水路、足立区にある「見沼代親水公園」に行ってみました。ほんのさわりの部分だけですが。夏休みのせいでしょう、子供たちや親子連れが見られました。水路に沿って遊歩道があります。
舎人ライナーの終点の「見沼代親水公園」駅先。日暮里から尾久橋通りの上をずっと通っています。延長する予定もありそうですが。
駅を降りてすぐ右手のところ。ここから公園の東南部分が始まります。
途中の神社にあった古木(区の保存樹木)。
少し歩いた先にあった休憩所。しばし一息。
カルガモがいました。
ザリガニ捕りの親子。糸の先にスルメをつなげて石の陰に隠れているザリガニを捕まえていました。お見事! ザリガニをゲット。今も昔も変わらぬ風景に驚きました。
「舎人ライナー」の車窓から。無人運転。駅に近づくたびのアナウンス、西日暮里駅と舎人公園駅以外(たぶん)は、お医者さんの宣伝でした(たまにあわせて保育園とか不動産屋さんのも)変なところで感心しました。
遠くに見えるのが、スカイツリー。
 ところで、見沼代用水は、見所満載の水路。この先の毛長川との交差は「伏越」になっている、とか。葛西用水と八か村落し堀との交差地点でも橋の名として残っていましたが。
 その北西へ北へと続く水路探訪はまたこの次にします。そして、水路は南下して東武竹の塚駅付近から綾瀬川方向に縦横に伸びていきます。ここもまた興味深い。
毛長川上流方向。
毛長川のもとの水路。緑道になっています。
今の毛長川から見た緑道。
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神明六木遊歩道

2012-07-23 22:42:35 | つぶやき
 東京都足立区と埼玉県八潮市の境界線、垳川沿いの遊歩道。中川から綾瀬川まで約2キロの行程です。今回、自転車で出かけました。古い樹木が遊歩道に沿って並び立ち、木の根が張り出して狭いところもあって、マウンテンバイクみたいな感じで走るところも。木漏れ日の下、ここはゆうくりと歩くのが最高のようです。老齢のご夫婦など歩く姿も。また、釣り人にも逢いました。
出発点。木の間越しに対岸の水門が見えます。
右に垳川、左は住宅の裏の垣根に沿ってという感じのところが多い。
途中の児童公園。怪獣などの面白いデザインのモニュメントが多数。
垳川。釣りも出来るくらいにきれいな水の流れ。
葛西用水(曳舟川)との合流点。葛西用水のようす。
水門から。正面が葛西用水、クロスしているのが垳川。向こう側は、八潮市。
護岸工事が完成し、すっきりした川筋に。
垳川の東方向。
しばらく進むと、綾瀬川との合流点(浮塚)。上は、首都高三郷線。
綾瀬川下流。綾瀬川もここまで来ると、自然な河川の雰囲気に。
案内プレート。遊歩道は、毛長川沿いにまだまだ西に続きます。
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読書「神様2011」(川上弘美)講談社

2012-07-22 22:58:01 | 読書無限
 1993年に書かれた短編「神様」。熊の神様が登場するお話。暑い季節、三つ隣の部屋に引っ越してきた「くま」に誘われて近くの川原に散歩にでかます。そこで出会った親子連れとの微妙にすれ違う会話、水に入って魚を捕るくまのようす、干物にしてくれる・・・。「いい散歩でした」、と。
 作者は、2011年3月末にあらためて「神様2011」を書き、「群像」6月号に掲載されました。その二つを合わせて一冊の本にしたものが、これ。
 川までの道の両脇に広がっていた水田もなく、川には親子の姿は消え、防護服を着た人物がいるのみ。荒涼とした風景の中でのくまとの会話。同じように魚を捕ってもその放射能含有量のことが常に話題になる。・・・
 川上さんは、日本のみならずこの地球上には人為的な神様もいれば、自然の神もいる。そういう様々の神様の存在、それらとの人間の関わり、相手から見た人との関係性、どちらも人間の都合から神様をとらえていくことへの傲慢さ。そうしたことを突いています。
 今は、むしろ自然の神様の側から人間の所行をどのように見ているか、特に地中深く眠っていた放射性物質を人間の欲望のために取り出し加工し、今回のような事態を生んだ近現代の歴史。神をも恐れぬ人類の営みへの警告、それを肩を張ったものではなく描いています。
 今回の原発事故、さらに原発再稼働を考え、行動する糧として一読をお勧めしたい。
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八か村落し親水緑道(続編その2)

2012-07-21 11:49:00 | 河川痕跡
 JR亀有駅の北西にある葛西用水。「八か村落し」はそのすぐ東側、南北に流れていました。葛西用水とどのように交差していたのか、気になるところです。
正面が水路跡。南北に葛西用水がながれています。現在は、葛西用水は緑豊かな親水公園となっています。「八か村落し」の方は、道路に沿った親水緑道。
葛西用水を越えたすぐ西側にある案内プレート。
「碇伏越橋」。葛西用水との交差地点。葛西用水の下をくぐっていた。
 ※伏越(ふせこし・ふせごし)とは、木や石の樋を地中に埋め、逆サイフォンの原理で交差する川をくぐって水を送る仕組みのこと。
交差する葛西用水。復活事業で豊かに流れています。
このあたりには、橋名にちなんでの「碇」をテーマにしたモニュメントが3つ、水路に沿って展示されています。
その一つ。「木猫」?これは「木」の間違いでは。
歩道の脇に細い水路が続きます。
住宅街に沿った水路は、やや広め。流れもあって、落ち着いた散歩道です。
南側を望む。その先は、古隅田川につながっています。
古隅田川跡から見た八か村落水路跡。
葛西用水の東側にある「八か村落親水緑道」の標識。 
 この水路は、古隅田川の北側を曲がりながら西に進んでいました。六木からは、葛西用水の東側をほぼ南北に貫いていました。
北上すると、路地のようになって、大谷田陸橋近くの環七にぶつかります。環七側から見た用水路(跡)。
 この先・北側のかつての流れは、道路になっていて分かりません。が、都立足立東高校の西側の道路がかつての水路と思われます。それを北に向かうと、佐野家屋敷森の西、そして花畑運河まで水路跡をたどることができます。このあたりが六木、佐野・・・、ということで、六木(むつき)、佐野新田(さのしんでん)、大谷田(おおやた)、蒲原(かばら)、北三谷(きたさんや)、普賢寺(ふげんじ、現在のJR綾瀬駅の北)、五兵衛新田(ごへいしんでん。現在のJR亀有駅の北東)、伊藤谷(いとや・現在のJR綾瀬駅の南西)と北東から南西に向かって「八か村」を巡っていた水路というわけです。
大谷田陸橋を越えたあたり。広い歩道になっています。
団地の東側の道路。「誕生」というモニュメント。
足立東高校前の道路。
南側を望む。
大谷田。この道がかつての水路跡? 北に向かいます。
八百免公園。昔の屋敷風の四阿。
説明版。このあたりに「八か村落し水」がきていた、という。
「佐野いこいの森」。屋敷の西側。
屋敷内の森の一部。日曜日と水曜日は一般開放されています。
六ツ木地区。このあたりまで水路があり、西の方にも水路が分かれていました。
 大谷田陸橋以北は八百免公園の説明版の他は、これといった水路の面影はないようです。
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またしても「蜂の一刺し」。

2012-07-20 07:21:48 | つぶやき
橋下市長、不倫報道で「まず妻と子に謝る」(読売新聞) - goo ニュース
 小沢さんに続いて、今度は飛ぶ鳥を落とす勢いの橋下さんへの一撃。「まず妻と子に謝る」というのが彼らしい。家庭内問題に収めることで、政治的影響を避ける、ということか。果たして目算通りいくか。何しろ、「体制」にとって好ましくない人物になりつつあるから、橋下さんは。 が、初代「蜂の一刺し」があった田中さんの時のようにはかりごと通りにいくかどうか。小沢さんの場合は、次の一手がなかったために、何だか話題に上らなくなった(ボディブローのようにきいてきているのかは定かではないが)感じ。そう思うと、橋下さん、言葉巧みに逃げ切る算段、とみた。これから先、執拗に二の矢、三の矢が用意されていると、事は簡単ではない、とも。
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読書「音」(百年文庫)ポプラ社

2012-07-19 22:34:38 | 読書無限
 暑い日には、涼しいところで、読書。例えば、行き帰りの電車の中。幸いにゆっくり座ってほどよいクーラーがきいていて。
 が、暑いところを歩いてきて、座席に座ると、ホッと一息、ついつい居眠り。気がつくと乗り換え駅。ということもままありますが、読書もたまには。
 百年文庫は短編シリーズでほどよい長さ。時にはすてきな清涼ドリンクにもなります。このところ、女性作家のものを。
 幸田文さん「台所のおと」。そして、川口松太郎さんの「深川の鈴」。もう一つは、俳人・高浜虚子の小説「斑鳩物語」。前の二つがとてもすてきでした。
 特に幸田文「台所の音」。ついつい夢中になって読んでいて、慌てて飛び降りました。夢中になることは素敵ですが、時には心臓によくないことも。ちょっと大げさですが。
 後数ヶ月しか持たないだろう、病の床につく「佐吉」とかいがいしく台所で働く20歳も年の差のある女房の「あき」。本人には気づかせまいとの周囲と自然と己の生命の長くないことを悟っている本人と、互いに心を許しあう人々の(市井の人々の)心の機微が描かれています。
 「なか川」という小さな料理屋が舞台。病で倒れ台所に立てなくなった夫に代わり、それまでともに作りだしてきた料理を今度は一人で料理する「あき」。障子一枚隔てた病の床で聞き耳を立てて聴く「佐吉」。今の音は何をしている音なのか、ちょっと水の出し方が・・・、自分が立てる音ではないもどかしさの中で音を聞き分ける。心の動揺をもそのかすかな音で見分ける神経の高ぶり・・・。
 包丁を、水を、油を・・・、それぞれの音が作り出す微妙な音色。一つ一つの音の、あるいは一連の流れの音の醸し出す雰囲気、味わい、それを感じる人の心とそのふれあい。
 幼い頃、自分が病気で寝ているときなど、隣の台所で立てる母親の物音、いったい何をしているのだろう? そんな子供の頃の記憶は誰にでもありそう。自分が動けないもどかしさと不安と母親がいるという安心感と・・・。
 作者の幸田文さんの文章、厳格な父親幸田露伴の晩年を看取った経験が生かされているような文遣い。くわいを揚げる音と雨の音のオーバーラップ。雨を待ちわびる病人の心と台所の情景が見事に浮かび上がってきます。
 ラストは、お手伝いする若い二人の結婚の話と5月の幟の話で終わる。4月までの命と悟りつつある二人にとってかなわぬ5月への夢、その上での諦観が巧みです。
 最近は、こうしたしみじみとしたお話が好きになりました。年のせいでしょうか。
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民主党のやることなすことすべて崩壊へ。

2012-07-18 21:53:27 | つぶやき
電力社員の意見表明認めず=「疑念生じさせるな」と首相指示―エネ政策の聴取会(時事通信) - goo ニュース
 反原発の大きなうねりも、主だった政党は無関心を装っているようす。組合も、連合などは「脱」でもなければましてや「反」でもない。共産党や社民党くらいは参加したのか、小沢さんのグループは参加したのか、朝日新聞などの報道では、一切不明。
 大江さんなどの呼びかけなどに賛同した人々が集まってきての大集会。一時の組合主導・野党主導の反自公政権運動・集会よりも、大規模。
それを面白くなく思う人も、大勢。何しろ反原発運動をぜったいに許さない流れが、財界にも政界にも大マスコミにもあるから。
 今回の聴取会。委託業者の博報堂も、その体制に組み込まれた会社ではないか。どうして自前で開催できなかったのか? 最初から逃げを打っているとしか思えない。
 そもそも、それぞれの立場で同じ数だけの意見表明をさせる、ということ自体、不合理。また、電力会社の社員で「0」への賛成意見を表明できるような日本の企業風土でもない。当然、現状維持の立場に賛成するに決まっている。その立場の数が少なければ、選ばれて意見表明する機会も多くなる。地元にいなければ他の地域の賛成者を選ぶ。丸投げ路線の最たるもの。
 今になって軌道修正しても、時、すでに遅し。もうとっくに見抜かれている、今の野田内閣が自民党以上に財界寄りそのもので、脱原発路線ではないことを。大飯原発の再開問題で。
 自民党も敵失ににやにやしているが、同じ穴のむじな。先に自民が崩壊し、今度は選挙互助組織だった民主の崩壊。当然と言えば、当然だが。「かわいさ余ってにくさ100倍」の様相になってきた。
 失われた信頼は、ちょっとやそっとでは回復できない。壊すのは簡単だが、作るのはその何倍もの労力が費やされる。その労を惜しんではならないはずだが、また離党者が出た。「反原発」を掲げて。女性4人、さっそく「原発推進至上主義者」から攻撃されている。
 それほど、脱・反原発はお上にとっては許せない主張なのだ。だから、まだ民主党・野田さんは首相をやっていられる。橋下維新の会もこの一点でどうなることやら、危惧している。ま、彼は、世間智が世間の人の何十倍もあるから、大飯原発の時のように、脱原発の旗を振りかざし続けるか、一転、降ろすか。
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梅雨明け。花火大会の季節。

2012-07-17 19:28:36 | つぶやき
 梅雨明け。暑い、暑い。今朝の東京の空の青さは、飛行機から見るような抜けるような青さ。すでに7時過ぎには、室温は30度を超えていました。
 行き帰り、出かけるのも一苦労です。昨日は、孫たちにプールを駐車場で。ドンキで買ってきたプール。広げてみたら、大きいこと、大きいこと。駐車場いっぱい。去年までの数倍の大きさ。1時間かけてもなかなかいっぱいにならない。よく見たら約2000㍑も入るとか。普通のお風呂の約10倍。
 広げるのも、大変。3人がかり。ガムテープで周囲の柱につなげ、だんだんとプールの雰囲気が・・・。待ちに待ったプール。孫たちは大喜び。巨大プールの完成。午後から2時間以上の楽しんでいました。見ている方は、時々炎天下。時々クーラーのきく部屋。
 終わった後の始末も大変。あふれ出た水が洪水のよう、四方は一瞬、水浸し。今、このとき、ゲリラ豪雨で泥水に浸かり、悪戦苦闘している方々には申し訳ない気分。
 「これじゃ、後一回か二回くらいだな。」水道メーターも昨日は以上に多かったはず、けっして水漏れではありませんので、水道局様。
 ふと、思い出しました! 現役時代、プールの水を入れる水道のバルブを閉め忘れ、半日くらい出しっ放しにしてプールサイドから溢れ、外まで流れ出てしまった、という「大」事件を起こした元水泳部顧問の先生のことを。すでに遠い昔、時効でしょうか?
 そして、京成のとある駅のホーム。電車待ちしているとポスター。いよいよ花火大会の季節ですね。
 この催し。何と1万円の前売りの指定席券(何でも花火師が手に持って火を付ける花火が間近に見られるらしい、です)や1000円の当日券とか、葛飾の花火大会などは無料で見られるのですが、こうしてけっこう有料の花火大会も多いようですね。
 この会場、最寄り駅から40,50分くらいと記されてありました。印旛沼も大きくて遠いんですね。
 このポスターは、私的には気に入りました、ずばり「花」「火」です。
午後には雲がかかって少ししのぎやすくなりました。
スカイツリーにかかる雲。何だかスカイツリーが出来てから、このあたり雲が出やすくなったような・・・。気流に微妙な変化が。
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八か村落し親水緑道(続編その1)

2012-07-16 19:55:23 | 河川痕跡
 「八か村落し親水緑道」は、2009-05-30にアップしたことがあります。
 
 ・・・葛飾区にある「曳舟川親水公園」は常磐線の線路をくぐってしばらく行くと、足立区に入り、名称も「葛西用水親水公園」と変わる。葛飾区側と違って用水の流れを自然に生かしたようになっていて、親水公園らしい感じがするのは、こちらの方。
 途中、「八か村落し親水緑道」に出会う。この用水は、「八ヶ村落堀」を整備改修したもの。「八ヶ村落堀」は江戸時代にこの辺りが新田地帯であった頃、現在の足立区の東北、六木から大谷田、東和を通り、南西の綾瀬にまで続く長い水路であった。
 名前の由来の「八ヶ村」とは、六木(むつき)、佐野新田(さのしんでん)、大谷田(おおやた)、蒲原(かばら)、北三谷(きたさんや)、普賢寺(ふげんじ)、五兵衛新田(ごへいしんでん)、伊藤谷(いとや)の八つの村を指し、水路がこの地域を経由していたことから、「八ヶ村落堀」と呼ばれていた。足立区東部の新田地帯の下水・雨水を排水する重要な水路であった。一方で、近年、下水道が完備するまで、この水路が増水し、近隣住民は、たびたび水の被害にあっていた。 この流れは、昭和22年の航空写真でもはっきりと分かる。
 現在は、綾瀬駅北口付近まで、さらに葛西用水を越えた東側までよく整備された緑道になっていて、住宅街のなかにありながら、緑も水量も多く、憩いの空間を与えてくれている。
 降りしきる雨の中、しっとりと落ち着いた静かな雰囲気の緑道でした。・・・
 
 さらに、2011-8-11にも掲載しました。  
 
 ・・・現在は、下水の再利用によって、綾瀬駅北口付近から東に向かい、葛西用水を越えた東側までよく整備された緑道になっています。住宅街の中にありながらも、木々の緑も豊かで、水量も多く、憩いの空間を与えてくれています。残念ながら、場所によっては電力削減策によって、全く流れが途絶えてしまったところもありますが。
 葛西用水から少しばかり西に、炎天下の中でしたが、歩いて見ました。今日の終点は、公園になっていて、そこには、小高い丘と小さな遊水池がありました。北に隣接された保育園からは、子供達の、暑さに負けないような賑やかな声が響いていました。今度は、もう少し、西に向かって歩きたいと思います。
西に向かう道路に沿って流れていますが、現在は節水中のため、流れはないまま。
交差する道路をわたる手前にある「標識」。
道路を渡ると細い流れが続いています。流れに沿って遊歩道も整備され、歩きやすい道が続きます。
サルスベリ(百日紅)の花。街路樹として、花火のように青空に照り映えるサルスベリよりも、こういうふうに流れにさしかかるように咲く方がマッチしています。
今日の終点の公園の流れ。
親水緑道は、もっと西へ向かっていきます。・・・
 以上がこれまでUPした記事。写真も去年のもので、節電のため、水路に水がないところが目につきました。
 
 ところで、たまたまあれこれと「ブログ」巡りをしていると、先日亡くなった地井さんが2012年1月10日、テレビ朝日「ちい散歩 下町のお洒落スポット 亀有さんぽ」で、「街道を流れる小川のわきにある『八か村落し親水緑道』の解説を読む地井さん。」という紹介記事がありました。
 そこで、在りし日の地井さんの姿を回想しつつ、久々に自転車で出かけてみました。暑夏のひとときです。
蒲原方向からの水路(八か村落堀の一部)と本流の合流地点。
区立蒲原中前の水路跡。かなり幅広い水路でした。
公園の南に続く道。
東綾瀬公園からの道に出会います。
木漏れ日の緑道がしばらく続きます。
東京メトロ・北綾瀬駅への高架線の下をくぐります。
大きな道路に架かっていた「綾北橋」。
ここまで来ると、町中になって道路脇のせせらぎも細くなってしまいます。
このあたりで、古隅田川と合流する水路とまっすぐ綾瀬川方向に進む水路とが分かれていました。左が古隅田川跡の緑道公園。正面が綾瀬川方向。
公園の水路には水が流れていませんでした。正面が綾瀬駅方向。
水路跡を振り返る(東方向)。

 実は、この水路は、足立区の北東・六木地区からの排水路。その痕跡を訪ねて、次回は、葛西用水の東側、足立区東部を北上します。
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古隅田川跡をたどる(番外編その2)(お花茶屋駅~四つ木・綾瀬川合流点)

2012-07-15 11:56:54 | 河川痕跡
 お花茶屋駅から道はほぼまっすぐ南に向かいます。東側にある曳舟川と並行しています。かつての水路は、一部が「みどりの散歩道」と表示された緑道になっていますが、大半は一般道路でした。
京成上野線「お花茶屋駅」。懐かしい駅です。駅前の雰囲気(特に南側)は50年前とほとんど変わらず。
右側が水路跡。
まだ水路が残されているような雰囲気が。
「みどりの散歩道」脇。サルスベリ(百日紅)が咲き始めていました。
歩行者と自転車が行き交う道。「みどりの散歩道」という標識もかすれ気味。
途中見かけた現役の銭湯「末広湯」さん。
葛飾区立四つ木中脇。かつてここが水路だったと思う人も少ないのでは。
合流点近くから北東側を望む。
綾瀬川との合流点。頭上は、首都高。
すぐ脇にあった「六方排水場」。
ここに来て初めて見た水(排水)。
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