ついに、痛ましい自殺者が出た。
単位偽装問題で校長が自殺した。
以前、君が代日の丸問題で、広島の校長が自殺した。
強制反対の組合とやらせろという教育委員会との
板挟みの中(というマスコミ報道がまかり通った)で、自ら命を絶った。
この死をきっかけに、「国旗国歌法」が成立。
実は、この校長先生。君が代日の丸の強制には反対だったという。何とか無事に卒業式を終えたい、と思っていた。しかし、県教委は許さなかった!
県教委の圧力の中で悩んでいたようなのだ。
何とか「学習指導要領」との整合性を実現させ、
それから、各地で(特に東京では)強制通達が矢継ぎ早に出された。
通達、反対、処分、通達、
研修、訴訟、強制は違法の地裁判決、控訴・・・、と今も混乱が続く。
教育委員会は、校長に対しては、
控訴中だから、今までの方針を変更する必要なし!
校長はきちんとやれ!
校長は反対する教職員との対立にめげず、頑張れ!
校長の責任で、職務命令をきちんと出せ!
こうして、校長に全責任をかぶせて、
すべてを学校長の判断によるとして、
最終責任すらとろうとしないようだ。
今回の問題でも、各地の教育委員会。
現場の校長に責任をかぶせ、校長の指揮監督の不十分さを責め立てている。
またしても、現場の校長は、事態の収拾を巡って苦悩する。
生徒に、保護者に、何と弁明したらよいか、
どう単位認定したらよいか、
卒業式はどうするか、
生徒の不安や保護者の怒りにどう対処するか。
高校教師一筋で、管理職になった校長は、教師としても苦悩する。
その後、日の丸君が代問題では、法的圧力が一段と強くなった。
今回の責任は、誰がどうとるのか?
カリキュラムの編成責任は各学校長にある。
またしても、校長が責任を取らされる構造に。
そして、学習指導要領の法的拘束性(憲法学者、法律学者には異論も多い。文科省の告示にすぎないのだから、「指導要領」は。)
を強めようと画策するだろう。
より厳しい通達(この文書の扱いは職務命令で、これに従わなければ処分される)を出して、現場の校長を締め付けるだろう。
校長は、今度は、学校の教職員に、
職務命令をもって、きちんと学習指導要領通りにやれと命じるだろう。
そして、教科書を使って指導要領の内容の通りに、授業を行っているか。
おそらく毎日または週ごとに、授業の内容をきちんとチェックするだろう。
命令に従わなければ処分!
今回の問題。一個人が考えて行ったものではない。
学校ぐるみで行ったことだ。
しかし、矛先は一人一人の教師に向かう。担当教師に向かう。
カリキュラムを作った教師たちに。
それで、事態は解決するのか。
この問題の元凶は、大学入試にあることを忘れて、
おざなりの処分と、いい加減な救済策で一件落着!
残ったのは、ますます厳しい日常的な授業監査。
大学入試の抜本的な改革なくして、この問題の解決はない!
大学の入試(特に難関大学の入試)が、
高校の学習指導要領のレベルをはるかに超えた、
難問奇問を出して落とす試験を実施している限り、
結局は、予備校を喜ばすだけだと思う。
何しろ、日本史にしろ世界史にしろ、
重箱の隅をつつくような、「資料集」の赤字で書かれてもいない、
人名や出来事や年号が出されるため、
受験生は、膨大なカタカナ、漢字、数字の量を暗記させられるのだから!
トウダイの入試。センター試験は、高校卒業の資格試験的なものにし、
その大学への入学希望者は、出来る限り受け入れる。
その上に、入ってからの教育で厳しく教え、落第させる。
トウダイには10万人入れてもいい。
その代わり、出るときには4000人くらいまでに絞り込む。
そうした徹底した、大学教育のあり方を目指すことが、
今こそ必要なのではないか。
高校教育はそうならない限り、
いつまでもゆがめられ、
現場の生徒、保護者、教師、校長を泣かすだけになってしまう。
そして、新たな犠牲者が生まれる。
今回の悲劇を、大学入試の抜本的な改革によって断ち切るべきだと思う。
締め付け強化、通達、処分、抜け道探し、ごまかし、受験対策・・・。
こうした悪循環をいつまで続ける気なのだろうか、文科省は、政治家は。
単位偽装問題で校長が自殺した。
以前、君が代日の丸問題で、広島の校長が自殺した。
強制反対の組合とやらせろという教育委員会との
板挟みの中(というマスコミ報道がまかり通った)で、自ら命を絶った。
この死をきっかけに、「国旗国歌法」が成立。
実は、この校長先生。君が代日の丸の強制には反対だったという。何とか無事に卒業式を終えたい、と思っていた。しかし、県教委は許さなかった!
県教委の圧力の中で悩んでいたようなのだ。
何とか「学習指導要領」との整合性を実現させ、
それから、各地で(特に東京では)強制通達が矢継ぎ早に出された。
通達、反対、処分、通達、
研修、訴訟、強制は違法の地裁判決、控訴・・・、と今も混乱が続く。
教育委員会は、校長に対しては、
控訴中だから、今までの方針を変更する必要なし!
校長はきちんとやれ!
校長は反対する教職員との対立にめげず、頑張れ!
校長の責任で、職務命令をきちんと出せ!
こうして、校長に全責任をかぶせて、
すべてを学校長の判断によるとして、
最終責任すらとろうとしないようだ。
今回の問題でも、各地の教育委員会。
現場の校長に責任をかぶせ、校長の指揮監督の不十分さを責め立てている。
またしても、現場の校長は、事態の収拾を巡って苦悩する。
生徒に、保護者に、何と弁明したらよいか、
どう単位認定したらよいか、
卒業式はどうするか、
生徒の不安や保護者の怒りにどう対処するか。
高校教師一筋で、管理職になった校長は、教師としても苦悩する。
その後、日の丸君が代問題では、法的圧力が一段と強くなった。
今回の責任は、誰がどうとるのか?
カリキュラムの編成責任は各学校長にある。
またしても、校長が責任を取らされる構造に。
そして、学習指導要領の法的拘束性(憲法学者、法律学者には異論も多い。文科省の告示にすぎないのだから、「指導要領」は。)
を強めようと画策するだろう。
より厳しい通達(この文書の扱いは職務命令で、これに従わなければ処分される)を出して、現場の校長を締め付けるだろう。
校長は、今度は、学校の教職員に、
職務命令をもって、きちんと学習指導要領通りにやれと命じるだろう。
そして、教科書を使って指導要領の内容の通りに、授業を行っているか。
おそらく毎日または週ごとに、授業の内容をきちんとチェックするだろう。
命令に従わなければ処分!
今回の問題。一個人が考えて行ったものではない。
学校ぐるみで行ったことだ。
しかし、矛先は一人一人の教師に向かう。担当教師に向かう。
カリキュラムを作った教師たちに。
それで、事態は解決するのか。
この問題の元凶は、大学入試にあることを忘れて、
おざなりの処分と、いい加減な救済策で一件落着!
残ったのは、ますます厳しい日常的な授業監査。
大学入試の抜本的な改革なくして、この問題の解決はない!
大学の入試(特に難関大学の入試)が、
高校の学習指導要領のレベルをはるかに超えた、
難問奇問を出して落とす試験を実施している限り、
結局は、予備校を喜ばすだけだと思う。
何しろ、日本史にしろ世界史にしろ、
重箱の隅をつつくような、「資料集」の赤字で書かれてもいない、
人名や出来事や年号が出されるため、
受験生は、膨大なカタカナ、漢字、数字の量を暗記させられるのだから!
トウダイの入試。センター試験は、高校卒業の資格試験的なものにし、
その大学への入学希望者は、出来る限り受け入れる。
その上に、入ってからの教育で厳しく教え、落第させる。
トウダイには10万人入れてもいい。
その代わり、出るときには4000人くらいまでに絞り込む。
そうした徹底した、大学教育のあり方を目指すことが、
今こそ必要なのではないか。
高校教育はそうならない限り、
いつまでもゆがめられ、
現場の生徒、保護者、教師、校長を泣かすだけになってしまう。
そして、新たな犠牲者が生まれる。
今回の悲劇を、大学入試の抜本的な改革によって断ち切るべきだと思う。
締め付け強化、通達、処分、抜け道探し、ごまかし、受験対策・・・。
こうした悪循環をいつまで続ける気なのだろうか、文科省は、政治家は。