以前(3年くらい前)映画の原作になった小説について投稿したことがあります。(その時のもの)
1984年9月刊行。70歳を過ぎた著名なフランスの女流作家の、15歳の時の最初の性愛経験を写真を一枚一枚取り上げながら、その思い出を追体験するような、淡々と映像的、叙情的に描いた作品。いわば、セピア色の世界。
仏領インドシナ・サイゴン(現在のベトナム・ホーチミン市)。15歳のデュラスと中国人の愛人との交情の物語であると同時に、彼女の母、二人の兄達との愛憎と殺意が渦巻く彼女の家庭の物語でもある。
「やがて娘は言うだろう、わたしはフランスに戻る費用として五百ピアストルをあの人に頼んだの。母親は言うだろう、あら、そう、パリに住むにはそれくらい要るだろうからね、・・・」
「映像は、手すりに倚る白人の娘に男が声をかけるよりまえ、男が黒塗りのリムジンから降りたときから始まる、男が娘に近づきはじめ、娘のほうでは男が怯じけづいていると気がついたときから。」
15歳の娘が、母からも兄達からも自立していくために、ある種の義務感から独身の中国人との肉体関係を結ぶことになる。初めての性体験の描写も、メコン川ののように夢のようにゆっくりと回想されていく。少女から女への変貌のドラマ。
さらに、寄宿舎で同室の処女の女性(17歳)への同性愛的な関わり(欲望)も赤裸々に語られる。
「あんな上質の小麦粉のような乳房を、男のひとから貪るようにかじられたらどんなかしら。わたしは欲望でぐったりしている。」
結婚できるはずもない二人の関係も2年余で終わりを告げ、主人公はフランスに帰国する。勉学のために。そして、戦後何年かたって、男が妻を連れてパリに来る。再会の電話、会話。主人公は声を聞いただけで誰だか理解する。家族のこと、死んだ下の兄さんのこと・・・。
「男は女に言った、以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、あなたを愛することいをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう。死ぬまであなたを愛するだろう。」
しかし、デュラスは、その時すでにそれを回想するかたちでしか表現することが出来なかった。
フランス文学。独特の味わいのある世界だと感じた。
今回は、それをもとにした映画の鑑賞。公開当時、大胆な性愛描写で話題になった(設定では、15歳の処女と年上の男性との間のセックスシーンなので)。上のような原作をほぼなぞりながら進んでいく。ラストシーン近く、フランスに戻るインド洋上での夜の船上で、聞こえてくるショパンのピアノ曲に、我慢してきた涙がはじめて頬を伝う、というシーンが含まれている。
1920年代の仏領インドシナ(ベトナム)・サイゴン。夫に死なれ、騙されて財産を失い、小学校の先生として生活する母。アヘン中毒に冒され、家の金を盗み、暴力を振るう上の兄、その兄を溺愛する母親。フランスに送り返すとき、波止場で傘も差さずにずぶ濡れのまま見送る母の姿は、印象的。貧乏暮らしの中、長兄への憎しみと母親への屈折した思い、下の兄への同情・・・、そうした葛藤の中で、中国人青年とサイゴンへ戻る船上で出会う。
男物の帽子はしっかりしているが、足元の靴はする切れている。それでもフランス白人女性としての気位と将来小説家になるという夢は確乎として持ち続けている15歳の「私」。一方、中国人の青年。莫大な財産家の父のもと、フランス留学から帰って来た。将来を継ぐことになっているが、今は無職。
フランスの植民地であるが故に、中国人は母や兄にとっては、侮蔑の対象。招待されて高級料理店に出かける親子。話もせず目線も合わせずがつがつと料理に集中するシーン。支払いの時の札束に目が向く家族たち。その後、「私」に向かって、爆発する中国人青年。
親同士が決めた結婚相手がある青年との関係は、お金目当ての「愛人」としての存在であることを、「私」も青年もむりやり納得しよう(させようと)する、二人。
最後のシーンでは、サイゴンの港から遠ざかる船上で、波止場の片隅で車の中、姿は見えない青年を確かに確実に認める「私」。そして、夜中、誰も居ない船上で、ショパンのピアノ曲を聴いて落涙する「私」へと画面は進んでいく。
ラストは、パリでの電話のシーン。窓辺越しに雪が降っている。後ろ姿を映して画面は遠ざかる。終わりの方では、少し情緒的・感傷的すぎるシーンが続く。
戦前の植民地。フランス統治の雰囲気を色濃く残す建物群。雑多な界隈。大勢行き来するのベトナム人の活動的で一方どことなくゆったりとした立ち居振る舞い。悠然と流れる大河、豊かな自然・・・、現在のホーチミン市とも重なる雰囲気が想像でき、すてきな映像が楽しめた。
1984年9月刊行。70歳を過ぎた著名なフランスの女流作家の、15歳の時の最初の性愛経験を写真を一枚一枚取り上げながら、その思い出を追体験するような、淡々と映像的、叙情的に描いた作品。いわば、セピア色の世界。
仏領インドシナ・サイゴン(現在のベトナム・ホーチミン市)。15歳のデュラスと中国人の愛人との交情の物語であると同時に、彼女の母、二人の兄達との愛憎と殺意が渦巻く彼女の家庭の物語でもある。
「やがて娘は言うだろう、わたしはフランスに戻る費用として五百ピアストルをあの人に頼んだの。母親は言うだろう、あら、そう、パリに住むにはそれくらい要るだろうからね、・・・」
「映像は、手すりに倚る白人の娘に男が声をかけるよりまえ、男が黒塗りのリムジンから降りたときから始まる、男が娘に近づきはじめ、娘のほうでは男が怯じけづいていると気がついたときから。」
15歳の娘が、母からも兄達からも自立していくために、ある種の義務感から独身の中国人との肉体関係を結ぶことになる。初めての性体験の描写も、メコン川ののように夢のようにゆっくりと回想されていく。少女から女への変貌のドラマ。
さらに、寄宿舎で同室の処女の女性(17歳)への同性愛的な関わり(欲望)も赤裸々に語られる。
「あんな上質の小麦粉のような乳房を、男のひとから貪るようにかじられたらどんなかしら。わたしは欲望でぐったりしている。」
結婚できるはずもない二人の関係も2年余で終わりを告げ、主人公はフランスに帰国する。勉学のために。そして、戦後何年かたって、男が妻を連れてパリに来る。再会の電話、会話。主人公は声を聞いただけで誰だか理解する。家族のこと、死んだ下の兄さんのこと・・・。
「男は女に言った、以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、あなたを愛することいをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう。死ぬまであなたを愛するだろう。」
しかし、デュラスは、その時すでにそれを回想するかたちでしか表現することが出来なかった。
フランス文学。独特の味わいのある世界だと感じた。
今回は、それをもとにした映画の鑑賞。公開当時、大胆な性愛描写で話題になった(設定では、15歳の処女と年上の男性との間のセックスシーンなので)。上のような原作をほぼなぞりながら進んでいく。ラストシーン近く、フランスに戻るインド洋上での夜の船上で、聞こえてくるショパンのピアノ曲に、我慢してきた涙がはじめて頬を伝う、というシーンが含まれている。
1920年代の仏領インドシナ(ベトナム)・サイゴン。夫に死なれ、騙されて財産を失い、小学校の先生として生活する母。アヘン中毒に冒され、家の金を盗み、暴力を振るう上の兄、その兄を溺愛する母親。フランスに送り返すとき、波止場で傘も差さずにずぶ濡れのまま見送る母の姿は、印象的。貧乏暮らしの中、長兄への憎しみと母親への屈折した思い、下の兄への同情・・・、そうした葛藤の中で、中国人青年とサイゴンへ戻る船上で出会う。
男物の帽子はしっかりしているが、足元の靴はする切れている。それでもフランス白人女性としての気位と将来小説家になるという夢は確乎として持ち続けている15歳の「私」。一方、中国人の青年。莫大な財産家の父のもと、フランス留学から帰って来た。将来を継ぐことになっているが、今は無職。
フランスの植民地であるが故に、中国人は母や兄にとっては、侮蔑の対象。招待されて高級料理店に出かける親子。話もせず目線も合わせずがつがつと料理に集中するシーン。支払いの時の札束に目が向く家族たち。その後、「私」に向かって、爆発する中国人青年。
親同士が決めた結婚相手がある青年との関係は、お金目当ての「愛人」としての存在であることを、「私」も青年もむりやり納得しよう(させようと)する、二人。
最後のシーンでは、サイゴンの港から遠ざかる船上で、波止場の片隅で車の中、姿は見えない青年を確かに確実に認める「私」。そして、夜中、誰も居ない船上で、ショパンのピアノ曲を聴いて落涙する「私」へと画面は進んでいく。
ラストは、パリでの電話のシーン。窓辺越しに雪が降っている。後ろ姿を映して画面は遠ざかる。終わりの方では、少し情緒的・感傷的すぎるシーンが続く。
戦前の植民地。フランス統治の雰囲気を色濃く残す建物群。雑多な界隈。大勢行き来するのベトナム人の活動的で一方どことなくゆったりとした立ち居振る舞い。悠然と流れる大河、豊かな自然・・・、現在のホーチミン市とも重なる雰囲気が想像でき、すてきな映像が楽しめた。
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