今日は昨日とうって変わってジメジメと雨が降る陰鬱な天気です。
沖縄本部半島に有る、今帰仁城の大隅と呼ばれる中庭の様な所です。
画面左側に傾いた基盤岩の層理面が見えます。
中生代三畳紀後期の今帰仁層の泥質石灰岩です。
アンモナイト化石を含むことから、二億年ぐらい前の付加体ではないかと言われています。
今帰仁城の石垣は、これを層理面で平たく割り積み上げたものです。
この泥質石灰岩の表面を見ますと、この様な不思議な模様が刻まれています。
スケールが入って居ませんが、画面の範囲は1.0m×1.5m程度です。
まるで刀の刃を打ち付けた様な跡ですが、今帰仁層の石灰岩はそんな柔な岩石ではありません。
では何かの生痕化石でしょうか、生痕化石は一般にこの様なミミズがのたうった様な
形をしています。(与那国島の八重山層群で撮影)
近くの岩石にも、ちょっとスケールは大きいのですが、似たような構造が有りました。
此で有れば、何らかの構造に沿った溶食跡と想像されますが。
拡大して見ますと、やはり人工的な物で無いことが解ります。
溶食跡であろうとは思いますが、何に起因してこの様な模様に成るのでしょうか、
石の世界には不思議が一杯です。
せっかくの観光地へ行ってまで、こんな物をマジマジと見ているのですから
やはり私はアホな暇人ですね。
今日も又朝から雨が降ったり止んだり、山々は確実に色づきを深めている。
大雪山はすでに白銀の世界とか、ここ札幌近郊も今週当たりが紅葉の見頃か。
落日の風景は美しい、これから暗く寒い夜を迎えるはずなのに。
明日又確実に、東の空から日が昇る事を経験的に知っているからだろう。
天体力学上有り得ない話ではあるが、次は三日後とか半年後だとか
不定期に日の出日の入りが繰り返される世界だったらどんな世の中であろう。
日の入り落日は、とてつもない恐怖の瞬間だろうと思う。
おそらく、アメノウズメノミコトは引っ張りだこで大忙しだろうね。
話はそれるが、イスラム教徒はラマダン月の間日の出から日の入りまで
一切の飲食をしないそうだが、北欧の北極圏に住むイスラム教徒は飢え死にだな。
ただし、病人や妊婦などは適用除外だそうだから、この場合も例外扱いか。
SF小説で、不定期に日の出日の入りをする惑星上に住む知的生命体の話は読んだことがない。
SF小説作法の一つに、現時点の科学的知見上有り得ない事は題材にしない、
てなのが有るらしい、小説家も大変だな。
日本海へ ジュゥ~ッと音を立てて沈む太陽。大抵の場合、音は立てるが水蒸気は上がらない。
宮古島諸島の下地島の森へ沈む太陽、この場合も森から火の手は上がらない。
東シナ海の小島へ沈む太陽、別段島がへこむ訳ではない。
今年の紅葉は小雨のせいであまり美しくないと書きましたが、手稲山の裏側にあたる
定山渓ダム湖周辺は例年通り大変美しく紅葉していた。
温帯の落葉広葉樹林の紅葉、これから厳しい冬を迎える序曲であり一抹の寂しさを感ずるが
此は此で美しいと思う。紅葉の季節は秋の実りの季節でもある。
栗の実・ドングリ・栃の実などを大量に収穫出来る季節、これは美しい風景である。
であれば、紅葉を美しいと思う感性は縄文時代以前に培われたものか。
後世ことさらに花鳥風月を愛でる様に成ったのは、「感性」ではなく「文化」だと思う。
「文化」には、何やら貴族趣味的臭いが付きまとい私は嫌いだ。
言葉・文章・絵画などで表現出来なくても、「美しいと思う感性」を個々人が持っていれば
それで良いんじゃないかな。ありゃりゃ・・・死せる岡本太郎に洗脳されてしまったみたいだ。
今日はまた一日雨です。「暇人殺すに刃物はいらぬ・・・・」の類ですな。
そこで暇人の戯れ言でも。
私の大好きな沖縄の南島の海岸風景、私は此を美しいと思う。
観光案内などに似た様な写真が多いので、万人が美しいと思うのだろう。
私の場合は唯単に、年寄りだから暖かい所の方が居心地が良いという理由だけかも知れないが。
では何故美しい風景なのでしょうか。
燦々と降り注ぐ陽光の下、青い空に白い雲、コバルトブルーの海に白い砂浜、
亜熱帯の花が咲き乱れる海岸風景、美しいに決まってるジャン。
では説明に成りません、それを何故に美しいと感ずるかなのです。
金髪にピアスジャラジャラの若いニーチャンやネーチャンが「何これ・・・ウッソォ~マジッ!」
なんて感動しているので、年齢に関係なく普遍的概念のようです。
結論から言えば「猿から人類への進化の過程で獲得した先験的概念」としか言いようが有りません。
哲学用語の「アプリオリ」、もっとややこしく言えば「演繹的証明の必要の無い自明的な事柄」
これじゃ「美しいに決まってるジャン」と同じに成ってしまいますが、そうなのです。
そこでアホな暇人は、証明の必要の無い事柄に無理矢理説明を付けてみようかと思います。
①明るい陽光の下:猛獣などの敵をいち早く発見出来る、または獲物を発見出来る環境
②暖かい海岸:毛皮・体毛を失った人類にとっては生存に適した環境
③青い空・白い雲:当面雨や嵐の心配をしなくてすむ空模様
④白い砂浜:亜熱帯の遠浅の海岸では魚介類を容易に確保出来る
⑤花の咲き乱れる:植物性の食料を採取しやすい環境
すなわち、生存に適した環境を「美しい」と感ずる様にDNAに刷り込まれたのだと思います。
亜熱帯の美しい海岸風景を「美しい!」と感ずるのは、人間の脳のかなり奥深い所(原始脳?)
での作用だと考えられます。
いくら前頭葉が発達した人類とはいえ、いちいち考えてから感動する人は居ませんからね。
一方で、一木一草無い茫漠たる砂漠風景や南極の雪氷風景にも美しさを感ずる事が有ります。
これは人類進化のかなり後期に獲得した概念だと考えられます。
自然に対する単純な「恐怖感」から「畏怖・畏敬の念」に変化した段階です。
これについてはまた暇になったら、なんちゃって何時も暇なのだが。