近所の散歩で見掛けた青空に映えるツルウメモドキです。
赤坂憲雄の「岡本太郎の見た日本」の中に、こんな一文があった。(依然、太郎にハマッテます)
「獲物をもとめての、たえざる移動は、無限につづく『未知の世界への探検』となるだろう。
そうして不安・孤独・偶然といった要素が、(縄文時代の)狩猟民の世界観の土台になっている」
( )内は筆者挿入
おやおやこれは、獲物を知と、狩猟民を旅人と書き換えれば、一人旅に出る者の心境と
同一ではないかと思ったりしました。
一方で「(弥生時代の)農耕民の世界観は、安定と均衡、節度と従順、必然と依存の
意識といったものに支えられている」とも書いている。
これも、農耕民を現代の日本人と置き換えれば、飼い慣らされた羊たちが狭いオリの中に
閉じこめられている様な、閉塞感に満ちた現代日本社会と同じじゃないかと思います。
「旅とは、現実からの逃避である」とはよく言いますが、その本質は
農耕民的世界から狩猟民的世界への回帰、弥生的なるものから縄文的なるものへの、
DNAに刻まれた郷愁にあるのではないでしょうか。
ただし、グルメにショッピング、物見遊山を目的とした団体旅行は範疇にあらず。
あれは江戸時代のお伊勢参りの現代版です。
今日はまだ酔っぱらっておりませんぞ、暇人の戯れ言です、念のため。