今日はまた一日雨です。「暇人殺すに刃物はいらぬ・・・・」の類ですな。
そこで暇人の戯れ言でも。
私の大好きな沖縄の南島の海岸風景、私は此を美しいと思う。
観光案内などに似た様な写真が多いので、万人が美しいと思うのだろう。
私の場合は唯単に、年寄りだから暖かい所の方が居心地が良いという理由だけかも知れないが。
では何故美しい風景なのでしょうか。
燦々と降り注ぐ陽光の下、青い空に白い雲、コバルトブルーの海に白い砂浜、
亜熱帯の花が咲き乱れる海岸風景、美しいに決まってるジャン。
では説明に成りません、それを何故に美しいと感ずるかなのです。
金髪にピアスジャラジャラの若いニーチャンやネーチャンが「何これ・・・ウッソォ~マジッ!」
なんて感動しているので、年齢に関係なく普遍的概念のようです。
結論から言えば「猿から人類への進化の過程で獲得した先験的概念」としか言いようが有りません。
哲学用語の「アプリオリ」、もっとややこしく言えば「演繹的証明の必要の無い自明的な事柄」
これじゃ「美しいに決まってるジャン」と同じに成ってしまいますが、そうなのです。
そこでアホな暇人は、証明の必要の無い事柄に無理矢理説明を付けてみようかと思います。
①明るい陽光の下:猛獣などの敵をいち早く発見出来る、または獲物を発見出来る環境
②暖かい海岸:毛皮・体毛を失った人類にとっては生存に適した環境
③青い空・白い雲:当面雨や嵐の心配をしなくてすむ空模様
④白い砂浜:亜熱帯の遠浅の海岸では魚介類を容易に確保出来る
⑤花の咲き乱れる:植物性の食料を採取しやすい環境
すなわち、生存に適した環境を「美しい」と感ずる様にDNAに刷り込まれたのだと思います。
亜熱帯の美しい海岸風景を「美しい!」と感ずるのは、人間の脳のかなり奥深い所(原始脳?)
での作用だと考えられます。
いくら前頭葉が発達した人類とはいえ、いちいち考えてから感動する人は居ませんからね。
一方で、一木一草無い茫漠たる砂漠風景や南極の雪氷風景にも美しさを感ずる事が有ります。
これは人類進化のかなり後期に獲得した概念だと考えられます。
自然に対する単純な「恐怖感」から「畏怖・畏敬の念」に変化した段階です。
これについてはまた暇になったら、なんちゃって何時も暇なのだが。