今日も新ネタが無いので、昨日のニセコ神仙沼です。
神仙沼の名前の由来は、神仙が住むに相応しい人里離れた幽玄の地であることから命名された。
であるが、昨今の神仙沼からは当の昔に神や仙人は逃げ出しています。
大型観光バスがドカドカ横付けされ、大量の俗人を吐き出す様ではとても仙人の住める
環境では有りません。
たまたま俗人の居ない風景の一部を切り取って見れば、「旅に病み 夢は枯れ野を駆けめぐる」
芭蕉の一句でも浮かんでくる状景なのでは有りますが。
仙人とは、不老不死の仙術を会得し、深山幽谷の地で天上界と俗世間の狭間に生きる者
てなイメージが有るのですが、昔は結構彼方此方に居たと思いますよ。
三丁目の横町に住む半分モーロクしたご隠居さんも仙人だったし、
人様に迷惑掛けず、極貧の身に甘んじ花鳥風月と共に我が世を生きるホームレスみたいな
人も仙人だったし、たとえば種田山頭火なんて人も仙人ですよね。
一面かなりいい加減な人でもあったらしいですが。
環境問題とは、レジ袋を一枚5円で売る事ではありません。
いい加減な人でも、人畜無害なら笑って許せる社会、仙人が巷に住める環境こそが
真の環境に良い社会なのだと思います。以上ビンボー人の戯れ言でした。