就職して最初の勤務地は愛媛県新居浜市だった。2年3か月過ごした。その新居浜の伝統的な祭りが始まった。
新居浜にいたとき 時々ああこの土地はかって越智水軍や一色水軍など瀬戸内海で勇猛をはせた人たちの土地だと感じることが度々あった。
その後 彼らの子孫にあたる???新居浜出身の社員たちや下請業者の人たちと国内や日本以外の土地で共に仕事をするたびに
この人たちはどこの土地や国でもゆうゆうと生きていける連中だなと感じたものだ。
新居浜で生まれ育った人たちにとってこの祭りは当時、お盆や正月より大切な行事で、全国どこで仕事をしていても休みを取って必ず帰郷して祭りに参加したものだった。
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新居浜太鼓祭り2023 上部地区山根グラウンド統一寄せ
高さ | 約5.4m | 幅 | 約3.4m |
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長さ | 約11m | 重さ | 約2.5トン |
指揮者 | 通常4人 | 太鼓係り | 通常2人 |
重係り | 通常4人 | かき手 | 150人 |
新居浜太鼓祭り開幕 内宮神社で勇壮「かき上げ」・愛媛新聞
四国コンテンツ映像フェスタ 新居浜太鼓祭り
太鼓祭り歴史概要
太鼓台の起こりがいつであるかはっきりと答えられる資料は、現在のところ確認されておりません。地域の伝承によると、
祭礼の時、神輿に供奉する山車の一種で信仰を対象にした神輿渡御の際、その列に参加して厳かに供奉していたものといわれ、起源は平安時代あるいは鎌倉時代まで遡るといわれています。
新居浜地方の太鼓台は、もともと豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたものでした。
太鼓台が記録の上で出てくるのは江戸時代後期、文政年間のことです。
幕末から明治時代初期の太鼓台は、現在の子供太鼓台くらいの大きさしかなく、天幕も現在のような膨らみをもちませんでした。
別子銅山の開坑による産業の発展に伴い、地域経済が発達するにつれて、太鼓台は、明治中期以降から急速に大型化し、明治中期から昭和初期の太鼓台は、
現在の太鼓台と同じくらいの大きさになり、天幕も膨らみを持ったものを付けていました。飾り幕は少し薄めでしたが、現在のものにかなり近いものになりました。
現在では、瀬戸内海沿岸にある数多い太鼓台の中でも新居浜太鼓台は、その豪華絢爛さ、勇壮華麗な「男祭り」の主役として、全国的にも知られるようになりました。