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阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「ごもっとも、ごもっとも」      茶話 その14 

2023年10月19日 | エッセイ

 今年も節分の日に焼いたイワシを食べたあと豆まきをした。家中の窓という窓を順番に開けて、トイレや風呂の窓も忘れずに、

大声で「鬼は外福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言ってまわる。子供の頃、この「ごもっとも、ごもっとも」と言うのが何とも気恥ずかしかった。

親の勤務地に付いてまわって転校した九州若松でも、尼崎の塚口でも、三重県の四日市でもクラスの誰に聞いても、家ではそんなこと言わないという。

酒の入った父親が「鬼は外、福は内」と大声で叫ぶとそれに続けて家族が「ごもっとも、ごもっとも」と大声で

囃やさないといけないのだが友達や近所の人に聞こえないように、つい小さな声で「ごもっとも、ごもっとも」と言ってしまう。

そんな時、父は後ろを振り向いて「声が小さい、鬼が家に入ってきたらどうする」と怒るので、もうやけくそで兄弟揃って父の後について

「ごもっとも、ごもっとも」と大声を張り上げたものだ。

そして今、自分が家族を持って、同じ事をしている。千葉県南柏や茨城県藤代町に住んでいた時も、そしてもう十数年住む神戸でも、

恥ずかしがり嫌がる娘達を幼稚園の頃から、叱咤激励、時には脅して「ごもっとも~」をやってきた。

もし「ごもっとも」を言わなかったらうちの家は、この一年大変なことになると言って。


そのお陰か、我が家では節分の日の定番としてしっかり定着し、私が3年強広島で単身赴任して不在の日にも、節分には二十歳過ぎの娘達が

ごもっとも」をやってくれていたそうだ。(ほんまかいなと多少は思うけど)

今年の豆まきは、家族の中でも「ごもっとも」発声に一番抵抗してきたヨメさんと二人でしたが、驚いたことには二人では張り合いがないから、

今年はやめとこかと言う私に「今まで続けてきたのに何いうてるの」と率先して彼女が大声を張り上げた。

震災の年だけはそれどころではなかったけれど、考えたら結婚して二十八年、我が家では出張や単身赴任で抜けた私の回数より彼女の

「ごもっとも」の発声回数が多いんやと思い当たった。今年はいつもよりキレイにハモッて「鬼は外、福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言えたような気がする。

亡父にも故郷の従兄弟たちにも聞いたことはないが、おそらく父が生まれ育った信州の諏訪湖畔、北小路地区では江戸時代以前の昔から、

こういう風に言っていたのではないかと思う。

先祖は諏訪氏が高島城を築城する時に、(諏訪湖の高島という島から)立ち退きを命じられ、近くに集団移転させられた島民の一族だと言っていたから、

もともと古くから住みついていた住民だと思う。

今年も遠い諏訪のあの地区で「ごもっとも、ごもっとも」が飛び交ったか、あるいは本家のイギリスではとっくに廃れた習慣が

アメリカで残っているのと同じように諏訪ではもう廃れたかも知れないが、今年も神戸市の一軒の家から、

老年に差しかかってはいるが声は若い「ごもっとも、ごもっとも」の斉唱が、神戸の夜空に吸い込まれていきました。

  (2002年に「小和田満」の筆名で投稿し、幸い入選して5月27日の「神戸新聞文芸欄」に掲載されたエッセイ。)

注:高島城の築城は秀吉の配下で当時諏訪を支配していた武将の日根野高𠮷が行ったと 後日従兄から教示を受けたが、

  上記文は掲載された原文のままとして訂正していない。 

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10月18日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年10月19日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年09月18日(金)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2023年10月19日 | 東日本大震災ブログ
在日ドイツ大使館員が本国から東京に戻らないくらいだから・・
 

独歌劇場の80人、日本公演拒否 原発懸念、補助団員が代役
2011年9月17日 18時58分  東京新聞

 【ベルリン共同】ドイツのバイエルン国立歌劇場が今月下旬から行う日本公演で、団員約400人のうち約80人が東京電力福島第1原発事故の影響を懸念して

参加を拒否したことが17日、分かった。関係者が明らかにした。

 同歌劇場はドイツを代表する一つ。9月23日から10月10日まで東京と横浜で行われる。日本行きを拒否した団員は無給の休暇を取り、補助団員らが代わりを務める。

 関係者によると、ドイツから日本に飲料水を輸送。放射線の専門家が同行して、食事の放射線量を測定するという。

 日本公演は、日本とドイツの交流が始まってから今年で150年になるのを記念する行事の一環。

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東電だけでも原発立地自治体に寄付400億円
 
東電、原発立地自治体に寄付400億円 予算化20年余
2011年9月15日5時48分 asahi.com

 

東京電力の寄付金などで購入した青森県むつ市役所。もとは商業施設で、床面積約1万8千平方メートルと広大だ=同市中央1丁目

東京電力が20年以上にわたり年平均で約20億円の予算を組み、東電の原発などがある3県の関係自治体に総額四百数十億円の寄付をしたことが分かった。

原発の発電量などに応じて「地元対策資金」を配分する予算システムになっており、自治体側がこれに頼ってきた構図だ。

 原子力施設の立地自治体に入る電源三法交付金、核燃料税の金額は公表されているが、東電が原則非公表としている寄付金の全体像が判明したのは初めて。

東電幹部は「原発の立地などで自治体の理解を得たいという思惑もあり、癒着と批判されるのを避けたかった」と証言している。

 複数の東電幹部によると、立地自治体への寄付は、福島第一原発の建設が始まった1960年代からあったという。1990年前後から昨年まで、

東電本社は毎年、年度初めに10億~20億円の寄付金の予算を組んできた。必要に応じて増額することも多く、年平均にすると20億円以上になる。

自治体首長らの要望などを審査し、役員会の決裁を得て支出する仕組みだ。金額は、県ごとの原発の発電量などを目安に配分。

寄付が多額な場合は数年に分割して予算計上し、支払うこともあったという。

☆寄付金は東電に電気代を払っている日本国民の全所帯が出したことになる。

しかし自分の銀行口座から毎月自動引き落としされる電気代が、このような使い方をされていることを、

どこの家庭のダンナも奥さんもこれまで知らなかった。大手新聞も福島原発事故以前にはこういう調査報道は一切してこなかった。☆

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福島県の調査団がチェルノブイリへ
 

チェルノブイリの教訓学べ 福島県の調査団が現地訪問へ
asahi.com 2011年9月16日15時2分 

 東京電力福島第一原発の事故の影響に苦しむ福島県の調査団が、10月31日から11月7日までウクライナのチェルノブイリ原発を訪問する。

事故から25年を経た現地で、住民の健康管理や除染などについて説明を聴き、福島の復興に役立てたい考えだ。

 調査団は南相馬市、浪江町などの担当者や福島大学災害復興研究所の研究者らで構成。復興計画や原発事故対応、除染などにかかわる県職員も加わり、総勢30人規模になる見通しだ。

 同研究所の清水修二所長(地方財政論)が「チェルノブイリに学ぶことは少なくない。現地の肉声から教訓をつかみ取っていきたい」と参加を呼びかけた。「福島とチェルノブイリはいろいろな点で違っているが、共通する部分もある。それを浮き彫りにするのも目的の一つ」という。

 チェルノブイリ原発では「石棺」と呼ばれるコンクリートで覆われた原子炉の現状を見学。同原発があり、高濃度の放射性物質で汚染されたプリピャチの住民から話を聴く。

ウクライナの首都キエフでは除染に携わった作業員と面会する予定だ。隣国のベラルーシも訪問し、首都ミンスクで小児白血病の専門病院を訪問するほか、

現地の農業団体や消費者団体とも意見交換する。

 除染や住民の生活支援、補償、医療態勢など福島が直面する問題についても原発周辺の町の対策を聴く。

 第一原発から20キロ圏で立ち入り禁止になっている警戒区域を抱え、村民のほとんどが避難している川内村の遠藤雄幸村長も同行する。

村は来年3月末までの住民の帰還を目指すとした復旧計画をまとめたばかりだ。遠藤村長は「村も除染に向けた作業を始めようとしている。参考にしたい」と話している。

(井上充昌、小島寛明)
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2泊3日の旅行のつもりで家を出た。東電賠償説明会開始
 

東電賠償説明会 「苦痛 カネに換えられぬ」
2011年9月16日 朝刊 東京新聞

 福島第一原発事故で避難している人への賠償を受け付ける個人面談の説明会が十五日、福島県双葉町民が集団避難している埼玉県加須市の旧騎西高校でも始まった。

説明会は約一週間。この日参加した町民約八十人からは、「この苦痛をどうやってカネに換算できるんだ」などと不満が噴出した。 (増田紗苗)

 「電力さんに仕事をもらって、生計を立ててきたんだ。感謝をしても恨むなんてことはなかったのに」。無職堀井五郎さん(64)が怒りをぶつけると、東電社員は黙って立ちすくんだ。

 賠償の説明書を読み上げる東電社員を前に、堀井さんの声が次第に大きくなる。「俺たちのところに社長は一度も謝りに来ないでしょ。これだけの事故を起こしておいて」

 堀井さんは約三十年間、空調設備会社に勤務。退社後も点検などのため、福島第一原発に出入りしていた。

 三月十二日朝、福島県川俣町へ避難を指示する防災無線を聞き、車に乗って自宅を出た。所持金は二千円。

「二泊三日の旅行と思った」が、原発事故で、避難所や親戚宅四カ所を転々とすることになる。三月下旬から旧騎西高校に移った

。精神的にも肉体的にも疲労は限界と感じる。

 「たった一枚の布団の上で生活しなきゃなんねえんだよ。精神的損害が月十二万円ですよって、そんなん納得できない」

 冒頭で説明書を読み上げた後、東電社員は相づちを打つだけ。「ふう」と一呼吸つき、堀井さんは説明書を丸めて机をたたいた。

「署名もはんこも付かないよ。おたくを責めても仕方ないから、今日は終わり」。持ち時間の一時間を前に席を立った。

 会場外で擦れ違った知り合いに苦笑いし、「納得できないなら、簡単に署名をしちゃいけないよ」。そして、自分に言い聞かせるように、「あきらめたら最後だから」。

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