2009.08.06記述 警戒すべき政界の松下政経塾一派 ―渡辺治論文の示唆するもの―
一部引用・・
《それで松下政経塾はどうなったか》 松下政経塾はどうなったのか。
結論をいえば、政経塾は次第に民主党への政治家供給機関となり、次には供給先を民主・自民両党に拡げた。
そのイデオロギーには、将来の軍事大国化、保守大連立への方向性をも内在している、というのが渡辺の分析である。
順序を追っていこう。もともと、政経塾は「軍事大国化」、「利益誘導政治の変革」、「新自由主義」を政治信条としていたわけではない。
松下幸之助は保守新党の結成を強く望んではいたが、そのアイデアは保守政治家の養成、保守の二大政党化までで、独自の政治構想はなかった。
塾生の応募も80年代は総じて低調であり、その政界進出も地方議会に少数が出ていくとう程度であった。
しかし90年代、「政治改革」の時代の到来は、政経塾に二つのインパクトを与えた。
一つは、政治改革を旗印にした日本新党、新生党、新党さきがけなど保守新党の結成と躍進が、突然に政経塾塾生に国政進出の機会をもたらしたことである。
とくに日本新党の結党には塾生の山田宏(現東京杉並区長)、野田佳彦(現民主党幹事長代理)、前原誠司(現民主党副代表)、長浜博行(現民主党参議院議員)が大きくかかわった。
政党への道筋は次第に民主党へ収斂する。
塾の政治スタンスが民主党に近かったこと、民主党から立候補するのが容易だったからである。
二つは、政経塾の政治構想に方向感を与えたことである。
たとえば90年に保守新党を念頭につくられた「松下政経塾魁の会」の政治構想には「一国平和主義の克服」、「国際貢献」、「分権国家」、「保守二大政党」などが掲げられていた。
・・中略・・
《報告書に関わった面々は誰か》
大事なことを忘れていた。報告書に関係した人物と肩書き(08年11月)である。
これらの何人かが最近のニュースに頻出したことを読者は想起することであろう。
プロジェクト委員 山田 宏 東京都杉並区長 /松下政経塾第 2期生 前原 誠司 民主党衆議院議員 /松下政経塾第 8期生 金子 将史 PHP研究所主任研究員/松下政経塾第19期生 報告書賛同者 逢沢 一郎 自由民主党衆議院議員 /松下政経塾第 1期生 野田 佳彦 民主党衆議院議員 /松下政経塾第 1期生 松沢 成文 神奈川県知事 /松下政経塾第 3期生 中田 宏 神奈川県横浜市長 /松下政経塾第10期生 小野寺五典 自由民主党衆議院議員 /松下政経塾第11期生
横浜市教育委員会は8月4日、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を中学校用に採択した。
政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・勝俣恒久東電会長)は同日、防衛計画見直しに向けた報告書を麻生首相に提出した。
専守防衛と武器輸出3原則の見直し、集団的自衛権の行使容認を主な内容とするものである。いずれもここで取りあげた松下政経塾の報告書と考え方において親和的である。
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