阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

10月21日、利根川の河原で「SAKAEリバーサイドフェスティバル」が行われた。 フィナーレは花火大会だった。

2023年10月22日 | 下総の国の住人Kさんの寄稿アルバム集

千葉県印旛郡栄町の住人Kさんから秋の空に見事に上がった花火の写真が送られてきました。

⇒利根川の河原でリバーサイドフェスティバルが行われフィナーレは花火大会だった。

対岸の茨城県側の河原から打ち上げられ、自宅から見ることができた。

数年前までは夏に行われたので夕涼みがてら利根川土手まで行って写真を撮っていたが、

この時期だと土手まで行く元気が出ない。

 

 花火の写真はカメラを三脚で固定して数秒ほど露出すると打ち上げから開くまでの間の

写真が撮れるが、今回は望遠レンズで手持ちで撮影したので手振れしないようにISO感度を

上げて露出時間を短くしたので花火が開いた瞬間しか撮れていない。

  それでも花火の雰囲気が出ている写真になった。

 今年の花火

10年前利根川土手より撮影

Kさん 秋の花火もいいですね。日本の花火の発色の良さとデザイン構成のユニークさは世界で感歎、賛美されていますね。

海外の花火師が負けを認めた…カナダで打ち上げられた日本の花火に大絶賛の声が殺到

静かだった会場が大歓声に…日本の花火師が打ち上げた花火にドイツ人が大熱狂!

 

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天体力学が思想家に与えた負の影響、あるいは格差問題の本質

2023年10月22日 | ゲストルーム
 

『現在でも、天体力学で数値計算か特殊な方法を使わずに三体以上の物体の間の運動を計算することは困難である。

 しかし太陽系では、太陽の引力その周りをまわる惑星の引力にくらべて格段に大きいので、各惑星の動きは互いに独立に扱うことができる。

これによって、300年前の天文学者たちは、太陽系の惑星の運動をまがりなりにも単純な数式ひとつで解き明かすことができた。 

太陽系では放っておいても各惑星は安定した軌道で太陽のまわりを周回し、その速度や距離などは一定の幅で増減しながら大きな秩序を作っており、それが数十億年の間繰り返されている。

 この太陽系の見かけの調和した運動は、当時の思想家たちに大きなインパクトを与え、その結果、彼らに、神の作った天体が調和をもって運行されているということは、

この調和こそが地球上の世界そのものなどを解き明かすための究極の鍵であるとの錯覚を抱かせてしまった。

 これをハーモニック・コスモス信仰という。

ハーモニック・コスモスという考えを社会に適用すると、神の手によって、物事は放っておけば自然に一番安定した秩序を作るという考え方になる。

(工学ではこれをフィードバックシステムが効いているという。) これは自由放任が一番よいという思想になる。

そして、世界が太陽系の調和にもとずくという考え方はまた「社会の一員たる個人は各自が願うものだけを求めて自由に行動する権利がある」という考えにもなる。

 なぜなら、太陽系においては各惑星の動きはどれか一つの軌道を多少変更しても全体への影響はほとんど無視できる、すなわち、

各惑星は自由な軌道変更を選択する権利を有していると言えるからである。

他の世界の人間社会にとって、幸か不幸か、アメリカ大陸は「自由主義と個人主義」を旗印とする無頼漢たちを、無尽蔵の資源と広大な天地をもって迎えた。

彼らの前に立ちはだかるのは自然だけで、もっと手ごわい従来からの歴史や、文化は存在しなかった。 すなわち、自然とあわれな先住民を征服するだけで、

あとは望むものをすべて手に入れることができたのである。

アメリカはその蓄積した富と強烈な力をもって、強大な国となり、世界の他の社会に経済システムに関するイデオロギーを押し付け始めるにいたった。

 他の世界は彼らに抗すべくもなかった。

世界や宇宙が基本的に太陽系型であるという調和的太陽系(ハーモニック・コスモス)信仰が正しいとすれば、

個人絶対主義も市場万能主義も最も宇宙の摂理に適ったことだということになり、その障害となるものは「悪」だということになるだろう。

自然に抗した彼らの努力の一例は60年代の緑の革命であり、世界の他の社会に抗した彼らの努力のもう一つの例は貿易自由化をやれとの圧力であろう。
 
 この例からしても、米国人たちの異常な自由主義・個人主義への思想的こだわりも納得が行く。すなわち、彼らは無意識のうちにすべてを太陽系型に改造しようとしてきたのである。

 ここで話題を経済にしぼる。 健全な社会状態とは、社会の各部に相互依存の糸が緊密に張り巡らされた状態である。

一方経済社会を太陽系型に近づけていくことは、要するにそれらの糸をどんどん切ってその経路を単純化していくことに他ならない。

 商店街の壊滅を例にとろう。

昔は町の経済は商店街が担って地域社会と二人三脚の形で街を支えていたのだが、現在では多くの場合、巨大店舗がその経済機能をまるごと奪い取る形で商店街を壊滅に追い込んだ。

このとき全体が都心に本社のある大企業と住宅地の消費者という直線的な関係に変わっているが、これは、まさに太陽系型への変貌であることがわかる。

 もっともこの場合、確かに地域社会は壊れているが、その一方で大企業の側は空前の売り上げを達成して数字の上では経済活動全体は活気づいているため、

結局はその良し悪しは相対的だとの理屈をいう人も多い。

しかし、実はこのとき変化の前と後で系全体が一段階縮退しているである。大体においてサービス業の隆盛は家族の崩壊と同時に進行する。

どうやら一般に「自然と社会を劣化(縮退)させるとその過程で儲けが生まれる」ということが言えるようだ。

つまり資本主義は無から豊かさを生み出していたわけではなく、実は自然と社会を劣化(縮退)させてそこから儲けを搾り出していたのだ。

 そのようにして縮退が始まると、もはや安定的な復元が起こらず、そうやって育った大勢力が一方通行的に巨大化していく。

要するに勝ち組と負け組の差が指数関数的に拡大して前者が後者を凄まじい勢いで食い殺して行ってしまう。これこそが格差問題の本質である。

(工学ではフィードバックがきかなくなったという。)

 通常、弱小勢力の間の相互依存関係は一種の毛細血管を作っていて、そこを資金がくまなく流れることで健全な社会が維持されている。

ところが縮退が進むと、社会の中の資金の流れが次第に巨大企業と巨大機関投資家の間だけで短絡した経路を作って、その狭い世界の中だけを高速で回転するようになり、

血液が回らなくなったその外側の世界はだんだん壊死していく。

話はそれで終わりではなかった。それは、そのようにして勝ち組の中だけを回り始めた巨大マネーの流域はさらに狭く縮退していき、

もはやモノを作ったり買ったりする世界自体を外側に取り残してさらに内側のコア、つまりコンピューターの中の瞬間的な売買で自己増殖を行なえる

投機市場の世界の中だけを回り始めてしまったのである。

 いわば劣化(縮退)の重力場が世界中の富をブラックホールのように狭い領域に吸い込んで超高密度に凝縮させ、最後の段階で無意味に自己増殖したマネーの総額は、

世界経済の本来のサイズの実に数倍に膨れ上がっていた。

その内部は基本的に「神の手」の自動安定機構とは正反対の指数関数的世界で、そこに吸い込まれた世界の富は皆その性質に染まり、

そしてそれまでの全ての錯覚の終曲のように、それは最後に自身を超新星のように大爆発させ、すでに半ば壊死していたその外側の世界をも爆風で襲って世界の全ての人々を巻き込んでしまった。

ところで、1990年代の後半サンタフエ研究所での複雑系の研究者たちは、いくつかのシミュレーションで、システムが急にフィードバックを失い、

発散して、カタストロフィーをおこす可能性が多いことを予測していたにもかかわらず、社会に警告を発しなかったのは何故か?

 それは、彼らがすでにブラックホールからの魔の手にからめとられてしまったからだ!!!』

☆本論考のほとんどは『物理数学の直感的方法』の著者、長沼伸一郎さんの同著における意見ですが、新居浜市民 上出拓郎さんの要約です。

☆之を読んで思いました。長沼さんのヨミでは、今の経済と社会の一方的な崩壊への方向はもう変えようがない?


どうやら「ああ、ほうかい」と言っている場合ではないようです。

 (2009年に上出さんから送って頂いたものです。再掲載)

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10月21日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年10月22日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年09月21日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2023年10月22日 | 東日本大震災ブログ
2011年09月21日(水)
 
14歳の姫路の公立中学生「藤波 心」のブログから 
 

ココロはスッポンポン\(゜□゜)/ ~夏休みを振り返る編~

一部引用・・

ところで話は変わりますが、一つ興味深い話があってぜひ皆さんにお伝えしたいので書きます。

まえ、一青窈さんが鳥取でコンサートされたときにオフの時間に、周辺の町に観光に行かれたそうなんです。

で、益田市の万福寺というお寺に行ったところ、親子のしゃれこうべ(頭蓋骨)が祀ってあったそうなんです。

このしゃれこうべのいわれは、「万寿の大津波」で流されて死んだ親子らしく、

ある日、「この大津波の災害を後世に伝えて言ってほしい」と万福寺のお坊さんの枕元に親子の幽霊が出てきて、


言われた通りのところからこのしゃれこうべが見つかりお寺に祀ることになったそうです。

万寿の大津波・・・・今から約1000年前、

万寿3年5月23日(1026年6月16日)巨大地震と大津波が山陰石見地方を襲ったということです。

1000年前の災害とはいえ、まるで東日本大震災のような災害が山陰地方の日本海でも起こっていたんだということ、

そして、やはり1000年前にもこの親子をはじめ多くの方が地震と津波の犠牲になっていたということ・・・。

このしゃれこうべは、現代の私たちに、どうあるべきかを訴えかけているように私には感じられました。

もはやこういう大津波や大地震は想定外とかではなく、日本全国どこでも起こりうるポピュラーな災害であり、

またすでに今の日本は地震の活動期に入ったと指摘している学者の方も多いです。

こうやって過去の歴史を振り返ってみても、いままでいたるところで大地震と大津波が起こっている日本で、これからも、

原子力発電所を稼働し続けると言うやりかたは、あまりにも、教訓が生かせていない、まったく無謀な行為だといわざる得ません。

今度、またどこかで大地震が起こり、福島のような事故が起こったら、いよいよ日本にとっては、とどめの一撃になるでしょう。

経済がダメになるから原発は必要なんだといいながら、このままでは日本そのものが原発によってダメになってしまうと思います。

早急に、日本人は考え方、価値観を変えなければいけないときに来ているのだとおもいます。

日本はいま、沈没寸前の危機に立たされていると私は思う。


もう、船底に穴はあいている。

ただ、船体が大きいから、人々は、まさか沈没まではしないだろうとか、仮に船底に穴が開いていたとしても、

沈む前に誰かがなんとかしてくれるだろう、

直してくれるだろうと「誰もが」思って、パーティーを続けているようなものだとおもう。

危険を訴える人をヒステリーやポピュリズムと笑い、命よりも経済を優先させる手法は、やがてどんな結末を生み出すか目に見えている。

日本人の良い面でもあり、悪い面でもあるんだけど、おとなしい、飽きやすいというか、冷めやすい国民性?

メルトダウンした炉心が冷める前に、国民の関心の方が先に冷める国・・・。

ヽ(;´Д`)ノ

そういう国民性が今度はあだになり、日本の歴史にいよいよピリオドを打つかもしれない。

「誰かが何かそのうちやってくれるだろう」ではもうダメなんです。


心の中で、脱原発を支持していても、だまっていては、行動しなければ、原発を支えている加害者と同じです。

国・省庁に意見を言う、

市町村役場に意見を言う、

教育委員会に意見する、

食品を販売している企業に要望を出す、

国会議員・地方議員に要望を出す、電話をする、

デモに参加する。

小さいことでもいいんです。

小さな1滴のしずくが、水たまりになり、川になり、湖になり、

やがて海になるんです。

脱原発しなければ、次また第二の福島がいつ、どこに起こるかもしれない。

とめるのは今しかないのです。

全文はこちら

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福島第一 建屋に地下水大量流入か
 

福島第一 建屋に地下水大量流入か 収束作業に難題
2011年9月20日 07時06分 (東京新聞)

東京電力福島第一原発1~4号機の原子炉建屋やタービン建屋地下に、一日数百トンの地下水が流入している可能性のあることが分かった。

汚染水処理の実績などから計算すると、五万トン強まで減っているはずだが、実際には八万トン強も残る。東電も地下水流入の可能性を認めており、

地震で建屋地下の壁が損傷し、流入していることが考えられる。今後の収束作業に影響が出そうだ。 

 建屋からくみ出した汚染水の移送量や原子炉への注入量など東電が公表したデータを本紙が集計したところ、約十万トンあった汚染水は、

十三日時点で約五万千六百トンにまで減っているはずだった。

 しかし、実測の地下水位から東電が推計した汚染水残量の最新値は約八万千三百トン。移送量などから逆算した値とはほぼ三万トンの開きがある。

 東電はこれまで、汚染水がなかなか減らない理由を、雨水の影響と説明してきた。福島第一周辺では、七月以降の三カ月間に三回まとまった雨が降っており、

一部は屋根の損傷部などから建屋に流れ込んだとみられるが、水位の変動は小さく、三万トンの差を説明できるほどではない。

 建屋のひび割れなどから地下水が流入している可能性は、以前から指摘されていたが、あらためてその可能性が高まった。

東電に本紙の計算結果を示すと、「日量百トン単位でわき出ていると思う」との回答があった。

 地下水流入が事実なら、汚染水処理はさらに膨大な量になるばかりか、原子炉への注水量を絞る必要があるなど、

事故収束に向けてさまざまな影響が出ると予想される。

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20110918 原発事故への道程(前)1・・ ムラ幹部の内輪話
 

0110918 原発事故への道程(前) 投稿者 PMG5
ETV「シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論 」の前半部分。

広大な大地を不毛の地に変え、人々を放射能被ばくの恐怖に陥れている福島第一原発事故。世界で初めての多重炉心溶融事故だった。

原子力発電の安全性神話は、たった一度の“想定外”の地震・津波によりもろくも崩れ去った。なぜ福島原発事故は起きてしまったのか。

事故原因の直接的な究明とともに今必要なのは、歴史的な視点で安全神話形成の過程を見直すことである。私たちはある資料を入手した。

『原子力政策研究会』の録音テープ。1980年代から90年代にかけて、我が国の原子力発電を支えてきた研究者、官僚、電力業界の重鎮たちが内輪だけの会合を重ね、

原発政策の過去と行く末の議論をしていたのだ。議事は非公開と決めていたため、当事者たちの本音が語られている。

さらに、生存する関係者も福島原発事故の反省を込めて、今その内幕を率直に証言し始めた‥‥。(キャプションはETVの解説から)
 

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20110918 原発事故への道程(前)2
 
 
ETV「シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論 」の後半部分。
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中井久夫さんの最新「清陰星雨」から
 
☆中井先生は阪神淡路大震災のとき、神戸大学医学部教授かつ附属病院の医師として、神戸市民として被災現場に居つづけた人だ。

現場の力生かす環境を

一部引用・・

今、原発の真実を知らなかったと自分を責める普通の人たちがいる。その気持ちはどこか私にもある。
 
しかし、一億総懺悔に陥ってはなるまい。

どこに、当日、秩序を持って行列を作る国民があるか。こんな治めやすい国があろうかと多くの国の為政者は羨ましく思ったに違いない。

しかし、不信や「なめるな」の思いが積もって行った。
 
風評被害はその延長上にある。国民に正確な情報を知らせずに破滅に導くのがリーダーではない。
 
 
 
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いま仕組みを変えないでいつ変える。国民投票の実現を。
 
「原発」は国会議員に任せるな。

国民投票で決めるべきだ!

一部引用・・

「原発」国民投票の必要性については、15年前から主張してきました。当時から、「安保・原発・消費税、大事な問題は議員任せにしないで国民投票で決めよう」と言っていたのです。
 
子ども手当をどうするかとか高速道路無料化のような問題は、議員任せでもいいのです。でも、原発や日米安保条約をどうするか、とか脳死や臓器移植の問題は、
 
あまりにも重大で、議員にゆだねるのはよくないと昔から考えていました。

 私は、長くソ連と東ヨーロッパを取材してきて、ソ連が崩壊する直前から、バルト三国やロシア、ソ連で国民投票を活用しているのを現場で見て、圧倒されてきました。
 
あれだけ主権者の意思を無視してきたソ連が、突然直接民主制で1人1人の人民の意見を聞くのを目の当たりにし、衝撃を受けたのです。

 日本でも、新潟県巻町で日本初の条例制定に基づく住民投票がありました。
 
テーマは原発建設。原発にかかわる住民投票は、巻町のほかに新潟県・刈羽村、三重県・海山町で行われていますが、
 
巻町以降の15年間、日本ではさまざまなテーマで401件の住民投票が行われています。
 
47都道府県で住民投票を経験していないのは、東京都下の自治体だけで、あとはすべて実施しています。

全文はこちら
 
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野田新政権に「くにたみ」が突きつけねばならぬこと
 
☆ありのままに現在の日本の原子力行政を直視し、5か月間の内閣参与の内部体験から、これから原子力行政をどうするべきか、心の痛みを持って話す。
現時点で「深く考え、かつ自分でも行動する」良質の日本人の一人の長時間インタビュー。通読をお勧めします。☆

国民の信頼を失った日本の原子力行政
野田新政権が答えるべき「7つの疑問」
――田坂広志・元内閣官房参与/多摩大学大学院教授インタビュー

一部引用・・

 新たに発足した野田政権は、これから、国民が抱くこの「7つの疑問」に、真摯に答えていかなければならないのですね。

 従って、最後にこの「国民の7つの疑問」について、それぞれ一言ずつ述べておきましょう。

 第一は、「原子力発電所の安全性」への疑問です。

 しかし、ここで言う「安全性」とは、単なる「技術的安全性」の問題だけではありません。既に述べたように、実は「人的・組織的・制度的・文化的安全性」こそが、
 
これから厳しく問われるようになります。例えば、安全審査において、経済性への配慮で安全性が軽視されていないか、といった国民の疑問に対して、答えなければなりません。
 
そのためには、まず、産業界からの独立性を重視した原子力安全庁の設立など、適切な組織改革や人材育成が求められます。

 第二は、「使用済み燃料の長期保管」への疑問です。

 今回の福島原発事故が我々に教えたのは、使用済み燃料貯蔵プールというものが、ある状況においては、あたかも「剝き出しの炉心」のような状況になることの怖さです。
 
貯蔵プールから水が失われ、格納容器が無い状況で燃料の溶融が起こることは、想像を絶するほどの最大のリスクであることを、我々は教えられました。

 従って、今後、全国の使用済み燃料貯蔵プールの安全性が、改めて問われ始めるでしょう。
 
そして、各原発サイトの貯蔵プールの容量が満杯に近づいているという問題もまた、強い懸念とともに指摘され始めるでしょう。
 
第三は、「核燃料サイクルの実現性」への疑問です。

 核燃料サイクルの要である高速増殖炉や再処理工場は、常に、その実現が先送りされてきました。先ほども述べたように、
それはあたかも、砂漠で遠くに見えるオアシスに近づくと、また遠ざかっていく現象のごとく、「ミラージュ(蜃気楼)計画」と揶揄されるものとなっています。こうした計画を、現実的な視点から見直さなければなりません。

 第四は、「放射性廃棄物の最終処分」への疑問です。

 かねて、核燃料サイクルのアキレス腱は、高レベル放射性廃棄物の最終処分だと言われてきました。これを実現しないかぎり、原子力は「トイレなきマンション」と言われ続けるからです。そして、福島原発事故によって、この問題は、「近未来の問題」ではなくなりました。「目の前の現実」の問題となったのです。なぜなら、炉心溶融を起こした原子炉は、まさに、この高レベル廃棄物そのものだからです。そして、さらに、汚染水処理や廃炉、土壌除染などに伴って、膨大な放射性廃棄物が発生していくのです。この膨大な放射性廃棄物の中間貯蔵と最終処分をどうするのか、決めていかなければなりません。

 第五は、「環境中放射能の長期的影響」への疑問です。

 たとえ低濃度であっても、広域の環境中に放出された放射性物質の人体に与える長期的影響については、いまだ明確な医学的知見が確立されていません。そのため、地域住民の健康と安全を最優先に考えるならば、除染作業目標や土地利用禁止などは、最も厳しい仮定に基づいて実施せざるを得なくなります。

 第六は、「社会心理的な影響」への疑問です。

 こうした問題から生じる社会不安や風評被害、その対策費などは、すべて社会的費用、すなわち、国民負担になっていきます。

 第七は、「原子力発電の安価性」への疑問です。

 以上述べてきた安全対策費用、核燃料サイクル費用、廃棄物処分費用、社会的費用などを考慮に入れたとき、原子力とは、本当に安価なエネルギーなのか。その疑問が突きつけられています。

 我々、原子力に携わってきた人間は、これから、この国民の疑問に、真摯に答えていかなければならないのですね。
 
国民からの信頼の回復と、新たなエネルギー社会への一歩は、まさに、そこから始まるのでしょう。

──長時間のインタビュー、ありがとうございました。また、原発事故が最も厳しい時期に、内閣官房参与としての激務、お疲れさまでした。

 ありがとうございます。5ヵ月と5日の参与の仕事を締めくくる、良い機会をいただきました。

全文はこちら
 
 
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想定外の危機“ブラックスワン”にどう対処するか
一部引用・・

事前にまったく予測できないものの、起きた場合には世界の風景を一変させてしまう極めてまれで、強い衝撃を受ける事象。
 
白鳥しか見たことがなく“白い白鳥”が当たり前だと思っている人が“黒い白鳥”を初めて見た時の衝撃と影響が「ブラック・スワン事象」。
 
911の同時多発テロや311の大震災と原発事故は、事前にはまったく予想できず、
 
起きた衝撃と影響が世界を一変させたのがブラック・スワンということになります。

このことを本に書いたNassim Taleb氏のインタビュー動画はこちら

このエントリーはこちらを参考にしました。
 
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