阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

今日は節分の日    「ごもっとも ごもっとも」   我が家の節分の日の習慣

2024年02月03日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

今年も節分の日に焼いたイワシを食べたあと豆まきをした。家中の窓という窓を順番に開けて、トイレや風呂の窓も忘れずに、

大声で「鬼は外  福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言ってまわる。

     子供の頃、この「ごもっとも、ごもっとも」と言うのが何とも気恥ずかしかった。

親の勤務地に付いてまわって転校した九州若松でも、尼崎市の塚口でも、三重県の四日市でもクラスの誰に聞いても、家ではそんなこと言わないという。

酒の入った父親が「鬼は外、福は内」と大声で叫ぶと、それに続けて家族が「ごもっとも、ごもっとも」と大声で囃やさないといけないのだが、

友達や近所の人に聞こえないように、つい小さな声で「ごもっとも、ごもっとも」と言ってしまう。

そんな時、父は後ろを振り向いて「声が小さい、鬼が家に入ってきたらどうする」と怒るので、もうやけくそで兄弟揃って父の後について

「ごもっとも、ごもっとも」と大声を張り上げたものだ。

       そして今、自分が家族を持って、同じ事をしている。千葉県南柏や茨城県藤代町に住んでいた時も、そしてもう十数年住む神戸でも、

恥ずかしがり嫌がる娘達を幼稚園の頃から、叱咤激励、時には脅して「ごもっとも~」をやってきた。

もし「ごもっとも」を言わなかったらうちの家は、この一年大変なことになると言って。

そのお陰か、我が家では節分の日の定番としてしっかり定着し、私が3年強広島で単身赴任して不在の日にも、節分には二十歳過ぎの娘達が

「ごもっとも」をやってくれていたそうだ。(ほんまかいなと多少は思うけど)

     今年の豆まきは、家族の中でも「ごもっとも」発声に一番抵抗してきたヨメさんと二人でしたが、驚いたことには二人では張り合いがないから、

今年はやめとこかと言う私に「今まで続けてきたのに何を言ってるの」と率先して彼女が大声を張り上げた。

 震災の年だけはそれどころではなかったけれど、考えたら結婚して二十八年、我が家では出張や単身赴任で抜けた私の回数より彼女の「ごもっとも」の

発声回数の方が多いんやと思い当たった。今年はいつもよりキレイにハモッて「鬼は外、福は内、ごもっとも、ごもっとも」と言えたような気がする。

       亡父にも故郷の従兄弟たちにも聞いたことはないが、おそらく父が生まれ育った信州の諏訪湖畔、小和田地区では江戸時代以前の昔から、

こういう風に言っていたのではないかと思う。

    先祖は太閤秀吉の配下の武将日根野氏が諏訪の高島城を築城する時に、湖中に在った高島と言う島から立ち退きを命じられ、

近くの小和田と言う在所に集団移転させられた連中のうちの一族だと言っていたから、諏訪の地にもともと古くから住みついていた住民だと思う。

 今年も遠い諏訪のあの地区で「ごもっとも、ごもっとも」が飛び交ったか、あるいは本家のイギリスでは

とっくに廃れた習慣がアメリカで残っているのと同じように、諏訪ではもう廃れたかも知れないが、今年も神戸市の一軒の家から、

老年に差しかかってはいるが声は若い「ごもっとも、ごもっとも」の斉唱が、神戸の夜空に吸い込まれていきました。

 ☆このエッセイは2002年2月の神戸新聞文芸欄「エッセイ・ノンフィクション部門」に、小和田 満 の筆名で投稿し幸い入選、同年5月27日の同紙上に掲載されたものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ごもっとも・・・その後 ’02/09/23

節分が一年に一度の行事であることから、法事でしか顔を会わさくなって久しい従兄姉たちと、法事の席で節分をどうしているかなんて話題にすることは、

当然これまで一度もありませんでした。

今回、神戸新聞の文芸欄に掲載されたエッセイの掲載新聞コピーを父方、母方の親戚に送った事から「ごもっともの真実」が明らかになってきました。

一番上の伯父の上諏訪在住次男家 ;本人は大きな声で毎年やって家族の顰蹙をかっている。

二番目の伯父の東京在住長男家;もう50数年東京に住んでいるが、毎年欠かさず家族と 共にごもっともをやってきた。

ただ子供が独立し、ほそぼそにはなってきた。

四番目の叔父の東京在住の長男家;叔父が大声で欠かさず鬼は外~を毎年やっていたがごもっともは言っていなかった。自分もやってない。

明治41年生まれの伯母が95歳でなくなり、9月の始めに、その葬儀にひさしぶりに上諏訪へ行きました。

小和田地区の住民が多い菩提寺、教念寺での葬儀の後、父方の従兄の中では最年長の喪主の家に寄りました。

東京在住50年を越え、勤務先を70歳で最近リタイアーしてそろそろ東京から引き上げるかもしれない従兄(喪主)の実家には沢山の書物があります。

従兄が本を出してくれました。それを借りてきました。そこからそのまま抜書きします。

   「諏訪の年中行事」 全161頁 昭和24年2月20日発行

著者 諏訪教育会 発行所 蓼科書房

正月行事 の63頁 2月節分の項目

(豆撒き)
○「豆撒き」は「鬼打ち豆」ともいって、炒り上げた豆を必ず一生桝に入れて、熱いうちに年男か男の子供が大声に「鬼は外、福はうち」と唱えながら、

上座敷から順次家中を撒きあるく。

○撒く時の様子は家によって多少の違いがある。「鬼は外」は外に向かって大声に、「福は内」は内に向かって小声にいう家、

「鬼は外、福は内、鬼の目へビチャリン(ブッツブセ)(パチリン)」と唱えて家の内外へ撒いてから少しずつ天井に投げつける家、

仮想行列をして下男迄がつきあるいて賑やかにやる家、又、一人が豆撒きをする後へ、一人が擂粉木を持ってつき歩き、

てくんてくんと上下に動かしながら「ごもっともごもっとも」と受答えて騒ぐ家などがある。

(母の里は諏訪市の隣の現在の茅野市(の中でも八ヶ岳のなだらかな麓のかなり上の方の地区)ですが、相方によると母が南柏や藤代の家に節分の頃に来たときは、
一緒に豆撒きをして、「鬼は外、福は内、鬼の目を ブッツブセ」と言って豆を撒いて、嫁と孫を喜ばしてくれたと今回思い出して教えてくれた。
「家によって多少の違いがある」という通りですね。
残念ながら、辛好は出張で不在か、東京にいてもその時間には麻雀か酒で家には帰らなかったのでそのことを知らなかった。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本各地にあったごもっとも ’03/02/09

今年も節分の日は、例年のように「鬼は外、福は内、ごもっともごもっとも」と声を上げながら
家中の窓を一つずつ開けて豆を撒きました。
 
 節分の直前にふと思い立って、ヤフーで「ごもっともごもっとも、節分」を入力してサーチしてみました。
驚いた事には沢山の「ごもっとも」に触れたサイトが検索先に出てきました。

京都の吉田神社の氏子地区、宮城県、埼玉県秩父の三峰神社の行事(高橋さんに教えて頂いた)
長野県の鬼無里などなどです。興味のある方は添付ファイルにその一部をコピーしましたのでご覧ください。

それらによると、どうもこの習慣は、元々は中国から入った貴族階級の行事が、日本古来の晦日
(節を分ける日)の五穀豊穣の祈りなどと結びついて京の都から各地に広がり、一般民衆の年中
行事の一つとして長く伝えられてきたもののようです。

諏訪湖の御神渡の記録を天和3年(1683)以降、続けている八剣神社を氏神さんとする
小和田地区に住んできたご先祖さんたちが何百年も続けてきたこの節分の行事を、もう父親の代にそこを離れて
しまったけれど、ルーツを忘れないためにも、うちの子供達も是非続けて欲しいと思って
います。

1)福豆頂き福引も 1年の厄払い開運願う節分  読売新聞サイトから

鬼の面をつけたスタッフから福引を引いて「節分」を楽しむ参加者
 一年の厄を払い、開運を願う節分。参加者は吉田神社(左京区)の福豆を一袋ずつ頂き、福引を引いた。

賞品は、タンスに入れると「きれいになって衣装が増える」とされる須賀神社(同区)の懸想文や、吉田神社の鬼面など。

 小島さん方は節分の日、出入り口で豆まきをしてから自分の年齢の数だけ豆を食べて、さらに同じ数の豆とさい銭を和紙にくるみ、
同神社などに納める。当主が豆まきする間、別の家族が後ろについて「ごもっとも、ごもっとも」と言いながらうちわで
あおぐ風習もあるとか。

2)http://allabout.co.jp/travel/travelshinshu/closeup/CU20020101B/index_00f.htm

立春の前の日を節分と云います。古くは、季節の変わり目、立春・立夏・立秋・立冬の前に行事が行われていたようですが、
立春の前だけ残ったのは、冬から春への変わり目が、大事な折り目だからでは無いでしょうか、

節分には、豆をまいて鬼を払う行事が行われます。神社やお寺では、有名人を招いたりして華やかに行われますが、
民間でも根強く残っています。「福は内・鬼は外」と三回ずつ唱えながら豆をまき、その後からすりこぎを持って
「ごもっとも・ごもっとも」と云って歩いた習慣が、つい最近まで残っていましたが

3) http://hb6.seikyou.ne.jp/home/mari-neko/2001.2.htm

節分・・・各地いろいろの風習があると思います。豆まきの掛け声にしても、「鬼は外福はうち」と、いうのは、一般的ですよね。
「鬼は内、福も内」と、言う掛け声も聞くといいます。宮城の一部の地域では、「鬼は外福は内」といいながら豆をまく人の後ろから、
「ごもっとも、ごもっとも」と、いいながら、うちわで扇ぎながら歩くところがあります。うちわで、鬼を、追い払うのでしょう。
まだまだ寒い(今日は、吹雪だっ!!)とはいえ、もうすぐ春がやってくる・・・そんな季節の分岐点です

4)http://www.city.chichibu.saitama.jp/saiji2.htm

豆まきの行事そのものは里の節分祭と同じだが、年男が三方にのせた福枡の豆を
「福は内、鬼は外」と唱えると、
後に控えた所役が大声で「ごもっともさま」と唱和しながら、大きな棒を突き出す。

この棒は、長さ3尺位の野球のバットのようなもので先に〆縄を巻き、
根元にミカン2個を麻縄でくくりつけた男根を象徴化したものである。

突き出すときに「ごもっともさま」と唱えることから、
このような呼び名がついたとおもわれる(午前11時・正午・午後2時・午後4時)。

5)http://www.vill.kinasa.nagano.jp/nenchu/

節分
 2月3日は節分、4日は立春で、暦の上では春がきたことになりますが、鬼無里はまだ深い雪の中です。冬ごもりしながら、
農家は麻糸作りに精を出す時期でもありました。
【年取り】節目の日であるが、仕事は休まず、早めに切り上げました。お神酒、頭つきの魚と白いご飯神棚(恵比寿棚)に供えます。
家内安全と健康を祈願しました。豆まきの前に夕飯を食べ年取りをします。
【豆まき】大豆をホウロクで炒って、豆まきをします。年男、若い男または家の主が、
一升マスに入れて家の中の各部屋を「鬼は外、福は内」と大きな声で繰り返しながら、まいて歩きます。
その後ろを、男の子などがスリコギを肩に担いでついて歩き、「ごもっとも、ごもっとも」と唱和することもあった。
この豆を自分の年の数だけ食べると災難を逃れるといって皆で食べます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎2016年 NHKで京都の俵屋旅館の特集番組がありました。元勤務先時代からの友人の高橋さんが「ごもっともごもっとも」を
俵屋でやっていたのでとその番組を録画したDVDを送って頂きました。
なるほどこの風習は京の都から信州諏訪へ伝わった習慣のようです。高橋さんありがとうございました。

⇒実際に俵屋で節分を体験した方のサイトから。⇒こちら

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

02月02日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年02月03日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年01月02日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年02月03日 | 東日本大震災ブログ

  2012年01月02日(月)

 
福島の期間困難者支援の新法整備
 
復興相「新法を整備」 帰還困難者支援へ
(2012年1月1日 福島民友ニュース)

 平野達男復興対策担当相は、年頭に当たり福島民友新聞社のインタビューに応じ、4月に予定される避難区域の見直しに合わせ、長期にわたり帰還が困難な住民を支援するための新たな法整備を検討する考えを明らかにした。

帰還を断念した住民への土地の買い上げや損害賠償の継続、避難先での行政サービスの維持など、現行法制では対応しきれない帰還困難者への支援策をまとめるもようだ。

 政府は避難区域の見直しで、警戒区域と計画的避難区域を解除し、年間推定積算放射線量が50ミリシーベルトを超える地域を帰還困難区域、50ミリシーベルト未満で20ミリシーベルト以上の地域を居住制限区域、20ミリシーベルト未満を避難指示解除準備区域に指定する方針。このうち、帰還困難地域については指定期間を少なくとも5年間とし、それ以降の指定は除染による放射線量の低減状況に応じて指定継続か解除かを検討する。
2012年1月2日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3935/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
仮設入居の家庭聞き取り 白書出版
 
「3.11白書」仙台のNPO出版 仮設入居の家庭聞き取り
2012年01月01日日曜日 河北新報
被災地の子どもたちの現状を伝える「3.11被災地子ども白書」


 東日本大震災で被災した子どもたちを取り巻く現状と課題をまとめた「3.11被災地子ども白書」が出版された。子どもや保護者へのインタビューから、仮設住宅に入居した家庭が直面している経済的困窮や学習の悩み、先行きへの不安などに関する生の声を発信。被災者が置かれた状況を踏まえ、復興に向けて適切な支援と関心を寄せ続けることを訴えている。

 著者は、震災直後から仙台市内の避難所や仮設住宅集会所で「塾」を開き、子どもたちの学習支援に取り組んでいるNPO法人アスイク代表理事の大橋雄介さん(31)。

 インタビューは、プレハブや借り上げの仮設住宅に入居する保護者16人と小中学生・高校生20人を対象に、昨年7月中旬から2カ月かけて行った。回答した家庭の半数は、震災後に解雇や減給で家計収入が減少。家のローンを抱えて途方に暮れるケースも少なくない。

 狭い仮設住宅で勉強部屋が確保できなかったり、教育費が重荷になって習い事をやめたりと、子どもの学習環境は大きく変化した。男子中学生は「みんな塾に行っていて、自分だけ取り残された気分」と語っている。

 義援金や仮設住宅が提供されることで、周囲から「家賃タダでいいね」「新品の家電がもらえてずるい」と心ない言葉を浴びせられ、傷つく母親もいた。

 白書は、子どもたちが無料か低料金で学習のサポートを受けられ、地域の市民と関わることができる安全な居場所づくりの必要性を提起している。また、震災直後に発足したアスイクの取り組みも詳細につづったほか、被災地で子どもの支援活動を続けるNPOの代表者4人のコラムも載せた。

 大橋さんは「物を与えるだけの支援の段階は過ぎた。今後は子どもたちが自分の足で歩いていけるように寄り添う支援が大切だ」と話している。

 「子ども白書」はA5判、214ページ。1680円。連絡先は明石書店03(5818)1171。
2012年1月2日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3934/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
「綱渡りが続く福島第一原発の冷却」と「廃炉の準備」
 
冷却と廃炉の準備 二重の課題
1月2日 5時3分 NHKニュース

東京電力福島第一原子力発電所では、ことし原子炉の冷却を続けるとともに、最長40年で作業終了を目指す「廃炉」に向けて準備するという二重の課題を、いかに進められるかが問われる1年となります。

政府は、先月16日、福島第一原発の事故の収束に向けた工程表について、ステップ2の達成を宣言し、政府と東京電力は最長40年間かけて1号機から3号機で原子炉から溶け落ちた核燃料を取り出したうえで、原子炉や建物を解体するという新たな工程表を公表しました。

 このなかで、ことしは4号機の使用済み燃料プールで来年までに燃料を取り出し始めるため、爆発した原子炉建屋のがれきの撤去を進め、廃炉に向けた準備として、原子炉建屋内の除染や格納容器の修理に向けた研究開発などに取り組むことになります。

 また、福島第一原発では、今も熱を出し続ける核燃料を冷却するために原子炉の注水や汚染水の処理のための設備の合わせて4キロある配管を半分に短くしたり、汚染水から放射性ストロンチウムなどを取り除く処理設備を新たに設置したりする計画で、ことしは原子炉冷却と廃炉に向けた準備という二重の課題をいかに進められるかが問われる1年となります。

 東京工業大学の二ノ方壽教授は「配管を流れる汚染水は常に漏えいのリスクがある。リスクを小さくするために、建物への地下水の流入を止めるとともに、汚染水の浄化設備をもっとコンパクトにしていかなければならない」と話しています。
2012年1月2日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3932/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
原発の過酷事故対応「法制化する」  細野環境大臣
 
 細野環境大臣は JNNのインタビューで、これまで電力会社の自主的な取り組みにまかされていた原発の過酷事故への対策について、今後、法制化し、政府が責任をもって監督する方針を明らかにしました。

 東京電力福島第一原発の事故を受け、政府は今年4月に経済産業省から原子力安全・保安院を分離し、環境省のもとに「原子力安全庁」を新設する方針を決めています。 これについて細野環境大臣は、次のように答えました。

 「組織を離すというのは非常に大きな変化。ただ、それだけでは国民の信頼を取り戻すことはできないと思っております。具体的にやはりこれまでにない厳しい規制をかける。これがポイントだと思います」
 「それができてはじめて原子力行政も変わったんだと、国を信用してみようと、国民のみなさんに思っていただける可能性が出てくると思います。ここが最後のチャンスだと、そういう信頼を取り戻すには。そういうふうに思っております」(細野豪志環境相)

 その上で、細野大臣はこれまで電力会社の自主的な取り組みにまかされていた過酷事故への対応について、今後、法制化し、政府が責任をもって監督する方針を明らかにしました。

 「本当にシビアな状況になったときに、どんなことがあっても外部に放射性物質を出さないような封じ込める取り組みが必要ですが、 こういう取り組みが法制化されてこなかった。たとえば、これなどはルールに基づいて、安全をチェックする行政が具体的に踏み込めるような体制にしなくてはならない。これなどは一番、今回の事故の反映をしたいい例だと思います」(細野豪志環境相)

 また原発の事故処理について、今年はまず使用済み燃料プールからの燃料の取り出しを着実に行うことで、廃炉に向けた作業を加速させる考えを示しました。

 「ここを(燃料プールからの取り出しを)確実にやれるという姿を、国民にも世界にも示すことが次のステップにつながる。着実にここをやるというのが重要だと思っております」(細野豪志環境相)
(01日16:14)

インタビュー動画

☆これまで少なかった自分の言葉で喋る政治家の一人、細野豪志議員。省益しか考えることができない官僚と日々闘いながら、今のところは国益を考える姿勢は保っているような気がする。
2012年1月2日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3931/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
沖縄と本土には格差がある  沖縄県民意識調査
 
「本土と格差」84% 本紙(沖縄タイムス)県民意識調査
2012年1月1日 09時51分 沖縄タイムス

 今年5月に本土復帰満40年を迎えるのを前に、沖縄タイムス社と琉球放送が合同で実施した県民意識調査で、県民の84%が本土との間に「格差がある」と思っていることが分かった。「格差があると思わない」と答えたのは1割にとどまった。最大の格差として「基地負担」(37%)を挙げ、「所得」(34%)、「雇用」(11%)、「教育」(同)と続いた。「復帰して良かった」と答えた人は約9割を維持。「復帰して良くなかった」と答えた人は2%にとどまった。

 県民が最大の格差と指摘した基地負担について、沖縄の米軍基地は今後どうしたらいいか―という問いには、県民の66%が「段階的に縮小」とした。「ただちに全面撤去」は22%、「いままで通り」は10%にとどまった。

 基地問題で最大の焦点となっている米軍普天間飛行場の移設問題については、「国外移設」が最多の32%、仲井真弘多知事が主張する「県外移設」(26%)と続き、「県外」と「国外」を合わせると約6割に達した。「ただちに閉鎖」「嘉手納基地に統合」が各13%、「名護市辺野古の沿岸部へ移設」と答えた人は10%だった。

 復帰後、沖縄に配備された自衛隊について、この先強化すべきか縮小すべきかを聞いたところ、「いままで通り」が57%、「強化すべき」は16%だった。逆に「縮小すべき」は24%だった。

 「復帰して良かった」と答えた県民は、沖縄タイムス社が過去実施してきた世論調査で、復帰後20年から9割近くを維持している。今回の調査で「良かった」と思う理由については「本土との交流が盛んになった」と答えた人が40%で最も多く、「道路など公共施設が整備された」(18%)、「経済的に豊かになった」(17%)、「教育や福祉が充実した」(16%)が並んだ。

 一方、「復帰は良くなかった」と答えた人は、その理由について過半数が「基地問題が解決していない」ことを挙げた。(%は小数点以下を四捨五入)

調査の方法

 県内在住者を対象に2011年12月17~18日の2日間、コンピュータで無作為に抽出した番号に電話をかけるRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法により実施した。500人が回答。内訳は男性240人(48%)、女性260人(52%)。
2012年1月2日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
新聞・テレビ・雑誌から / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3933/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
 
20111225 聖なる夜と放射線
 
日テレ系・NNNドキュメント’11「3・11大震災 シリーズ25 聖なる夜と放射線 この子の未来を祈る」
  テレビマンユニオン制作福島第一原発の爆発。まき散らされた放射性物質による子供達の健康被害が心配されて いる。国の安全基準は『20ミリシーベルト/年』。今回の事故で国が定めた被曝の上限だが、自然界からのそれを除く一般人が1年で受けていい数字の20倍だ。これを子どもにも適応させていいのか…不安は大きく、見えない恐怖に怯えながら暮らして いる家族が多い。 福島県でも特に線量の高い地区に残る家族、 そして避難を決めた家族・・・。山形県に避難した家族は、環境保護団体の援助でドイツに招かれ、日本では「自主避難」なので受けることが難しかった内部被曝検査を、二人の子どもに受けさせる。その結果は・・・そして母親が心に決めたこれからの人生とは・・・ それぞれの家族の絆を描きながら、我が子の未来を守ろうとする親の切なる願いを伝える。

0111225 聖なる夜と放射線 投稿者 PMG5

2012年1月2日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
今日の気になるネット情報 / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/3930/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする