南木佳士さんの小説「ダイアモンドダスト」は読んだことがありましたが、登山を盛んにされていたことは、この本を読むまでは全く知りませんでした。これは、雑誌「山と渓谷」に発表された文章を基に2011年に単行本として刊行されたものの文庫化です。
「ためらいの笠ヶ岳から槍ヶ岳」、「何度でも浅間山」、「つれられて白鳳三山」、「山を下りてから」の紀行文など4編が収録されています。特に、登山を始めたきっかけや勤務医としての普段の生活の中での山登りについて書いている、「何度でも浅間山」や「山を下りてから」の2編が、興味深く共感することも多く面白く読めました。
登山を始めたきっかけについて次のようにあります。
『三十八歳の九月、芥川賞受賞の翌年からとりつかれたパニック障害とそれに続くうつ病が十年以上経っても完治しないまま、休日には家でごろごろしているだけの、作家と医師を兼ねるという業の深い生活にどっぷりとつかってしまっている夫を、紅葉が始まっているかもしれないからと、妻が赤子をあやすように気を遣って車に乗せ、標高二〇九三メートルの大河原峠につれ出した。』
そこで、双子山へ行ってみたのが登山の始まりだったということで、以降山へ上るようになっていったようです。蓼科山や北横岳、天狗岳といった北八ヶ岳、黒斑山や前掛山、トーミの頭といった浅間山へ日常的に登っている様子が描かれ、それによって心身の健康を取り戻していく様子もみてとれます。
『やっぱり浅間はいいよね。』という記述がある「何度でも浅間山」という一編は、こころの拠り所となる山を自分の中に抱えているかのようで、これは登山を行う上での一つのあるべき姿だろうなと感じました。険しい高山や山小屋に泊まって縦走することばかりが登山ではないということを身を持って示してくれる一編でもあります。
文章が明晰で読みやすいので、情景が浮かびあがってきます。写真入りの登山案内を読むより、想像が刺激されて、風景が目の前に浮かんできます。登山や心身のことに興味を持っている方なら、うなづきながら読めます。