「第1幕
クリスマスの夜、男の子がひとり、ちっぽけなモミの木のそばにすわっている。その枝には、去年のクリスマスからずっと残されたままの飾りが、寂しげに揺れている。男の子ビム の母親 は亡くなったのだ。ビムは、父にもらったくるみでひとり寂しく遊んでいる。部屋には父(M...)と飼い猫のフェリックス*がいる。と、夢なのか魔法なのか、男の子のそばに白いスーツに身を包んだ母親が現れて、モミの木の下に小さなプレゼントを置こうとする。」
ベジャール版「くるみ割り人形」を見るのは初めて。
原作のテーマは「少女の通過儀礼」であるが(通過儀礼の先送り)、ベジャールはこれを見事に「少年のエディプス・コンピレックス」へと転換した。
主人公:ビム(ベジャールの子どもの頃のあだ名。)は少年時代のベジャールである。
ビムはお母さんが大好きな男の子だった。
「思い出すなあ。子供の頃、いつもこう言ってた。「大きくなったらボクはママと結婚するんだ!」
7歳のとき、母は長い旅に出た。しばらくして、ボクはバレエと結婚した。」(作中のナレーション)
何ともストレートなエディプス・コンプレックスである。
ところが、彼の母は7歳の時に亡くなったため、クリスマスの夜、彼は独りぼっちで寂しい。
そんな彼に、父はプレゼントをする。
ここで、父がビムに「くるみ」をプレゼントすることの意味を押さえる必要がある。
「思い出すなあ!クリスマス・・・マルセイユ、ツリー、クレッシュ、プレゼント。それに、13個のデザート・・・その中でいちばん好きだったのは、くるみ!特にくるみを割るのが大好きだった。
父は、小さな脳みそみたいな、くるみの中身を見せてくれた。」(同上)
原作者・E.T.Aホフマンの意図は、どうやら「くるみ」=「睾丸」らしいので、このくだりは、ビムが父を同一視の対象としていること及び父がビムに通過儀礼を施そうとしていることを暗示していそうだ。
もっとも、その後ビムはエディプス・コンプレックスによって父を敵視するようにはならず、前述のように、対象を「母」から「バレエ」に置き換えて成長する。
それと同時に、同一視の対象を、父から「M...」すなわちマリウス・プティパ、あるいは”ボクのヒーロー”:ファウストへと転換するようになる。
「猫のフェリックスが呪文を唱えると赤いカーテンから、かわいらしい緑のマントをつけた女の子が現れる。ビムの妹である。小さい頃ふたりはよくこんな扮装をして、ビムの大好きな「ファウスト」のお芝居 をして遊んだのだ。懐かしい家族団欒の雰囲気に誘われたのか、ふたたび母が、今度はマリンルックで現れる。待ちかねていたかのように母の元に、ビム、妹、フェリックスが集まってきて、M...(ここでは父)は母の手の甲にキスをする。
母や妹が去ってしまい、夢は次の場面へ。M...が杖でリズムをとると、それに合わせて規律正しく行進してきたのは、ボーイスカウトの少年たち。ビムも嬉々として一緒に踊る。やがて疲れ果ててみんなが寝袋に入って眠りについてしまうと、森の奥からまばゆく光り輝く天使 がふたり、そうっと現れる。やがてふたりの妖精も加わって、少年たちを見守るように、暖かく包み込むように舞い踊る。朝がきてビムと少年たちは目覚め、ふたたび元気に動き出す。すると、彼らの目の前に現れたのは…
大きくそびえる聖母像 だった。ビムは像に母の面影を見出し、一生懸命によじ登ろうとするが、なかなかうまく登れない。ついには足を滑らし、落ちてしまう。M...はそんなビムを突き飛ばし、荒荒しく猛るように踊り出す。」(あらすじ)
このあたりは、母(=聖母)と父の代理(=M...)の間を揺れ動く少年の心理を象徴的に表現していて面白い。
結論を言ってしまうと、ビムの母親が死によって聖化されたため、彼において「エディプス・コンプレックスの克服」は必ずしも実生活上の課題とはならなかったようだ。
その一方で、父との対立状況も深刻なものとはならず、比較的スムーズにマリウス・プティパの同一視へと移行できたのだろう。
案の定、第2幕のコリオの大半は、マリウス・プティパのものをそのまま採用しているのである。