ある先輩弁護士から、「とっくの昔に受かったのに、今でも択一試験で呻吟している夢を見る」と言われ、「そんなことは誰でもありますよ」と答えておいたが、その後、フロイトの「夢判断」の「試験の夢」の個所を読んで、目からうろこがとれる思いがした。
フロイトは例によって、「夢は願望充足である」という根本命題を展開する。「試験の夢」には、実際には合格した種類の試験しか出てこない(新潮文庫版(上)p470)。何か困難に直面しているときなどによくあらわれ、「大丈夫。過去にこの試験で苦しみつつも合格したように、この困難も乗り越えられるのだ」という潜在内容を有しているそうだ。
要するに、「試験の夢」は、歓迎すべき夢なのである。
フロイトは例によって、「夢は願望充足である」という根本命題を展開する。「試験の夢」には、実際には合格した種類の試験しか出てこない(新潮文庫版(上)p470)。何か困難に直面しているときなどによくあらわれ、「大丈夫。過去にこの試験で苦しみつつも合格したように、この困難も乗り越えられるのだ」という潜在内容を有しているそうだ。
要するに、「試験の夢」は、歓迎すべき夢なのである。