このところ土日も出勤しているような状況で、余り小説を読む暇もなかったが、ようやく時間ができたので、バブル時代の小説を読む。
いわゆる純文学に絞って読むのだが、共通の傾向として、小説内空間に「社会」が欠如していることが挙げられる。もともと純文学とはそういうものだし、作家というものは社会経験に乏しいのだが、それにしても、(村上春樹の小説が典型例だが、)どこにも「社会」が出てこない。
これは、ひょっとすると、同世代の人間(団塊の世代、あるいはその前後)の過剰な社会性に対するアンチテーゼの表現なのか?確かに、春樹小説には「学生運動何するものぞ!」という怨念のようなものが散見されるが・・・。
いわゆる純文学に絞って読むのだが、共通の傾向として、小説内空間に「社会」が欠如していることが挙げられる。もともと純文学とはそういうものだし、作家というものは社会経験に乏しいのだが、それにしても、(村上春樹の小説が典型例だが、)どこにも「社会」が出てこない。
これは、ひょっとすると、同世代の人間(団塊の世代、あるいはその前後)の過剰な社会性に対するアンチテーゼの表現なのか?確かに、春樹小説には「学生運動何するものぞ!」という怨念のようなものが散見されるが・・・。