昼の部の2つ目の演目は「醍醐の花見」。
これも背景事情を踏まえる必要がある。
「醍醐の花見の「醍醐」とは、京都伏見の醍醐寺のこと。
慶長3年3月15日に、豊臣秀吉が醍醐寺で豪華に執り行った花見の宴が「醍醐の花見」と言われるものです。この5ヶ月後に秀吉はなくなっているので、最後の豪遊というわけです。・・・
そこで繰り広げられたのが、女性たちのバチバチとした火花でした。
宴の盃を北政所の次に受けるのは淀殿か、松の丸殿か(京極家の息女)で争い、前田利家の正室のまつが「では私がもらいましょう」といって、その場を収めたというのは実話で、前回の「醍醐の花見」ではそんなシーンも見られたのですが、今回はカット。豊臣秀次の亡霊が出てきて襲われる秀吉!というのもカットです。」
引用したのは2020年1月に上演されたもの(短縮版)の解説だが、今回も短縮版である。
但し、松の丸殿は出て来ない。
ポイントは、
① 一夫多妻制の容認。
② 前田利家を始めとする臣下と秀吉との間の疑似家族関係
といったところである。
①では、北の政所と淀殿が秀吉を挟んで並び立つラスト・シーンが強烈な印象を残すが、跡継ぎは淀殿が産んだ秀頼である。
結局、女性は”ゲノム承継”のための手段という位置付けなのだ。
②では、利家夫妻が秀頼の「傳役」(もりやく)とされており、「親族同然」の位置付けであることが示される。
つまり、疑似家族(ないし拡大家族)の出現である。
秀吉と利家の関係はせいぜい ”clientela”(クリエンテラ)なのだが、「傳役」に任ずることによって、この関係を”ゲノム”に準じて扱おうというのである(信頼が壊れるとき(5))。
紛れもない欺瞞なのだが、これがさほど違和感なく受け入れられていた。
だが、これと似た状況は、現代の日本の大企業などでも見られる。
現代の日本社会の一部も、秀吉と大差ない思考で動いているということなのだろう。