Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

欺瞞としての”家族”

2025年02月25日 06時30分00秒 | Weblog
昼の部の2つ目の演目は「醍醐の花見」。
これも背景事情を踏まえる必要がある。

 「醍醐の花見の「醍醐」とは、京都伏見の醍醐寺のこと。
 慶長3年3月15日に、豊臣秀吉が醍醐寺で豪華に執り行った花見の宴が「醍醐の花見」と言われるものです。この5ヶ月後に秀吉はなくなっているので、最後の豪遊というわけです。・・・
 そこで繰り広げられたのが、女性たちのバチバチとした火花でした。
 宴の盃を北政所の次に受けるのは淀殿か、松の丸殿か(京極家の息女)で争い、前田利家の正室のまつが「では私がもらいましょう」といって、その場を収めたというのは実話で、前回の「醍醐の花見」ではそんなシーンも見られたのですが、今回はカット。豊臣秀次の亡霊が出てきて襲われる秀吉!というのもカットです。

 引用したのは2020年1月に上演されたもの(短縮版)の解説だが、今回も短縮版である。
 但し、松の丸殿は出て来ない。
 ポイントは、
① 一夫多妻制の容認。
② 前田利家を始めとする臣下と秀吉との間の疑似家族関係
といったところである。

 ①では、北の政所と淀殿が秀吉を挟んで並び立つラスト・シーンが強烈な印象を残すが、跡継ぎは淀殿が産んだ秀頼である。
 結局、女性は”ゲノム承継”のための手段という位置付けなのだ。
 ②では、利家夫妻が秀頼の「傳役」(もりやく)とされており、「親族同然」の位置付けであることが示される。
 つまり、疑似家族(ないし拡大家族)の出現である。
 秀吉と利家の関係はせいぜい ”clientela”(クリエンテラ)なのだが、「傳役」に任ずることによって、この関係を”ゲノム”に準じて扱おうというのである(信頼が壊れるとき(5))。
 紛れもない欺瞞なのだが、これがさほど違和感なく受け入れられていた。
 だが、これと似た状況は、現代の日本の大企業などでも見られる。
 現代の日本社会の一部も、秀吉と大差ない思考で動いているということなのだろう。
 
 

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