「新潮45」5月号で、社会学者の開沼博氏が、東日本大震災を巡る日本メディアと海外メディアの報じ方の違いを指摘していた。
日本のテレビや新聞は、遺体の映像・画像を徹底的に排除した。遺族に対する配慮やトラウマの予防という観点もあったとは思うが、海外メディアの中には、遺体の写った写真をそのまま掲載した例が少なくなかったという。
開沼氏は、結局、われわれが、死や死体を日常から隔離・固定化し、不可視化する社会をつくっているからだと指摘する。
それはそのとおりだと思う。さらに言えば、死だけではなく、老いや病気といった、人生の「負の側面」全般について隠蔽しようとする傾向があるように思う。だが、この傾向は、少なくとも、日本古来のものではない。養老孟司先生によると、武士の時代までは、日本の街中には死骸が転がっていたそうである。
それが、戦後となると、なぜか死や死体を懸命に隠蔽するようになったのだ。
日本のテレビや新聞は、遺体の映像・画像を徹底的に排除した。遺族に対する配慮やトラウマの予防という観点もあったとは思うが、海外メディアの中には、遺体の写った写真をそのまま掲載した例が少なくなかったという。
開沼氏は、結局、われわれが、死や死体を日常から隔離・固定化し、不可視化する社会をつくっているからだと指摘する。
それはそのとおりだと思う。さらに言えば、死だけではなく、老いや病気といった、人生の「負の側面」全般について隠蔽しようとする傾向があるように思う。だが、この傾向は、少なくとも、日本古来のものではない。養老孟司先生によると、武士の時代までは、日本の街中には死骸が転がっていたそうである。
それが、戦後となると、なぜか死や死体を懸命に隠蔽するようになったのだ。