十代末期の過ごし方で問題を挙げるとすれば、「言葉を使わない」ということである。
森嶋通夫先生が指摘したように、学生に小論文を書かせると、小学生の作文程度のものしか書けないことが多い(ロースクール生に憲法問題について自由に論じさせても、似たような状況になることがある。)。その大きな原因は、言葉を使って考えるトレーニングが不足しているからだと思う。
その代わり、現代では「音楽」があふれている。一日の大半をiPodで音楽を聞いて過ごすのは楽しいが、その間、殆ど考える時間はない。また、「ゲーム」もふんだんにある。これだって、考えることの障害物といえるだろう。
(集中するためにはある程度「ボーっとする」時間も必要だが、その時間が余りにも長すぎる。)
森嶋先生が言うとおり、人間を見れば将来の国が見える。今の十代末期の若者を見ると、近い将来の日本が見えてしまう。
森嶋通夫先生が指摘したように、学生に小論文を書かせると、小学生の作文程度のものしか書けないことが多い(ロースクール生に憲法問題について自由に論じさせても、似たような状況になることがある。)。その大きな原因は、言葉を使って考えるトレーニングが不足しているからだと思う。
その代わり、現代では「音楽」があふれている。一日の大半をiPodで音楽を聞いて過ごすのは楽しいが、その間、殆ど考える時間はない。また、「ゲーム」もふんだんにある。これだって、考えることの障害物といえるだろう。
(集中するためにはある程度「ボーっとする」時間も必要だが、その時間が余りにも長すぎる。)
森嶋先生が言うとおり、人間を見れば将来の国が見える。今の十代末期の若者を見ると、近い将来の日本が見えてしまう。