「史上最低最悪の解散」とは歴史を知らない妄言 --- 八幡 和郎
「歴史家として「憲政史上最低最悪の解散」は何かを検討してみると、昭和12年(1937年)、林銑十郎内閣による解散だというのが普通の考え方だ。
なにしろ非常時だというので、各政党も協力して予算が成立したのだが、予算が通過するや翌日に口実もなしに解散に打って出て「食い逃げ解散」と批判されたのである。」
今回の解散について「大義名分がない」などという批判が出ているが、大義名分のある解散の方が少なかった。郵政民営化にしても、今から考えると解散の必要があったかは疑問である。
さて、例によって八幡さんの明快な解説が出た。憲政史上最低最悪の解散は、「なにもせんじゅうろう内閣」による「食い逃げ解散」だということである。「なにもせんじゅうろう内閣」というところがツボだった。
「歴史家として「憲政史上最低最悪の解散」は何かを検討してみると、昭和12年(1937年)、林銑十郎内閣による解散だというのが普通の考え方だ。
なにしろ非常時だというので、各政党も協力して予算が成立したのだが、予算が通過するや翌日に口実もなしに解散に打って出て「食い逃げ解散」と批判されたのである。」
今回の解散について「大義名分がない」などという批判が出ているが、大義名分のある解散の方が少なかった。郵政民営化にしても、今から考えると解散の必要があったかは疑問である。
さて、例によって八幡さんの明快な解説が出た。憲政史上最低最悪の解散は、「なにもせんじゅうろう内閣」による「食い逃げ解散」だということである。「なにもせんじゅうろう内閣」というところがツボだった。