明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



人形4体と出来立てのプリント松尾芭蕉を持っていく。お馴染みの風景だが会場でドリルで穴を開けたりまだやる。それにしても完徹がこたえるようになった。色を塗り一休み。ゴロリと横になる。お前寝ようとしてるだろ?色を塗らないまま始まってしまう恐怖を想像し耐える。結果塗り残しなどあるが、これを被写体にしました、ということで、その辺りはおいおい。 それにしてもこの時期に何故、と方々からいわれたが、確かにDMを送る相手も施設もない、というあるまじき有様である。しかし仮にお日柄も良い秋頃に延期になったとしよう。状況が好転していたとしても、私自身が変わってしまっている。珍説弓張月で、こんなことまで可能だと私は知ってしまった。三島を成仏させた私はもう別のことを考えているだろう。 前回男の死をやる際に2ヶ所に断られている。理由はいずれも右翼が怖い、であった。その点、前回も今回も女性オーナーである。一言もそんなセリフは出ない。そもそも死の直前、右翼今に見ていろ、と三島はいっている。私にいわせれば三島は右翼調に見えるだけである。とにもかくにも最大の後ろ盾は、死ぬ寸前に、魚をぶちまけ包丁を腹に刺して死んでる魚屋に扮した三島本人である。今回延期にしなかったのは自粛、自粛が嫌だった、と伺った。決行といえば三島。それをモチーフの展覧、しかも作者が感心されるくらいなら呆れられた方がマシなんてヌカしている。確かに自粛は似合わない。詳しくは明日発表されるだろうが、延期でなく延長が決まった。 毎日ふげん社の前を自転車で通る友人とちょっとだけ飲んで帰る。電車内は昨日までのように距離を保ちようがなく。当たり前である、みんなそれぞれやるべき仕事がある。

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朝、明日個展初日というタイミングでこんなことがあるのか、ということが起きる。お天道様みたいな客観的な存在に、からかわれてるとしか思えない。貧乏神の存在はすで確認済みであるが。そんな時にも拾う神が現れる。 小学生の時当校中、すんでのところで車に轢かれそうになった。間一髪。長患いだろうと事故だろうと死にそうになったことには変わりがない。しかし学校でその話をしたところで、それがどうした、という程度のことである。これからこんなことは何十回となく起きるだろう。そう思うと生きて行くのは大変なんだな、と少々うんざりした小学生の私であった。そう思うと、なんとかここまで生きている。轢かれそうになることも数えるほどしかなく。 今回の個展はとんだことになったが、いつだったか、この個展をやるためにはそれまで交通事故に気をつけ、クリニックにはサボらず通おう、と書いたが、やはり長期的な展望など抱かず、せいぜい一年後まで考え、なんとかこなす。というのが、目標に至らない無念をできるだけ味合わずに達成感をできるだけ味わうには最善の策だな、と改めて思った。 個展というのは、こんなことをしでかしてしまった、と眺めながら、次にしでかす、ここに無いものを想うには絶好の機会である。仮にこの個展が延期になったとして、その時はすでに何か始めているだろう。 プリンターの田村さんに直接会場に送付してもらってまだ見ていない作品が結構あり、明日はせいぜい出来立ての立ち上る湯気にむせたい。 







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ゴールデンウイーク前に、人形、キャプション以外はすでに会場に整然と並んでいる。そうするには私は初個展から展示には関わらない。何をして良いか判らないのである。そのプリントも、オーディオと一緒で入口と出口が肝心。音の出口はすべて盟友プリンター田村正実氏というスピーカーを通している。 今回は正面奥に、2メートル超の燃える金閣寺にヤクザな三島が日本刀とピストルをかまえている。これは“感心されるくらいなら呆れられた方がマシ”あるいは“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”という私の2大モットーが具現化されている。 そもそも三島由紀夫という人は生前常に積極的に呆れられ続け、そしてやり過ぎていった人物である。映画憂国の撮影ではもっと血を!と要求。その切腹シーン用には豚の臓物を使ったが、スタジオ内に異様な臭気が立ち込める。そこへ三島はあろうことか香水を降りかけてしまう。普通そんなことをすればどんなことになるか判りそうなものだが、普通でない三島には判らない。そんな所も私は愛おしいのである。 藤原龍一郎さんが寺山修司と虫明亜呂無の競馬本を紹介されており帯には「もう一度逸脱せよ、愚行であろうとも。」という痺れるコピーが書かれている。三島はいった。「今犬死が必要なことを見せつけてやる!」





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晴天  


松尾芭蕉、乾燥終わり、仕上げに入る。さらに芭蕉の前に置きたいブツを撮ることができる事になった。さっと忍び込んでとっとと撮って帰る事に。 今回の成果の一つは椿説弓張月であろう。はたから見れば、わざわざ人形を使って、単に浮世絵風な写真を作り、と見えるだろう。ただでさえ、だったら絵で良いではないか、なんていわれているのに。 しかし私にとっては、こういうことができるのなら、もう何でもできる。と私に思わせてしまったことが大きい。このように毛細血管が匍匐前進するように枝葉を伸ばし変化を遂げて来た。これで扱えるモチーフが無限に広がったことになる。陰影を描かないおかげで自由だった日本の絵師が、西洋由来の陰影や正確な遠近法を得て、リアリズム、迫真性を得たと引き換えに、失った物がある、と私は図書館で浮世絵、かつての日本画を眺めては考えていた。絵描きじゃないのに。 日本人はフォトグラフィーを光画とするところを真を写す、写真と思わず名付けてしまった。絵がかけなくても、撮れば自動的にリアリズムと迫真性は容易に手に入る。その写真を手段とする私としては、あえて陰影を削除する手間をかけて、リアリズム、迫真性と引き換えにやりたい放題をようやく手中にしたことになる。例によってこの喜びを分かち合う人は誰もいないけれども。 焼酎が売るほどあるが自分では飲まないという人と道端で待ち合わせる。マスクをしたまま距離を取り立ち話。美味しそうな焼酎をいただく。さらに死ぬまでに一度は食べておきたい木久蔵ラーメンも。

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三島が自決の日に選んだのは初の長編書き下ろしである仮面の告白の起筆日11月25日である。私にはあそこにすべて書いてしまっている、とさえ思えてしまうのだが、予期しなかったのはその後の森田必勝との出会いであろう。それにより急激にハンドルを切ることになってしまった。と私は思う。 仮面の告白には、幼い時に読んだ絵本が出てくる。竜に噛み砕かれ苦しみながら死ぬ王子である。ただ幼い三島が気に食わなかったのが、その王子がその度に生き返ることであった、そこでその部分を手で隠して読んだ。誰の書いた物かは知らないが、私は王子の格好をできるだけ三島の供述通りにしてみた。怪獣を作るのは小学生以来であった。三島は後から合成したが、当時住んでいたマンションの屋上で片手に竜、片手にカメラで撮影した。決して住人に見られてはいけない、あられもない、言い訳が許されない姿であった。撮影しながら三島は生まれながらにして、すでに死に魅入られてしまっていたのだな、そして何事かを成さなければおられない宿命だったのだな、撮影しながら思ったのを覚えている。 私と三島の共通点といっては語弊があるが、私も物心ついた時には、すでにこうなっていた。そして頭で考えた行動はろくなことにならず、何故たが自分では解らないがやらずにおられない、ことはそれに従え、という事に早い段階で気付いたことは不幸中の幸いであった。誰が止めたって、やらずにれない人間はやる。衝動というのはそうした物で、ある種の犯罪者にさえ、いくばくかの同情をしてしまうのである。そう思うとたかだか人形作って写真撮って満足していられるのも不幸中の幸いといっていいだろう。







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パンフレットには全作品ではないが、その三島作品の抜き書きを載せた。これは一体なんですか?という空気はお馴染みではある。さらに作品のキャプションにはほんの短く創作ノート的な物を書いている。三島由紀夫没後50年ということで映画も公開され、展覧会もあった。いずれもコロナのせいで行きそこねたが。しかし私のアプローチは特殊だろう。扱っているのが三島のある一面のみであり、三島作品を作品化したとはいえない。 三島が死の一週間前まで篠山紀信に様々な死に方を撮らせて死の直後に出版予定であったが、私が三島で何をやろう、と思った時、様々な状態で死んでいる所であった。私の場合は三島作品に絡めてという少々趣旨が違うが、それを知った時は、私だけが三島について解っているある面がある。私はこれを制作することの権利を得たような気分になった。私のような渡世の人間は思い込みで生きていところがある。私はあるガセネタを掴まされて、孫娘が高校を卒業したら男の死は出版されると聞いていた。出どころを聞けば、間違いない情報だと思うだろう。私はハラハラして数年間過ごした。趣旨は違うとはいえ、本人が魚屋に扮したり、ヤクザや兵隊になって死んでいる写真集が出てしまったら、私のやっていることはかなりのつや消しどころかバッタ物の滑稽さが漂ったろう。であるから隔月で4年続いたフリーペーパーの廃刊が決まったと同時に関の孫六の模造刀を入手し振り回していた。そしてこの人見知りが、伝説的な編集者であり、企画者の薔薇十字社の元社主内藤三津子さんと新宿中村屋で街合わせお話しを聞き、男の死というタイトル使用の許可を得、前回は会場で、三島さんきっとここに来ているわよ、とおっしゃっていただいた。ご高齢でもあり、実はまだDMを出せないでいる。

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松尾芭蕉は乾燥を防ぐためビニール袋をかけっぱなしで三日目くらいだろうか。最終的な出品作を決めたり、キャプションの文章を書いたりして過ごす。それにしても、外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想だなどと言っていたせいか、写真展を前に、全く外に出ず、家の中だけでまかなえる、というのは何よりである。以前、足腰が立たなくなった時に備え、世の中のパーツを撮り溜めておこう、というのを、これを機に改めて考え直そうと本気で思った。外付けのハートディスクが何台買っても当てにならないのが悩みどころではあるが。逆に言えば、残ったデータで充分こなしてしまっている。三島が搭乗記を残した最後の友人戦闘機と当時いわれた、F104通称三菱鉛筆は、何年か前に浜松の航空隊まで撮りに出かけた。地震の影響で温泉地も閑散としていたのを覚えている。もっとも、実はプラモデルで済まそうと、直前まで考えていた。イメージ通りになるのであればなんだつて良いのだが、操縦席に乗れる、つまり撮影できるというのででかけた。記憶は定かではないが、何かの事情で乗れないとか耳にし、超が付く出不精の私が浜松くんだりまででかけてきて、相手が自衛隊だろうが勝手にやってやる、と憤慨した記憶がある。しかしちゃんと三島が操縦席に座っているから、なんとかなったのであろう。しかし金閣寺は撮れない所から撮影したかつたこともあり、模型で済ませた。高さ20数センチの木製キットだったが3万円くらいしたのを撮影した。さすがに修整しないとアップには耐えられなかったが、今回も出品する予定だが、2メートル超のプリントにしたが,充分耐えている。イメージ通りになるならなんだって良いのである。という訳で明日から芭蕉を再開し、できれば嫁ぎ先の芭蕉記念館の収蔵品から芭蕉直筆の句などを撮影し配したいのだが、それも開けばの話である。







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在宅のストレスなのか、みんなでしばらく我慢しようと言ってるときにわざわざ海を見に行こう、と渋滞を起こしたりする人達がいる。おそらく家によっぽどの物がいるのであろう。酒場でグズグズダラダラと家に帰ろうとしない男達を見ても良く思った。家によっぽどの物がいるんだろう。 何度も書いたが、私の場合は子供の頃どこかの王様に石の塔に閉じ込められ、算数や宿題一切やらないで良いからここに一生おれ。クレヨン画用紙使い放題、図書室もある。なんてことを夢見ていたくらいでストレスはない。用もないのに散歩はできないし。 今日は久しぶりに麻布十番の田村写真へ手漉き和紙のプリントをお願いに行った。到着するやまず手を洗う。マスク越しとはいえ対面して人と話すのはいつぶりであろう。三島が最後に見たであろう市ヶ谷駐屯地の刀傷が残る総監室はバルコニーの向こうは水平線で日輪が昇っている。その光の輪などはちゃんと出るだろうか。この辺りのコクが欲しいとか、2、3気になる所を相談し、お願いした。特に陰影のない作品を始めてから、手漉き和紙にはまり。作中に艶があるならまだしも、印画紙表面に艶がある意味が分からなくなってしまった。最初の1カット。仮面の告白より、私が彼になりたい、彼でありたい、と幼い三島が思った汚穢屋の男である。同じく聖セバスチャンの殉教図は自ら扮し篠山紀信に撮らせているし、ヤクザにもなった三島も、汚穢屋にはならなかったから、これこそ私のすべきこと、と。 次々プリントされる作品を眺めながら、世にストレート写真という言葉があるが、もっともそこから遠い作品と思われるが、私の頭に浮かんだことに対しては、あまりにもストレート、いきなりそのままプリントされ赤面するくらいであった。












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個展会場で配布のパンフレットのデザインが決まったとふげん社よりメール。両面観音開きB5サイズ。 市ヶ谷に向う三島一行は、中古で入手したコロナ車中、案外俺たち明るいなあ、ヤクザ映画なら唐獅子牡丹が流れるところだ、と全員で歌った。三島は亡くなる直前二人の彫物師に打診をし、願望があったのは間違いないが、自分には入れてはいない。映画唐獅子牡丹の池部良と高倉健の二人になぞらえ、三島に唐獅子牡丹を、と考えたのは随分前だったが、諦めずにいて完成した。この辺りの話は何度もしているので繰り返さない。 リコーイメージングのIさんに連れられ当時築地にあったふげん社にお邪魔したのは一昨年。その後に本郷の金魚坂に行くことになっていたので、三百年続いた金魚問屋ならと、和紙のプリントも持っていた。そうしたらふげんで三島で、という話になった。その日のブログに書いたと思うがまさかの展開に呆然としながら本郷に向かった。しかしこの三島はいくつかのギャラリーに断られた前科があったし、私の聞き間違いではなかったか?昨年念のために確認にでかけたくらいであった。 ここ数日、コロナのこともあり、どうも力が入らずダラダラと過ごしたが、討ち入りの計画に揺るぎがない、とパンフレットを見て確信した。もちろんそのためには、空気の入れ替え消毒、人との間隔を空けるなどの体制を取っての上であることは当然である。是非来て下さいと私にはいえない。ただ明日から松尾芭蕉を作るだけである。太宰でやったように、明日の朝から一日、数時間おきにスマホ写真をフェイスブックにアップしようと思う。








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愛の処刑は撮影は昨晩済ませたが、用意した背景に収めるのに時間がかかった。その間、気がつかないうちに、4、5回寝ていた。パンフレット用に最後の愛の処刑のデータを送る。ひとまず安心。それにしても三島作とバレないようにわざとだろうが愛の処刑とはジツにダサいタイトルである。 首が出来て、乾燥に入るまでは相変わらず早いが、仕上げが遅くなった。おかけですでに撮影に入っているはずの太宰の着彩に入ってもおらず。明日こそ撮影に入りたい。 私の理想が、外側にレンズを向けず、眉間に当てる念写が理想だから、という訳でもコロナのせいでもないが、写真展をするというのに、外に出ることもなく。ハードディスクが壊れたりしたせいでたいして残っていないが、持っているデータでなんとかなっている。三島が縛り上げられた擬宝珠のある柱は、昔撮ったデータの中に見つけた。余計な反射があり、どこかに撮りに行くはずが、そうだ雪が降っているんだと、これまた以前撮った雪を頭に乗せて済んだ。前にも書いたが、足腰立たなくなった時に備え、空や海や壁から地面とあらゆる物をデータとして撮っておこうと考えたことがあったが、今回案外役に立つものだ、と再認識した。それにカメラを持って出かければ、どうしたって良いショットを、と欲が出るものだが、そういうカットはまず役に立たない。写真として良い、なんて使い物にならず、私が手掛けて初めて良くなるようなデータこそが役に立つ。やっでみると色々わかるものである。名作?など絶対撮らないためのカメラをいずれ用意したい。食べ物に青い着色すると食欲が湧かないそうだが、名作を撮る気にならないように、カメラに色を塗ってやろう。明日こそ太宰に着彩だ。

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今生きていたら、バイ菌恐怖症の泉鏡花はどうしていただろう。何しろ二階への階段を上中下三枚の雑巾で拭かせた。昔の木造住宅だからたいした長さではない。旅の際には、煮沸しないと食べられないので汽車にコンロを持ち込み怒られる。 弓張月は雪の降り方が気に入らず、朝から繰り返した。さらに白目を赤く充血させ完成。食料を買いに出かけ帰宅後、残バラ髪を引っこ抜き、さらに首も根本から抜き、元々着いていた割腹中の三島に装着し、修整。明日、三島の最後のカット愛の処刑と、太宰の最初のカットが完成するだろう。石塚式ピクトリアリズムは、色はベタ塗り、ライティングの工夫も必要ないので、どういう構成にするかさえ決まっていれば撮影はあっけないほど簡単である。なのだが、その分人形の出来が左右する。ごまかしのライティングはできない。 それにしても図書館で浮世絵や日本画ばかり眺めていた私がこれを見たらどう思うだろうか。感心されるくらいなら呆れられた方がマシ、と日頃思っている私だが、人を呆れさせるにはまず自分が呆れるべきなのか?よくわからないか、だとしたらこの椿説弓張月は、充分目的は果した。





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朝から弓張月の撮影。結局、残バラ髪は粘土でなく、人形用の髪にした。顔には歌舞伎調メイク。虚実の配合具合で、イメージが変わる。流血は筆で描かず、スポイトで垂らすことにした。まあ考えて見るとスポイトで赤い色を垂らすからといって、単に血をホントに垂らす、というに過ぎず、ホントでもなんでもない。いやホントのことなどカケラもない。 しかし昔のヨーロッパ人のように南方や東洋に出かけ写真家が撮ってきた写真を飾って喜ぶ、なんてことはできない。何しろ私しか知らない景色を、取り出すことができるのは私しかいない。幼い頃クレヨンで絵描いていて恍惚となったあの時と同じ気分である。それにクレヨン握ったまま寝てしまい、溶けたクレヨンでシーツを汚し、鬼神の如く怒った母は老人ホームで、少なくとも私は安全である。さすがにこれでは三島と言うには無理があるが、このあと、筆で描いた雪を降らせるだけである。これにより私が本来、このモチーフでまっさきにやるべき聖セバスチャンの殉教図を本人にすでにやられていた、という無念をようやく晴らすことができる。何よりである。明日には使い回していた三島の首を、割腹中の胴体に戻し、いよいよ最後のカットとなる愛の処刑に入る。そして太宰の着彩、撮影である。

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午前中に和菓子用、煤竹の楊枝が届いた。10センチ近い、少々薄いがまさに竹釘、そのまま使用できそうだが、縮尺的には長すぎ、釘というより杭に近い。続いて人形用黒髪届く。三島の残バラ髪。いかにも苦し気にしてみたが。後は雪を降らせるだけだが、それも蠟燭、行灯、人魂同様筆で墨で描き反転する。 撮影後に首を引き抜き、割腹中の胴体に戻し、三島としては最後のカットとなる愛の処刑にかかる。タイトルからして冴えないが、わざわざ原稿を写させ変名で同性愛誌に発表している。長らく三島作といわれながら新潮の全集に入っている。家族の了承は得ぬままと聞いた。会場にはキャプション、を掲げる予定だが、愛の処刑は作中からは取らず、こうするつもりである。『愛の処刑』さようなら、アンティノウスよ。われらの姿は精神に蝕まれ、すでに年老いて、君の絶美の姿に似るべくもないが、ねがわくはアンティノウスよ、わが作品の形態をして、些かでも君の無上の詩に近づかしめんことを。ー1952年5月7日羅馬にてー アポロの盃より








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個展ではパンフレットを作るそうで、全部ではないが、三島に関しては、画像と共に小説内の抜書き程度は載せたい。個展椿説男の死は、モチーフの多くは、初の書き下ろし長編にして、その起筆日、11月25日に自決している仮面の告白から多くのモチーフを得ている。三島を知るには、そのほとんどをすでに書いてしまっているともいえる作品である。しかし仮面の告白を読んだことのない人にとっては、なんで三島が肥桶転がし糞尿運搬人の姿でいるのか、ドラゴンに噛み砕かれているのか、意味がわからないだろう。前回、キャプションはある程度作品に添えてはいたが、文字が小さかったこともあるだろうが、読んでいる方は少なかった。多少は?根拠があって作っている程度のことはお知らせしなければならないだろう。パンフレットに加えて、会場には制作ノート的なキャプションも添えることになっている。すでにこの世にいない三島にウケることしか考えずに制作してきて、いざ発表の段になり、我に返って慌てて言い訳を用意しなければならない、といったところである。 会場でそんな物は読まされて、面倒だという方も作品に能書きなど無用という方々もいるだろうが、モチーフがあまりに特殊なのでご容赦願いたいところである。 太宰は下駄こそまだ履かせていないが、明日にでも仕上げを済ませ着彩に入り早々に撮影しパンフレットに間に合わせたい。

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三島をモチーフにした作品は、ふげん社のおかげでやり尽くすことができそうである。三島に関しては最初からこれ以外に、やりたいことは何一つとしてない。 実は一つイメージしていた作品がなくはなかった。サーカスという小品で、サーカスの少年と少女。団長の企みで少年は落馬して死ぬ。三島の好物の王子の死である。何年か前から、相手の綱渡り芸人の少女役を探していたが、乱歩の目羅博士の不思議な殺人で、友人を月光の下、首を吊らせてビルにぶら下げたことがあるので、綱渡りの少女を下から撮ることも可能であろう。その人選も難航したし、サーカスは撮影禁止だったりして、どうデッ上げるか、考えてはいた。しかしここまで来ると、どうも弱い気がして二の足を踏んでいた。やり残した、と後悔しやしないか、という気分があったが、ここへ来て、愛の処刑の新たな構想が湧いて、だったらこちらの方が収まりが良い。しかも細かなことは描かず象徴的な絵にしよう、と。この作品は、自身を想定したであろう、毛深く逞しい体育教師と少年しか登場人物はいない。今になれば、切腹をそそのかし、その苦悶の表情に、先生のその顔か見たかったんだ、としがみつく少年こそ三島自身であったろう。以前も書いたが、一人身近に美少年がいたものだから、考えたことは、あったが、作中では美少年風ではあるが、三島が好きなのは、全く違って、文学とは無縁で、逞しい、ヤクザや兵隊や、汚穢屋や、神輿を担ぐ若者である。 ところがつい最近のことなのだが、イメージが浮かび、愛の処刑がラインナップに加わり、後は割腹中の三島を配すれば完成である。サーカスは好きな作品ではあったけれど、愛の処刑が加わるのであれば、話が違ってくる。愛の処刑では教師が割腹するので、割腹する三島がそのまま使えてメデタシでもある。

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